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物語を物語る

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歴史ミステリー小説「東毛奇談」 第4章 5

物語を物語る



ふたりは歩いて次の目的地である愛宕神社に向かうことにした。距離的にはそれほどないが、午前中、上野公園を歩き回ったせいで、大分疲れていた。
地図を片手に歩いて初めて気付く。いつも通い慣れていたはずの赤坂周辺にこれほど神社があるとは思ってもみなかった。
江戸案内の本を見て分かったことだが、このあたりは浅野家とは随分関係が深いそうだ。家康は江戸の町作りのために、上水路の水源確保のために貯水池の必要性を感じた。そこで日枝神社の西一帯にため池を作ることになり、その任に浅野家が当たったのだ。このため池は貯水池として利用されただけでなく、城のお堀としての役割を果たした。今その池は存在しない。しかし外堀通りなどでその名前を残している。
またこの近くの氷川神社も浅野家と縁がある。浅野内匠頭長矩の夫人阿久里、後の瑤泉院が余生を送った屋敷があった場所に、八代将軍吉宗が氷川神社を建てたということだ。そしてこの辺りで忘れてはならないのが勝海舟だろう。氷川神社の近くに邸宅があって、氷川清話という回想録も書かれた。
歩きながら、本で読んだ意識が次々と浮かんでくる。そう考えれば史跡を巡る江戸散歩も面白い。これまで何気なく通り過ぎていた場所に歴史が埋もれていたのだ。耳を傾ければ、時を越えて琴音に語りかけてくるようであった。問題は聞く耳を持つかどうかだろう。
「私たちが今いる赤坂は様々な歴史が交差しているのね」
「ここだけに限らないよ、その場所場所に歴史は残っている。人がいて生活していればその跡は残る、それが歴史だといった人がいるけど、全くその通りだ。地名や人名などの名前が残っていれば、伝えられていくんだ。実物として残らなくても、後世の人々の記憶に留まる。例えばこの辺りはかつてため池があった場所だけど、今はない。しかし溜池山王という駅名はあるし、地名として現在も残っている。名前さえ残れば、意識せずとも、ここにはため池があったんだと思うだろう。だから地名は大事なんだ」
「そうね。半蔵門、八重洲口。青山、内藤新宿、世田谷は人名だし、江戸も江戸氏からきているのよね。木場に佃島、兜町、小石川なんかも地名に由来があるわ。東京だけでも切がないわ」
「これは地名だけには限らない。前にも言ったけど名前には何らかの由来、理由があるんだ」
「うん、でも気にしなければ、ただ通り過ぎるだけ。こうゆうことは学校では教えてくれないわね。そう考えるとわたしたち学校で何を教わったのかしら」
「難しい問題だね。学校は何を教えればいいのか。受験科目だけ学習させればいいということじゃないだろう。そうゆう意味では、案外身近なことっていうのは、教えてくれないね。例えば目の前にある神社の由来さえ知らない。なぜ存在しているのかも分からない。イデオロギーを抜きにしても知識として与えるべきだよ。このままだと日本文化は失われて、跡形も無くなるよ」
「というより、学校教育がおかしいのかな。私は大学で英文科を卒業したけど、実際に英会話を会得したのはホームステイをしたり、英会話塾に通ったりしたからよ。同じ英文科を卒業した同窓生で英会話を出来る人はそれほどいなかったわ。それに中学高校の英語教育なんて今考えても何も身についていないわ。それでいて大学入試では英語は必須科目で、しかも配点が一番高いのよ。どこかおかしいわ」
「今の高学歴なんて余りあてにならない。入試にどれだけ詰め込めるかを競争しているだけだから、全く身についていないんだ。……まあここで教育問題を議論しても仕方ないけど」
と言いつつ、国会議事堂や官庁街を横目で見た。

「話は元に戻るけど、本能寺の変の朝廷関与説は有力視されているの?」
「一時はかなりの信憑性があるといって支持されたけど、今は否定派も多くて、やはり光秀の単独で突発的行動という説が一般的だろう。あれほど多く出た各説も決定打に欠けて、一番無難な説に戻りつつあると思う」
「でも敢えて朝廷関与説を推すのはなぜ?」
「自分は朝廷関与説でも、一部の公家が計画したものと見ているから、天皇や親王が直接関与しているとは思わないんだ」
「今までの話から、その中心は近衛前久となるわけね」
「そう。朝廷や公家といってもいろいろな考えの人がいるわけで、朝廷全体が一致団結して本能寺の変のような大事を起こすことは難しい。これは一種の政治的クーデターだから少数の人数で秘密裏に行われなければ成功しない。公家の中にも親信長派や、信長は嫌いでも密告して恩賞に与ろうという人が現れることは間違いない。だからこの場合は目的を同じくする少人数が望ましい。議会のように全会一致で決定して、何々を支持しますなんて表明しない。態度を明らかにするということは責任と危険を伴うことなんだ。
だから信長殺害が成功しても、光秀に肩入れしたとか、変に関与していたことなど微塵も表に出さないようにした。だから本能寺の変の絶対的証拠はいくら探しても出てこないと思う。だって前久も兼見も秀吉の時代にも生き延びた。もし変に関わった証拠が出てきようものなら、彼らのみならず、それを許した秀吉にだって都合が悪いからね」
「でもそれだけじゃ、朝廷関与説否定派を論破することはできないわよ」
「そうだね。朝廷というのは、ヌエのようなしぶとさでこれまで生き残ってきた。それは態度を明らかにしない、灰色を守ってきたからだ。どちらに転がってもいいように必ず手を打っておくんだ。これは源平合戦でも豊臣徳川の戦いでも、武家同士を戦わせて、最後に勝ち残った者が出て初めて態度を明らかにするんだ。だから本能寺の変のときも、失敗しても信長に付くようにしていたし、光秀にもその手を打っていたはずだ。信じられないと思うだろうが……。これは高度な政治技術だよ。国際的にも武力や国力は劣っていても、どちらに転んでもいいようにすることはよく見られることだからね」

日枝神社から直線距離にして1・5km。30分ほどゆっくり歩いて愛宕神社に着いた。この愛宕神社は、1603年家康の命により、京の愛宕神社から、ここ標高26mの小高い山に勧請された。上野山で海抜18m、湯島台でも22mと、江戸時代には江戸湾を望み、江戸で一番の眺望の地であった。『江戸名所図絵』によれば「……見落とせば三条九陌の万戸千門は甍をつらぬいて所せく、海水は渺焉とひらけて千里の風光を貯へ、尤も美景の地なり」とその絶景を讃えている。京の愛宕山から都が一望できるが、江戸でも同じ眺望のよい場所という理由でここ愛宕神社が勧請されたのであろう。
今は近くにある東京タワーが「東京(江戸)を見渡す」という役目を果たしているのかもしれない。
正面の急な石段で男坂といわれ、右隣にはやや緩やかな女坂がある。講談「寛永三馬術」で名高い曲垣平九郎は、この急な階段を馬に跨って駆け上がり、山頂の梅の枝を手折って、再び急勾配の階段を下って、将軍家光に差し出したという。
二人は敢えて男坂を上がる。上野公園を歩き回り、日枝神社からここまで歩いてきたにもかかわらずだ。
山頂には朱色の唐門に社殿が控えていた。さすがに疲れた二人は、参詣する前に、葉が多い茂った木陰の下にある、腰掛け茶屋で一息ついた。
「では本能寺の変に話を戻すよ。『歴史は繰り返す』とよくいわれる事だけど、日本のシステムが変わらない限り、似たような役割を担う人物が必ずや必要となるんだ。本能寺の変の前後の状況と鎌倉幕府討幕、建武の新政の状況が同じ経過を辿っているんだ。これは、新田義貞と明智光秀が、同じ役回りを演じたといったら、驚きますか?」
「また新説ね」
「どうでしょう。それでは、鎌倉幕府末期から建武の新政崩壊までを、もう一度振り返ってみましょう。
『北条政権は、後醍醐天皇に対して、皇位を持明院統の光厳上皇に渡すように迫った。しかしその要求を拒否して、陰で討幕運動を進めた。その運動の指揮を執ったのが護良親王で、平氏を討つのは源氏の役目であるとして(太平記巻七)、足利尊氏、新田義貞らに働きかけて、北条氏を攻め滅ぼした。その後後醍醐天皇は、建武の新政を行うが、失敗する。原因は、武家を蔑ろにして、時代錯誤の公家政権に戻そうとしたためだ。新田義貞の悲劇は、武家でありながら、反足利の立場上、公家に味方するしか道がなかった点にある。一方足利尊氏は、北条政権を倒しながらも第二の北条家政権の継承者として、各将が認めたために政権を握ることができた』
それでは、これを本能寺の変から山崎の合戦後までに当てはめてみよう。
『織田信長は、正親町天皇に対して、皇位を誠仁親王に渡すように迫った。しかしその要求を拒否して、陰で反信長運動を進めた。その運動の指揮を執ったのが近衛前久で、平氏を討つには源氏の役目だとして、明智光秀、徳川家康らに働きかけて、織田信長・信忠を攻め滅ぼした。その後光秀は、朝廷政策を重視して、朝廷に銀を与えたり、吉田兼見と頻繁に会談している。そのために、各将を味方に出来ずに失敗した。光秀の悲劇は、朝廷からの教唆により本能寺の変を起こしたが、主君殺しの汚名を被った点にある。義貞同様に途中で見捨てられる。一方豊臣秀吉は、信長の家臣でありながら、信長亡きあとの後継者として各将が認めたために、天下を取ることが出来た。足利尊氏の朝廷対策は、自らが光厳上皇を帝位につけて、将軍職を得ている。秀吉は信長のような強攻策を取らずに、自ら近衛前久の養子となり関白職を得ている。つまり朝廷対策は、懐柔策・内包化でともに成功している。
それでは図式化してみょう。

図が載りません。


「なるほどね。義貞=光秀、尊氏=秀吉、護良親王=近衛前久か、面白い説ね。それに皇位の移譲問題から端を発して、源平の戦い、公家の失敗、武家のヒーローが天下を治めるという流れが一緒だわ。義貞と尊氏の対立の関係はこの前聞いたからいいけど、光秀と秀吉の関係はどうなっているわけ?」
「そうだね、まず各武将たちが何故光秀側に付かなかった過程を見てみよう。本能寺の変後、光秀は配下の諸将に協力要請をしたが、味方に応じたのは、京極高次と武田元明らの旧守護職の者たちであり、戦力としては心もとない状態であった。光秀が最も頼りとしていたのは、僚友である細川藤孝とその子忠興であった。が、変後に、藤孝は髻を切り落として、信長に弔意を表し、光秀の要請には応じなかったんだ。でもね、この時点で態度を明らかにした武将は少なくて、秀吉が畿内に現れるまでは、各将は光秀に対して敵意を示して攻撃を仕掛けるなんてこともなかった」
「中立を保ったというより、みんな様子を見ていたわけね」
「光秀が安土城に入るために、近江の山岡兄弟に協力要請をしたが、拒否された。しかも山岡兄弟は抵抗して瀬田の橋を焼け落とすと、山中に逃げていった。抵抗といってもこの程度であったんだ。でも橋を架け直すのに2日もかかって、後から思うとダメージは大きかったけどね。でも山岡兄弟がそこまで考えてしたことではなから、嫌がらせみたいなものだった。そして光秀配下の池田恒興、中川清秀、高山右近らは、秀吉が11日に尼崎に進軍して来るまで、態度を鮮明にしていないんだ」
「この間、武将たちは何を考えていたのかしら?」
「まず、第一に光秀は主君を殺したわけだから心情的に味方できなかった。これは通常言われている通り。次が、本能寺の変が政治的クーデーターであるなら、信長に領地や地位を安堵されていたものが、光秀によって剥奪されるのではと危惧した」
「どういうこと?」
「光秀は信長を排除したわけだから、信長から領土を与えられていた武将たちにしてみれば、もしや領土を取り上げられて、旧主に戻されるかもしれないと思ったのではないかな。光秀は旧守護たちを味方に入れるという政策や、その背後に旧体制が見え隠れしているからね。信長の家臣たちは進歩的な考えで領土を切り取ってきたから、光秀の方針を見極めない限りどうにもならないと思った。そして何よりもこの変のきな臭さ、背後にある勢力を感じていたはずだ」
「その勢力が朝廷、公家ね」
「そう。これまでの歴史で、公家が武家社会に介入してきてろくな事がないからね。それに誰もが、光秀に実権があるのか疑わしいと感じていたんだ」
「みんな光秀がこんな大それたことを起こすなんて、理解できなかったのよ。だってそれまでの光秀は冷静で賢い人物であるのを知っていたから、きっとこの背後にだれかいると思っても不思議ではないわ。それが朝廷でなくとも、足利義昭だとか、イエズス会とか、堺の豪商とか、何かを感じていたのね」
「それは、変が起った直後から、みんなが探ろうとしたことだった。各武将にしてみれば光秀に付くかどうかで生死が決まる。しかもそれを決める時間も短く、熟慮している暇はない。そこに秀吉が現れた。秀吉の掲げたスローガンは単純明快である。信長の弟を全面に出して仇討ち、つまり信長の政策を継承することを表明したのだから。これは各将が待っていたことだった、だから武将たちは秀吉に味方したんだ。ここで建武の新政と同じようなことが起ったのだ。そのときも各武将は、武家政権を望んだ。だから武家政権を否定した後醍醐天皇の政策は失敗したんだ」
「それは分かるけど、細川藤孝のように盟友でもあり、姻戚関係にあった人物でさえ光秀の味方とはならなかったじゃない。細川家はすぐに光秀の誘いを断ったわけでしょう、そんなことしなくてもいいのに」
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消えた二十二巻

Author:消えた二十二巻


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