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物語を物語る

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破魔矢の由来、「日光・大猷院」と「新田神社」と「鏑矢祭」

物語を物語る

日光の旅の続き
前回の「慈眼堂」から、「大猷院」へ移動。
大猷院
「東照宮」よりも観光客が極端に少ないですが、私としては、落ち着いた雰囲気のある「大猷院」の方が、なぜか性に合います。(人ごみの中はちょっと)
大猷院は建物もどこか荘厳で、黒を基調とした意匠に装飾の金が映えて趣がある。
特に、夜叉門から見える拝殿は眺めが実に美しく、東照宮の陽明門とはまた違った感動を覚える。

拝殿には、靴を脱いで、中に入ります。
ここで、狩野探幽の絵画の説明があり、天海の御遺訓の説明もあった。
天海御遺訓
天海は家康よりも家光との結びつきが強いと改めて感じる。春日局も合わせたこの3人が徳川幕府の基盤を固めたといえる。その意味でも「大猷院」と「慈眼堂」はとても重要。「東照宮」だけを見学して帰る観光客も多いが、それはとてももったいない、と思う。(まあ、大きなお世話なんですけど…)
また、拝殿の中で、「破魔矢」の説明があった。要はセールスなのですが、そこで大猷院が破魔矢の元祖、ルーツのひとつであるとの説明があった…。
破魔矢
おや、確か私の聞いた話では、「破魔矢」のルーツは、東京都大田区にある新田義興を祀る「新田神社」が発祥地だったはず……。

日光・大猷院では、「将軍家が浜(的のこと)に矢を放って、魔除けをしたのが最初で、浜矢が破魔矢になったとか何とか…」(すいません、よく聞いてなかった。行った方はよく聞いてください)
そして、夜叉門の背面左側に立っている「烏摩勒伽」だが、この像は右手に矢を持ち、左手には弓を携えている。この矢が「破魔矢」だということらしい。
大猷院 像(この像の造形が素晴らしい。膝に象があしらわれている。)


まあ、「本家」、「元祖」争いはよくあることですが、私としてはどうも気になる。

そこで少し調べてみた。
まず破魔矢の説明をWikipediaから、

『破魔矢(はまや)とは、正月の縁起物として寺院・神社で授与される矢である。破魔弓(はまゆみ)と呼ばれる弓とセットにすることもある。
このほか、家屋を新築した際の上棟式に呪いとして鬼門に向けて棟の上に弓矢を立てる。新生児の初節句に親戚や知人から破魔矢・破魔弓を贈る習慣もある。
正月に行われていた弓の技を試す「射礼」(じゃらい)という行事に使われた弓矢に由来するとされている。元々「ハマ」は競技に用いられる的のことを指す。これを射る矢を「はま矢(浜矢)」、弓を「はま弓(浜弓)」と呼んだ。「はま」が「破魔」に通じるとして、正月に男児のいる家に弓矢を組み合わせた玩具を贈る風習が生まれた。後に、一年の好運を射止める縁起物として初詣で授与されるようになった。』とある。

ただ、これでは、どこが発祥地かは分からない。
また、破魔矢の説明として、幾つかのサイトで紹介されていた「語源由来辞典」だが、やはり同じようなことが書かれているだけであった。

また、「魔除けとしての弓矢」の紹介はWikipedia「弓矢」の方が詳しかった。
ここに書かれている以外でも、弓矢が魔除けとしての意味をもっていることは知られている。
大相撲で行われる「弓取り式」も「塩をまく」「四股を踏む」「手刀を切る」と同じ意味で「魔除け」「払い清める」といったことで行われる。
また弓の弦をひき鳴らす「鳴弦の儀」、追儺(節分)の式で使われる鬼・厄難を祓うために使われる弓矢などが「厄祓い」の役目として使われる。
または、武家が戦場に赴く前に、神社で武運長久を祈願して、甲冑や刀をなどを奉納するが、この中には弓・矢を奉納するといったことも行われた。
例えば、足利尊氏(高氏)が六波羅探題を攻める際に篠村八幡宮に立ち寄り、矢を奉納したといった話や、東京都亀戸にある香取神社には、平将門の乱を平定した藤原秀郷が矢を奉納したといった逸話など、各地に数多く残されている。また逆に、神社から神のご加護として「弓矢」を戴き、これを戦場での御守護にしたといった話もある。
また「矢」を射って吉凶を占うといった行事も多く、似たようなもので鬼に向かって放つ、的に放つ(流鏑馬など)といったことも多い。
このように、弓矢には「魔物を追い払い、神仏の加護が宿っているもの」といった意味合いが古来からあった。

では、今度は「新田神社」のホームページにある「破魔矢」の説明を抜き出してみましょう。
http://www.nittajinja.org/top.html
『江戸時代の「四神地名録」「江戸塵捨」「十万庵遊歴雑記」など書物を見ると、宝暦(1751~1764)頃より「義興の矢」として、門前の茶店で売られていたものが、後に平賀源内の提案により、五色の和紙と竹で作り、新田家の黒一文字の短冊を付けたものを魔除けとして売り出すようになったことがわかる。
そして、この矢二本を買い、一本を御神前に奉納し、一本を持ち帰って魔除け「矢守」にしたという。
これは、新田家伝来の「水破兵破」のニ筋の矢に由来しているといわれている。』
とあった。
つまり平賀源内が提案したということ。
これには訳がある。以下、引き続き「新田神社」ホームページより引用。
『源内が脚色した「神霊矢口渡の四段目の艇梁場(わたしば)の段」には、「今が最後観念と振り上がる間もあら不思議や。何国の共白羽の矢二人が吭射ぬかれて。其儘息は絶果たり。義岑臺は起上り。・・・是こそは家の重宝。水破兵破の二ッの矢の御矢と。驚給へば臺は目早く。其矢に短冊が。実もと月明り。何々二ッの矢を奪れては、新田の家名の衰へん事を愁へ。・・・朝敵を亡して兄上の恨みを散ぜん、代々伝はるこの御矢。家の重宝。武運の守り、・・・有難し忝しと踊り上て悦び給ふ。末世の今に至る迄新田の杜へ参詣し、守りの御矢頂戴の。因縁かくとぞ。しられける。」とあり、新田義岑(御祭神義興公の弟の義宗公)が新田の白矢に助けられ、その矢を家の宝とする様が物語られている。
江戸時代に入ると、将軍徳川家の祖先がこの新田家であるということより、松平家から「新田大明神縁起絵巻物(都文化財)」や「新田神君碑(大田区文化財)」の奉納などもあり、武運長久の守り神として、武家信仰の神社として栄える。その後、蘭学者である平賀源内が新田神社に参拝して、境内の不思議な篠竹で厄除開運・邪気退散の「矢守(破魔矢の元祖)」を作り、広く御祭神の御神徳を仰がしめることを勧めた。また、源内は江戸一族の策謀を卑劣なやり方として、この新田神社の縁起をもとに浄瑠璃・歌舞伎「神霊矢口渡」を脚色し、これが当時の江戸っ子の気質と合ったかのように、大変うけて爆発的な大当たりとなり、江戸庶民の新田詣が始まるのである。現在でもこの「神霊矢口渡」の一部分が各地の歌舞伎場などで上演されている。』
新田神社 破魔矢
(新田神社で売られている「矢守」。1000円。大中黒が超かっこいい。新田一族ファンには垂涎モノの一品、ぜひ欲しいです)

また、いくつかのサイト、関連本を見てみましたが、神社で「魔除けの弓矢」「開運厄除けの縁起物」として売られ始めたのは、江戸後期からであり、平賀源内が始めたということで間違いないようです。
もともと「弓矢」がもっていた「魔除け・ご加護」といった神聖な部分と、新田義興の逸話を、平賀源内が上手くミックスさせ、プロデュースし、ヒットさせた。これが新年の縁起物として広まった、ということだろうか。
ただし、当時は、これらは「守矢」「勝矢」「守護矢」といった名称である。
「破魔矢」は破魔矢奉製所という会社の商標登録であった云々といった話もあるから、この名称が広まったのは昭和以降からで、これが一般化したということだろうか。

ただ、「破魔矢」を始めたのが「平賀源内」という方がかなり有名となっており、「新田神社」が発祥の地だという点が忘れられているようです。
これからは、「破魔矢」の発祥のきっかけは「新田義興」であり、場所は新田義貞の次男・義興を祀った「新田神社」であるということを広めていきましょう。

さて、ここで「矢」つながりとなれば、新田義貞と「鏑矢祭」です。
新田義貞が鎌倉攻めにあたって吉凶を占うために鎌倉の方角に矢を放ったとの伝承にちなんで、毎年5月8日に生品神社で行われる祭。
さて、この鏑矢とは、矢の先端に鏑が付いていて、これを射ると鏑が鳴る。戦場では矢合わせの合図として最初に射った。または「嚆矢」「鳴箭」といい、昔からの意味でも射られることがあった、と広辞苑にある。
「禊」(みそぎ)とは、身に罪または穢れのある時や重大な神事などを行う前に、川や海で身を洗い清めることである。
「矢を射る」という行為の中に「禊」も含まれているとなれば、やはり「新年」に「神社」で買う破魔矢にもこの意味も含まれている、ということになるだろうか。(俳句では「破魔矢」は新年の季語)
神事的な「矢」には、新しく一大事を行うときに霊的威力を発揮する力があるということなのだろう。
だからこそ、新築の上棟式や新生児の初節句のときに用いられるわけなのだ。
となれば、新田一族の産土神・生品神社の社前で、「矢を放った」ということは、これが決意を秘めたものであることがわかる。これは現代で解釈されているような、ただ単に「吉凶を占う」といったことだけではないはずだ。新田義貞(義興を含む新田一族)の心中に、挙兵に向けての一大決心が「放った鏑矢」に込められていたはずなのです。
051.jpg
(5月8日の生品神社においての「鏑矢祭」の模様、その時の記事)

追記  
何か脈絡のない記事ですが、「矢」つながりでつなげてみました。
また、「新田神社」のホームページはかなり充実しています。新田義興もアニメを見られます。(実に分かりやすい) 新田一族ファンにはたまりません。

Comment

[108] 破魔矢(矢守)とうちわ
私は毎年お正月に新田神社に参拝し、矢守を戴いておりますが、正月七日を過ぎると品切れになっていることもある、人気の逸品です。
大きさは、通常の神社で配られている破魔矢より若干短いでしょうか、
でも、何せ義興公を葬った御塚から生えた竹から作られたという矢ですからね。きっと霊験あらたかです!

あ、申し遅れましたが、そのせつは、新田義貞うちわの問い合せ先を教えて下さり、ありがとうございました。
おかげ様で、駄目元で電話して訊いてみたところ、まだ在庫があるということで、返信用封筒を送りまして、無事うちわを入手出来ました!あれ、とてもかっこいいですね。本棚に飾っております。
折角だから、過去のも含めて販売すればいいのに‥‥

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