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歴史ミステリー小説「東毛奇談」第6章 10

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「自分たちの考えでは、一時的隠匿なので、一つ目に当たることになります。しかし、徳川埋蔵金を探している人たちは、小栗が御家再興のために埋めたことになっているので、謎文や絵地図の解読に血眼になっているんです」
「まあ親子三代に渡って探している人なんかには、今更やめろとは言わないさ。一生をかけて追い求めるものがある人は、案外幸せなことだからな。皮肉で言ってるんじゃないぜ。したいことが見つかるなんて、そうそうあるものじゃないからな。でもさ、それを煽って商売にしょうなんて奴は許せねーな。特にテレビはな。番組が終わればそれまでだから。せめて掘った穴を埋めろというんだ」弦さんの言葉に琴音は頷いて、質問した。
「で、ここまでは、徳川埋蔵金伝説の否定だったけど、肝心の江戸城御用金の行方はどうなったの?」
「よし、隠し場所だな。今までの条件に合う場所が一ヶ所あるんだぜ」
「どこ?」
「それが新田がある東毛だよ……、といっても俺は行ったことないが」
「うそ!、でもうちの番組でも徳川埋蔵金が世良田東照宮に隠されていたというのを取り上げていたわ。この前ビデオでチェックしたわ」
「ああ、俺も見たさ。世良田東照宮に隠されていたという内容だった。だが天海がこれにからんでいたし、具体的な説とは言えなかったな」と感想を漏らした。
確かに伝説を追ったところがあり、決定的証拠は提示していなかった。まあこの点は難しいだろう。
「真船さんもそう思います?」
「同意見です。実は弦さんとは前もって意見を交換しました。電話ですけどね」
「いつの間に?」
「いろいろ確認しておきたかったことがあったので……」と真船は答えて言葉を濁した。
「よしそれじゃー、まず江戸と東毛の位置関係を確認してみるか。千ちゃん解説を頼む」
「はい。埋蔵金公式では、隠し金の運搬には舟が用いられるとしている。ここで江戸と東毛を結ぶ川は、利根川と江戸川となる。利根川は群馬と新潟両県の境にある三国山脈の丹後山に源を発し、関東平野を横切り、千葉県銚子市で太平洋に注ぐ川。群馬・栃木・埼玉・茨城・千葉5県にまたがり、日本最大の流域面積を誇り、信濃川に次いで全国第二位の長さをもっていて、285の支流がある。別名、坂東太郎とも呼ばれる、と解説しています」
「この利根川は、その昔は南下して荒川や入間川などを合わせて、東京湾に注いでいた。それが江戸時代に、洪水防止と東北に対する軍事防衛、船運による江戸への物資流通路確保を目的に治水工事が行われて、現在の太平洋に注ぐ流路になったというんだ。江戸へ物資を送る船運は盛んとなり、東北や関東各地を結ぶ上で重要な役割を果たしたというんだ。それじゃー今度は江戸川の解説を読んでくれ」
「江戸川は茨城県境町と五霞村の境で利根川本流と分岐して南下し、埼玉・千葉県境から千葉県と東京都の境を流れて千葉県市川市で東京湾に注ぐ川。江戸時代の利根川治水工事により、江戸川は利根川の分流となった。江戸時代には、利根川水運で栄え東北地方・関東各地からの米・塩・鮮魚などが江戸へ輸送された」
「昔は川を利用した水運が輸送手段の主力であり、その水路により江戸からの人々や文化の交流も盛んとなった。明治以降は鉄道が発達して川の輸送はほとんどなくなっちまったけどな」
「そうですね。東毛地方の太田・新田・尾島は利根川沿いに町がありますよね。赤城山埋蔵金伝説でも、船を利用して、利根川を下っていることになっているから、輸送方法は同じことになります」
「でも問題なのは、どこで水揚げしたかでしょう」琴音が指摘した。
「一時的隠蔽工作だから、山深い場所に隠す必要がないでしょう。そうなると利根川に近い世良田東照宮や長楽寺が浮かんでくる。そして埋蔵金の鉄則として財宝を分散して隠すというのがある。一ヶ所に隠すと他者に発見されたとき、そこですべてを失うことになる。しかし隠し場所を分散すれば、それだけ危険を回避することができる。そこで、この場合を推理すると、一時的に世良田東照宮・長楽寺に水揚げした後、各地に分散した可能性が高いんではないかと思うんですが」
「東毛地域には、新田伝承の神社仏閣が多く点在するから、隠す場所には事欠かないわけだな」弦さんが断定的に言った。
「ここで新田伝承が登場するわけか、やっと雨月の謎掛けに辿り着いたわ」
「そうだが、まだこれからだ」
「今は川の水路から見ましたが、実は陸路からも東毛地区は利便性が高いんです。それを説明します。奈良時代、大和朝廷の律令政治により交通制度の整備があった。このとき東毛地域は東山道に編入されて、新田駅が設けられた。新田駅は南下して武蔵へ向かう道と、本流の次駅が下野国足利駅となり、古来より交通の分岐点になっていたというんです。
そして江戸時代には、京都朝廷から日光東照宮へ派遣される勅使が通った道があった、それが日光例幣使街道です。江戸を起点にした五街道の一つにも含まれる、重要な街道です。この街道は中山道の倉賀野、今の群馬県高崎市から分かれ、太田、佐野、栃木を経て日光西街道に合流し、聖地日光へ向かう道である。これにより東毛の地が陸路でも多方面に行ける地であることが分かる。
それに、太田の金山では松茸が採取され、1615年あたりから1867年の幕府瓦解まで将軍家に献上されていたという。この松茸献上は、太田~江戸まで人足の宿継ぎにより20時間で届けられたというんですよ。この通路は太田~熊谷~大宮~板橋~江戸をダイレクトに結ぶ線が存在したんですよ。まだあります、東毛の地にある桐生は江戸後期から絹織物の町として栄え『西の西陣 東の桐生』といわれるまでに成長した。この桐生と江戸・八王子は絹の道で結ばれていて、八王子も江戸中期ころから絹織物の生産流通で栄えたんだ。この絹の道は明治のころには、横浜まで続き、海外輸出の拠点となる。これは新田義貞の鎌倉攻めで南下したルートに近いことになる。このルートは鎌倉、つまり海に抜ける道となるわけだ。これにより江戸から東毛への通路は、水路のみならず、陸路でも行き来がし易いことが分かるでしょう」真船は長い説明を終えた。
「つまり、こうゆうことね。御用金の運搬は川による船で運ばれたが、一時的隠蔽であり、もしもの際に移動できる機動性を考えて、東毛の地が選ばれたわけね」琴音の説明に真船は頷いた。
「そうだろうな、時勢は常に動いていたから、いつ金が必要になるかもしれねーし、またどこかに移動する必要に迫られるかもしれねーからな。交通アクセスは便利なほうがいいに決まってる。つまり東毛は、関東一円に広がって流れている利根川による船運もいいし、江戸・日光、東山道、中山道、絹の道と陸路も申し分ない。それに江戸城までは20時間という近さにある。これらを見ても御用金一時隠蔽場所としての可能性は高いとにらんでいる。特に日光へと繋がる街道があることは重要だな。江戸が駄目になったら、日光へ拠点を移して官軍と戦う計画もあったというからな」
「実際に、日光東照宮は財宝を多く持ち、金属類は武器に変えることが出来るように、装飾が派手にされているといった説もありますからね。勝海舟と官軍の話し合いがうまくいかなければ、徳川家最後の砦として日光は使われていたかもしれませんね」
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by AlphaWolfy

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