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歴史ミステリー小説「東毛奇談」 終章 4

物語を物語る

「まったくだぜ」と弦さんは受けて、続けて語った。「埋蔵金伝説といわれるものには、一つの法則があるんだ。それは前政権の遺産は、次の政権を立てた者に引き継がれていくんだ。自然の流れといってもいい。旧政権が倒れる時に、必ずといってもいいほど埋蔵金伝説は生まれるんだ。こう考えるといい、新しい政権の権力を引き継ぐのと同時に、その財力も受け継いでいたはずである。それは落城後の強奪に似ている。前政権の金や財宝を奪ったなど、もともと公表する必要などないからな。現政権にとって前政権の財産は手に入れるべき重要問題なんだぜ。前政権が山に隠した財宝を、現政権が探し出して手に入れることは当然のことである。このときに、必ず前政権の埋蔵金伝説が生まれるんだ
世間は、あれほど権勢を奮った者の財産財宝が一気に消えて無くなってしまうように見えるから、どこかに埋まっているんだと勝手に想像してしまうんだ。これが埋蔵金伝説の実体であろう。戦国時代では、秀吉の政権樹立時に、明智光秀の埋蔵金伝説がある。これは織田信長の財宝を受け継いでいるんだ。そして徳川政権の前が豊臣の埋蔵金伝説である。で、明治維新後の徳川埋蔵金伝説だ」
「なるほど」琴音が感心した。
「また現政権の権力者は、前政権を引き継いだといわれるような象徴が欲しいのだ。エネルギー不変の法則じゃないが、日本にある財宝の量が急激に増えることも減ることもないのではないか。金山銀山を掘れば無論増えるが、その分もどこかに引き継がれていく。そしてここが重要だが、政権が変わるときに、時の支配者は突如として不必要とも思えるようなものを作り出すんだ。豊臣秀吉の黄金の茶室、徳川家による日光東照宮など。これら権力のシンボルとして必要であるといえる。こうゆう形に変化しただけだと思う。これはね、政権入れ替わりの際の埋蔵金伝説についてであるから、豪商が埋めたとか、船が沈没したなどという埋蔵金伝説は別問題だからね」
「じゃー明治政府は何か無駄で象徴的なものを作ったの?」
「それが鹿鳴館だよ」と弦さんが答えた。



「時代が合わないわ」
「そうだよ、別に徳川御用金で作ったわけではないが、あれほど明治を象徴するものはない。この建物を主導で作ったのが井上馨であったし、その妻武子は鹿鳴館の華といわれた人だからね。あれこそ埋蔵金伝説と似て虚像が形となって出来たものだよ」
「埋蔵金伝説は虚像であって、形ではないですけど」
「それはテレビが具現化しているんだ。あんなウソ臭いものをあたかも存在しているかのように伝える、これこそ現代の象徴といえる。秀吉の黄金の茶室と同じでありえないものを現実にしたんだ。日光東照宮もしかりだよ」
「鹿鳴館か、そいえば私の大おばあさんもその昔、鹿鳴館で踊ったことがあるというのを自慢話にしていたと母が話していたわ」
なぜか弦さんと真船が目を合わせると沈黙した。「千ちゃんまだ話してないんだな」
「ええまだです」
「何のこと?」
「実は龍舞さん、あなたは内侍と義貞の血を引く新田の末裔だったのです」
「ちょっと、どういうこと」
「龍舞という名前からピンときたんですが、太田市には龍舞という地名があります。そこで失礼ですが、あなたの家系を調べてみました。そこで知ったのです。さっき説明した井上馨が東毛の地に来たとき、新田関連の資料とともに、この義貞と内侍との子孫を引き継いだ家系があると知り、その末裔の娘を引き取って東京に連れてきたというんです」
「まさかそれが私の……」
「そうです。鹿鳴館で踊ったというのはそのときの話でしょう」
「……で井上馨は何故そんなことをしたの」
「真意までは分かりませんが、ある程度は想像できます。井上馨は妻の武子や義父である満次郎から聞いたのでしょう。この地に隠されていた義貞の末裔のことを。そして自らの近くに置きこの血統を守ろうとしたのではないでしょうか。それまで義貞の子孫はずっと隠れて生きてきた。思うに、足利時代は新田直系を名乗れるはずもなく、徳川時代には、新田の家系を引くものは密封された。だから時代の波に晒されないようにと、井上は考えたのではないでしょうか」
「それでも……」いきなりあなたは新田義貞と内侍の末裔だといわれても戸惑うばかりだ。雨月は何でこんな手の込んだ仕掛けをしたのか。疑問とともに怒りさえ覚えた。またあの日、内侍の墓の前でひたすら落涙したことを思い出すと、別の感情が込み上げてくる。複雑な感情から反論を試みた。
「それでは義貞を失った内侍は、なぜ彼の故郷にわざわざ来たの。それこそ危険じゃない」
「それは、一つに義貞の子を授かったからでしょう。この子は新田、南朝の旗頭として、必要となります。義貞の子供は足利直系に対抗できる源氏の血統ですからね。このとき義貞の子で生き残っていたのは、義興と義宗の二人で、ともに南朝軍を率いて足利と戦っています。内侍は公家の一条藤原氏の出であるから、新田源氏に名門の血が入ることになる。これは大きな意味を持つと考えたんでしょう。その子は山吹姫という姫であったから、軍を率いて戦う旗頭とはなれない。よって密かにこの血統を守ろうとしたのではないでしょうか」と言うと真船はしっかりと琴音の目を見て、話を続ける。「そしてこの新田荘に内侍とその子を連れて来たのは、児島高徳でしょう。高徳は考えを巡らして、計画を実行したのです。これは内侍を可哀相だと思い助けたというだけではないはず。その心の内には、いつしか朝敵である足利氏を打ち破るような大軍を率いる大将が新田の中から出てくると願っていた。それをその子に託したのではないかと」
「これは義貞の願文にもつながるわけだな」と弦さんは的確な見解を入れた。
「義貞が日吉大社で願掛けしたことは、新田一族に大きな影響を与えたと考えています。それに児島高徳は奥三河に南朝拠点を作り、一族である三宅氏を住まわせ、本人も居住した話はしましたね。その奥三河で新田を名乗る松平家が出るのは偶然ではないと思います」
「それに高徳は山伏の棟梁であったといいましたね。山伏はすなわち天狗とも」
「そうです。実は松平・徳川家を結び付ける大元を作ったのは高徳だと考えています。直接ではないにせよ、その高徳が植えつけたこの考えが奥三河この地に残り、それを吸い取っていったのが松平・徳川家でしょう。そして高徳の墓が大泉町にあるのも重要なのです。地図を見れば分かることですが、竜舞は、太田市の西に位置していて、大泉町に近い。だから高徳は、義貞と内侍の血統を見守っていたのではないかと睨んでいるんです。高徳の墓といわれるものは全国各地にあるし、その行動範囲も広い。だから高徳はこの地で死んだという確証はないという人もいるでしょう。しかしここが高徳の墓といわれ、神社として祀られているにはきっと訳があるはずなんです。ここで没した人物が高徳でなくても、例えば高徳の縁者であったとか家臣であったというんでもいいんです。たとえ本人でなくとも、その地の人々から高徳だと認められれば、その時から高徳のもっていたイデオロギーを背負うことになるんです」
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by AlphaWolfy

消えた二十二巻

Author:消えた二十二巻


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