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7月2日は新田義貞公の命日。そして、世良田東照宮の向き。

物語を物語る

7月2日は新田義貞の命日。

延元三年(1338年)七月二日、新田義貞は、越前国藤島の燈明寺畷(現在の福井県福井市新田塚)で、戦死した。
今から670年前のことである。
本日の上毛新聞のコラム「三山春秋」にも、新田義貞のことを書いてありました。
いい記事なので転載します。
「財布の中に古びた「新田氏一族略系図」が入っている。太田支社で仕事をしていたときにコピーしたもので、いまでも重宝している
 同じ群馬県といっても、東と西では趣を異にするところがある。これからの季節ならば、猛暑もその一つだろうが、太田に着任したときに感じたのはその歴史的な成り立ちだ
 市内や旧新田町には新田氏ゆかりの遺跡や寺社が多い。旧尾島町ならば、徳川氏。両町とも平成の大合併で太田市となったが、仕事を進めていく上で、歴史の知識は欠かせないものとなった
 系図は、新田荘(にったのしょう)を開発した平安末期から鎌倉前期にかけての武将、新田義重など新田氏を中心に、足利氏、源氏の流れ、関係が一目で分かるように書かれており、訪れた先々でお世話になった
 ことし一月、本紙の連載企画「山河遥(はる)か上州・先人の軌跡」第二部で取り上げた新田義貞は義重から数えて八代目。鎌倉幕府を攻め滅ぼしたものの、足利尊氏と対立し、今の福井県で戦死したのは延元三(一三三八)年閏(うるう)七月二日といわれる
 没後六百七十年のことし、市内の東毛歴史資料館を新田氏を中心とした施設に衣替えさせる話が浮上している。来年度、資料館が東毛広域市町村圏振興整備組合から市に移管される予定であることに伴い、清水聖義市長が打ち出した。泉下の義貞はどんな感慨を持っているのだろう。 」


「東毛奇談」では、第2章に「新田義貞討ち死にの場面」があります。興味のある方はどうぞ。
http://daikiti431.blog112.fc2.com/blog-entry-58.html


さて、新田義貞がらみの話題を一つ。
先日「徳川宗家が、世良田東照宮を参拝する。」といった新聞記事があった。

「徳川宗家の十八代当主、徳川恒孝さんが、六月十四日、一族にゆかりのある太田市の世良田東照宮(菊池清宮司)を初めて参拝し、同神社の文化財保存団体「三ツ葉葵会」の歓迎を受けた。 徳川さんは会津藩最後の藩主、松平容保のひ孫にあたる。二〇〇三年に宗家の遺産を管理する徳川記念財団を設立した。三ツ葉葵会が設立三十周年を記念して徳川さんの講演会を企画、講演に先立ち参拝が実現した。  旧幕臣の子孫らでつくる「柳営会(りゅうえいかい)」の会員とともに東照宮を訪れた徳川さんは、拝殿で玉ぐしを奉てん。境内を見て回り、国重要文化財の本殿や徳川家康が初めて来たとされるよろいなどの宝物について、菊池宮司から説明を受けた。  市尾島行政センターで開かれた講演会で、徳川さんは「江戸二百六十年の天下太平を支えた仕組みと心」と題して講演した。(上毛新聞・平成20年6月16日の記事から)

また、上毛新聞コラム「三山春秋」では、
「太田市の世良田東照宮は、静岡県の久能山東照宮と栃木県の日光東照宮を結ぶ直線上に鎮座している。祭られている徳川家康の遺言に従った結果とはいえ、十七世紀の遺産に感心させられる。 徳川家十八代当主の恒孝さんがこのほど参拝した。地元の文化財保存団体「三ツ葉会」(杉山久一会長)の創立三十周年事業によるもので、宗家の参拝は1947年(昭和22年)の先代以来だった。  世良田東照宮は、徳川氏発祥の地に一六四四年(寛永二十一年)、三代将軍家光が日光東照宮の旧奥社などを移築して創建した。六百社ともいわれる全国の東照宮の中で、最も古い社殿にあたる。……以下省略。」とある。

さて、これのどこが新田義貞の話題か、って?
いや~これこそ、新田義貞が戦死した7月2日の記事にふさわしい。


まず、この記事の冒頭に書かれているのは「日光東照宮の謎」などの高藤晴俊さんの説。
日光東照宮の謎

図は講談社現代新書「日光東照宮の謎」p34の図から。

ここでは詳細は省きます。
で、問題は「東照宮がどこを向いて建っているか」ということ。
久能山東照宮は真西に向かって建っている。(徳川家康の遺言「西国鎮護のため」)
日光東照宮は真北に向かって建っている。(北極星を背にしている)
など、ほかの東照宮も江戸を向いていたり、日光を向くように建てられていたり、拝殿の向きに何らかの意味がある。
つまり、その方向を拝むことになるわけだから、方向は重要である。

では、世良田東照宮はどこを向いて建っているのでしょうか?
それが、「」なのです。

江戸でも、日光でもない。
世良田東照宮は東に向いて建っている。つまり西に向かって拝むことになる。

世良田東照宮

なぜでしょうか?

その答えは一つしかない。

うわ~、書く時間がない。

では、興味のある方は地図をよ~く眺めて考えてみましょう。

あとは「東毛奇談」で。


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