スポンサーサイト

物語を物語る

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「皇室制度に関する有識者ヒアリング」って、どっちにしても人選で決まるよね。

物語を物語る

平成24年2月29日付け、産経新聞から。

「女性宮家」創設めぐる初ヒアリング
 政府は29日午後、女性皇族がご結婚後も皇室にとどまる「女性宮家」創設に向けた皇室典範改正を検討するため、「皇室制度に関する有識者ヒアリング」を首相官邸で開く。初回のこの日はジャーナリストの田原総一朗氏と今谷明帝京大特任教授から意見を聴く。
 女性宮家の創設にあたっては、対象を天皇の娘、孫娘にあたる「内親王」に限るか、当主のご結婚相手の男性や生まれた子供を皇族とするか、新たな宮家の創設以外に皇室活動を維持する方策はあるか-などが主な論点となる見通し。
 政府は今年夏ごろまで月1、2回のペースでヒアリングを行った上で、国民の意見を募る「パブリックコメント」を実施。早ければ今秋の臨時国会への皇室典範改正案提出を目指す。
 3月中旬の第2回会合では山内昌之東京大大学院教授と大石真京都大大学院教授からヒアリングする。

なぜ田原総一朗? そして、なぜ今谷明?

今谷明や網野善彦らは中世・南北朝時代の歴史を調べるには外せない歴史家である。しかしその著作群を読むと、皇室への敬愛の念が感じられないので、思想的には受け容れることができない。(特に網野善彦は、自分でも公言しているようにマルクス主義者)
ただ、今谷明は象徴天皇制の肯定派であり、中世の天皇・皇室には詳しいことは間違いない。しかし、なぜ1回目でこの人なのか、と疑問が湧くのだ。(田原総一朗は論外)
今谷明著「天皇家はなぜ続いたか」(新人物往来社)から引いてみましょう。

1988年の前天皇の発病以降、世の中あげて天皇シンドロームというべき状況に陥った。プロ野球のセリーグで優勝した中日が祝勝会に於けるビールのかけ合いを取り止めたのをはじめ、いわゆる自粛現象が社会全体をおおって異様な雰囲気が漂った。宮城二重橋前には、雨天にもかかわらず万を以て数える人々が押しかけ、浅田彰氏をして「自分は何という土人の国にいるのだろう」と言わしめたのである。ある程度予測されたとはいえ、このような状況を眼前にして、改めて戦後民主主義の危機と受け止めた向きも多かったようである。各学会でも右の状況に刺激を受け、天皇制をめぐる議論が活発化し、京都に本部を置く日本史研究会は、室町・江戸期の天皇制を取り上げてシンポジウム等の特集を組んだ。天皇権力の衰退期と考えられていた室町・江戸期にこそ天皇制の本質が潜んでいると看破した同研究の見通しは極めて的確なあものであった。(中略)
天皇家は、かろうじて足利氏による纂奪を逃れた。(中略)その利用価値を見出された天皇の地位とは、一言で言えば権力は持たないが、ある種の権威を持つという存在である。それは今日的にいえば、“象徴天皇制”の一種と呼んでもよかろう。戦後GHQが天皇制を廃止し得ず、苦肉の策としてあみ出した象徴天皇制の伝統がーーもし前近代にそれがあるとすればーー義満以後の天皇、具体的にいえば当時の人物で百一代目の後小松天皇以降であろう。

戦後天皇制への座視
右のように見てくると、近現代史上に於ける天皇制最大の危機は1945年の敗戦であったということにならざるを得ない。
そこでGHQによる選択として、天皇制改変には種々の可能性があったといえよう。しかし、天皇制の命運は、依然として国民の手に非ずして、マッカーサーというカリスマ的権威に握られていた。国が破れ、数百万の国民が犠牲になったのであるから、その衝撃は承久の変どころではなかった。しかし、驚くべきことに、天皇は島流しにもならなければ、出家も退位もしなかった。承久・元弘と国を破った天子は流刑、応仁のように責任がなくとも治天が出家するというのが中世に於けるルールであった。承久の土御門は、面責されてはいたが自ら望んで土佐の配所へ赴いた。このような「帝王不徳の責」を引かねばならぬとするルールがあったからこそ、天皇制が曲がりなりにも存続してきたとも言えるのである。
従って、1945年の天皇免責は、天皇史上類例のないルール破りであり、歴史の教訓を全く無視した処置であった。国際状勢によっても影響されていたとは言い条、このような処置を呑まされた国民の悲劇でもあった。今なお天皇の戦争責任問題がくすぶるのは、このためである。
(中略)
中世史家が現代天皇制を云々するのは、僭越を通り越して夜郎自大である。(中略)歴史家が政治に影響を与え得る時代など、むしろ不健全であり、危険である。歴史家の発言に、あまり社会が関心を払わなくなった昨今のような時代には、最善とは言わないまでも、無難であり、次善と言うべきであろう。

つまり、昭和天皇崩御の自粛ムードを批判的に捉え、戦争責任を追及すべきと唱え、引いては島流しにすべしと主張し、象徴天皇制はアメリカの押しつけであって、行間を読むと「天皇制」はない方がいいというニュアンスがひしひしと伝わってくる。サヨクとまでは言わないが、「戦後民主主義」の思考にどっぷりと浸かっているのである。
そして、笑ってしまうのは、歴史家は政治に首をつっ込んで、「天皇制」云々を語ってはいけないと言っているが、今回はまさに己の信念を違えて、そこに口を入れている。言ってる事が違うじゃないか。(ここではあえて「天皇制」という言葉を使っています)
今谷明のような「天皇制」肯定派の学者であっても、その心の奥底どこか皇室に対して否定的なものを感じるのは、戦後日本の「進歩的文化人」的な思想が充満していた時代を過ごした学者には、いまだにその思考がびっしりと頭にこびりついているからだろう。いま以ってこの思想は形を変え、社会学者や憲法学者や経済学者、評論家や文化人や言論人に受け継がれている。アカデミックな世界では皇室否定が圧倒的だろうから、そこから選ばれる有識者などに意見を求めても、皇室存続を願う人などほんと少数じゃないだろうか。(悲しいがそれが事実だ)
そのうち、民主党のことだから、皇室と日本人を呪詛し続ける大江健三郎あたりがヒアリングに呼ばれて「皇室廃止」を訴えることになるんじゃないのか。

それにしても、皇室典範に関する有識者会議のメンバーもヒドイけど、有識者に意見を聞くのであれば、もう少し「皇室」に敬意を払う人にして欲しいものだ。
スポンサーサイト

Comment

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

Trackback

«  | HOME |  »

カスタム検索




FC2ブログランキング


すみません…、只今コメ返しをしておりません。しかし、しっかりと読んでおります。こんなわがままなサイトですが、気が向いた方は、どうぞ書き込んでください。

FC2ブックマークに追加

07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

Wikipedia
developed by 遊ぶブログ
物語を物語る
 トップページ
  ├ 月別アーカイブ
  |  └ --年--月 --日 (--)
  ├ カテゴリー
  |  └ スポンサー広告
  └ スポンサーサイト
物語を物語る
 トップページ
  ├ 月別アーカイブ
  |  └ 2012年03月 13日 (火)
  ├ カテゴリー
  |  └ 時事ネタ
  └ 「皇室制度に関する有識者ヒアリング」って、どっちにしても人選で決まるよね。
by AlphaWolfy

消えた二十二巻

Author:消えた二十二巻


全ての記事を表示する




このブログをリンクに追加する
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。