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物語を物語る

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歴史ミステリー小説「東毛奇談」 第3章 2

物語を物語る

そこに参加してきたのが児島高徳である。児島高徳は太平記の作者ではないかと目される人物の一人である。と同時に太平記以外にその名が出てこないために実在の人物ではないという説もあり、不思議な人物である。その児島高徳が、三河に一時期土着していたという。梅坪館という住居を建てて、高徳の一族・三宅氏を呼び寄せて住んだ。三宅家の菩提寺である広済寺、広瀬神社には高徳を祀っているという。また三宅家は、徳川時代は挙母・田原藩主となり明治維新まで続いた。
この児島氏はもともと五流尊瀧院という修験道の本山を伝える家であった。平安、鎌倉時代には天皇や法皇の熊野や大峰詣の際には必ず児島の五流山伏が先達を勤めた。児島高徳はこの家を継いだ。高徳は修験者や山伏の棟梁であることを意味する。その高徳が奥三河に南朝拠点を作り、一族を呼び寄せた。
そして言うまでもなく、奥三河は徳川、松平氏の発祥の地である』

山伏、修験道、塩の道、産鉄、漂白民、山の民……、奥三河、松平徳川、家康、新田源氏……、そして天狗、雨月常太郎!。と末尾に書かれていた。
(すべてがつながっていくのね。でも最後の雨月常太郎ってなに?)



一夜が明けた。琴音は資料を昨夜の内に頭に叩き込んだ。しかし聡明な琴音がどんなに頭を捻ろうとも、真船がどんな説を持っているのか見当がつかない。それだけに琴音の知識欲は刺激されっぱなしになった。
(たとえテレビ向きでないとしても、どんな結果になるのか知りたい。仕事抜きでも……) 琴音は妙に興奮している自分を発見した。そして昨日の朝からの変わりように思わず苦笑した。

真船は十時きっかりにホテルの前で待っていた。真船は昨日と同じようなきびきびした動作で荷物を車まで運んだ。そして昨日と同じように名ガイドを務めようといった感じである。それが初デートで出かけるピクニックのような浮き立ちかたで、可笑しいくらいだった。それに答えるかのように琴音は助手席に乗り込んだ。
「こっちでいいんですか?」
「助手席のほうが話しやすいでしょう。それに今日はたくさん質問しなくちゃならないから」
「昨日も結構してましたけど」
「あんなの質問じゃないわ。それに昨日渡されたコピーで疑問が余計に増えたわ」
琴音の迫力に押されたのか、真船はにやにやと笑うだけであったが、別段悪い気はしなかったようだ。
「で今日はどこから行くの?」
「まず、尾島町にある寺から行こうと思うですが」
「その前に足利も見ておきたいんですが、ここから遠いですか?」
「いや、太田市と足利市は県境として隣り合ってますから遠くはないです。それにここまで来たんですから、足利氏の居住地であった鑁阿寺や日本最古の学校といわれる足利学校を見るのもいいでしょう」
車は、足利市を目指した。
「昨日読ましてもらったけど、面白かったわ。徳川家康が源氏を名乗っていたのは、なんとなく知っていたけど、それが新田氏の系統を名乗っていたことは正直に言って知らなかった」
「そうなんです。案外知られてないんですよ。知っている人は勿論良く知ってるというやつでね。家康が将軍になりたくて源氏を騙ったということは知られた話ですが、それが新田系であるというのはそんなに知られていないんです。というより、興味がないのかもしれません。もともとウソで源氏を名乗っていると思われているので、それがどんな系統であるかなど、知っても意味がないと思ってるんです。ですが、そこが大事なんですよ。源氏の中でも、どの系統かというのは、当時の武士たちにとっては、これほど大切なことはないし、皆が重要視したんです。どの武将も領土を広げるのと同じくらい努力をして系図を作り家格を上げようとしたんです。名前のもつ意味がどんなに効果があるか身をもって知っていたから……」
「昔は大変ね。生まれた家によってその人の身分が決まってしまうのだから。現代に生まれてよかったと喜ぶべきなのかな」
「うーんでも、今でも似たようなことはあるかもね。政治家の家は政治家になるとか。現職政治家の半数以上は二世議員だと言うしね。案外、家や名前の信仰は残っているね。例えば、学歴なんていうのもある。これも昔の武士が我らの家系は○○源氏だというのと、俺は一流の○○大学出身だといって大きな顔をするのと、変らないんじゃない」
「そうね。それに結構本人より周りの人が意識しちゃうっていうのもある。あの人は東大出なんだって、いうだけでちょっと偉そうに感じちゃって……」
「うんそう、それそれ、いい例えが浮かびました。そうですね官庁みたいのが分かりやすい。ここに、ある官庁で出世したいと思っている男がいるとします。ではどうするか。まずキャリアでなければ絶対に出世は出来ない。これは動かし難い事実です。しかも出身校によっても左右されるでしょう。もちろん東大や超名門校は有利でしょう。これも否定できないでしょう」
「そうですね。身をもって感じてます」
「こうゆうのは古い体質の組織ほど根強く残っています。官僚とか法曹界や、医師会なんてね。○○大系なんて平然と高言している。こういった規範は我々を知らず知らずに束縛しているんです。それに面白いことに、東大出のやつが出世してもだれもが当然のように認めてしまうんだ。あいつは東大出だから仕方ないと、だれも妬まない。いまのは、学歴でみたけど、ほかにもたくさんあるでしょう」
「そのたとえ話が、家康のことと関係してくるのかしら」
「そうなります」
「そうね、それを家康の問題に当てはめてみるわけね」
「うん、でその前に松平・徳川家が本当に源氏であったのか、なかったのかが、問題となるでしょう。江戸時代から胡散くさいと思われていたけど、その時代に大ぴらに言えるはずがない。一番初めに松平・徳川家が源氏でないと公式にいったのは大正9年、渡辺世祐が論文で発表してからで、これが通説となった。要するに松平氏の始祖である親氏の出自が流浪の浪人であり、世良田氏つまり新田源氏とつながらないことが根拠となっている。まあ普通に考えてみても、松平氏が新田源氏でないことは確かなことでしょう。それに家康も新田の家系につなげることにかなり苦労していたしね。でも簡単には否定できない部分もあるんだ」
「その部分が聞きたいわけだから。もったいぶらないで」琴音が急かすように言った。
「それは松平家とその家臣に新田や南朝の伝承を持つ人物がやけに多いんですよ。それに家康祖父の清康の時代から世良田姓を名乗っている点などつながりが多い」
「つまり徳川松平家は新田源氏ではないけど、南朝や新田とかかわりのあった家であったというわけね」
「どこかでクロスしているはずなんだ。そうとしか思えない。系図を買って新田源氏に結び付けたと、一言で済ますほど実は簡単な事ではないんです。その事例はこれから列挙していくけど、いいですか、とくに問題なのは、家康の場合、松平家は新田源氏であるから、元の姓である『徳川』に戻すという復姓申請を朝廷に認めさせていることです。これは前例がなく、私の知る限りでは、家康しかいないんです。これは歴史的大事件なんですよ。だれが何と言おうが……」
「大分、その点を強調するのね。じゃーなにか例を出してみてよ」相変わらず琴音の方が強気だ。それに対する真船もうーんと唸りながらも例え話を出した。
「そうですね。やはり官僚社会が一番分かりやすいでしょう。ではここに3流大学卒の男がいます。実力もあるし、仕事もできる。しかし彼には学閥とかいったコネがない。古い体質の官僚社会で出世できるでしょうか」
「まあ難しいわね。だれも言わないけど常識みたいなものかしら。キャリアとかでない限り……」
「よし、ではこの男はどこからかそのキャリアの資格を得ることができるという闇取引があることを知る。そこでこの男はうまいことをして、キャリアの資格を得たとしよう。ただ本人が言う分には何の影響力もないが、この男はそれを、省庁のトップに認めさせるのさ。まあ多額の献金をするとか、トップの弱みに付け入るとかでね。とにかく男は、十分に疑わしいがトップにそれを認めてもらえばもう誰も文句は言えない。この許可は特例でしかも前例のないことであった」
「そのキャリアという部分が、家康でいう源氏というわけね」
「そう、そして男はもっと出世を望んだ。しかし三流大学卒では、いかに仕事が出来ようとも、周りの人々が認めない。しかし男は、俺は東大卒である、と広言し出した。全くの嘘である。が、どこからともなく、男が東大出であるという証拠が出てきて、この男は難なく出世できた」
「なんとなく分かったわ。つまり同じ大卒でも、三流大卒と東大卒とでは雲泥の差がある。それは現実的に存在すること。これが同じ源氏でも八幡太郎義家の流れである武家の名門、源頼朝や足利、新田氏を出した家柄では大違いというわけね」
「そうです。数ある源氏といえども義家の系統は、名門中の名門、各々鎌倉幕府、足利幕府を開いているので、大望ある武将には魅力ある系統なんだ。あとさっきの例え話だけど、もちろん東大出でなくても出世はできるさ。でも一流大学を出ていたほうが出世はし易いということはよくある話でしょう。それに東大出のやつが出世してもだれもが当然のように認めてしまうんだ。あいつは東大出だから仕方ないと、だれも妬まない。この点が非常に面白いね」
「で、さっきの例え話でいくと、男はどこからキャリアや東大出の証拠を得たかというのが問題なんでしょう。家康でいうと源氏の中でも新田源氏のものをどこで得たかということ」
「さすが鋭い」
「まあ、いつもクイズを作っていますから……」といってとろける笑顔を真船に見せた。

足利市に入ると渡良瀬川を渡り、市の中心部に位置する足利学校を訪れた。
足利学校は日本最古の学校といわれ、創建は832年小野篁が建てたという説や、1249年足利義兼が創設したなど諸説あり、定かではない。室町時代には国学や儒学、兵法、易を教える学校として栄え、天文年間1532年~54年ころは学僧3千人を数える日本最大の学府となった。イエズス会のフランシスコ・ザビエルは「日本国中最も大にして最も有名なる坂東の大学である」と本国に報告している。そして今現在ここには、江戸時代の姿を模した書院や衆寮、庭園がある。この復原工事は平成2年に完成した。

琴音は「良く整備されていますね」と見たままの感想を言った。
「確かにそうですね。町興しの一環として自治体が努力したんでしょう。でもやはりこうゆうことは国、県や市が動かないと進まないですからね……」それに比べて新田史跡はと、愚痴が出るのを押さえた。
一通り見たあと、足利学校の西北に隣接している鑁阿寺に向かう。ここは、もとは足利氏の住居跡であった。1195年足利義兼が出家して鑁阿と号したのがその名の始まりである。その後、一山十二坊の大伽藍となり、寺域は広大で、その周囲を幅広の濠がめぐらす大寺となった。足利氏の力がいかに強大であったか窺える。また地元の人々は、この寺を大日様と呼び親しんでいる。この寺は真言宗大日派の総本山で、大日如来を本尊としていた。
参道には料亭や土産物屋が立ち並び、手入れされた小公園には大きな尊氏像があった。地元の人々が足利氏の史跡を盛り立てようという意気込みが端々に感じられた。どこか閑散とした新田史跡を見たこともあってか、二人の心にもの悲しさがよけいに迫ってきた。
「もういきましょうか」真船が琴音に声をかける
はい、といって琴音は気持ちを入れ替えた。ここに来た目的は、別に旅愁を味わうためではない。
「あのー昨日の続きなんですけど……」と真船に質問する。真船もその気持ちを汲んでか、ニッと笑みを返して「それでは、太田に戻ってから話を始めましょう」と言った。
二人を乗せた車は、来た道を引き返し太田へ向かう。
「まず、松平徳川家に新田・南朝と関連のある家臣がいかに多いかをノートにまとめてあるので見て欲しいんだけど」といってダッシュボードにあった、かなり使い込んだノートを指差した。琴音はそれを手に取り、『徳川家臣団』と付箋のついてあるページを開く。

『徳川家臣団と南朝との関係は、煎本増夫氏の『戦国時代の徳川氏』に詳しい。ここから抜粋する。

①天野氏……家康時代に康景は三河三奉行の一人と呼ばれた譜代家臣。天野氏は南朝に仕え、秋葉山要害地に城を築き、宗良親王を守護した。その後三河国額田郡中山荘へ移動。
②荒井氏……新田始祖の義重のときに上野国大間々の新田領地を管理していた。新田宗家が滅亡するまで付き従い、その後三河へ移住。松平・徳川の旗本となった。この系統から新井白石が出る。
③青山氏……新田氏族や南朝・尹良親王に従った。その後三河国碧海郡に浪人として入国。青山氏の出身地は、上野国吾妻郡青山、今でも青山屋敷跡が残っている。
④奥平氏……出身地は上野国奥平郷(現 多野郡吉井町)。新田・南朝方に味方し、三河に隠れ住む。吉井町には奥平氏の菩提寺・仁叟寺と屋敷跡がある。奥平氏は一時武田家に仕え、その後家康に内通して徳川家に仕えることになる。
⑤成瀬氏……松平家始祖の親氏からの家臣。三河国上平村に住む。上平村は信濃・伊那街道に通じて、今朝村、平村村、足助村へと続く。足助村が南朝の拠点であることは述べた。しかも足助八幡宮には、徳阿弥(松平親氏)の筆とされる大般若経が所蔵されている。
⑥そのほかにも、三河譜代(松平時代からの家臣)で新田・南朝の伝承を持つ家臣は、柴田氏(小笠原氏と祖は同じ)、林氏、高力氏など多数に及ぶ。
ここまでをまとめると、松平家に仕えた家臣は、1に新田・南朝と関係がある。2に多くが関東特に上野国からの移住している。3にその経路が伊那街道を抜け足助に至り、そこから東三河の山間に入っている。4に松平親氏のように浪人であった者が多い。
これから推察すれば、親氏のような浪人が、奥三河にいた南朝・新田の伝承をもつ領土に入り、それらを征服、領土化していく内に、南朝・新田の持っていたイデオロギーをも吸収、内包していったのではないだろうか……』

「なるほど、徳川家臣団の中には、南朝や新田とのかかわりがある人々が随分と多いんですね」
「そうなんですよ。でも家康自身が新田源氏を名乗っているので、三河譜代の家臣としては、箔をつけるためにも、新田または南朝の伝承を持っていた方が都合は良いから、その伝承をどこからか引っ張ってきたということもできるけど……」
「それでも、どこからは新田・南朝の伝承を仕入れなければならないから、きっと、南朝の残党が奥三河に潜んでいて、伝えたんだと思う」
「系図や伝承がいきなりどこからか湧き出ることもないし、現在と違い、情報も発達しているわけではないから、上野国の情報を三河で得るにはなんらかの伝達者がいなければならない。しかも足利の時代であるから南朝や新田のことなど表沙汰にはできないことである。このことを知るにはやはり特別な情報提供者がいなければならないと考えられるのだ。一口に系図買いというが、売るほうがいて成り立つものだからね」
琴音は納得するように頷いた。それを確認して真船は話を進めた。
「ここまでをまとめると、信濃と吉野を結ぶ伊那街道の中継地点である奥三河に南朝の拠点が築かれた。南朝衰微後も、新田や南朝の残党が住み着いていて、そこに松平家が来たのではないか。要するに奥三河が松平家と新田伝承を結ぶキーワードになるわけだ。それでは、そのノートの付箋が付いている次のページを見てください」
真船に促されて、琴音は次のページをめくった。

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Comment

[8] お久しぶりです☆
すごいのみつけましたよ♪
http://jeeee.net/url/13750.html

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