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歴史ミステリー小説「東毛奇談」 終章 5

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「これは家康が新田源氏であると名乗ったときから新田のイデオロギーを引き継ぐというのと同じ論理ね」
「そうです。そして、問題の核心は、高徳本人か若しくは、その意志を継いだ人物が何故この地に死ぬまで留まっていたかです。それには理由があるはずなんです」
「それこそ義貞と内侍の血統を守ることだったというのね。それが私の系統だと……」
「それはきっと龍舞という名前に秘密が隠されているはずです」
「龍舞か……」といって琴音は長いため息をついた。
「まあ俺だって、あなたは誰々の子孫ですと出し抜けに言われたら面を食らうだろうよ。でも龍ちゃんが新田の末裔で、なぜここに千ちゃんがいて、こんなことを調べているのかをもっと考えようぜ。二人が今ここにいるのは偶然じゃないはずだ」
「そうです。そこで自分の家系も調べました。そして分かったんです。自分は世良田氏の末裔だったのです。そう徳川家康に系図を奪われた世良田氏、つまり本当の徳川氏だったのです」
琴音は驚きの余り身体を震わせた。
「家康と世良田の関係を調べたときに分かったんです。今まで言わなかったのは、雨月がなぜこんなことをするのか分からないし、ただの偶然ではなく、確信があるまで黙っていようと思ったからです」
「そんなことをしなくても良かったのに。それで確証は掴めたの?」
「はい。そして雨月は私たち二人を故意に引き合わせようとしたのです。それは新田に係わる事柄でしょう。その前に、私の祖先の話をしなければなりません。世良田氏が新田氏族で得川(徳川)郷にも領地があったので得河氏とも呼ばれたというのは以前言いましたよね。それについては世良田氏一族の行方を追って書かれた清水昇氏の『消された一族』に詳しいので抜粋します。まず六代目の政義が義貞のもとで足利氏と戦いますが、南朝衰退とともに、故郷新田荘で隠棲しました。そして徳川系譜や尊卑文脈では、政義─親季─有親─親氏と続き、このあと九代目で家康に結び付く。しかし実際は六代政義のあとを継いだのが政親であるという。徳川家康は政義の弟である親季を松平家の系図に結び付けたことになる。それでは実際に世良田宗家を継いだ七代目政親はというと、後醍醐天皇の遺児を立てて足利幕府に対抗を続けていた。しかし幕府の追及が厳しくなって新田荘に居られなくなった。そこで南朝拠点のあった白河結城氏を頼って、その地に移り住んだという。その場所というのが現在の福島県白河郡西郷村真船で、合併前は真船村という地名でした。政親は世良田氏を名乗るとともに、在地名をとって真船氏も名乗ったということになります」
「つまり雨月は、新田義貞と内侍の末裔である私と、徳川家康に系図を奪われた世良田氏の末裔である真船さんを、現在の世になって引き合わせたというわけね。一体なぜなの?」
「その本当の意図は分かりませんが、何か目的があることに間違いない。でもヒントは会津に移った世良田氏にあるらしいです。それを説明したいと思います」
弦さんは何本目かのお茶缶を啜りながら、黙って二人のやり取りを聞いていた。
「いいですか。少し長くなりますが……。七代目政親のあとは、義則、祐義、義親、祐貞と続きます。この時代、世良田・真船氏の本拠は会津のまま、後に太田道灌の出る太田家や甲斐の武田家などに仕えました。そしてこの間にも上野国の旧新田荘とのかかわりは残っていた。とくに長楽寺では、世良田氏の縁者が僧になったり、会津から世良田氏族の者が出向いて学んだりとかして結び付きは深かったという。そして十二代祐興、十三代祐親のときのこと、三河で突如として世良田氏を名乗る武将が現れた。これが松平・徳川家です。これには本物である世良田氏は驚いたに違いない。でもどうすることもできなかったのでしょう。その内に徳川家康は朝廷に申し出て新田氏世良田流であることを認めさせたのだから。世良田本家の預かり知らぬうちに、新田系図や伝承は徳川松平家に渡ってしまったのです。この橋渡しをしたのが、奥三河に隠れ住んでいた新田伝承を持つ者たちや南朝の残党であったことは、自分の説明した通りです」
「なるほどなー、家康にしてみても、没落して歴史から消えた世良田一族がまさか会津にいたとは思いもよらないことだったろうよ。それでも我らが本当の世良田氏であるとは名乗り出ることはなかったんだろう」
「そうです。これを機会にと、会津にいた世良田・真船氏が徳川・松平家に仕官しようものなら、直ちに抹殺されていたことでしょう。徳川・松平家にしてみれば出自を根本から揺るがす大問題です。源氏であるということで、家格を上げ、官位を得て、後々、将軍となり幕府を開くわけですから、それを否定しかねない者など目障り以外のなにものでもない。だがこの会津世良田氏はある道を取って、生き延びることが出来たのです。それが十四代祐元のときだった。祐元は、会津領主である芦名盛興の家臣赤津城主伊藤弾正に仕えるために移住します。しかし領主であった芦名氏は内紛続きで領内は混乱する。しかも1589年芦名義広が戦で伊達政宗に敗れると、鎌倉時代から続いた名家芦名家は没落した。その敗戦後、世良田祐元は仏門に入った。熊野三山で修行し、世良田ゆかりの長楽寺に出向き法を授かり、法名を宥元と名乗った。つまり仏門に入り、武士であることを捨てたんです。ここまではいいですか。さてここである人物とのかかわりが想像できるけど、誰だと思いますか。ヒントは会津、芦名氏、長楽寺」
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by AlphaWolfy

消えた二十二巻

Author:消えた二十二巻


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