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物語を物語る

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映画「デスノート DEATHNOTE」の私的解釈。その1 Lは何故チェスをするのか。

物語を物語る

ブログを書こうと、ネットカフェに入った。時間のある日は、そこで映画を見ながら、記事を書くことを習慣としている。
で、映画は何を見るかと悩んで、何となく「デスノート」を観た。
最初は画面半分だったのが、いつの間にかブログは最小化して、映画が全画面になっていた。前篇、後編の一気見。計4時間強、記事を書くのをそっちのけで、見入ってしまった。
おー、なんという展開、面白い。こりゃ、ハマルわー。
そして、たぶん他の人が面白いと思うような場面では、私は別の意味で驚愕し、感動したのだった。

「デスノート」に関して全く予備知識はない。原作漫画は読んだことはないし、アニメも見たことがなかった。話題になっていたことは勿論知っていたが、周りが面白い面白いとあまりにも言うので余計に敬遠していたのだ。それに、あの「死神」の姿をCMとかで見て、これは私の苦手なジャパニーズホラー物と勝手に決めつけていたのだ。だからなおさら手を付けていなかった。
だが、この日、ネットカフェで「デスノート」を無料配信していた。もし他に見たいものがあったら、この映画は一生見なかったかもしれない。(映画にも縁というものがありますね)
それに、この物語(私は映画だけですが)は知識欲を煽られますねー。無性に、他のことまでが知りたくなる、まさにカルトの要素満載ですな。

さて、何度も言いますが、何も知らないで観て、その後ネットで検索した知識しか現時点ではない。その素材だけで私的解釈を行うので、トンチンカンなことを書くかもしれません。またファンから言わせれば間違っていることも書くかもしれません。ただ、これから書く記事は、観たときの感想と自分なりに考えついたことをダラダラと忘れずに書いておく、といった内容です。まあ今までと同じように読み飛ばしてください。(物語の核心部分に触れることもあるので、これから見る人は注意してください)

さて、前口上はこれ位にしてと。今回は「Lはなぜチェスをするのか」です。

この映画を見て一番に思ったのがイングマル・ベルイマンの映画「第七の封印」だった。1956年のスウェーデン映画。ベルイマン監督は先日死去しましたね。そのときは私も少しだけブログに書きました。

では、ストーリーを簡単に。「10年間十字軍に参戦したアントニウスは帰国の途中、死神に狙われる。騎士は死神にチェスを挑み勝負のつくまで善悪と生死の問題を考えようとする。彼は帰路で疫病や迷信、魔女の疑いで焼き殺される少女たちに会うが、神は彼の問いには答えない。彼が自分の城に帰りヨハネ黙示録の第7の封印を読んだとき、死神が迎えに来る……」

①映画では死神と騎士がチェスをする場面が超有名で、パロディーに使われるほどだ。夜神月とLがチェスをする場面がある。これは「死神とチェスをする騎士」のようでもある。

②この騎士は「誠意も信仰もいらないが知識が欲しい」と言うのだが、Lも似たような性質を持っている。

③「第七の封印」のテーマは神の不在、神の沈黙だ。
「デスノート」では、「悪がはびこる世の中に、なぜ神は沈黙するのか。正義」とは何か」がテーマとなっている。
正義が行われないことに義憤を感じた夜神月が、デスノートで正義を行う。神の沈黙=正義が行われないことで、夜神月が「神のような存在」になろうとしていくのだ。(ただこの「神」は善ではなく、人を越えた絶対者ということ)
神、善悪、生死、対話(対決)など、2つの映画に流れているテーマは、根底では近いものがある。

ただ、「第七の封印」は古いのであまり見る機会がないだろう。もし、見たとしても、難解すぎて訳が分からない。まずは「第七の封印」を検索して、見た人の感想を読むといいでしょう。噛み砕いてあるのでよく分かる。「デスノート」のストーリーを浮かべながら、解説、感想などを読むと、「デスノート」と「第七の封印」の関連性を理解することができるでしょう。

「Lが何故チェスをするのか」
「デスノート」ではLがチェスをする場面がしきりと登場する。映像としてこれだけ使われるとなると、演出者に何かの意図があると考えてよいだろう。
夜神月と初めて会うときも、Lの最後の場面でもチェスをしている。してなくても、テーブルの上には必ずチェス盤がある。監督の金子修介は「ガメラ」シリーズで有名な方。小道具に凝るという話は聞いたことがある。これが映画だけの小道具なのか、原作でも使われているのは分からないが、チェスが何かを意味していると思っていいだろう。

そこで考えていると、キャサリン・ネヴィルの小説「8(エイト)」を思い出した。
内容(アマゾン「BOOK」データベースより)「宇宙を司る8の公式。その謎を秘めたチェスの駒を求め、争奪戦が繰り広げられる。時空を越えてひろがる壮大なる冒険ファンタジー
革命の嵐吹きすさぶ18世紀末のフランス。存亡の危機にたつ修道院では、宇宙を動かすほどの力を秘めているという伝説のチェス・セット「モングラン・サーヴィス」を守るため、修道女たちが駒を手に旅にでた。世界じゅうに散逸した駒を求め、時を超えた壮絶な争奪戦が繰り広げられる!壮大かつスリリングな物語」

① 本の中にこういうセリフがある「数には神聖な性質があると考えている。宇宙は数で構成され、その振動数とぴったりと共振できさえすれば、人は神と一体になれると信じているんです」
その謎を解くカギがチェスの盤の数字の配列にあって、そこに宇宙の法則が隠されていると本には書いてある。
そしてそのチェス盤を手にすると、神と等しい存在になる。デスノートを手にした人間が、悪の力で人の命を支配できるように、盤を手にしたものが、神の力で世の中を支配することができるということだ。
Lの知識欲望は貪欲だ。目に見えない悪と戦うには、神の力(知識)を持って、謎を解明しようとしたのではないか。チェスにはそういう力が秘められているというのだ。
②チェスにも、デスノートにも細かいルールがあり、それに則って、ゲーム(「デスノート」はゲーム性が高い)が行われている点も見逃せない。そして、チェスも、デスノートもともに心理戦が行われるのだ。
③小説「8(エイト)」にはそういったチェスにまつわる話が山のように出てくる。死者の書や冥界への使者ヘルメスやトートの記述もあるので、デスノートで「なぜチェスなのか」を意識して読むと面白いかも。ただし、長い話で上下巻の計1000ページくらいあるので、暇な方しかおすすめしませんが。
まあ、チェスにはそういった神秘性もあって、Lが使う小道具として最適だったということか。


余談……Lが甘いものばかりを食べているが、これも何かを表しているのではないかと、考えてみたが浮かばなかった。(きっと何かを暗示していると思う)
ただ、ここで荒俣宏の話を思い出した。頭脳を使うときは甘いものを食べろ、といった内容の話だった。荒俣が作家として売れないころ、まだ会社員として過ごしていたときのこと。昼は働いて、夜は小説を書く生活だった。金もない、寝る時間もなかった。そのころは、出版社の一室か水木しげるの家とかに住み込んでいたという。そこには、羊羹やカステラ、どら焼きなどの手土産が来る。それを頂いて食事にあてていたというのだ。荒俣曰く「甘い物の栄養素である糖分は頭へまわり、頭脳を活性化させる。人間甘いものだけでも生きていける」といった。そのころに書いたのが「帝都物語」である。荒俣は知の巨人と言われる人物だから、あながち嘘でもないだろう。
Lが甘いものを食べるのは、頭脳戦に耐えうるためだったのか。(甘いものが好きだという設定で、笑いを取ろうということか)

といったことで、「デスノート」関連で以後もダラダラと書き続けます。予定は3回。
次回は、「死神はなぜリンゴを食うのか」です。
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