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千利休は新田一族の末裔か?

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前回の続き。
千利休が新田一族の末裔であった、という話でしたね。
rikyu9.jpg

利休の本姓が「田中」であるというのは、そこそこ知られた話で、かつて、テレビ番組「タモリのトリビアの泉」でも紹介されていました。(たしか「60へえー」ぐらいだったと思う)
そして、この「田中氏」が新田一族だ、ということになる。
044.jpg

鏑矢祭のときに新田一族の幟旗が立てられましたが、「里見」「堀口」「綿引」などに交じって「田中」の名もあります。
つまりこの系統と千利休が結びつくわけです。

「利休の父は田中与兵衛(田中與兵衞)、母は宝心妙樹。「千家系譜」、「千利休由緒書」によると利休の祖父は足利義政の同朋衆だった千阿弥(専阿弥・新田里見氏の一族田中氏の出身)といい、その名をとって千姓としたとされている。」
新田源氏・里見氏・田中氏の系図は http://www.geocities.jp/tajima73/sen.html で見て下さい。


では、毎日新聞2004年3月8日の記事から。

『16代・千宗室さん、襲名を先祖に報告―榛名町・光明寺で献茶式 ◇500人参加
 茶道を大成させた千利休の先祖が眠るとされる群馬県榛名町中里見の光明寺(筒井泰道住職)で7日、茶道裏千家の第16代家元、千宗室さんが家元襲名を先祖に報告する献茶式が行われ、関係者ら約500人が参加した。歴代の裏千家家元が光明寺で献茶するのは初めてで、筒井住職は「千利休のルーツが毛野地方にあったことが裏千家に正式に認知されたことになる」と話している。
 光明寺は平安後期の治安元年(1021)頃創建。中世の武士「里見氏」の菩提寺で、里見氏は千利休の先祖「田中氏」のルーツとされる。利休の曾孫で江岑宗左が記した『千利休由緒書』に記述があり、歴史研究家の間では知られていたという。 第15代家元の千玄室さんが平成8年(1996)、家元として初めて同寺を訪問。当時、「千家のルーツは里見家。いつか必ず一族で献茶したい」と話し、今回の献茶式が実現した。筒井住職は「この寺に千家のルーツがあると改めて確認された。400年余りを経て、千家家元が来られたのは誠に意義深い」と喜んでいた。この日は、里見家供養塔の墓参の後、光明寺に先月完成した茶室が披露された。茶室には宗室さん直筆の掛け軸が飾られている。訪れた出席者は、振舞われるれる茶を楽しみながら見入っていた。』

このように、群馬県榛名町では、千利休の祖先の地ということで、盛り上げようとしています。
また、新田里見氏が本拠とした上野国、越後国にはそういった逸話が多く残っていて、これをネタにしたブログ記事等も多く見かける。
そこで、そういった記事をいくつか拾ってみましょう。

①里見山光明寺
http://hojiro.at.webry.info/200511/article_3.html
実はこのお寺は安土桃山時代の侘び茶の完成者である千利休の太祖であり南総里見八犬伝でも有名な里見一族の太祖、里見義俊が1170年に葬られて眠っている地でもあります。千利休の父は田中与兵衛と言い名字は田中姓(千は氏)で彼の直系の先祖、田中義清はこの里見義俊の二男にあたります。里見義俊の父親は新田義重と言って源義家の孫にあたり新田源氏の祖でもあるのです。すなわちこの里見郷を起点として後の世に千利休や南総里見一族、新田義貞等歴史上の人物が生まれ出ていることになります。

②千利休の言う名前を知らない日本人はいないと思いますが、この人の先祖は群馬県だということはあまり知られていません。先祖は「大新田里見家」から出た田中家です。榛名(高碕地域)の里見から新田町の田中に分家して、鎌倉時代には新潟に進出した清和源氏の一族です。田中角栄もこの一族だそうです。新田義貞(旧姓は里見小五郎義貞・大新田里見から小新田家へ養子縁組)の鎌倉攻めの時には新潟の里見一族〔1500騎〕の一員として〔新田の生品神社旗揚げの後、この時150騎〕高崎の八幡宮の旗揚げに参加しています。八幡宮は源頼義、義家親子が奥州征伐に行く時に旗揚げした源氏にとって大切な場所であり義貞もこの古事に倣って遠回りしたようです、源氏の嫡流の源頼義、義国、義重の旧領で大新田家に伝承、〔高崎市史研究―八幡荘と新田荘の成立をめぐって〕です。話は戻りますが、北条の執権時代の後は足利の時代となり新田一族は足利に従った一族と関西に留まって千利休や今井宗久のように商人になった一族もいた訳です。現在、榛名町の光明寺の里見一族供養塔の前に千宗室が供養塔碑を立てています。千利休について地元の人達に知って欲しいので書きました。


ということで、利休と新田氏(特に里見氏)を関連させた記事が多い。

まあ、この記事の中には、飛躍した話として「田中角栄、新田源氏説」みたいのもありますが、これはかなり眉唾ぽい話ですね…。
ただ、新潟(越後)では、鎌倉、南北朝時代にかけて、新田一族の一大勢力もあって、南朝軍事拠点となっていたことから、足利軍との壮絶な合戦が繰り広げられていた場所でもある。それだけに、越後での新田一族への思い入れも深い。よって、越後で「田中姓」を名乗れば、「新田一族か」と結びつけられるのだろう。

また、利休と新田里見系・田中氏との接点しては、浅田晃彦著「上州茶の湯史話」や福田日出子著「毛野中世の武士団と千利休」という本もあるようだ。また、系図等が、http://www8.wind.ne.jp/haruna-machinet/satomi_gou/keizu.pdfで見られる。(これはかなり分かり易い)

それに、群馬県太田市(旧新田町)にある長慶寺は、千利休ゆかりの寺と言われている。
延応元年(1239)に、新田義兼の娘で足利義純と婚姻関係にあった新田尼の子、時明を祖とする田中氏の館跡に建立されたもの。 開基は田中五郎義清、開山は僧の慶弁である。なお、田中五郎義清の子孫がのちの田中与四郎となり、ここが千利休とつながることになる。長慶寺の名前の由来は南北朝時代、長慶天皇が一時この寺にいたことにちなんでいる。
tanakasikann1.jpg

画像の石碑には「田中義清之館址」と「茶聖千利休之祖」の文字が彫ってある。

さて、利休が新田一族の末裔であるという話が、結構残っていることは分かってもらえたと思う。
では、これが事実なのかというと、それが実に、信憑性はかなり低い。
この「利休は新田源氏の末裔だ」という話のもととなったのは「千利休由来書」だとといわれている。
書いたのは、利休の祖孫にあたる江岑宗左(こうしんそうさ・表千家四代家元)で、1653年、幕府は徳川家康の年譜を作るために、「利休由来書」を提出させたとなっている。
問題なのは、千利休が自分は「新田一族の末裔」であると自分自身で言っていたのか、ということだろう。
そうなると、同じ「新田氏の末裔」を名乗る家康との関係は深いことになり、利休割腹の前に家康と会ったのも何らかの意味があったのではないか、と考えることもできる。
だが、利休の子孫が「われらは新田源氏の末裔である」と改めて僭称したとなると、これは意味も違ってくる。封建時代において「血統」「家柄」がすべてなのだから、江戸時代において、「新田一族の末裔だ」と名乗ることは、大きな意義があり、そのメリットが大きいからだ。

徳川家家臣団が、突如として、己の祖先は新田一族の末裔だと云ったり、南北朝時代の昔に南朝方として新田一族とともに戦ったというエピソードを喧伝するなどして、松平家時代からの家臣だと主張するのはこのことによる。(これは東毛奇談、または過去の記事で)

それに徳川家康が、1586年に安房国の里見義康に宛てた手紙には「ことに徳川家と里見家は同姓なのだから、義康様の御身上については、これをひとかどに引き立て申したい」と書き送っている書状がある。「同じ新田(源氏)の出であるから」と家康自身が新田源氏だと公言しているのだから、千利休の子孫が「我らは新田源氏・里見氏の田中氏の出」であると名乗ることは、とても重要な意味があったのだ。

とまあ、千利休と家康との関係をこの点から突けば、「秀吉暗殺」といった話ももっと面白くなるでしょうね。

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