スポンサーサイト

物語を物語る

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

蒲郡市は「新田の家紋」を使っていた。

物語を物語る

愛知県蒲郡市市章が

蒲郡市章

だった。

「これは」と思い、検索してみたら「新田氏の紋章・一引両」だった。

蒲郡市は、竹谷松平家が使用していたために、「一引両」を採用したとある。
『竹谷松平家(たけのやまつだいらけ)は、松平信光の長男の松平守家を祖とする松平氏の庶流。三河国宝飯郡竹谷(蒲郡市)を領したことから竹谷松平家と称する。松平氏の分家では、最も古く、代々松平宗家に貢献した。』(Wikipedia)
この、竹谷松平家が新田氏の家紋である一引両紋を使っていたらしい。

これは謎だ。
なぜ「竹谷松平家」だけが使用していたのか。

清和源氏の末裔で新田氏を祖とする「徳川家」が、「大中黒」「一引両」の家紋を使わないことから、なかば封印状態であったという話を聞いた。 
逸話としては、『江戸幕府が開府したころ、家康は家臣に対して、葵の御紋を使用することを禁じた。しかし以前から葵の御紋を使ってきた家臣が、家康に言上した。「殿は新田源氏であるのだから、大中黒(新田の家紋)を使った方がよろしいのではないか」と。そう言われた家康は返答に困ってしまい、その家臣に葵の御紋の使用を許可した。この話は、家康が大中黒の紋を使うのをためらったとしている。つまり、家康も使用しない大中黒の紋は神聖なものとなってしまった。』というのだ。

ではなぜ?
どのような経緯で、竹谷松平家はこの「一引両」を使用することになったのか?
ということで、これは、現在調査中。


またこれに関連して、
愛知県蒲郡市出身の宮城谷昌光の「風は山河より」全5巻を読んでいます。
風は山河より
徳川家康の祖父「松平清康」が「世良田次郎三郎」と名乗って冒頭から出まくっています。(小説としてはかなり貴重)
また「新田氏関連」も結構出てくるので、これについては後で、まとめます。
スポンサーサイト

Comment

[110]
他の松平はいざ知らず、竹谷松平家「だけ」は本物の新田一族の末裔、という意味でも込められているんでしょうか?
それとも「うちは長男の家系」という意地みたいなものが、この家紋を選ばせた?
でも清康が世良田次郎三郎を名乗るよりも前に
新田末裔を公にするような行為をするのか?という疑問もあるし、
かといって、江戸幕府が開設されて以後にこんな家紋にするのは尚更憚られますし、謎ですね‥‥

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

Trackback

«  | HOME |  »

カスタム検索




FC2ブログランキング


すみません…、只今コメ返しをしておりません。しかし、しっかりと読んでおります。こんなわがままなサイトですが、気が向いた方は、どうぞ書き込んでください。

FC2ブックマークに追加

05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -

Wikipedia
developed by 遊ぶブログ
物語を物語る
 トップページ
  ├ 月別アーカイブ
  |  └ --年--月 --日 (--)
  ├ カテゴリー
  |  └ スポンサー広告
  └ スポンサーサイト
物語を物語る
 トップページ
  ├ 月別アーカイブ
  |  └ 2008年09月 23日 (火)
  ├ カテゴリー
  |  └ 新田義貞、新田一族の話
  └ 蒲郡市は「新田の家紋」を使っていた。
by AlphaWolfy

消えた二十二巻

Author:消えた二十二巻


全ての記事を表示する




このブログをリンクに追加する
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。