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鏑矢祭の新聞記事

物語を物語る

平成25年4月26日付、読売新聞(群馬版「すくーる自慢」)に鏑矢祭についての記事が結構大きく出ていました。
ネットにも出ていたので記録のためにそのままコピペしておきます。ここから

鏑矢祭で弓 6年男子成長
太田市立生品小
 太田市立生品小学校からわずか500メートルの距離に、軍記物語「太平記」でおなじみの武将新田義貞が鎌倉幕府打倒を宣言した生品神社(太田市新田市野井町)がある。
 義貞が挙兵した1333年(元弘3年)5月8日にちなみ、神社では毎年この日に「鏑矢(かぶらや)祭」が開かれる。義貞が吉凶を占うため鎌倉に向けて鏑矢を放ったという伝承に基づき、白鉢巻きにはかま姿で矢を放つのは6年生の男子児童だ。
 学校の公式行事ではなく、総合学習の一環で、児童にとっては地域の歴史の重みを知る大切な日でもある。稽古が始まる新学期早々の4月下旬、校内はいつもと違う緊張感とわくわく感に包まれる。女子児童からも「弓を引きたい」との声が寄せられるという。
「斜め右向け右!」「1、2、3、前へ、4、5で後退!」
 同小体育館で23日放課後、祭りの指南役「式師」を務める茂木晃さん(76)の声が響くと、男子児童36人は「ざっ、ざっ」と体を動かした。氏子も手伝う中、祭りで披露する陣形を整える。次第に児童の動きは「魚鱗(ぎょりん)」と「鶴翼」の2陣形にそろっていった。
「弓は常に水平に持つ!」
 整列時にも、武士らしくきりりとした姿を保っているか、茂木さんの目は厳しい。最初は面白半分に笑っていた児童も、鎌倉を向いて弓に矢をつがえる姿勢になると少し大人びた表情を見せる。
 祭り翌日が誕生日の飯島孝明君(11)は「新田義貞の気持ちになれるし、陣立てを変える時の動きが楽しかった。誕生日前日なのは、まあ、うれしいかな」とはにかんだ。柏原浩孝君(11)は「矢を放つまでわくわくして待っている。当日まではずっと緊張している」と待ち遠しい様子だった。
 稽古は、祭りまでに7~8回、1時間ずつ行われる。弓矢は茂木さんの手作りで、祭り当日は保護者がはかまの着替えを手伝う。多くの見物人も訪れるため、児童らは地域に見守られ、育てられていると肌で感じることになる。
「祭りを体験すると、最上級生に進んだ自覚を持ったという以上に立派になったと感じる」。土屋修校長(54)は、児童が稽古に励む姿に目を細める。茂木さんは、式師の継承者が現れるのを願っている。

 ▽校長 土屋修▽創立 1874年(明治7年)に「笠松学校」、翌年に「成功学校」と「蓬直学校」が開設された。通学地区での分離や分教場の設置などを経て、89年(明治22年)に「生品尋常小学校」となった▽児童数 566人▽学校教育目標 心身ともに健康でたくましく、豊かな感性と共生の精神を持ち、創造性に満ちた自ら学ぶ意欲を具体化する児童を育成する――など▽所在地 太田市新田村田町
(2013年4月26日 読売新聞)


当サイトにおいての「鏑矢祭」の記事はこちらで。
読み返してみて、残念なのは「斎藤佑樹」選手。
やはり、初心に帰るべきなのか。
新田の魂はここにあるぞ。
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消えた二十二巻

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