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アンパンマン考 8 なぜ子供たちは、アンパンマンを見て声援を送るのか

物語を物語る

「物語としてのアンパンマン」について考察の8回目。

アニメ「アンパンマン」には、象徴的な場面が多くありますが、中でも「自分の顔を腹のすいている人に分け与える」というシーンがありますね。これ結構インパクトがあります。
001_20071221104929.jpg

コントのネタなどにも使われるような有名な場面となっていますね。
ある人は、「自分の顔なんかちぎってあげないで、腹のすいた人がいるのが分かっているんなら、いつも食べ物を用意しておけよ」とケチをつけていました。
でもそれは見当違いの意見でしょう。「自分のものを分け与える」、ここがとても重要であり、「物語としてのアンパンマン」にはとても必要なことなんです。
この場面を見て、真っ先に思い出したのが「捨身飼虎図」。「お釈迦様の前世である王子が、飢えた虎の親子の為に身を投げたという説話」これは自己犠牲の精神を伝えています。
画像はそれをもとにした絵。
4sysinsyakozu.jpg

あとは、キリストの処刑前夜に、自らの血と肉として、信徒にパンとぶどう酒を勧めたことに由来する儀式である聖餐式の場面を思い浮かべました。
supper.jpg
画像は最後の晩餐。
ともに、自分の身体を与えるという意味合いが「アンパンマン」とどこか似ている。アンパンマンの行為には「自己犠牲」「他者への愛」が秘められていると思う。(これは以下につながります)
さて、「アンパンマン考」では、簡単な物語の中に多くのメッセージが秘められていて、そこに惹きつけられた子供たちは、(そんなことは知らず知らずのうち)この物語を繰り返して見ている」、という考えのもとに書き進めてきました。
その隠されたメッセージの一つは「自我=アンパンマン」ということ。
まず『図解雑学 フロイトの精神分析』から
「自我は、どろどろの海の中にある崩れやすい島と同じように、もともと非常に不安定なものである。動物は本能をもっていて、それに従っていれば生きていけるため、自我を持たない。これに対して、人間は本能が壊れて正常に機能しないので、生きていくために自我を持つようになったのである。だから自我は本能(すなわち自然)に根ざしていない。自我は、その存在の生物学的根拠を持たない、砂上の楼閣のようなものである。」
自我とは元々強いものではない。それをいかに強くしていけばよいのか。貪欲な欲望はいつしか反社会的行動につながっていく。それを抑えるにはどうすればいいのだろうか。
その欲望の暴走に負けない「自我」の形成は、幼児期から5歳ころまでに形成されていくというのだ。その辺りが詳しく書かれた本からいくつか抜粋してみましょう。

「自己抑制と自己実現」礒貝芳郎、福島修美著(講談社現代新書)から、
「我慢強さには自我の強さ、あるいは自律性が絡んでいる。その自我とか自律性の形成を見ていく。」「乳児期に、社会的愛着といわれるポジティブな情動的関係を、養育者との間に形成するのである。養育者とはかならずしも母親に限らない。父親であってもいいし、そのほかの人であってもいい。常に自分の世話をしてくれ、暖かさと愛情を示してくれる者であるならば誰でもいい。そいう特定の養育者との深い社会的愛着を形成しておくことが、次の段階での我慢(欲望の抑制)の心を形成するための基礎になる。」
親子の信頼関係が自我を作るということ。
「乳幼児に十分に甘えられたかどうか、つまり親と子の間に本当の愛情・信頼関係ができたかどうかが、自我の形成に大きく影響してくるのだ。トイレのしつけが進行していく過程で子供は自分を抑制することを学習する。」
「フラストレーションをコントロールする。
トイレトレーニングの時期は歩行期ともよばれる。この時期は好奇心と自己主張が芽生え、活動が活発となる。しかし他人から行動の制限と制約が加わり、自分自身で自分の行動をコントロールすることを学ばなければならない。しかしこの時期の子供の情動的反応は非常に激しいもので、子供は自分の欲求が即座に充足されることを望んでいる。欲求が充足されなければ、強いフラストレーションや怒りを生じるし、それがかんしゃくなのである。」
こういうことか。
016_20071217130322.jpg
ドキンちゃんかなり怒ってます。(欲望が満たされない状態)

「感情あるいは情動というのはコントロールしにくいものなのである。この時期にちょうどトイレット・トレーニングが行われることになる。だからこのトレーニングは、ただ排泄訓練ということだけではなく、子供の情動や行動全般についてのセルフ・コントロールについての訓練でもある。」
さて、大体このあたりからテレビを見たり、本の読み聞かせで、お話を楽しむようになる。つまりこの時期くらいから「アンパンマン」を見始める子供が多くなるだろう。
茂木健一郎著の本の中で「人間は、四歳くらいで、自分が意識を持つ存在であるということ、他人には心があることという二つの事実にほぼ同時に気付くことが知られている」と書かれている。
つまり、「他人と自分の違い」、「自我形成」は幼稚園児のころに理解され始めるということになる。

そう私の娘が「アンパンマンとバイキンマンはなぜ戦いつづけるの?」という疑問が湧いてきたということは、私の娘にも「自我の形成」が始まり「他者と自分との関係」が分り始めたということになるのだ。

今まで書いてきたように「アンパンマン」は自我であり、「バイキンマン」はエス(欲動)であり、「ドキンちゃん」はリビドーである。自我が形成されるころから「アンパンマン」を見始めるのはとても意味があることなのである。
だから物語を理解できるようになる幼児たちは、「アンパンマン」に夢中になる。そして無意識の内に欲望を抑えることを学んでいるのだ。
知的発達してくる3~5歳児たちは、「時間と言葉」を獲得し、自我を形成していく。
『自己抑制と自己実現』から「耐えるとか根気強く努力するとかいうのは、単に情動の問題だけではなくて、子供の知的発達にも関係している。つまり、時間的にも空間的にも子供の認知範囲が広がって、ある程度の展望が持てるからである。現在、今その瞬間の間だけ生きていた子供が、時間的つながりの中で生活できるようになる。いま手に入らなくてもしばらく待てばいいのだとか、今はしたくないけどしておかないと後で困るとかいう、時間感覚が身についてくる。また言葉を獲得するということが、我慢(抑制)に大きな役割を果たしている。例えば、口にできない感情をコントロールするよりは、感情を口に出してコントロールすることのほうが容易である。子供が時には独り言を言って自分自身に語りかけ、自分を慰めたり、なだめたり、苦痛や悲しみに耐えようとする。あるいは言葉で自分を励ましながら、砂遊びや積み木遊びを続けている。子供は自分の気持ちを言葉にすることによって、自分を一生懸命にコントロールしようとしているのである。」
私と娘が映画版アンパンマンを劇場へ見に行ったとき、アンパンマンが魔物(バイキンマンより強い)に捕まった場面などで、小さな子供たちが「アンパンマンがんばれ」「負けるなアンパンマン」と一生懸命に声を掛けていた。
そのときは微笑ましい光景だと思ったが、いま考えてみれば、あれは子供たちの自分自身への声援だったと思い至った。見ていた子供たちは、すでに自分とアンパンマンが同化している。そして無意識の内にも、暴走する欲望が自我を悪へ引きこんでいくのを恐怖したのではないか。
欲望の闇に飲み込まれないように、子供たちは必死になって「自分の心の中の自我」へ「がんばれ」と声援しているのではないか。

そして自我の発達は「他者との関係」におおいに必要となってくる。
再び『自己抑制と自己実現』から
「子供はトイレトレーニングを経て、次第に自律性を獲得する。ということは、自分に対してまわりの人たちが何を望み。それにどう応じていけばいいのかという、他者の立場に立つことを学習することであり、ただ自分のしたいことをするだけではなく、他者との相互依存の関係の中で、自分の置かれた立場を理解し、自分の言動を調整することを学んでいくのである。 中略 そういう現象が(ごっこ遊びが減っている)ということは、それだけ他人の立場に立つ、あるいは他人の役割をとってみるという経験が少なくなっているのであり、自我の発達させる機会に乏しいということになる。他者の立場に立つという心理は難しいもので、自分の欲求がただちに満たされない経験を積めば積むほど、そういう面での自我は育っていく。」

「他人の立場に立つということにも順序がある。最初は、同じ光景を自分が立っている所とは違った場所から見ている人には、違って見えるということを理解することができること。少し進歩すると、他の人々の考えや動機などが同じではない、違っているということに気づくようになる段階である。もっと進めば、他の人々の感情や情緒が自分とは違っているのだということを感じるようになるし、それがどんなものであるかを判断できるようになる。こういう順序を順当に踏んでいけば、やがて他者との共感性が高くなるし、それは向社会的行動と呼ばれる、他者への思いやりや援助行動に結びついていくはずである。

これがアンパンマンでいう「自分の顔を腹のすいた人にあげるという」ことにつながるのではないか。
002_20071221111223.jpg


茂木健一郎著『欲望する脳』から、欲望と他者の関係について書かれた箇所を抜き出してみた。
「欲望」に負けないように、こころに刻まれていくことになる。「子供は、しばしば、自分の欲望をむき出しに主張する。しかし「心の欲する所に従って」いる子供は、決して倫理的な存在ではない。自らの欲望に従うのではなく、それを必要に応じて抑制し、調節することを学ぶことこそが、人間にとっての倫理の始まりである。」
「私たちの脳は、欲望が必ずしも満たされないという条件の下で進化してきた。とりわけ衣食住のために必要な最低限の条件は、ほぼ満たされるようになってきた。生産力は常に需要を上回る危険をはらみ、経済システムを維持するためにも、欲望を解放し、消費を奨励することが求められた。その結果、欲望を我慢しないという点において、現代の成人は、むしろ子供に近づいてきている。」
「その立場に自分を置いて来し方行く末を想像してみることによって、初めて見ることがある。「他者への無関心」
「他者への真摯な関心を持ち続けることは、心をしっとりと柔らかに保つための処方箋である」

物語というは、「登場人物に立場になってみる」「ストーリーの中に入って登場人物の心境になってみる」ということを楽しむことができる。そして、物語の登場人物と同じように、泣いたり、笑ったり、怒ったりすることができる。そのとき出会ったのが「いい物語」だったなら、人はそこから何かを学ぶこともできるし、人間的成長をすることもできる。
となれば、知識を最大限吸収することのできる幼児期の子供たちにとって、欲望を抑制し自我を育てるのに最適な物語は「アンパンマン」となるだろう。この物語に秘められたメッセージは、幼児たちを成長させ、自我を形成させることに役立っていくことになるのではないだろうか。

いま現代に求められているのは「自我の欠乏」「欲望の抑制」ではないかと思う。現在起こっている残虐な事件の数々は、犯罪者たちの「心の中」に問題があると思う。
では、次回は自我を育てることが出来なかった人々が犯した罪を書いていきたいと思います。

追記  「アンパンマン考」の終わりが見えてきました。あと2回ほどで終わる予定です。どうにかクリスマスまでには間に合いそうです。



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