スポンサーサイト

物語を物語る

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「神事としての相撲」  大相撲の国際化、スポーツ化、格闘技化は本当に良いことなのか?

物語を物語る

前回「朝青龍マレビト論」からの続き。

12月3日に、朝青龍は第10代横綱・雲竜久吉が土俵入りをしたと伝えられる福岡県柳川市の三柱(みはしら)神社で雲竜型の土俵入りを奉納した。約1000人が観衆が見守る中、火災で焼失した拝殿の復興と新築工事の安全を祈願して、朝青龍は四股を踏んだ。

こういった儀式を執り行うのも横綱の職務となっている。これら儀式は、神前で土俵入りを奉納する、または相撲を取るといった形で行わることが多い。では「東毛奇談」から一例を上げてみましょう。昭和55年5月27日、群馬県大泉町の高徳寺で行われた児島高徳600年忌祭のとき、四股を踏んで奉納土俵入りを行ったのが、今の相撲協会理事長で当時の横綱・北の海である。そのときの太刀持ちが増位山、露払いが闘竜であった。これは当時相撲協会理事だった三保ヶ関親方が児島高徳の子孫に当たるという理由で行われたものだった。意味合い的には、先祖の霊を慰めるということになるだろう。

さてこのように、神事として、奉納相撲や土俵入りが行われることは多い。たとえ本物の力士が呼ばれなくても、地元の人々が力士となって相撲の儀式を取り行うことも全国各地で行われている。相撲には呪術的要素があり、相撲取りは神事を執り行う存在であることを、日本人は潜在的に感じ取って知っているのだ。  これこそ日本人が相撲を単なるスポーツとしてとらえていないということであり、また、単純に裸の男同志がぶつかり合うだけの競技や格闘技と考えていないということではないか。
そもそも、力士は何故四股を踏むのか? 相撲取りはなぜあんなに太っているのか? なぜ見ている人々は「よいしょ」とかけ声を掛けるのか?と様々な疑問がわく。その辺りを追究していけば、「相撲は神事」であるということを理解できるのではないでしょうか。ではその辺りを羅列して、前回の記事の補足をしていきます。

丸谷才一、山崎正和の対談集「見わたせば柳さくら」(中央公論社)の中で、「芸能としての相撲」という章がある。ここに相撲に関する逸話が豊富に載せられ、神事としての相撲が詳しく書かれていた。まずここに書かれていることを抜粋していきます。
相撲は「肉体そのものを様式化した別世界」である、ということ。「日本にある様々な伝統芸能として、風俗の細部にわたるまで伝統をのこしているのは、相撲しかない。歌舞伎役者や能の役者は舞台上ではカツラをつけ、衣装を着て演じているが、日常では洋服を着て普通の髪型をしている。劇場の世界は日常から抽出された世界であるが、相撲取りは普段の生活もその世界を続けている。それは相撲力士の格好は歴史的なごりを残していることでも分かる。生活全部を様式化してしまって別世界を作っている」ということ、確かに、朝青龍がモンゴルでは着物も着ずに、髷を結っていないと相撲関係者が怒っていた。伝統芸能に携わる方々は普段は洋服ですから、相撲界ではかなり厳しく、伝統を守ろうとしていることになる。
「時代的混乱がカオスをもたらす。相撲取の世界では裸が正装である。日本人の感受性の中に、裸になるときに秩序の転換がある」 これは、行司の服装は平安から室町のもの、相撲取りは江戸時代の風俗、呼び出しは江戸時代の服装で髷がないので頭髪だけ明治以降、検査役は紋付き袴で髷がない、といった感じで日本の風俗が時代を関係なく盛り込まれている状態である、といったこと。
「決り手は芸の型である」 相撲というのは、スポーツというよりは芸能に近い。相撲の勝負というのはすべて決り手というものがあって、四十八手あるいは百七十手という、とにかく名前のついた、すでに分類された方法でしか決して勝負が決まらない。名前のつかないような勝ち方でも、無理やりでも決り手の中に決めてしまう。これは歌舞伎などの様式的演劇と似ていて、芸の仕草にひじょうに細かく名前がついている。要するに、人間の身体的な運動やその表現に、あらかじめ名前の枠がついていて、その中で行動している。そういう点で、相撲はまさに「芸」である。勝ち負けだけじゃない。勝ち負けはあるけどもその形が問題になっている。何でも決り手を無理矢理、すでにある決り手の中に入れてしまうという傾向は「日本文化の特性」だ。例として、和歌、投扇などを上げている。
「かつて、勝ち負けは決まっていた」 相撲は発生的にいえば格闘技ではなくて、神事である。だから神事という意識が国民の精神の表層を2、3枚はいだところで、ずっとつながってきていると思う。それがあるから、こんなに長い間もっているので、この意識がなかったら、もうとうに滅んじゃっているでしょう。と丸谷氏は語っている。  折口信夫の説によれば、もともと相撲の発生状態では、勝ち負けが決まっていたという、儀式であった。勝った方の村の田圃の穂がよくできるというおまじないの儀式であった。それがしだいに呪術的起源が忘れられて、単なる勝ち負けの遊びになってしまったという。  また相撲の語源のひとつに「素舞う(すまう)」であったという。伎楽とか舞楽が面をつけて舞うのに対して、こちらは裸で舞うという意味で、素の舞い、「素舞い」という意味であったという。  行為の模倣、それが発達していって格闘技になった。しかし大事なのは、格闘技でありながらでも、神事の名残という気持ちがする方にも見る方にも、脈々と続いていた。相撲の持っている儀式性や呪術性が複雑かつ重層的で、混ざり合っていた。これは神道にまつわる行事という側面をもっている。聖武天皇のとき豊作を感謝し、伊勢神宮などの神社に奉納する相撲をやらせた、呪術的行為。神道レベルでない民間信仰も残っている。相撲取りの裸に触ってツキをもらう、相撲取りに子供を抱いてもらうと、その子供が健康に育つという俗信もある。陰陽道の影響もある。行司の「はっけよい」は「八卦よい」からきてきる。土俵にかつてあった4本の柱はそれぞれ玄武、青竜、白虎、朱雀を表す。
「天皇と相撲と日本人、番付の不思議」  天覧することが多い。天皇がご覧になることが多いということ。豊饒信仰、土地への祝福というのがあって、相撲取りのしこ名の名前に土地の名前が多い、場所の場内放送ではかならず出身地が紹介される。外国人力士でも同様だ。つまり出身地を言うこと自体、土地への祝福となる。相撲取りの存在とは、そういった神事的意味合いが強い。(産土信仰か?)
日本人はランキングを付けるのが好きな人種である。しかし西洋のものとは大きく違う点がある。それは、東西に分けて2系統あるということ。「東の横綱、西の横綱」と言った感じである。なぜ東と西に分かれているのか?宮本徳蔵氏よると、天子(天皇)は南面して座る。両側に東と西に配している。天子は常に南面して、左右が争うに任せている。ここでも天皇の存在がある。
「日本文化にはスポーツはない」  日本には元々球技といったものがない。蹴鞠はあるが、これは中国から輸入されたもので、宮中だけのもの。球技の原形は動物の首を取って投げ合って争うという狩猟民族の風習から始まっている。日本にこの風習はなく、足が速いとか、物を遠くに投げる、高く飛ぶといったことはそれほど尊重されなかった。よって日本ではスポーツに当たるものは発達しなかった。柔道、剣道、弓道は武士が行うもので戦闘の練習といったもの、これは見世物ではない。唯一、相撲だけが見世物として発達したものだった。
相撲の勝負は「序破急」の構図である。「序」で睨み合って気が充実してくると「破」がくる。立ち上がって勝負し、あとは一気に「急」に終わる。この「序破急」は音楽・舞踊などの形式上の三区分。舞楽から出て、能その他の芸能に用いられる。
また力が均衡して勝負が持久戦になると「水入り」が入る。勝負の途中で水が入るという不思議なルールもある。立ち会いも審判(行司)が試合の開始を決めるのではなく、選手同士の「気」で決めるというのは、格闘技、スポーツとしては異例のルールである。
またこの対談では、相撲をバロック様式に例えている。バロックとは、16世紀末から18世紀前半に行われた芸術様式で、「歪んだ真珠」を意味する。古典的な調和と均整を理想とする静的なルネッサンス美術に対して、動的で劇的迫力に満ちた性格を「バロック」の語で表した。
西洋の「フリークス」への関心、中国文化での「小人、宦官」などといった関心は日本に薄かった。しかし、身体が大きいという相撲取りへの関心は強かった。相撲取りの身体は、均整のとれたものではなく、異常に腹が出ていたり、非常に身体が大きかったり、体重が重いほど尊重されるなど、その特異性が求められた。 「スポーツというものが育たなかった中で、相撲がひじょうに色の濃い呪術性と芸術的性格を残していったのは当然のことでしょう。おそらく小人も受け入れず、宦官も認めなかった日本文化の中で、身体的に対するバロック的趣味がかろうじて表れているのは、相撲だけ。だから江戸時代には女相撲とか座頭相撲など、全部そこに流れて込んでいく。どの国のスポーツも、ある程度は見世物になっていくけども、あそこまで様式美をもった見世物、肉体そのものまで変形して様式に奉仕するのは相撲だけ」と2人は語っている。
また、様式美を徹底して追求している点も歌舞伎などの芝居と同じであると指摘している。それに、宮中の儀式だけではく、武士にも好まれた点を上げている。武士的というものでは、曽我物語の発端も相撲の争いから始まっている点や織田信長が相撲を好んだという例を上げている。相撲は、これら尚武の精神と結びついて「武士的なものと結びつくことのできた呪術的芸能だった」と結んでいる。
よって「相撲はひじょうに流行ってずっと持続した。持続しながらも、しかしスポーツというものには、遂にならなかった。ならなかったからこそ、これだけ続いている」と結論付けている。

丸谷才一と山崎正和の対談集の中ではしきりに「相撲の中の呪術的要素」を取り上げていました。そこで手元にある本の中から、その辺りのものを拾ってみました。

KAWADE夢文庫、「呪術 世にも不思議な物語」より引用
「塩が消毒の役目のほかに、塩は清めの意味を持つ神聖なもの。土俵を清めて自分を祓い、けがなどがないように祈る行為がある。塩をまく行為は、江戸時代に勧進相撲が盛んになった元禄年間に、地中の邪気を祓って土俵を清めるために始められたという説がある。  また、勝ち力士が勝ち名乗りを受けるときに、手刀を切る行為も不思議な行為である。「あれは心という字を書いているという人もいるが、邪気や悪霊を祓いのけるのと同時に、相手方の無念や怨念が憑かないためのお祓いの意味もある。この行為は、昔、力士が大名のお抱え力士だったことに関係している。当時の勝負は藩のメンツをかけたもので、場合によっては切腹する者も出る可能性があった。そこで、勝負の後も慎重にお祓いを行って、相手方の無念や怨念が憑かないようにしたものだ。」

学研 「陰陽道の本」から引用
「反閇は、道教の歩行呪術に淵源を発している。道教では禹歩という北斗七星の形や八卦の意味を込めた歩行呪術があり、これによって、道中の安全や悪鬼、猛獣を避けることができるとされている。これは日本においては「反閇」と呼ばれ、歩行法も少々趣を異にする。いわゆる継ぎ足とでもいう歩き方で、先に出た足に後の足を引き寄せて、左右に歩みを運ぶ。いってみれば、単純なものだが、これによって、悪星を踏み破って、吉意を呼び込むというもので、やはり陰陽道独特の星辰信仰の上に立脚した呪法といえる。反閇は、後に陰陽道だけでなく、様々な民間儀礼にも入り込んでいった。たとえば、相撲で踏まれる「四股」もその延長線上にある。
芸能は鎮魂の儀式と唱えた民俗学者は折口信夫である。
鎮魂祭はもともと陰陽道でも行われていたが、神道などにも採り入れられるようになった。鎮魂の儀式といえば、のちに触れる能楽もそうで、舞台を踏み轟かす所作は、反閇につながる。
反閇は秘呪を唱えながら、独特の足捌きで力強く足踏みをする呪術的行為であり、古代中国の禹歩の法に源流があるとされている。陰陽道でも魔除けや清めの儀式として伝わったものである。これは悪い霊魂が地面から頭をもたげないようにする封じ込め=地霊鎮めの働きのほか、悪霊を追い祓う意味もあった。  中略  なお昨今の相撲ブームとなっているが、あの四股を踏むという行為も実は反閇の変形である。そして、芸能方面に関していえば、幸若舞や猿楽能、歌舞伎などの足を踏みならす基本動作も反閇の一種なのである。その際、異様な掛け声が発せられることがあるが、その掛け声こそは、その場所にいる邪霊や悪霊を祓い清めるというきわめて根源的な呪術作用であった。これらはすべて陰陽道から発生しているのである。」

鬼が作った国・日本  小松和彦・内藤正敏著(光文社文庫)より引用
「横綱は神様的存在で、だから注連縄が張られている。絶対にその地位から落ちない。弱くなったら引退させられるだけ、呪力がなくなったと思われるから。それに力水は勝った力士しかあげられないのは、マナ(呪力の伝達)であるから。ちなみに注連縄とは、神前や神事の場に不浄なものの侵入を禁ずる印として張る縄のこと。シメとは占めるという意味。
弓取り式については「陰陽師は弓を使って怨霊を調伏していく法があって、それが修験道にも取り入れられた。修験道の五方鎮めで弓矢を射つという呪術があって、これの名残りが相撲の弓取り式であろう。東西南北の四方に中央をいれた五方の悪魔祓いである。相撲をとって土地を荒らすわけだ。そのために地の霊が目をさまして驚くから、それを鎮めなければならない。ですから弓取り式は、五方鎮めであり、地霊鎮めなのです」

といったことで、神事としての相撲について書かれているものを列挙してみました。まだこの他にも、歴史的背景や地方を巡る興行、民俗学的にもたくさんあるでしょうがこのくらいにしておきましょう。

では、これらのことを踏まえて、記事を一つ。
読売新聞8月23日オピニオンの記事から。本田博氏(東京都立科学技術大・非常勤講師)の記述。
大相撲  現実を踏まえ国際化を進めよ
『朝青龍騒動が迷走を続けている。日本相撲協会から出場停止や謹慎などの処分を受け、過度の精神的ダメージを受けた朝青龍に対し、あくまで建前を押し通す高砂親方らの方針が行き詰まっているからだ。心の病気との診断が相次いで下されている以上、協会側は、最も信頼のできる医師の意見を尊重すべきだ。近年、モンゴルをはじめ米国、欧州、ロシアなどの外国出身力士の活躍が目立ち、日本の国技である相撲のも国際化の波が打ち寄せている。今や幕内力士の4人に1人が外国人。朝青龍問題を契機に、思いきった角界の国際化を進めてはどうか。外国人力士なくしては角界がなりたたないという現実を踏まえつつ、提言してみたい。
まずは、角界の閉鎖性の改善である。協会側は、関取には国籍は関係ないとしているが、外国人からすれば、想像もしなかった厳しい稽古に耐え、ちゃんこや古いしきたりなどに慣れ、日本語を徹底的に学ばなくてはいけない。本人たちから見れば角界への同化圧力は相当な負担だ。しかも年寄襲名には日本国籍が必要という壁もある。朝青龍はモンゴル人女性と結婚し、特に夫人にとっては慣れないしきたりの中で家族と横綱を守ってきた。人知れない苦労やプレッシャーがあるのは当然である。祖国で十分にリフレッシュして次の場所に備えようと考えるのは十分理解できる。今後は、外国人力士とその家族の精神面での負担の軽減やケアに配慮する態勢が不可欠だろう。特に配偶者が日本人でない力士の場合、地方巡業の代わりに、時には祖国で相撲の普及にあたることなどを認め、国際化の地ならしを図る措置を取っても良いのではないか。  朝青龍への対応だけでなく、引退した曙の格闘技への転向の仕方などを見ると、横綱まで務めた外国人力士の活かし方にぎこちなさを感じる。引退後の道も角界で国際的に幅のある選択肢を探るべきだ。協会が元外国人力士や国際感覚豊かな実務家及びカウンセラーを役員として積極的に受け入れれば、もう少し外国人力士の立場に立って考えることができるだろう。そしてこの際、大相撲という事業の国際化に前向きに取り組んではどうか。海外に、地元の賛同と協力を得て相撲協会を創設するなどを視野に入れると、外国出身力士及び元力士の活用が不可欠となり、より発展的なアイデアも出てくるだろう。彼らが国際的に貢献できるような環境を整えるべきだ。  私が以前、米国ペンシルバニア州の小学校に招かれ、相撲を教えた時、男女ともすぐに我を忘れて相撲に興じていた。後日、児童たちに感謝状まで届けられ、国際的な普及拡大の可能性が感じられた。海外にも相撲協会が誕生し、予算などでも無理のない範囲で地元在住の力士を入れたモンゴル場所、米国場所、欧州場所、ロシア場所などの定期開催や、年に1回、世界場所を日本で開催することなどを視野に入れれば夢がさらに広がる。海外で育った力士を角界の大使にする機会なども増えるのではないか。  協会も「世界の相撲」としての将来構想を持てば、制度的にも戦略的にもグローバル性や融通性を持たせることができ、日本文化推進の一助にもなる。  白鳳の横綱昇進まで1人横綱として日本相撲界を引っ張ってきた稀有の功労者がうまく立ち直り、国内はもちろん国際的にも相撲界に大きく貢献できるよう温かく見守るべきだ。協会には、英断と、迅速な対応を期待したい。』

といった記事だ。要は「大相撲の国際化を進めることが、角界の発展につながる」と言いたいのだろうか。前回の中島隆信氏とは逆の意見となる。
本田氏の意見は一見正論のようだが、ここに「相撲は神事である」という大事なことがスッポリと抜け落ちている。また相撲は日本独自の文化がしみ込んでできた「芸能」であることが全く考慮されていない。むやみに国際化を進め、格闘技化・スポーツ化を目指すならば、それこそ「文化」を捨てるということがあまり理解されていないようだ。

丸谷才一氏は「スポーツ化しなかったから相撲は続いた」と言っている。スポーツ化・競技化を無理に押し進めれば、「勝てば何をしてもいい」という意識の力士が増えていくことは目に見えている。いままで紹介してきたように神事・芸能としての相撲を排除したものは、もはや相撲ではない。
そこに「勝てばいい。強ければいい」という品格のない横綱が生まれたのだ。だから朝青龍が出てきたのは、あまりにも象徴的だった。(だから時代に寵児ともいえるが) よって、その「相撲は神事である」という意識を失った力士・横綱たちに「品格」を求めるのは、ある意味無謀なことなのかもしれない。
相撲の中にある神事的意味を、無意識の内に理解することのできる日本人にこそ「相撲の存在意味」がある。外国人が見て楽しむことができる相撲を目指すなら、土俵入りもいらなければ、四股をいらないだろう。土俵の代わりに丸いリングを作り、まわしの代わりにパンツをはかせ、行司の代わりに審判が必要になる。国際化を目指すならば「SUMOU」となるのだろうか。
それに、日本文化として、発展してきた相撲が、現代の世界の国々で通用するか、そこが疑問だ。「格闘技」として発展させようとしても、ほかに魅力的な格闘技はいくらでもある。今さら、相撲をSUMOU化しても意味がないのではないか。外国人が相撲を観るのは、そこに「日本文化」があることを知っていて、芸能の一部として観ているのではないのか。(ただ単に物珍しさだけかもしれない)
外国人力士が増えたから、大相撲の本格的国際化を進めるのは、危うい選択であろう。(ただ誤解のないように言っておくが、日本文化の紹介として外国での興行はどんどんすべきである、と思っている)また前回書いたように、外国人力士を迎えるということは、外のものを取り入れ融合させ、日本文化として取り込んでいくという日本独自の文化性からである。外国人力士を受け入れることと、相撲を世界に広げることは全く違うことではないのか。

「神事としての相撲」について書かれたものを朝青龍騒動から多く見かけるようになった。これは失っているものを見直そう、原点に帰ろうという意思が働いているのではないか、と思う。私が思うに、いま世間が相撲界に求めているのは、「ただ強い者」「勝ち驕っている者」ではない。求められているのは「日本的精神をもった勇者」ではないのか。だから「一儲けしてすぐにモンゴルに帰ろうとする奢り高ぶった朝青龍」を日本人は否定するのである。



スポンサーサイト

Comment

[56] いや~労作ですね
お久しぶりぶりです。
朝青龍マレビト説読ませていただきました。いつもながらの奇想、面白かったです。
ほかの相撲の記事も一緒にしてまとめれば一冊の本になりそうですね。

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

Trackback

«  | HOME |  »

カスタム検索




FC2ブログランキング


すみません…、只今コメ返しをしておりません。しかし、しっかりと読んでおります。こんなわがままなサイトですが、気が向いた方は、どうぞ書き込んでください。

FC2ブックマークに追加

05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -

Wikipedia
developed by 遊ぶブログ
物語を物語る
 トップページ
  ├ 月別アーカイブ
  |  └ --年--月 --日 (--)
  ├ カテゴリー
  |  └ スポンサー広告
  └ スポンサーサイト
物語を物語る
 トップページ
  ├ 月別アーカイブ
  |  └ 2007年12月 10日 (月)
  ├ カテゴリー
  |  └ 相撲ネタ
  └ 「神事としての相撲」  大相撲の国際化、スポーツ化、格闘技化は本当に良いことなのか?
by AlphaWolfy

消えた二十二巻

Author:消えた二十二巻


全ての記事を表示する




このブログをリンクに追加する
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。