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歴史ミステリー小説「東毛奇談」第6章 14

物語を物語る

真船がここで付け加えた。「そのことについては、勝が自身の回顧録の中でこう語っている。『おれも維新前にはいろいろな者と付き合ったが新門の辰などは随分物分かりのいい男であった。ああいう男は金や威光にはびくともせず、ただ意気づくで付き合うのだから、同じ付き合うにも張り合いがあった。官軍が江戸城へ押し寄せてきた時は、おれも大いに考えた末にいわゆるごろつきを集めることにした。それは随分骨が折れたものだった。毎日役所から帰るとすぐに四手駕籠に乗って、あの仲間といわれる奴の家を尋ねて回ったが、骨が折れるというものの、なかなか面白かった。貴様らの顔を見込んで頼みたいことがある。だが貴様ら金の力やお上の威光で動く筈はないので、この勝が頼みにきたのだ。と一言いうと、へい分かりやした。この顔が入り用ならいつでもお使いくだすってという風で、その胸の捌けているところなどは、実に感心なものであった。官軍が江戸に入って無政府状態であったのに、火付けや盗賊の被害が少なかったのは、おれが前もってこんな奴らを味方に引き入れておいたからである』と、その当時のことを書いています」
「でも辰五郎が博徒の中で偉くとも江戸だけではないの。御用金を運んで東毛に隠すとなると……」
「だがな、上野・上州は博徒の地であったんだぜ。大親分の大前田五郎や国定忠次がいたし、笹沢佐保の小説『木枯らし紋次郎』もこのあたりの藪塚の出身ということになっている。黒澤明の映画『用心棒』の舞台も上州であるという。いつもからっ風が吹いているだろう。何が言いていーかというと、上州は博徒が多くいた荒っぽい土地柄だったんだな。つまり博徒特有の義理みてえーのが漂っていたんじゃねーのかな。俺はな、この土地のある博徒が、勝や辰五郎の計画に協力したんじゃねーかと思っているんだ」
「でもそんな人たちに信用できたのかしら。ちょっと不安じゃない」
「まあそれもそうだが、勝の言うようにこの時期、その土地に顔が利き、ある程度信用できて、組織力がある者といったら博徒の親分がいいだろう。別に幕府の役人として登用しようというわけじゃない。ちょっと協力してくれと、頼めば、義理立てして助けてくれる親分はいたんじゃねーのかな。辰五郎の頼みだといわれて協力すれば箔がつくからな」
「はく?」
「箔だよ箔。一つ例を挙げれば、駿府に隠棲した徳川慶喜に随行して辰五郎らも一緒に移り住んだときのこと。辰五郎のもとに清水次郎長が挨拶に来て、早速兄弟の杯を上げた。もちろん辰五郎が兄貴分である。花のお江戸の大親分と漁港の田舎親分とではまるで格が違う。兄弟の杯を貰った次郎長は箔が付いたといって大いに喜んだというんだ」
「ふーん、それだけ辰五郎は博徒の世界では有名だったのね」
「まあ箔が付くからという協力したわけではないだろうが、これは一つの例だ。当時の上野国は上州打ち壊しという一揆が盛んで、治安はかなり乱れていたし、役人は全く役に立たないから、やはり顔役を使ったんだろう。それに小栗上野介が赤城山に御用金を埋めたと流言したのも、農民や流人たちを煽いで小栗を襲わせたのも、博徒や顔役たちだったんだ。だからこの計画には博徒などが関わったっていたと睨んでいる」
「では、ここまでをまとめてみましょう。徳川御用金の一時隠蔽計画は、
だれが ~勝海舟
いつ  ~1867年3月13日の西郷隆盛との会談から4月11日の江戸城開城の日までの間に
どこに ~徳川と官軍にとって中立地帯になるような場所。新田関連の寺院がある東毛地区
どのように ~利根川を舟運で辰五郎ら博徒・顔役の手によって運ばれて一時的に隠された。
その後 ~明治政府樹立後、東京に戻され勝海舟らの手によって使われた。よって現在は徳川埋蔵金なるものはない。ということになります」と真船がまとめた。
「徳川御用金の流れは分かったけど、ここには何故という箇所が抜けているわ。何故隠したのか、何に使われたという点ですね。官軍には借金があって返済に使ったというのは分かるけど、勝はやっぱり旧幕臣のために使ったのかしら」
「最初は違ったと思う。まず、第一に徳川慶喜には野望があったということだ。大政奉還後でも慶喜はフランスの皇帝を意識して、新政権樹立時には自ら首班となり政権を掌握しようという目論みがあった。これは官軍側が完全に主導権を握ったために実現することはなかった。が、勝もそのことは考えていたようで、慶喜が進んで大政奉還を行ったのもその点にあった。だからこそ、その資金が必要だと思ったに違いない。当時幕府は外国に多額の借金をしていたから、これ以上の借金は諸外国に付け込まれる可能性がある。だが資金の確保のためにも隠し金は必要だった。第二に、勝は明治政府の政治運営はうまく行かないと考えていた。長州や薩摩の田舎侍に中央政権の切り盛りなど出来ないと読んでいた。しかも薩長の派閥争いは熾烈を極め、内部分裂を起こしかねない状態だった。それを勝は密かに待っていた。その時こそ旧幕府が薩長に取って替わるときだと。だけど明治政府は成功する。旧幕臣の手を借りずともね。これで勝の目論見は外れたんだ。つまり勝は、幕府のような武士の政治形態を壊したあとに、諸外国を真似た新しい政権を作ろうとしていた。そのためにも資金がいる。そんな目的のために一時的に金を隠したのだと思います」
「明治政府が出来たときは、だれが見ても成功するようには見えなかった。旧幕府にもまだ機会があると思っても不思議はない。そのときに金がなきゃどうにもならない。一時的に隠した御用金はそのとき生きてくるはずだった。権力を得て、それを維持するには金つまり経済力がいるんだ」
「御用金ってそんなにあったのかしら」
「いくらあったとは断定できないが、元手になるくらいはあっただろう。事を起こすには何でも金は必要だからな」弦さんは金のところを強調した。
「でも結果的には明治政府は成功して、勝のところには金は残ることになるわけよね」
「そうそこでこの金は目的を変えることになります。旧幕臣は8万人いたといわれ、再就職先もなく、収入もない金欠状態となるわけです。ここで御用金は旧幕臣の援助に使われたと想像されます。勝の後半生は、金の遣り繰りに尽きるといっても過言ではないんです。彼の『氷川清話』などは、旧幕臣の生活扶助や金貸しなどが頻繁に登場します。幕臣の間では『勝のところに行けば、金はなんとかなる』と言われていた。徳川の御用金は山奥深く埋められたわけでもなく、ごく自然な使われ方をしていたことになるんです」
「こんなに金の管理をきちんとしていた勝が、江戸城引渡しの際に、御金蔵に一両も金が残っていないのを知らなかったという話がウソだというのが良く分かるぜ」
「だから徳川埋蔵金伝説が生まれたんですよね」
「残された御用金を勝が管理することが公になってしまえば、生活苦の幕臣8万人が当てにしてしまい収拾がつかなくなる。小栗が御用金を持ち出し、赤城山に埋めて何処にあるのか分からないとすれば、御用金は秘密裏に勝の管理下となります。しかも勝は、旧幕臣のためにあらゆることをしています。茶畑の開拓、北海道の開拓の斡旋、徳川私設銀行の設立など多岐に亙っています。これらの資金を勝は私費と利殖や豪商の献金で補ったというけど、徳川の御用金というか御遺金は勝の支配下にあって、これを元にしているのだと思います」
「そこまで隠す必要はあったのかしら」
「この行為は日本の歴史に役立ったと考えられるんだ。徳川旧幕臣が明治維新後に暴発しなかったことは驚きに値する。彰義隊や五稜郭の戦いなど小規模なものはあったが、明治政府へのスムーズな移行を果たし、諸外国の付け入る隙を与えなかったからな。これは大きいぜ」
「ということは徳川埋蔵金伝説も役に立ったことになるわ」


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by AlphaWolfy

消えた二十二巻

Author:消えた二十二巻


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