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物語を物語る

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ドナルド・キーン自伝から。 日本文化を護るために取るべき道は何なのかを考えてみた

物語を物語る

「ドナルド・キーン自伝」(中公文庫)を読んでいたら、50年代のアメリカで起こった「日本ブーム」に触れている個所があったので引いてみた。
ドナルドキーン自伝


(有名人や知識人が集まったフォビアン・バワーズ夫妻のパーティーにキーン氏はよく招かれた) こうした集まりで、私が名士たちのちょっとした関心の対象になったのは、日本が俄然人気の的となっていたからである。それまで日本の文化が中国の模倣に過ぎないと決めかかった人々でも、ニューヨーク近代美術館に建てられた日本家屋や、アメリカの様々な都市で開かれた日本の国宝の展示会を見た後では、考えが変わったようだった。その頃初めてアメリカに紹介された禅の教えも、神のいない宗教として知識人たちの人気を集めた。もっと重要な要因となったのは、「羅生門」に始まる日本の思いがけぬ流行だった。ふつうであれば日本文学の教授に何を話かけていいか戸惑うカクテル・パーティーの参加者たちも、日本が流行の先端になったからには私を質問攻めにせざるを得なかった。
隠し砦の三悪人(画像は黒沢明の「隠し砦の三悪人」)

私が直接関わっている分野で言えば、数々の出版社が現代の日本文学の翻訳に新たな関心を持ち始めた。その口火を切ったのはクノップ社の編集長ハロルド・ストラウスで、クノップ社は翻訳文学を手掛けるアメリカの出版社の中では最王手だった。ストラウスは戦時中に多少の日本語を身につけ、(助けを借りながら)日本の小説の世界に分け入っていったのだった。
ストラウスは、愛すべき人物ではなかった。彼はいかにも尊大に構えていて、「翻訳者など掃いて捨てるほどいる」といったようなことを平気で言う人間だった。エドワード・サイデンステッカーの素晴らしい翻訳にかかわらず川端康成の『雪国』が売れなかった時、ストラウスは二度と川端のように「淡泊で無力な文学」は出版するものかと宣言した。しかし川端がノーベル文学賞を受賞するとストラウスは考えを変え、『山の音』を出版した。三島が自決した夜、ストラウスは私に電話してきて、翻訳にもっと高い原稿料を払う用意があると言った。
三島由紀夫 英語版(画像は三島由紀夫の「豊饒の海・奔馬」英語版)
これら数々の欠点にかかわらず、ストラウスは現代日本文学に関わりのある人間すべてから感謝されていい人物だった。大佛次郎『帰郷』の翻訳を企画したのはストラウスで、これは二十五年前に二葉亭四迷の『其面影』の翻訳が出てから初めてアメリカで出版された日本の小説だった。『帰郷』は、日本人の主人公が自国の文化を再発見する物語である。もともと日本の文化に馴染みのない多くのアメリカ人にとっては、この小説は再発見というよりはむしろ発見そのものだった。クノップ社が出した次の小説、谷崎潤一郎の『蓼喰ふ蟲』もまた、伝統の再発見を描いた作品だった。
大佛次郎(画像は大佛次郎の「帰郷」英語版)
他のアメリカの出版社もクノップ社の例に倣ったが、中にはどちらかというと伝統的ではない作品を好んで出した出版社もあった。こうして、おそらく一九五〇年代の「日本ブーム」が最長記録を作る結果となったのだった。

なるほどなるほど、アメリカで起こったちょっとした日本ブームは、ヨーロッパで巻き起こった「ジャポニスム」と同じように、知識人や文化人に広まったというのが分かる。
50年代・60年代の日本ブームは静かながら、アメリカの文化人に浸透して広がっていったのだろう。それはハリウッド映画人を見ればよくわかるのだ。フランシス・フォード・コッポラ監督は三島由紀夫の愛読者で、「地獄の黙示録」の撮影中に「豊饒の海」を読んで構想を膨らませていた話は有名だし、同様のことは「ゴッドファーザー」のオーディオコメンタリーでも語っていた。またルーカスやスピルバーグは黒沢明の影響をモロに受けたことを公言していることでも分かる。(映画スターウォーズではあちこちに日本文化が散りばめられていることについては、今さら説明不要だろう)
50年・60年代に日本文学が翻訳されたり、日本映画が紹介されたことによって、これが後々「日本文化愛好家」を増やす切っ掛けとなったのだから、まさしく先駆的役割を果たしていたとみて間違いないだろう。
そういえば、日系のナンシー梅木がオスカー助演女優賞を獲った「サヨナラ」やマーロンブランド主演の「八月十五夜の茶屋」など50年代には日本を舞台にした映画が多数作られていたし、ビルボードNO1になった坂本九の「スキヤキ」は60年代だった。(現在まで多くの海外アーティストにカバーされている) これらも日本ブームの一つの傍証となるだろう。
日本といえば「ニンジャ・サムライ・スシ」といったイメージが、現代のアメリカで広まっているのも、前段階でのこの「日本ブーム」という下地があったからと言えるのではなかろうか。となれば今の日本のアニメ・マンガ人気も、形は違えど日本文化人気が継続して引き継がれていったと見ていいだろう。
さて、アメリカで日本ブームが起こっていた50年代、そのころの日本はどうだったのか、興味深い逸話が載っていたので引いてみる。

雑誌「文学」の編集長・玉井乾介から依頼されたのは「日本文学の古典」という本の書評で、これは日本文学をマルクス主義に基づいて解釈した本だった。もちろん私はマルクス主義のこと知っていたし、当時流行していた反米主義についてもよく知っていた。毎月、私は三大総合雑誌(「中央公論」、「改造」、「文藝春秋」)の目次に目を通し、時にはその原稿を読むこともあった。アメリカの独占企業的な資本主義の脅威を暴く記事が、常に少なくとも一つはあった。しかし、日本の古典文学をめぐる議論でマルクス主義に出会ったのは、これが初めてだった。私は読んで、愕然とした。この本が『古今集』に触れていないのは、それが貴族によって書かれたもので、民衆の手で書かれたものではないからだった。『源氏物語』は、支配階級の矛盾を暴露した作品として取り上げられていた。他の作品が賞賛もしくは貶される基準は、すべてそれが「民主的」であるかどうかに掛かっていた。
私の書評は数ヶ月間、発表されなかった。ついに発表された時には、三人の著者の一人による反論が一緒に掲載されていた。(中略)反論は、私のことを「貴族的プチブル的腐敗した西欧人」と非難していた。

まさに戦後民主主義の名の下で、「文化大革命」のようなことをやっていた。アメリカでは日本文化の発見で流行となっている一方で、当の日本はその自己文化を否定して、反米主義のマルクス主義礼賛という状況だった。おかしな話だ。
これも昔話かといえばそうでもないでしょう。こんな思想の人たちが、手を変え、口調を変えながらいまだに大学や論壇・文壇・文芸分野・新聞業界の中に蟠居して、日本は悪い国だ、日本人は島国根性で閉鎖的だ、とネガティブキャンペーンをしているのだから、恐ろしいことです。

では、今度は、『ドナルド・キーン著作集〈第1巻〉日本の文学 (新潮社)』から引いてみましょう。
日本の文学

日本人は現在も、自分たちのはぐくんできた文化がいま外国で高く評価されているという事実を、すなおに受け入れかねている者が少なくない。それについては、日本人は海外の事情をちゃんと知っており、また外国のおびただしい事物に関してずいぶんと精通しておりながら、日本が外部社会との接触を絶ち、孤立していた徳川幕府下二百年の鎖国時代の影響から、なかなか抜け出せずにいるという印象がある。日本人のなかには、自分がいまもなお「島国根性」をぬぐいきれず、そのことが日本人をして外の世界と自分たちを隔てる差異をことさらに、ときには大げさまでに、意識させてしまうことを認める者もいる。しかし、いまの日本の若い作家たちには、そうしたことはもうあてはまらなくなっている。そうだとすれば、それほど遠くない将来、全世界の文化に占める日本の重要性が、外国人ばかりではなく、日本人にも認識される日がくることを期待したい。

キーン氏は日本文学が近いうちに世界で注目されるであろうと、予測している。そのためには、日本人が己の文化に自信を持つことが必要だと主張しているのだ。
過去記事 ドナルド・キーン「日本人よ、勇気をもちましょう」から。 

さて、キーン氏が日本文学に魅かれた切っ掛けの一つに「源氏物語」がある。自伝から引いてみよう。

(時代は第二次大戦中)当時、ニューヨークの中心にあるタイムズ・スクエアに、売れ残ったゾッキ本を専門に扱う本屋があった。その辺りを通りかかった時に、いつも私は立ち寄ったものだった。ある日、「The Tale of Genji 」(源氏物語)という題の本が山積みされているのを見た。こういう作品があるということを私はまったく知らなくて、好奇心から一冊を手に取って読み始めた。挿絵から、この作品が日本に関するものであるに違いないと思った。本は二巻セットで、49セントだった。買い得のような気がして、それを買った。
やがて私は、『源氏物語』に心を奪われてしまった。アーサー・ウェイリーの翻訳は夢のように魅惑的で、どこか遠くの美しい世界を鮮やかに描き出していた。私は読むのをやめることが出来なくて、時には後戻りして細部を繰り返し堪能した。

The Tale of Genji(「源氏物語」英語版)
本文に出てくる「ゾッキ本」とは、「古本・古書市場にて極めて安い価格で売られる新品本を指す。赤本、特価本、新古本、バーゲンブック」のことをいう。キーン氏と日本文学の出会いが、偶然の巡り合わせであり、これがどこか浮世絵が海外に広まった状況(陶器の包装紙だった)と同じように、何気ない「発見」にあったというのが面白い。
重要なのはこの「出会い」でしょう。
ブルーノ・タウトが日本の美を発見したように。
過去記事 ブルーノ・タウト「日本文化私観」シリーズ

以下、ドナルド・キーン著作集〈第1巻〉から。

これらの訳書をはじめ、そのあとに世に出た英訳書は、おおかたが戦時中に日本語を修得した旧軍人たちの手になるものである。そうした人たちの翻訳と研究の成果は、日本の現代文学にとどまらず、古典文学の作品や歴史書、哲学書など広範な範囲にわたる。そのおかげで、世界の文明に日本人が寄与してきた事実があらためて認識されるようになった。以前なら、世界各国の詩を網羅した詩選集を公刊するにしても、日本の詩についてはほんの申し訳程度の(まずは二句か三句の俳句を紹介するくらいの)配慮でお茶を濁すのが通例だった。しかし、一九六六年に出版されたスティーブン・マーカス編纂の『現代小説の世界』は、きちんと日本の作家たちの作品を取り上げていて、そのあと公刊された文学選集を見ても編纂者たちは日本の作品を無視するわけにはいかないことを認識するようになっている。
日本の文学に対する見方のこうした様変わりぶりは、決して一朝一夕にもたらされたわけではない。たとえば「一九七〇年代の文学」といったテーマで調査した結果を公刊した文芸評論家たちにしても、北アメリカとヨーロッパ圏の外で書かれた作品については、たとえ翻訳書があろうとも、議論の対象にしようとはしていない。しかし、変化はまず世界の主要な大学のカリキュラムの中で起こってきた。つまり、大学教育のなかでアジアの重要性が再認識されるようになって、学部の学生には欧米以外の地域の文明を専攻する講座は少なくとも一つは履修することを義務づけることになったのだ。各大学がいま特に重視しつつあるアジア各国の文明の中で、日本の文明は学生たちがいちばんとりかかりやすく、その講座は最も人気が高い。
もう一つの変化は、アメリカ人の「海外渡航」についての考え方をめぐって生じてきた。以前は、アメリカ人が海外に出かけるといえばヨーロッパに行くことをさしていたのだが、いまでは行き先に日本が含まれるようになった。日本の文学と文化を学ぶ大学生たちのあいだでは、ある程度まとまった期間を日本で過ごしたいと希望する者が増えている。
同じような変化は、ヨーロッパでも起こっている。以前、ヨーロッパでは日本語を教えている教育機関は、ほんのひと握りしかなかったが、日本が世界でも重要な国だという認識が広まるにつれ、ヨーロッパのほぼすべての国で日本語の講座が開設された。日本のことを専門的に研究したいと念願する者を別にすれば、将来の自分の職業として日本人旅行者のガイドとなることを選び、その手段として日本語を取得する者が多い。日本が経済的に豊かになったおかげで、近年大挙してヨーロッパの名所旧跡を訪れる日本人観光客が増えたことも、こうした風潮に輪をかけている。当初はまったく実利的な目的から日本語を学んでガイド通訳者となった者のなかには、途中から日本語の書物の翻訳者に転じた者もいる。こうした人たちは、アメリカ人が手がけた英訳書からの重訳ではなく、日本語の書物から直接、自分の国のことばに翻訳するのがならわしになっている。


「クールジャパン」と叫びながら官僚主体となって、日本のソフトパワーを売り出そうとしている。これはこれでいいだろう。しかし、それが金儲け優先、売上至上主義に堕ちれば、たちまち廃れていくだろう。
これは過去記事で詳しく、「アニメは日本文化を救えるか」シリーズで。
重要なのは「日本ファン」や「日本文化サポーター」を増やすことだ。「ジャポニスム」で日本文化に興味を持った美術家や審美眼のある好事家たちが日本文化を世界的に広めたように、上記のキーン氏のような知識人や文化人そしてその卵である学生たちの中から「日本文化愛好家」や、海外で日本文化を紹介する「仲介者」を増やすことが必要なのだ。金をかけるなら、そこに使うべきなのだろう。
ワゴンセールの中から出てきた『源氏物語』や陶器の包装紙に使われた『写楽』や『北斎』。これらは莫大な公費を使って宣伝されたわけではない。そういう「発見」を促すこと、日本文化の良さを知ってもらえる「人たち」を海外に作る(増やす)ことこそ重要なのだ。
優れた文化は人気を得て、愛される。そしてそれが本物の文化なら廃れることなく好まれ続けるであろう。表現形態は変われども、その根本にある「日本文化」を持ちづけれていけば、一過性で終わることはないはずだ。
だから一時的に売れた・ヒットしたからといってそれは「文化」は言えない。ケツ振りダンスのK-POPやおばさんを喜ばせるだけの韓流ドラマがいくら売れようが、それが「文化」とまでに成り得ているのだろうか。ゴッホやセザンヌのように偉大な画家が、浮世絵を真似た絵を描くのであれば、それはもう疑うべきもなく一つの「文化」だろう。黒沢だ、小津だ、と海外有名映画人がリスペクトし語り継いでいったなら、それは一つの「文化」だ。ドナルド・キーン氏といった超一流の大学教授が感嘆するような三島や谷崎や安部公房、そして源氏物語や俳句といったものが、優れた文学と世界で認められれば、それは一つの「文化」だといえるだろう。
しかし、それらは経済的にみれば大した金額にはならない。だがここで見誤ってはいけないのは、「文化」を売上ベース、経済的視点で見てはいけないことだ。
アメリカやヨーロッパの文化人や知識人の中で、私は韓国文化に影響を受けましたという人が出ればそれは認めてもいいだろうが、果たしてどうであろうか。何万枚CDが売れようが、視聴率が取れようが、CMに出て契約金が何億円だとか、そんなものは文化的視点に立てば大したことではない。数年経てば忘れ去れらるようなものは、決して文化とはいえないだから。あれらがただの消耗品や商品物であったのか、それとも他国に影響を与えた偉大な文化だったのか、そのうちいずれはっきりするだろうから慌てる必要もないが。
ただ問題なのは、日本の文化政策を推進するお役人さんが、韓国の真似をして「金儲け」主義に走るような気がしてならないのだ。
日本文化を愛し、一流大学で半世紀もの長きに渡り日本文学を紹介し講義し続けたドナルド・キーンさんような知識人・文化人を、海外で十人二十人、いや百人二百人と増やすことこそが最重要なのだ。

関連記事 村山斉さんの言葉から「日本は外国研究者を呼び込む魅力的な国になっている。存在感を世界に発揮している、もっと自信をもっていい。」

これは、科学の分野だが、言っているのは同じこと。科学ももちろん、文化の一つだ。
だが、こういった事業の経費を削減しょうとしたのが「事業仕分け」だったことを忘れてはならない。
そして、その事業仕分けを「日本でも文化大革命が始まった」と喜んだ仙谷由人がいる政権が与党となっている現在、50年代・60年代の日本の風潮となんら変わっていないということも、認識しておかなければならない。
そしてその政権下で行われる「クールジャパン」が、果たして、日本文化を深深と広めることを重要視するだろうか、実に疑わしい。
文化に敬意を払うことなく、自国の文化を軽視する人々が……。
そうなればすることは目に見えてくる。目先のカネ・売上を優先することだ……。
これは日本文化を愛し、日本国籍まで取り、終の棲家を日本にと心に決めた、ドナルド・キーンさんを悲しませることになるに他ならない。
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