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物語を物語る

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「週刊 歴史のミステリー」第6号

物語を物語る

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目次

歴史検証ファイル   日本を襲った元寇の真実
           ナポレオン病死の真相
遺跡に眠る謎     イースター島・モアイ像
疑惑の真相      坂本龍馬暗殺の黒幕は薩摩藩だった!?
芸術の裏側      「叫び」エドヴァルド・ムンク
語り継がれる伝説   徳川埋蔵金伝説
人物再発見      ヘンリー・フォード


日本を襲った元寇の真実

概要「日本が被った最初にして最大の国難といわれる「元寇」。その勝因は「神風」によるものだったのか」を検証。

元寇……高麗を完全に征服した元は日本をも服属させようと企図し、元の世祖(フビライ=ハン)は数次にわたって使を日本に派遣し入貢を求めたが、時の執権・北条時宗に拒否されたため、征東行省を設け、1274年(文永の役)と81年(弘安の役)の2回九州に来寇した。前者は高麗兵、後者は南宋征服ののち、中国の降兵を利用したが、九州・四国の武士の激しい防戦と台風にあい大敗した。3回目は、フビライの死によって中断された。特に第2回目は、農具等を多く積んでいたことなどから、日本への移住を考えた作戦であったとも推察されている。
<世界史辞典より>

この本では「日本来襲の目的は何だったのか?」「北条時宗は元寇を想定していたのか?」「文永の役で元軍が敗れた理由は?」「弘安の役で日本軍はいかに戦ったのか?」「日本軍の勝利は神風によるものだったのか?」を検証している。

結論としては、元軍の大敗は、台風などの気象現象よりも、元軍側の諸問題にあったということです。
「神風」については、国威発揚を狙ったもので、大正時代から盛んに言われるようになったということである。
歴史ミステリーというほどのものは載ってませんでした。元寇を手堅くまとめた内容。


ナポレオン・病死の真相

「ナポレオンは胃ガンを患わっていたのか?」「体調が突然悪化したのはなぜか?」「検出された砒素が物語る真実とは?」「ナポレオンの死を望む人物はいたのか?」これらからナポレオン暗殺説を検証しています。

ナポレオンは胃潰瘍で死亡したという説が通説となっていますが、毒殺されたのではないかという説が根強くある。
中でも「ヒ素による毒殺説」が主流です。この本ではステン・フォーシュフットの説を載せている。
また、桐生操著の「ナポレオンは殺された」、ルネ・モーリ著「ナポレオン暗殺」、「ナポレオンの謎は解けた」、倉田保雄著「ナポレオン・ミステリー」などから、ナポレオンに毒を盛って殺したのは、モントロンという上流貴族である、と結論付けている。

またナポレオンの遺体はすり替えられているという説もあり、ここではレティフ・ド・ラ・ブルトンヌ著「イギリス人よ、ナポレオンを返せ」の説を紹介している。

また今号には載っていないが、去年のニュースに、この件に関連する記事が出ていた。

『ナポレオンのデスマスクは偽物?実は執事長では  時事通信2007年8月19日

「18日付けの仏紙リベラリオンは、パリ市内の軍事博物館に展示されているフランス皇帝ナポレオン1世のものとされてきたデスマスク(死亡時の顔の像)が実は偽物で、ナポレオンで執事長のものだった可能性があると報じた。
歴史家ブリューノ・ロワアンリ氏もAFP通信に対し、1947年~73年にロンドンの博物館にあったデスマスクが本物で、それはその後行方不明になり、2004年にニューヨークで競売に付され、人手に渡ったと話している。
同士によれば、1815年のワーテルローの戦い後、英国人画家が描いたナポレオンの肖像画には、左のほおに傷跡があるが、軍事博物館のデスマスクには傷跡がない。ロンドンの博物館には傷跡があったという。』

また、今埋葬されている遺体は、ナポレオン自身ではないという説が研究者の間で囁かれているという。その中でも突飛な説は、「ナポレオンはセントヘレナ島で死んだのではく、似た人物を代わりに見立て、生き残っていた説」もあるというのだ。

この他にもまだまだ、「ナポレオンの死」に関しては多くのミステリーがあるようです。


『坂本龍馬暗殺の黒幕は薩摩藩だった!?』

「歴史のミステリー」の中では、タイトル通り「龍馬を殺したのは薩摩藩であった」という説を解説しています。
「武力で討幕を進めたい薩摩・長州藩にとって、龍馬が掲げる大政奉還が実現すれば、両藩の大義名分が立たない。龍馬の存在が邪魔になった薩摩藩が見廻組を動かして、暗殺させた」という説だ。

では、人物往来社編の「龍馬暗殺の謎を解く」から事件のあらましを
『坂本龍馬、中岡慎太郎を暗殺したのは、新撰組といわれ、その当時、誰も疑うことはなかった。近藤勇が流山で囚われたとき、土佐の谷干城は、龍馬殺しを自供させようとして、拷問に掛けようとしたほどである。それが見廻組らしいとわかったのは、箱館戦争後、維新政府の軍事裁判にかけられた新撰組残党に龍馬暗殺の鞠問(きくもん)があり、その供述からである。同じく囚われていた元見廻組肝煎、衝鉾隊(しょうほうたい)の副隊長であった今井信郎が、龍馬、慎太郎殺害の嫌疑により、兵部省事務局糾問所で取り調べられ、その供述によって、はじめて見廻組の犯行と分かった』
龍馬を斬った実行犯は見廻組であったというのが大方の意見ですが、では「誰が」となると確定されていない。見廻組だとすれば今井信郎、佐々木只三郎、桂早之助などのいずれかの者となる。また、他の説となると、新撰組の原田左之助、富山弥兵衛、薩摩藩の中村半次郎、紀州藩の三浦休太郎、などが挙げられる。またその他に、雇われた刺客ではないか、という説を取れば、誰が龍馬を斬ったのかますます分からないでしょう。

ではそれを指示した「黒幕」となると、これも諸説あって、薩摩藩の西郷隆盛、大久保利通、土佐藩の後藤象二郎、公家の岩倉具視、紀州藩、または薩摩藩と見廻組を結び付けた元新撰組参謀・伊藤甲子太郎などが挙げられている。
だが、近年ではこの本のように、「薩摩藩・西郷隆盛黒幕説」が有力となっているようだ。

いくつか、サイトを探してみたが、「坂本龍馬暗殺ミステリー検証」http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Vega/8361/honmei/riyhoumaansashu.html がまとまっていた。

また、中岡慎太郎の暗殺が主で、坂本龍馬が巻き添えを食ったという説もあったが、これも検討の余地がありそうだ。

さてユーチューブで「龍馬暗殺の場面」の映画、ドラマが多数あった。その中でアニメの「お~い竜馬・最終回」が、雰囲気が出ているので、載せておきます。



そして、問題の『徳川埋蔵金伝説』です。


この「歴史のミステリー」では、赤城山埋蔵説を否定し、更に北の三国街道沿いの永井宿あたりにあるのではないか、という説を載せていました。

おっ、そう、来たか!

ふ~ん。まだ「ある」と信じているんですね。ただ「赤城山」から場所を変えただけの説ですけどね。

さてさて、この「徳川埋蔵金伝説」は、別項でじっくりと検証します。
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消えた二十二巻

Author:消えた二十二巻


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