スポンサーサイト

物語を物語る

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「昨今の幼児・児童虐待事件」と「求められる呑龍の精神」

物語を物語る

「幼児・児童虐待」事件について、前回の続き。

先日、娘の卒園式に行ってきました。
sixyuurixyousiki

幼稚園に行く機会はそんなになかったのですが、改めて見てみると、こんなにたくさんの子供がいたのか、と驚きました。そりゃ凄いですよ。小さい子供らが百人くらいいて、みんなぴょんぴょんと跳ねながら、楽しそうにはしゃぎ回っているんですから。子供らの嬉しそうな声を聞くと、こっちまで愉快な気分になります。
幼稚園の思い出といえば、「運動会」がよかったですね。園児らが駆け回わり、お遊戯する姿は、なかなかいいもんです。
みんなかわいいですよ。涙腺がゆるくなった祖母がこれを見て泣くのが、分かるような気がしました。

さて、本題。
3月19日、秋田地裁で「連続児童殺害:畠山鈴香被告」に無期懲役の判決があった。
記事を読んでみると、彩香ちゃんの殺害時についての証言は、実に生々しいものがある。
「娘を欄干に座らせ、しがみつこうとしたところを押して藤琴川に落下させ、水死させた。」「接触への嫌悪から苦手意識を持ち、愛したくても愛せない長年の悩みがあった」といい。殺害当日に「(魚を)見たい、見たい」と橋から家に帰ろうとしないため、急激にイライラした感情を高め、彩香ちゃんが怖いといって抱きつこうとした瞬間、とっさに殺意を持って押したと認定した。」

これは怖いです。橋の欄干に座らせ、抱きつこうとしたわが子を、殺意を持って押した、と云うんですから。この心理の変化がリアルで怖い。二重人格者だったら、ここで悪魔が「押せ」って囁いたと、主張するかもしれない。人の心の中に、これほど冷酷で残酷なものが潜んでいるのかと思うと、人間の本性は「悪」なのかと考えてしまう。

ここ数年、幼児に対する虐待、傷害、殺害といった事件が、新聞に載らない日はない。これが比喩でないほどに、増えていると思う。前回書いた『2歳児を放置死させた 29歳の母親』 (埼玉三郷市の島村恵美容疑者)のような、特異な事件も起こった。
それに、自分の子に危害を加え殺してしまう親の行動が、どんどん残忍化しているような気がするのは私だけなのか。
日本全体が利己主義になって、自分だけが良ければいい、自分だけが儲かればいい、自分だけが幸せならいい、自分が気持良ければ他の人はどうでもいい、といった風潮がこういった事件の根底にあるように思う。他人への無関心は、自分の子供にも向けられているような気がしてならない。
少子化社会となって、社会全体で「子どもを育てる」という関心が薄れてきている、とも感じる。また、子供のことを「くそガキ」と平気でいう有名人や、「子供を守ること」と「過保護」は違うことなのに、同じ意味に捉えて攻撃する人も増えたような気がして、そんなことを書く記事をよく見かけるようになった。(勝谷誠彦、キングコングの西野とか)
日本が幼児ポルノの規制がない国として国際的非難を受けているのも、どこか「子供を守ろう」という意識が希薄な証拠なのではないか。そういった「子供への悪意」と「育児の社会的な無関心」が、こうした事件の一因になっているのではないのか。
それに、いつも事件が起こってから、「これはいかん」と騒ぐことも多い。でも、それはニュースとして騒ぐだけで、結局のところ、何の方策も出されないまま、改善もされず、同じような悲惨な事件は繰り返されてくことになる。

そして、もう一つ気になった事件を。

奈良の乳児虐待:体に「死ね」「ブタ」と赤ペンで書く 母親逮捕。

 奈良市で起きた両親による乳児虐待事件で、意識不明となった生後4カ月の次男が病院に搬送された際、体に赤色のペンで書かれた「死ね」「ブタ」などの落書きがあったことが県警の調べで分かった。夫の無職、松本一也容疑者(29)=奈良市月ケ瀬尾山=とともに殺人未遂容疑で逮捕された琴美容疑者(21)が「自分が書いた」と認めているという。
 調べでは、琴美容疑者は、ぐずって泣く次男に育児ストレスを感じ、胸部や腹部に落書きしたという。両容疑者は、次男が生後1カ月のころから、日常的に顔を平手で殴ったり、太ももや首につめを立ててつねったりしていた疑いが持たれている。
 両容疑者には、他に次男と双子の長男と、長女(1)がいる。長男にはつねられた後が十数カ所あり、長女には外見上、虐待された跡はないという。【石田奈津子】毎日新聞 2008年3月11日 大阪夕刊

悲惨な事件です。
この後に、この両親が行った虐待行為を詳しく載せた記事が出たが、これがまた酷いもので、読むのも恐ろしい。
こういった事件を聞く度に暗い気持ちになり、一層気が滅入ってしまう。ただ被害にあった子供のことを考えると居たたまれず、どうにか救う方策はないのかと思ってしまう。「悲しい事件だ」と傍で嘆いているだけでいいものなのかと、娘を持つ親としては思わずにはいられない。
こうなる前に、この子らを救うことはできないのか。不幸な家に生まれてしまった子供は生きていくことさえできないのか、だとすればその子供たちに与えられた宿命は、余りにも「不幸で不公平」だ。社会全体で「子供を守る」といった「意識」が育たなければならないと思うのは、自分の娘が通う幼稚園で、楽しそうにしている園児らを見てつくづく感じることなのです。
少子化対策といっても出産率ばかりに関心がいって、生まれてきた子供たちを守らなければ、全く意味がないのです。「将来を背負うのは子供だけである」といった意識が広まらなければ、この国に未来はなく、日本人というものは滅んで行くことになる。人口低下とともに、経済の活力を失って国力は落ちていくのです。年金を負担する若い人がいなくなったら大変だから、人口を増やそうといったことを言う人もいるが、これは本末転倒。年金問題のために子供を産もうというのは誤ったことだ。まずは「生まれてきた子供たちを守ること」から始めるべきではないのか。
ではどうやって子供を守ればいいんだ?  では虐待を受けている子供を救ういい方策があるのか?  と問われれば、私にいい考えがあるわけでもなく、結局は答えに窮してしまうわけなのだが……。やはり行き着く先は「赤ちゃんポスト」のようなものしかないのか……。

何らかの方策はないものなのか。

現代に求められるのは「呑龍の精神」

と、ここで「呑龍の精神」となるわけです。
呑龍」とは、江戸時代初期の名僧。大光院の開山。
大光院は群馬県太田市にある寺で、広辞苑を引けば出ててくるほどの大寺。いまも「子育て呑龍様」として慕われ、近隣住民のお宮参りや七五三でにぎわう。(かく言う私も、娘もここで七五三をした。そして私の名前まで付けてもらった)

これが、どうして、現代の「幼児・児童虐待、殺害の事件」につながるかといえば、以下の逸話による。
江戸時代初期、世の中はまだ乱世の余燼はくすぶり、天災等の影響もあって、庶民の生活は困難を極めていた。そのために、当時の人々は、家族の人数を調整するために、生まれてきた子供を捨てたり、間引き、子殺しなどを行っていたのである。(当時は生きていくために仕方がないことだが)

呑龍は、その非道を憂いて、近隣の農民にその所業を止めるように説いて回った。しかし、そういったことは減ることはなかった。避妊が行われるわけでもなく、まして子供が増えてしまえば、一家全員が飢え死にしてしまう。いわゆる必要悪として「間引き」が民間に浸透していたのだ。そこでやむなく呑龍は、捨て子や貧しい人々の子供らを寺に受け入れることにした。子供らの悲惨な状態を見かねたものだったのだろう。そして、寺の費用で子供らを養育したのです。
donrixyuu2.jpg
(画像は「マンガ太田の歴史」より)
ただ、当前のことだが、寺領として与えられた三百石は寺の運営や学僧養成のために使われるのであって、捨て子の養育にあてられるものではなかった。(当時の大寺は、今でいう大学、行政機関のような役割も担っていた)
これを知った幕府は驚いて、呑龍にどうにかするように命じた。まあ、簡単に言えば「そんな子供らを引き受けるな、捨ててしまえ」と暗に命じたに違いないのです。呑龍は悩んだはずでしょう。出世をするなら幕府の言う通りにすればいいことでしょうし、そうすることが「政治的」には正しいことになる。しかし、それでは自分の道徳心や信念を捨てることになる。

だが、ここで呑龍は名案を思いつく。呑龍が現代になっても「子育て呑龍」といわれ、語り継がれる名僧となるのはここからです。捨て子や貧民の子を受け入れ、七歳までは名目上、大光院の弟子とする形にして、子どもたちを寺の費用で養育することにしたのです。
121.jpg
こうして救われた子供は数多くいたでしょう。これはナチスからユダヤ人を救ったオスカー・シンドラーや杉原千畝にも匹敵することではないのか。
偉いです。
江戸時代にこんな人道主義者がいた、というのをもっと世間で知られてもいいことです。
そして、もし、現代に呑龍が生きていたら、きっと嘆いていたに違いない。それに、子供らを救う妙案を考え出しているかもしれない。

またもうひとつ「人道主義者」として、呑龍には有名な逸話があります。
元和2年(1616年)のこと。
武州の源次兵衛なる農民が、難病で苦しむ親の治療には、鶴の生き血が体に良いというのを聞き、鶴を捕らえて殺してしまった。
ただ、これが御禁制の鶴だった。どうやらこれは重罪であったらしい。役人に追われた源次兵衛は、大光院に逃げ込んだ。
この話を聞いた呑龍は「禁制を犯したのは重罪であるが、人の命の尊さには代えられぬ」といって源次兵衛を匿い、役人にその身柄を渡さなかった。しかし、役人にも面目がある。掟を破った源次兵衛を捕えなければならず、それを引き渡さなかった呑龍にも罰を与えなければならない。どちらも後に引けない状態になった。並の僧侶なら、ここで権力に屈して、さっさと引き渡していたでしょう。お上に楯つくようなことがただでは済まないと思えば、ここは普通に考えても、引き渡せば簡単に済む話なのだから。
しかし、呑龍はそんなことはしなかった。罪を一身に負い、格式のある住職を惜しげもなく捨てて、源次兵衛をお供につれて旅に出るという方法を取った。そして行き着いた先が信州小諸の仏光寺という小さな草庵であった。そこに籠った呑龍は念仏と修行を続けたというのだ。重罪を犯した名もない農民を守るために、自分のキャリアさえあっさりと捨ててしまうという、当時珍しい「人道主義者」でした。そして二代将軍秀忠の許しが出て、大光院に戻ることになったのが、その5年後のことだったというのだ。
こんな博愛主義者が過去にいたんですね。

さて、この逸話が、「つまらない話だ」という人もいるでしょう。「いい話でもなんでもない」と思う人もいるでしょう。しかし、この話のポイントはここにあります。「影響力の大きい人が、起こした言動は、世間に広く伝わる」ということだ。
大寺を任される住職がこういった行動を起こすことによって、世の中に広くこの話が語り継がれていき、結果、民衆に「博愛、人倫」を広めていくことになった。実際、この逸話が現代にも残り、私もブログに書き、それを読む人が多少なりともいることになる。(呑龍の逸話を書いたブログは検索すると結構ある)
それに呑龍がエリート僧であったことは間違いない。
呑龍が芝増上寺の観智国師の門弟で四哲の一人といわれ、大光院が、慶長18年(1611)春、徳川家康によって一族の繁栄と始祖新田義重を追善供養するために開かれた浄土宗の寺で、その開山に選ばれたことからいっても「選ばれた人」であったことは間違いないのだ。(増上寺は将軍家の菩提寺である。そこで修行し、優秀であったのなら、今でいう東大を主席で卒業するようなものだろう)

また、上野国(群馬)で、当時300石の御朱印が下賜されたのは、大光院のみだ。次が世良田東照宮の200石、上州一ノ宮の貫前神社でさえ177石であるから、大光院がいかに破格の大寺であるか分かるものである。その開山に選ばれた呑龍は、今でいう出世を期待されたキャリア官僚だといえるのです。
そんなエリート僧侶が、幕府の命令に反して「子供たちを守り」「農民を助ける」といった行動に出たのである。
それに、呑龍がしたことは、出世や保身ばかりを気にする現代の官僚とはえらい違いで、実に博愛に満ちた行動の数々だった。
呑龍が、捨て子や殺される運命にあった子供を引き取って育てるといったことは、小さなことかもしれない、しかしその行動はのちのち伝説・伝承となり、語り継がれていったのだ。
メッセージはシンプル。「間引きはいけないこと、子殺しはやってはいけないこと」そういった簡単なことを世の中に植え付けようとした。それを、自らの行動をもって、世間に示した。それは「子供を守ろう」という考えを世の中に広め、民衆の意識を変えていこうとしたわけだ。
今の世の中に、そんな役人や議員はいるのか。
改革、改革と口では叫んでいても、保身と出世とお金にしがみ付く、役人や議員たちに、こんな行動ができるだろうか。
しかし、いま起こっている幼児・児童虐待問題で求められているのは、「呑龍のような精神」をもった人道主義であり、エリート官僚のような大きな力を持つ人が行動力と指導力を発揮することなのだ。
そういった人が立ち上がってこそ、世の中が動くのである。(私のような小者がブログにちまちま書いていても世の中は変わらない)

呑龍のメッセージは簡単なもので「子供を守ろう」といったことだ。

慈愛に満ちた行動を起こす人が、世の中の意識を変える。そして子供たちを救うのだ。

だって

未来は子供たちにしかないだから。

娘の卒園式に出て、「あどけない子供たちの笑顔」を見ながら、痛切にそう感じた。

スポンサーサイト

Comment

[253]
私は、妻に任せていましたのでしつけで、子育てで叩こうと思ったこともありませんでした。
なぜ親は虐待してしまうのか不思議でした。

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

Trackback

«  | HOME |  »

カスタム検索




FC2ブログランキング


すみません…、只今コメ返しをしておりません。しかし、しっかりと読んでおります。こんなわがままなサイトですが、気が向いた方は、どうぞ書き込んでください。

FC2ブックマークに追加

07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

Wikipedia
developed by 遊ぶブログ
物語を物語る
 トップページ
  ├ 月別アーカイブ
  |  └ --年--月 --日 (--)
  ├ カテゴリー
  |  └ スポンサー広告
  └ スポンサーサイト
物語を物語る
 トップページ
  ├ 月別アーカイブ
  |  └ 2008年03月 26日 (水)
  ├ カテゴリー
  |  └ 時事ネタ
  └ 「昨今の幼児・児童虐待事件」と「求められる呑龍の精神」
by AlphaWolfy

消えた二十二巻

Author:消えた二十二巻


全ての記事を表示する




このブログをリンクに追加する
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。