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物語を物語る

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7月2日は新田義貞の命日。

物語を物語る

歴史ミステリー小説「東毛奇談」も第3章まで掲載が終り。遂に第4章「本能寺の変のこと」に入りました。新田義貞と徳川家康と明智光秀がどうからむのか、ちょっとアクロバチックな展開となっていますが、興味のある方はどうぞ読んでください。今までにない、本能寺の変論です。

さて、7月2日は新田義貞が討ち死にした日。そろそろ、命日が近づいてきたので、義貞について、少し書こうと思います。

自作小説では、第2章冒頭で、新田義貞が討ち死にする1338年7月2日の出来事から話を始めました。鎌倉幕府を倒した英雄が、都から遠く離れた越前国(現福井県)で、なぜ死ななければならなかったのか、なぜこの死が犬死と評されたのか、ということに答えようとしたものです。
実は義貞を討った敵も、このとき首を挙げた武将の首が、南朝方の大将のものだとは、知らなかった。(このあと足利方は大騒ぎになり、義貞の持っていた刀、鬼丸、鬼切り丸を巡って争奪戦が始まる)
しかも、義貞は死地から逃げることが出来たかもしれないのに、その場に留まり戦ったんです、味方は50名ほど(この人数が仮名手本忠臣蔵にかかっていると私は思っている。それが第5章)。敵方は、二百名。
敵に囲まれた義貞は結局、自ずから首を切るんですが、私はここで、義貞が死ぬ直前に何を思ったか、何が頭をよぎったか、を考えました。
それを小説化した。
まず一つは、都落ちしたあとに交友を深めた時宗僧・白雲上人のことではないかと思う。この僧は称名寺(明智光秀ファンならピンときます)の住職で、時宗の教えを義貞に説いていたという。時宗の教義は「捨て去ること」、義貞は何を捨て去りたかったのか。
史実では、白雲上人は、義貞が討ち死にしたことを知ると、いち早く現場に向かい、遺骸(首は敵方に持ちされれ晒首にされた)を回収して手厚く葬った。これほど二人は親密な間柄だった。
またこの2人のやり取りは第4章の最後に書いた。

そしてもう一つは、勾当内侍のことではないか、と思う。

勾当内侍とは、義貞が愛した女である。

人は死ぬ前に何を思い出すだろうか。私はここでは、義貞が恋に落ちた瞬間を思い出しながら、自分の首を掻き切るという、少し感傷的なものにした。琴の音に誘われ、恋に落ちた月夜の晩のことが頭をよぎったことにしたのだ。そこまで愛された内侍とはどんな女性だったのかは、明日書こう。


しかし私はロマンチックな恋愛描写が下手である。自分の書いたものを読み返してみても、どうにもならないほど下手くそだ。(第3章の9)
だけど、この部分がないと後につながらないので、我慢して読んでください。

ああー誰か、恋愛描写の上手い方、義貞と内侍のことを書いてください。
結構いい逸話ですよ。
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