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歴史ミステリー小説「東毛奇談」第6章 8

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「まだそれでいい。ところで千ちゃんは俺と同意見だったな。この徳川御用金隠匿計画を指揮したのが勝海舟だというのも一致するわけだ」
「そうです。まずいつそれが行われたのかを見ていきましょう」
「そうなるともう一度、江戸城無血開城前後の勝海舟の行動を見なくちゃなるまい」
「それについては自分が説明します。
慶応4年1月11日、例の江戸城大評定があり、官軍に恭順することに決定した。ここで小栗は罷免され、方や勝海舟は、陸軍総裁に任命されます。一方新政府となる官軍は東征軍を差し向けることになり、2月9日に有栖川宮熾仁親王を大総督として、東海道・東山道・北陸道の三手に分かれて江戸を攻めることになった。
そして官軍がいよいよ江戸に迫った3月5日、慶喜側近の高橋泥舟の推薦で、山岡鉄舟を官軍総督府への使者に選んだ。山岡の使命は、幕府が恭順の意志があることを伝えることである。当初、幕府総責任者の勝海舟は、乱暴者の山岡を信用しなかった。だが、山岡の誠意を感じて、西郷隆盛への書面を託したといいます。そしてこのとき薩摩藩士であった益満休之助を介添人として付けた。益満は薩摩藩の送りこんだ関東撹乱ゲリラの一員であった。が、幕府側に生け捕られ、勝海舟に預けられていた。この益満を山岡に付け、官軍・西郷との交渉にあたらせた。このとき官軍の中にも、徳川を厳罰に処すべきだという意見と、恭順の意志を示す慶喜に対して、徳川家に寛大な処置をするようにと意見は二分していた。
また勝海舟や西郷は、諸外国の干渉や戦乱長期化による治安不安定などを避けたい意志がありこの辺りでは意見は一致していたんだ。3月9日、山岡は駿府にいた西郷にやっと会うことができて、勝海舟の書簡を渡すとともに、君臣の情義を述べた。慶喜の処遇を巡り、西郷に直談判をしたが、これが西郷の心を動かして、慶喜の身を守る約束を取り付けた。10日に山岡は江戸に戻り、西郷も駿府を出立、12日に池上本門寺に着き、本陣を構える。そして13日と14日に歴史上有名な勝海舟と西郷の会談があった。そして15日の江戸城攻撃の中止と7カ条の降伏条件を示し、官軍側と幕府側の合意となった。とこんなところでしょうか」
「その7カ条の降伏条件ってどんなものなの?」
「ちょっと待って(と言って、資料を捲る) これこれ、
第一、慶喜は隠居して、水戸で謹慎する
第二、江戸城明け渡しについては、徳川一門の田安家に預けたい
第三、軍艦、軍器は残らず引き渡しする
第四、その武器に対して、相当の員数を残し引き渡しする
第五、城内住居の家臣は、城外へ引き移り、慎みおること
第六、慶喜の暴挙を助けた者たちも格別の御憐憫をもって寛典に処され、一命にかかわることのないよう
第七、土民暴挙に対して、手に余る時には、官軍により鎮圧をお願いしたい
以上です。この条件は受け入れられ、4月11日に江戸城無血開城を向かえる」
「ここに何か抜け落ちていることはないかい?」弦さんが質問した。
「うーんそうだわ。お金に関する項目がないわね」
「そうさ、結果からいえば、勝海舟と官軍・西郷との間に徳川御用金についての話合いはついていたんじゃねーのかな。幕府が官軍側にいくら払ったかは分からねえが、金の交渉は決着していたのだろう。だってその後の交渉でも徳川御用金について、またそのほか金の話が全く話し合われた形跡がないからな。小役人レベルの金の争いはあったらしいが、トップレベルでの話し合いが見られない、これは不思議なことだよ。降伏条件の中に賠償金問題が提示されない戦後処理なんてないからな。戦国の世なら敗者から土地や財産を分捕るから、賠償金についての話合いなんてものは必要ないかもしれない。だが江戸城無血開城は話合いで決着した。勝者は官軍側で敗者は幕府側と明確に決したんだ。官軍に金がなかったのは分かっている、それなのに求めないなんてありえん」
「でも勝海舟が言ったように、本当に幕府には金がなかったんじゃ……」
これには真船が答えた。「全くない訳はありません。ある程度はあったと思います。例えば、官軍が迫っていた時、江戸には新撰組の近藤勇らがいました。官軍と和解したい勝にとって、新撰組は邪魔者以外の何ものでもない。だって薩長の志士を切りまくったんだから。そこで近藤らに役目を付けて江戸から遠ざけようとした。それが甲州鎮撫隊である。甲州を制圧させるために近藤に軍資金5千両と大砲2門、銃200挺を与えた」
「それが何か?」
「幕府にとって新撰組は厄介者だ。それに甲州なんて今やどうでもよかったんだ。ポイントは財政逼迫の時期に金を出したということ。それはまさに捨て金なんだよ。望みのない場所に、邪魔者を江戸から追い出すだけのために、5千両もの金と武器をポンと出したのだから……。まあ、つまりある程度の金があったとこれで予想はできるでしょう。それに日付が問題です。近藤らが甲州に向かったのが慶応四年三月一日です。このころには、だれが幕府の決定権を持っていたかということです。既に、小栗は勘定奉行を罷免されて、上野国に旅立っている。今までも見てきたように、この空白の期間だれが御金蔵を見ていたのかとなると、勝ら恭順派となるわけです。つまり近藤らを遠ざけることを決めたのも勝だろうし、それに金を使うことを出来たのも勝であろうということです」
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by AlphaWolfy

消えた二十二巻

Author:消えた二十二巻


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