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物語を物語る

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ヴァリニャーノの『日本巡察記』から・その4 そして宣教師は思い至った、「この国は外国人が支配できる国ではない」と。

物語を物語る

アレッサンドロ・ヴァリニャーノの『日本巡察記』の4回目。

ヴァリニャーノと同時期に日本に来ていたフロイスは「日本史」を書き記した。いまではフロイスの方が有名人となっているが、ヴァリニャーノの方が上官である。
本書の解題に分かりやすい説明があった。
『過去の外的事象を詳細を極めて描写することはフロイスがもっとも得意とするところであり、ヴァリニァーノは事物の内面を深く洞察して、将来を企画することをもっとも長所とした。』
フロイスの「日本史」は、当時の日本の事件・人物について事細かく書かれたものであり、いうなれば彼は「新聞記者」「ジャーナリスト」だったといえよう。
一方、ヴァリニャーノの「日本巡察記」は、イエズス会主導のもとでいかに日本をキリスト教化するかを説いた、「企画書」「プランナー」的な書であるといえる。
それは、目次を見れば良く分かるだろう。「第十六章 日本人修道士、及び同宿と、我等ヨーロッパ人宣教師の間に統一を維持するための十分な注意と方法」とか「第二十八章 日本においてキリスト教徒の領主が司祭や教会を維持できない理由と原因」とかいったもので、どのようにすれば日本をキリスト教化(それによる支配)できるか、その方策が細かく繰り返し述べられている。またこの報告がローマカトリック本部のみならず、国王や貴族などパトロン・出資者に向けられていることからおカネに関する記述も多い。「第二十七章 日本における多額の経費、及びそれをまかなう方法。当布教を前進させるに必要な収入」とか「第二十九章 収入を補わなければ日本が陥る大いなる危険、及び収入不足のために失われる成果」といった収支に関わることも多く書かれている。

そして、この報告書は事業推進のものなのに、読めば読むほど、「日本のキリスト教化無理じゃね」と思えてくるから不思議だ。
本書を大雑把にまとめると、日本人は優秀である→キリスト教を理解する能力がある→有能なキリスト教徒を増やせる→日本を東洋のキリスト教布教の拠点にする→カネと人を派遣すべき、という趣旨となっている。
ヴァリニァーノ「日本諸事要録」(一五八〇年ころ)の記述

には、「支那人は別として、全アジアでもっとも有能で良く教育された国民であり、天賦の才能があるから、教育すれば総じて科学の多くのヨーロッパ人以上に覚えるであろう」
「…とにかく改宗後、インド人と日本人の間には大きい相違がある。すなわち、インドでは各個人は改宗に際して自らの利益を求めた。インドにおける布教活動が通常把握したものは、黒人と無能者であった。したがって彼らはその後、前進し良きキリスト教徒となることが、はなはだ困難である。日本の新しいキリスト教徒の大群衆は、キリスト教の信仰をその領主の強制によって受け入れたのであるが、彼らは教えられたことを良く知っており、良く教育されており、才能があり、外的礼拝を非常に愛好するから、まったく喜んで教会へ説教を聞きに来る。…」

だが、一方ではこういう危険性があることを何度も強く言っている。
簡単に要約してみる。
①日本人は優秀であるが、ヨーロッパ人とは全く違う思考をもっていて、『日本人は自分たちの風習や儀礼に深くなじんでいるから、彼らはたとえ世界が破滅しようともその日常の態度なり方式を一片すら棄て去りはせぬであろう。(第三章)』とあるように、ヨーロッパ人の風習に馴染もうとはしないだろう、という。日本人は誇り高い人種であるので、土人や野蛮人のように鞭や恫喝で無理やりにキリスト教徒にするということは無理である。この点は何度も書かれている。
②しかも、『日本人の習慣、食事、対応、言語その他の諸件の相違、また自然の感情においてさえ存在する相違、特に日本人は、彼らが風習を重んじて、これを固執し、ヨーロッパ人がこれに慣れることは非常に困難である。』とあるように、ヨーロッパ人宣教師も日本人化することできない。
③よって、教会の布教には日本人の聖職者を育てる必要があり、その者たちを彼らの上長に据えることになる。しかしこれには大きな危険を伴う。彼ら日本人の独自の考えで、キリスト教を別のものに作り変えることになるのではないかと懸念している。(また、この上長には領主の類縁などがなれば、権力を持ち、ヨーロッパ人宣教師以上の力を持ってしまうことも危険視している)
④『日本の風習に合わせて教会を作る他ないが、これはきわめて困難であり、危険であって、大きな誤りを犯しやすい。(第七章)』
仏教や儒教が日本に渡来して広まったが、それは本国にあったものとは全く違ったものになった。つまり何でも日本風にアレンジしてしまうのだ。(これは宗教に限らず、日本は文化も技術も日本独特のものに加工するという特色があるからだ。)
ヴァリニャーノは、キリスト教もそうなるのではないかと恐れた。キリスト教宗派での争いもある中、違う教義のものが布教してしまうことはイエズス会にとっては大変都合が悪いし、キリスト教(植民地)的支配をしていく上でも日本人的独自のキリスト教が生まれてしまうことは統轄の障害になってしまう。日本人が優秀であるがゆえに、逆に懸念されることだった。

それは、以下の一文によく表れている。

日本は外国人が支配していく基礎を作れるような国家ではない。日本人はそれを耐え忍ぶほど無気力でも無知でもないから、外国人は、日本においていかなる支配権も管轄権も有しないし、将来とも持つこともできない。したがって日本人を教育した後に、日本の協会の統轄を彼ら(日本人)に委ねること以外には考えるべきではない。その為には、彼らに前進する道を与える唯一の修道会があれば十分である。このことは、我らの心を日本人の心に合致させることが大いに困難であることによって、明白に認められ証明されるのである。この困難の原因は、あらゆることにおいて見出される矛盾性である。彼らはこの(種々の)反対の(諸現象)の中に固く腰を据えていて、いかなる点においても、我らの方に向かって順応しようとせず、逆に彼らの方があらゆる点で彼らに順応しなければならぬのである。これは我らにとってはなはだしく苦痛であるが、もし我らが順応しなければ、信用を失い、なんらの成果も収めることができない。(第九章)

また解題にはこんな文章もある。

日本の政治形態は、「世界中でもっとも奇抜な、あるいはより適切に言えば世界中に類似のないもの」であり、日本文化は、「武術を基盤とする封建文化」だと述べている。
1579年12月2日付け書簡において、日本を征服しようとするヨーロッパ植民勢力のあらゆる試みは、「軍事的には不可能」であり、「経済的には利益がない」と総長に報告している。

ヴァリニャーノは、日本のキリスト教国化を進めるよう本部に上申しながらも、心の内では、これは成功しないだろうと思っていたのではないだろうか。
もちろん、政治的なこと(日本側のキリスト教廃止)や、経済的な面、人材的不足、本国からの遠距離など諸々の諸条件はあっただろう。しかし、日本をキリスト教国化して、ヨーロッパ人の支配下に置くことが出来ない理由は、ヴァリニャーノ自身が列挙した日本人の優秀さにあったのではないか、そう思えてならない。
キリスト教宣教師が最初に乗り込んで布教し、その国の文化を欧州化し、軍事あるいは経済で植民地化するという通常パターンが日本には通じなかった。
なぜ通じなかったのか?
ヴァリニャーノやオルガンティーノが指摘したように、日本人は、土人や野蛮人といった低能民族(どこの国とはいわないが)ではないからだ。(第一回から読み返せば、日本人の特長は列挙されている)
高い文化性と強い精神性を持つ国は、他国からの支配を受けることはない。ヴァリニャーノは、当時の日本を見て、こう確信していた。
450年近く前の日本は確かにそうだったに違いない。
そう、信長や秀吉といった日本史上でも指折りの傑物を目の当りにすれば、欧州人でもそう思ったに違いない。
では現代の日本は?
優秀なリーダーはどこにいる。
当時のインテリ欧州人を驚嘆させた高尚な日本人はどこに行ったのだろうか。

嘆いてばかりでは仕方ない。自信を持つためにヴァリニャーノの言葉をもう一度太字で書いておきましょう。
日本は外国人が支配していく基礎を作れるような国家ではない。日本人はそれを耐え忍ぶほど無気力でも無知でもないから、外国人は、日本においていかなる支配権も管轄権も有しないし、将来とも持つこともできない。
日本を征服しようとするヨーロッパ植民勢力のあらゆる試みは、「軍事的には不可能」


……このシリーズ終わり。
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Comment

[373]
政治と軍事を分断する思考法が当り前になっているおかしさに国民が気付かない限り、日本の復興は困難でしょうね(何かといえばシビリアンコントロールをふりかざすバカがマスコミはじめ大勢いるし)。
信長にしろ秀吉にしろ家康にしろ、伊達政宗だって、みんな卓越した政治家であるのと同時に優秀な武人でした。日露戦争までの明治の政治家にしても、ほとんどは実戦経験豊富な元軍人ばかりです。彼等が指導層でなければ、日清日露の戦いは到底勝ち抜けなかったでしょう。本来、軍事的素養に裏打ちされていない政治なんぞありえない筈なのです。その意味では、今の国会には政治家なんて一人もいないといっていいかもしれません。
巷では、歴女だの歴史ブームだのと言われているようですが、そういう歴史好きな人々は、今の政治、就中、平和憲法なんてものをどう思っているのでしょうか?みんな戦国時代とか幕末が大好きなくせに、信長とか政宗とか新選組が大好きなくせに、それでいて、ああいうものをどうして許容できるのか、不思議でしょうがない。まあその筆頭が、大河ドラマだのヒストリアだのを看板番組にしてきたNHKでしょうけどね。

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