スポンサーサイト

物語を物語る

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

各地で「新田義貞」「新田一族」を祀る大祭が行われました。しかしその一方で、群馬県太田市は……。

物語を物語る

福井の藤島神社で新田義貞を祀る「大祭」が行われたようです。
まずそれに関連した記事を拾ってみました。

新田義貞の無念しのぶ 福井 没後670年を記念して祭

本殿で奉納された雅楽の舞(藤島神社で) 南北朝時代に南朝方の武将として活躍し、現在の福井市で非業の死を遂げた新田義貞の没後670年祭が11日、同市毛矢の藤島神社(山本隆重宮司)で営まれた。
 義貞は上野国(現在の群馬県)の出で、後醍醐天皇の呼びかけに応じて挙兵し、鎌倉幕府を滅亡に追い込んだ。建武の新政を経て、北朝と南朝に分かれて争いが始まってからは南朝の中心武将として各地を転戦したが、1338年に同市内で戦死したとされる。藤島神社は義貞の霊を慰めるために1870年に創建され、義貞のものと伝わるかぶとなどをまつっている。
 祭は同神社奉賛会などの主催で、県内の企業経営者や神社関係者、義貞の子孫ら約140人が参列した。本殿では、県雅楽会が雅楽を奉納したほか、同市新田塚の住民でつくる詩吟グループが詩吟「新田義貞」や唱歌「新田義貞公をたたえる歌」を披露。参列者は義貞の悲運に思いをはせた。
 北海道旭川市からやって来た同市立春光台中1年、新田大地君(12)は、小学生のころに夏休みの自由研究で義貞ゆかりの土地を訪ね歩き、同神社も訪れたことで祭に招かれたという。「神聖な儀式を体験できて良かった。義貞は頭が良く、心優しい武将。でも、中学の歴史教科書ではほとんど扱われていないので残念。もっと多くの人に義貞の功績を知ってほしい」と話していた。

(2008年10月12日 読売新聞)


新田義貞の遺徳しのぶ 福井・藤島神社

福井の地で戦死した南北朝時代の武将、新田義貞の没後670年記念祭が11日、福井市毛矢3丁目の藤島神社で開かれた。神事では義貞の功績をたたえた唱歌、詩吟などを奉納。ゆかりの越前松平家、新田家の現当主はじめ来賓、奉賛会会員ら約140人が参列し、遺徳をしのんだ。
 雅楽が流れる中、同神社の山本隆重宮司ら神職7人による神事が厳かに営まれた。松平家20代目当主、宗紀氏、新田家26代目の陽子氏ら参列者が玉ぐしをささげた。
 義貞戦没の地とされる明新地区から、細川嘉徳さん(73)〓新田塚2丁目〓ら詩吟の愛好家9人が詩吟「新田義貞」を奉納、続いて唱歌を披露した。この歌は同神社の初代宮司が作詞したもので、物寂しげな曲調に、参列者はじっと耳を傾けていた。細川さんは「戦中までは学校でよく歌われていた。義貞公は地元の誇りであり、これを機に歴史を知ってもらえれば」と話していた。
 記念祭は、同神社本殿の改修が成ったのを機に、義貞の功績を見直そうと奉賛会を中心に計画した。
(福井新聞 10月12日)


武将のように勇ましく 新田義貞没後670年で稚児行列
10月5日午前8時00分
新田義貞公の没後670年を記念して行われた稚児行列=4日、福井市毛矢3丁目
 南北朝時代の武将新田義貞公が祭られている福井県福井市毛矢3丁目の藤島神社で4日、没後670年を記念した稚児行列が行われた。きらびやかな衣装を身にまとった幼児、児童325人が父母らに手をひかれながら神社周辺を練り歩いた。
 記念祭は、今年没後670年を迎えたことと、昨年の本殿改修を節目とし、同神社奉賛会が中心となり企画。11日に開く記念祭に先立ち、子どもたちに義貞に親しんでもらおうと稚児行列を行った。
 子どもたちは薄化粧に華やかな衣装をまとい、雅楽隊の奏でる厳かな音色に合わせて、福井商工会議所ビルから藤島神社までの約2キロを歩いた。大鳥居前から社殿まで続く約200段の階段も同神社の山本祥嗣権禰宜(ごんねぎ)を先頭に、一歩ずつゆっくり上がった。

 行列は父母らを合わせると約1000人に上り、同神社付近は見物客も訪れ大勢の人でにぎわった。参加者らは拝殿に着くと手を合わせ、義貞の勇ましさにあやかって健やかな成長を祈った。家族で参加した同市和田中の竹澤佑未さん(7つ)は「階段がつらかったけれど、きれいな衣装を着て楽しかった」と話していた。

(福井新聞10月5日)


地元群馬県太田市よりも、死地となった福井県の方が盛大に行われる。
まったくもって冷たい、地元「太田市」
「新田義貞」「新田一族」を祭るものが行われないとは……。

(「鏑矢祭」はあくまでも鎌倉幕府討伐の挙兵を模したものであり、新田一族の魂を祀るためのものではない)
また新田義興を祀る「新田神社」(東京都大田区矢口)でも今年、大祭があったようで、こちらも大盛況だったようだ。
悔しいので、どんなことをやったのか、載せておきます。


【新田神社鎮座650年大祭】

<祭礼>
鎮座650年大祭 行事日程
●10月4日(土)
 ※「木遣り・まとい振り(江戸消防記念会)・稚児 行列」
   午前11時30分頃より12時30分くらいまで
 ※引き続き 境内で「はしご乗り」披露
 ※「新田神社鎮座650年大祭記念勧進 薪能」
   午後5時より7時くらいまで
●10月5日(日)
 ※「神輿渡御・神幸祭の大行列」
   午前9時より午後2時くらいまで
 ※「子供獅子舞・日本舞踊」
   午後4時30分より5時30分まで
 ※「和太鼓の演奏会」
   午後5時30分より6時30分くらいまで
 ※「宝物殿 特別公開」
   午後4時より9時まで(無料)
 ○4日また5日が雨天の場合、「能・狂言」「和太鼓の演奏
  会」は、地元 矢口西小学校の体育館で上演いたします
  天候不順な時は、当日のこのブログをご覧ください。
 ●10月10日(金)
  ※「鎮座650年大祭 大祭式」
   午前11時より
  ※「立身流 古武道演舞大会」
   午後1時30分より3時すぎくらいまで
  ※「宝物殿 特別公開」
   正午より午後3時すぎくらいまで(無料)
新田神社ホームページhttp://www.nittajinja.org/top.html
とあった。


太田市がこんなことをしたのは見たことがあるだろうか。


邦光史郎著「中世を推理する」(集英社文庫)では「(文化遺産を盛んに盛り上げる足利市に比べて)向いの新田の方は太田市で、いまは工業都市で、特にどうという所ではないが、金山の上に、新田神社ともいう金山神社がって……見晴らしはよいが、何もないところである。」と書かれている。
ほんとうに「新田氏」「歴史」に対して「太田市民」はあまりにも冷たいという印象は、かなりの人が受けたようで、その荒廃ぶりに驚くといった有名作家や紀行作家の記事を何度か見かけた。
新田次郎氏は小説「新田義貞」のあとがきで「新田義貞の出生地よりも遠くなるほど、義貞への評価は高いように思われる」と書いたが、このことがそのまま当たっている、ということになっているようだ。関連記事

では新田氏史跡の残る地元「太田市」はどうかというと…。
旗・2
これは「新田氏累代の墓」がある「円福寺」にあった「新田氏の幟」。色褪せていて、ボロボロでした。
ほかの所では大河ドラマ「太平記」のときの旗がいまだに立ってました。
それは見るも無残な光景です。「放置」というよりも「忘却」といったところでしょうか。
鈴・2
これは「生品神社」の鈴。かなりボコボコで、振っても音は出ません。
「生品神社」は立派な「国指定史跡」ですが、ここでさえこんな状態です。
「鈴」は5~6万円くらいだそうです。(私にお金の余裕があれば寄進したいところです)
太田市は「グンマ国際アカデミー」に何億円もつぎ込んで、こういった文化遺産には「ほっらかし」はないんじゃないの。  
とまた、愚痴が始まってしまいそうなのでここではやめておきます。関連記事① 、関連記事②
新田義興 遺髪塔
これは「新田義興」を供養する寺「威光寺」にある遺髪塔。ポツンと寂しいかぎり。余りにも侘しすぎる。
東京都大田区の「新田神社」を見ると、これって本当に同じ人物を祀っているのか、と疑いたくもなる。
義貞の首塚と内侍の墓
これは群馬県旧尾島町「花見塚公園」にある「勾当内侍の墓と新田義貞の首塚」
とりあえず、石を置いときました、っていう印象を受ける。
他の地にある「勾当内侍の墓」や「新田義貞の墓」などから見たら、どうにもならない状態で、いや、もうすでに忘れられた存在。それとも、なかったことにしているのか。

他の新田氏を祀る社寺を見た人に、「本当に、この地から新田義貞や新田一族が生まれたのか?」と問われたとしても、こんな状態では素直に「ハイ」と言えないのではないか。
どうにかならないのか?

これを踏まえて、もう一度「福井の藤島神社」の記事を読むと、地元「太田市」の盛り下がり方がよく分かります。

追記 この話には後日談があります。関連記事
スポンサーサイト

Comment

[208] 管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

Trackback

«  | HOME |  »

カスタム検索




FC2ブログランキング


すみません…、只今コメ返しをしておりません。しかし、しっかりと読んでおります。こんなわがままなサイトですが、気が向いた方は、どうぞ書き込んでください。

FC2ブックマークに追加

09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

Wikipedia
developed by 遊ぶブログ
物語を物語る
 トップページ
  ├ 月別アーカイブ
  |  └ --年--月 --日 (--)
  ├ カテゴリー
  |  └ スポンサー広告
  └ スポンサーサイト
物語を物語る
 トップページ
  ├ 月別アーカイブ
  |  └ 2008年10月 18日 (土)
  ├ カテゴリー
  |  └ 新田義貞、新田一族の話
  └ 各地で「新田義貞」「新田一族」を祀る大祭が行われました。しかしその一方で、群馬県太田市は……。
by AlphaWolfy

消えた二十二巻

Author:消えた二十二巻


全ての記事を表示する




このブログをリンクに追加する
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。