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物語を物語る

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美智子皇后さまと新田源氏と家康

物語を物語る

いま話題の本に「美智子さまの恋文」(橋本明著。新潮社)というものがある。
皇后さまが天皇陛下へ宛ててお書きになった2通の手紙が掲載されている。ご成婚前の昭和34年初頭のものと、皇太子をご懐妊中の昭和35年に書かれたものが収録されていて、当時の皇后さまの心情のほかに、皇室の内情を知ることができる内容となっている。

さて、では「美智子さまと新田源氏と家康」の本題へと入りましょう。
皇后陛下のご成婚が決まったときに、かなり綿密に調査されたことがある。
それが皇后陛下の出自についてのことだった。
皇后陛下は旧姓を「正田」というが、ここでまず正田家の歴史を簡単に解説しておきましょう。
正田家の祖先は、平安時代に、源義国に付き従いて上野国新田荘に移り住み、正田(庄田)隼人と称したことに始まる。源義国は、八幡太郎義家と呼ばれた源氏の直系の子にあたり、義国の長男が新田氏の祖である新田義重となり、義国の次兄が足利氏の祖である義康とつながっていきます。(詳しくは小説「東毛奇談」で)
この時代から既に正田氏は、新田一族と共にいたことになります。そして、正田氏は新田義重の子・世良田(徳川)義季に仕えて徳川郷に居住していた。徳川(世良田)氏がこの地を去った後も当地に残り、徳川氏の館跡に居住し、その地の有力な家柄となっていたという。

徳川!徳川!徳川!そうあの徳川ですよ
ポイントは正田氏→新田一族→世良田氏(徳川氏)→徳川家康となります。

徳川家康が新田源氏を名乗った経緯は、このブログでも「斎藤佑樹君は新田源氏の生まれ変わりか?」の項目で書きました(詳しくは小説「東毛奇談」で…と小説の紹介ばかりですが…)が、ここでは、正田氏と家康の接点だけを記します。
1590年のこと、家康は関東を統治することになった。そのとき正田氏の当主である義豊が家康に呼び出され、新田徳川(得川)系図を提出した。代わりに徳川郷の名主に任じられ、江戸時代を通じて代々この役を世襲したという。

ではなぜ正田家は系図を提出したのか。

  家康は、祖先の出身地である新田氏の関係者と接触して何を得たのか。

それが歴史ミステリー小説「東毛奇談」の前半の核となっています。
ではその後の正田家を簡単に紹介しておきましょう。
 江戸中期に、新田徳川郷に残る家と、館林へ分家していく家の二家に分かれます。分家した家は文右衛門を襲名して米穀商を営んだ。明治維新後、醤油醸造業に転じ、「正田醤油」を興す。また正田貞一郎は1900年に、後の「日清製粉」となる館林製粉を興した。貞一郎の三男・英三郎が日清製粉を継ぎ、その長女・美智子は昭和34年皇太子・明仁親王の妃となる。
さて、ここで美智子さまの登場となります。
 昭和34年のこと。ご成婚となる前に、正田家は新田源氏の流れを組む家系ではないかと、かなり調査された。しかし、確証となるものは遂に見つからなかったというのだ。だが、正田家は新田氏系である可能性はかなり高いといわれています。
これは、伝承といったレベルではなく、かなり信憑性の高い説だと私は考えています。
新田荘には多くの新田一族がいて、その中で、結束を固めるためにも姻戚関係を築くことは重要である。正田氏は新田氏始祖の時代から新田荘にいて、新田氏(世良田氏)とかなり深い関係にあるので、この正田氏が新田氏の流れを組んでいたという説は以上十分にありうることなのである。
では、なぜ証拠が出ないのか、
それは、家康、徳川家がその証拠を消したからでしょう。
家康は新田徳川の系図を手に入れたばかりか、正田家は新田氏の一派であることも消し去ったのだ。それは、世良田氏と深い関係にある正田家が徳川郷にいて、新田の血を受け継いていたら、かなり煙ったい存在になるはずだからだ。

家康、徳川家は、源氏であるからこそ、征夷大将軍となることを、朝廷から承認され、そこから初めて幕府を開くことができる。(詳細は「東毛奇談」で順次解説していく)。
家康が新田源氏であることを偽称しているのは間違いなく、そこに、新田(世良田)源氏のことを、知っている者、書いてある物、本物の世良田氏が存在していては、それはとてもまずいことになるはずでしょう。

では、正田家が新田源氏の流れを組む家柄だとすればどうなるでしょう。となれば、自然、美智子さまは新田源氏の流れを受け継いだことになる。
ということは……、皇太子殿下は、秋篠宮親王、愛子内親王は、悠仁親王は……。いや、この辺で止めておきましょう。

では最後に謎をひとつ。
正田家がいた徳川郷には、満徳寺という、幕府が百石も寄進した大きな寺がある。(現在復元され内部は歴史博物館となっている。そこに、正田家が使用した駕篭が展示されている)
徳川氏発祥の地である幕府にとって、とても縁起のいい土地にある寺の御利益とはなんでしょうか。
大願成就、家内安全、商売繁盛、厄除け、いや違う。交通安全、学業成就、それも違う。

満徳寺のご利益は縁切りなんですよ
縁を切るって。何の?

謎だと思いませんか。実はその辺に徳川家の秘密がありそうです。
では、次回……。
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[7] 図書館のこと
私の住む東京都豊島区では、ごくたまに、館内の本の整理のために、リサイクル本として無料で放出します。けっこう掘り出し物もあり、私は藤沢周平全集や、歴史本などかなりもらっています。ほかの区でも、やっているみたいですよ。
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消えた二十二巻

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