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物語を物語る

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新田氏情報のまとめ。最後は強引に「中島知久平邸」は保存すべきだと主張してみる。

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勇壮!人形山車巡行、三国祭中日 終日、子ども囃子の音色も熱気

(2012年5月20日午後7時09分)北陸三大祭りの一つで県指定無形民俗文化財の福井県坂井市の「三国祭」は、中日を迎えた20日、呼び物の人形山車(やま)が三国町の市街地を練り歩いた。朝から青空が広がる快晴に恵まれ、日曜日ということもあり勇壮な山車の姿を一目見ようと大勢の見物客でにぎわった。
 今年は6基の山車が登場した。午前中に各区を出発し正午ごろに三國神社前に勢ぞろい。午後1時過ぎに四日市区の「新田義貞」を先頭に巡行を開始した。山車を動かす男衆は力強く巧みなかじさばきを披露。6メートルを超す巨大な山車が露店や見物客であふれる細い路地を縫うようにして練り歩いた。
 各山車には、この日に向けてけいこを積み重ねてきた子どもたちが囃子(はやし)方として乗り込み、「えーいやー」と掛け声を掛けながら演奏。三国の港町は笛や太鼓のお囃子の音色がこだまし、終日熱気に包まれた。(高村友基)


義貞 山車新田義貞の山車(中日新聞から)

新田 山車2祭りを巡行する義貞公の山車
ほんと、立派な山車ですね。「義貞愛」あふれる福井の方々には感謝します。(それに引き換え群馬は……)
過去記事 各地で「新田義貞」「新田一族」を祀る大祭が行われました。しかしその一方で、群馬県太田市は……。

では次、平成24年5月19日 読売新聞 群馬版から
「榊原康政 正室の墓所は?」 館林市史編さんセンター 岡屋紀子さんの記事

ツツジでにぎわった館林は、まもなくハナショウブの季節を迎える。城沼の水面に映える陽の光は早くも夏を感じさせる。
その城沼の東端にある浄土宗の名刹善導寺の境内には、初代館林藩主で、徳川四天王の一人として武勇に名高い榊原康政が眠る。昨年3月の東日本大震災で榊原家墓所でも墓石が倒壊し、1年を費やして修復を行い、このたび善導寺で開眼落成式が行われた。
墓石には、長男の大須賀忠政、二代藩主康勝、康政の側室花房氏の墓もある。榊原家は康政、康勝、忠次と三代にわたって館林を治めた後は、奥州の白河、播州の姫路、越後の村上、高田へ転封した。
このため、榊原家の墓所は館林のほか、姫路、東京など全国に約三十ヶ所あるが、善導寺の榊原家墓所をめぐっては不思議なことがある。
康政と同じ墓所に眠るのは、正室ではなく側室の花房氏なのだ。実は、江戸中期に正室の墓を調べた記録が榊原家に残るものの、そこには「葬所不詳」とだけ、記載されている。
康政の正室となったのは、徳川家康に仕えた大須賀康高の娘であるが、名前は分かっていない。正室との間に生まれた康勝だった。
康勝は大坂夏の陣で患い帰路に亡くなり、榊原家は断絶寸前になったが、家康の命令によって忠政の長男忠次が10歳で榊原家を継ぎ、大須賀家が絶える羽目に。結局は、正室の系統が榊原家を継ぐことになった。
江戸時代、大名家の家系を守るためにはいろいろな方策が取られた。記録には書かれていないが、そこからは当時の女性たちの生きる姿が垣間見え、家名の重さをどんな思いで支えたのかと想像を巡らせてしまう。全国にある榊原家ゆかりの寺院のどこかに正室の墓は今も残っているのではないか。いずれは探し出し、市史に残したいと思う。館林の歴史秘話をこれからも掘り起こしていきたい。

えっ、新田氏と関係ないって、声も聞こえそうですが、そんなことはありません。 過去記事「新田氏関連ニュース。「里見氏」と「榊原康政と俳優・川野太郎とつつじが岡公園」」にあるように、ツツジが関係してくるのです。

では、次 上毛新聞に折り込みで配布されるタウン紙「太田タイムス」のコラムから

先日みた、ある番組で脳裏から離れないものがある。「太」と「大」である。両方とも「おおきい」という意味があるが、聖徳太子は「太」で「お大師様」は「大」である。点があるかないか、が気になるのである。そのきっかけはある寺の山号でのこと。太田市の由緒ある寺で金龍寺がある。武将・新田義貞の菩提寺である。そこは「大田山金龍寺」と書く。秀吉が天下統一の頃、その寺は常陸国の牛久(茨城県)に移転し荒廃したが、江戸時代に復興した。そこの山号は「太田山」である。この点のあるかないかで深い意味があるかもしれない。「画龍点睛を欠く」という言葉があるが点は重い。

これは金龍寺。過去記事でいえば、「新田義貞伝承を追う②  義貞の墓」や「中島知久平と新田義貞  新田義貞伝承を追う! 実は「東毛奇談」の続編 シリーズ第26回」あたりになります。
金龍寺・扁額画像は金龍寺の扁額

上記の過去記事を見ていただければ、新田氏関連の寺社の再建・再興、記念碑の建立など新田氏の顕彰に中島知久平が大きく関わっていること分かるでしょう。その知久平についての新聞記事があったのでコピペしておく。
平成24年年4月9日付け 読売新聞から

「飛行機王」中島知久平邸大修理…群馬・太田市
群馬県太田市教委は、同市押切町に残る市重要文化財「中島知久平邸」について、1億円以上かけた初の大規模修理に乗り出すことになった。ロの字型をした屋敷の西側の玄関棟を耐震補強し、2013年度の公開を目指す。市民行事に貸し出す地域交流センターとしての活用も決めており、同市教委文化財課は「建物の素晴らしさとともに、太田市の歴史に関心を持ってほしい」としている。
 屋敷は、現在の富士重工業の元になる中島飛行機を興し、「飛行機王」と呼ばれた中島知久平(1884~1949年)が、両親のために1930年に建てた大邸宅。玄関棟と客室棟、居間棟、食堂棟が回廊式でつながった計約970平方メートルの一部2階建てで、1万平方メートル以上の敷地に建つ。
 現在の工業都市太田の基礎を築いた人物ゆかりの屋敷としての歴史的な価値を持つほか、和風建築に応接間で洋風を取り入れ、昭和初期の和洋折衷様式を色濃く残している。ヒノキなど高級建築材も使われていることから、2009年5月に市重要文化財に指定された。
 その後、市教委は公開も考えたが、09年度に耐震補強が必要と判断されたため、一度見送っていた。
 今回の修理は事業費が1億1950万円。約40%分は、国土交通省の社会資本整備総合交付金が受けられる見通しとなったため、実現することになった。
 同課によると、いったん壁を取り崩し、中に合板様の補強材を入れたり、天井の目に見えない部分に筋交いを入れるなどの修理が予定されている。玄関棟前の庭には砂利も敷き、南に面した庭に芝を張ることも計画されている。
 ただ、二つの応接間にかかる高級カーテンは「予算的に修理が難しく、取り外し保管する」という。 同課は、昨年行った一般公開の日を今年も設け、市民に屋敷の価値への理解を深めてもらう予定だが、1億円以上をかけても今回の修理は屋敷の西側のみで、残りの4分の3の修理日程は未定という。

新田氏(高山彦九郎も含む)関連の寺社に行って、石碑の碑銘などを見ると、寄付者や発起人などといった形で中島知久平の名を多く見つけることが出来る。新田氏の歴史的功績を最認識させた功労者だといえるのだ。むろん南朝方の武将たちが必要以上に軍国主義に利用されたという面もあるが、それを差し引いてもなお中島知久平が果たした意味は大きい。いま新田氏関連のものを見ることができるのは知久平の力(財力・政治力)の賜物だともいえるからだ。
ならば、新田義貞及び一族・一門の遺蹟を残そうとするなら、中島知久平の功績・遺物もセットで保護すべきではないか、と思う。
何度も書くけど、中島知久平邸の周辺を眺めてみれば、ここが歴史物の宝庫だというのが分かる。
市内へ向かえば金山、呑龍さんの大光院、金龍寺。旧新田町方面へは斎藤佑樹とも縁が深い生品神社、反町薬師。
そして、この川を上がっていけば世良田東照宮や長楽寺へ続き、そこは徳川氏発祥の地だ。そして、幕末の志士に影響を与えた高山彦九郎の生家(記念館)があり、下っていくと大泉町にある児島高徳の墓・高徳寺へ、さらに下ると館林へ行き美智子皇后陛下を生む正田家へ続くことになる。(川向こうの深谷には渋沢栄一の生家(記念館)がある)
実はこの地は、太平記の時代から現代まで綿々と続く歴史的秘史を持つ場所なのだ。
これらを地理的に結ぶ点となるのが、「中島知久平邸」だと思う。
東毛の歴史的遺蹟として残す意味は十分にあると思うのだが、どうだろうか。
理由は、「東毛奇談」で。
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