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物語を物語る

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歴史ミステリー小説「東毛奇談」 第4章 7

物語を物語る

「東京はいろいろな神社が集まっている場所だね。家康が江戸入部して以来増えたのだろう。中でも天海が勧請した神社が重要だ。それを調べていけば面白いことになるだろう。まあそれは後にして……。さっき出た、義貞が北国落ちしたときに頼った越前の白山神社別当の平泉寺はその後どうなったかといえば、興味深いことになっていた。義貞を裏切り足利方についた後も、強大な僧兵の兵力を武器にした、時代時代の権力者と結び付いて勢力を維持していた。でも江戸時代の1631年天海の命により、平泉寺は寛永寺の末寺と定められ、幕末に至るまで、寛永寺の関係者から住職が入ったという」
天海か、侮れないわね」
「そうだね。つまり平泉寺は完全に寛永寺・天海の管理下に置かれたわけだ。義貞の件を考えると、ここにも天海が登場すると奇妙な一致だと片付けていいのかな」
「それじゃー一番上まで上がってみましょうよ」
愛宕神社の急な石段を、ふたりは登っていく。真船は普段の運動不足がたたって、息切れしながら何度も立ち止まる。しかし琴音の方は週一でスポーツジムに通って鍛えているせいか、一気に駆け上がる。
遅れて上がってきた真船が、荒れた息遣いで聞いてきた。「天狗は本当にいると思うかい?」と訊いた。
「えっ……」唐突な質問に驚く。
「さっきの続きだよ。それに竜神はどう?」
「どう、と言われても……。天狗とか竜とかいっても想像上の物でしょう。だから実際には存在しない」
「じゃー質問を変えましょう。なぜ今、二人はここにいると思いますか?」
「うっ、難問ね。質問の意図が読めないわ」安易な恋愛ドラマのセリフを真船が期待しているのではないと、琴音は感じていた。
「つまり私たちがここにいることは偶然ではないということです」
「どういうこと。誰かに導かれたということ。それに天狗やら竜神だといわれても見当がつかないわ。説明して」
「分かりました。それがあるとき雨月 常太郎という老人が現れて……」と雨月が訪ねてきた日の出来事を琴音に話した。義貞のこと、黄金の太刀のこと、尊氏と竜神のこと、そして雨月が天狗だったことを……。

「それで、真船さんはどう思うわけ?」一通り聞いた琴音が逆に聞き返してきた。
「それがまるで見てきたように話されては信じるしかない。しかもそれから感化されて新田伝承を調べるようになったのだから、導かれたとしか言いようがない」
「それに私たちふたりをここに引き寄せたことになる。うーんだとしても、それだけじゃまだ納得がいかないわ。それにまだ全部話してないでしょう。さっきも言葉を濁すように言ってたっけ、そうだ秀吉と竜神が結び付いたとかなんとか、その話はまだ聞いてないわ。それが教え魔の天狗と関係があるわけなんでしょう」
「そうです。さっき図で示したように、義貞=光秀→天狗、尊氏=秀吉→竜神となるのは分かったでしょう」
「義貞は天狗山伏、南朝と関係がある。光秀も本能寺の変を起こす前に愛宕神社に行って、天狗に誓いを立てた。それに尊氏は竜神の力を得たという話は今聞いたから分かったけど、問題となるのは秀吉と竜神の関係ね」
「そうですね。それが秀吉と水や川に関するエピソードがかなりあるし、水運を重視していた」
「秀吉というと猿とか日吉丸とかいわれて、どちらかというと、山の民という印象があるけど」
「秀吉は山の民だ。これについては、詳しくやらないけど、秀吉が山の民であったと指摘する研究者や作家は多いんだ。その山の民である秀吉が、いつしか海の神である竜神に力を手に入れたということなんだ。それは秀吉が水運を重要視していたことでも分かる。当時は水運こそが、社会の要であった。物資の輸送は経済を育て、財を生む。武器兵士の輸送は陸地に比べ、大量かつ迅速であり、圧倒的に武力で優位に立てる。ここを押さえること即ち、天下を狙える。秀吉はそこに気付いた。
そして、そこに従事する人々が何を大事にしていたのかを考えたはずだ。それこそ、信心深い人々が何を信仰していたかだ。彼らは神仏とともに生きている。海や川、水は気まぐれだから、そこに生きる人々は真摯に竜神を祀ったのだ。水運の力が欲しければ、これを大事にしなければならない。もし無視したり、弾圧したりすれば、彼らは主とは認めないどころか、敵対心を向けてくるだろう。人たらしと言われた秀吉は、人心掌握に長けた人物だからきっと、彼らの信仰する神、つまり竜神を疎かにするはずがないんだ」
「なるほど、山の民であった秀吉が、海の民を引き入れるためには信仰をしているものを大切にしたということか。それで何か例はあるの?」
「あるある。秀吉と水に関わる話は多い、いくつか挙げてみよう。
①墨俣一夜城の件。難攻不落の稲葉山城を攻撃する際、近くに出城を作るために、切出した木材を運搬するのに利用したのが木曽川の水路であり、多くの水運者を動員した。②信長から小谷城を拝領したが、すぐに廃城して長浜城に移転した。ここは琵琶湖の沿岸に位置していて、海運が盛んであったためだ。③毛利攻めのときに、三木城、鳥取城を干し攻めにし、高松城は水攻めにした。戦いで水を自在に支配したことになる。④大坂に城を構えたのは、何よりも瀬戸内海の海路が栄え、淀川による水路が発達していたからだ。⑤天下人となった秀吉は、九州征伐に出陣した。そのときわざわざ厳島神社に立ち寄り、歌を詠んだ。『ききしよりあかね眺めの厳島、見せばやと思う雲の上人』と、秀吉は上機嫌であったという。⑥九州征伐を終えたあと、九州博多に二十日余も滞在して、博多再興の陣頭指揮をした。博多には、住吉神社、香椎宮、筥崎宮など、水神を祀る大社が多くある」
「秀吉は大坂を本拠にしたけど、確か、海運が盛んで、物資が集まりそれで商人の町と呼ばれるようになったのね」
「そうだね。それに秀吉は特定の宗教、宗派を信仰していなかったといわれる。それだけにどの宗教にも片寄ることもなかった。金山銀山を開発するには、山の神も大事となるから、秀吉の中立的スタンスは必要であった。それにしても、秀吉ほど水運を利用した武将はいない。ということは水運者も秀吉に協力したことになる」
「香椎宮や筥崎宮って、さっきの尊氏の話にも出てきたわね」
「そうさ、尊氏が九州落ちしたときに、足利方に味方した神社だ。しかも尊氏復活の原動力となった。彼らが味方しなければ尊氏はそのまま落ち潰れていただろう。その水神を祀る神社を秀吉は手厚く保護をしたんだ。それだけじゃない。秀吉が本能寺の変を聞きつけ、大急ぎ京に向かった、中国大返しのルートを見てごらん。尊氏の巻き返しのルートと似ているだろう」といって地図を重ねた。
「本当だ」
「これは何故か西から攻め上がるときに、大きな力が働くらしい。尊氏のとき、秀吉の中国大返しのとき、江戸末期の薩長の動き、そして日本書紀の神代の時代……この西からの流れは時代の変わり目に現れる。これとは逆に東から西に流れが向いたのは、源頼朝と家康だけ。まあともに源氏だよ」
「家康が源氏にこだわる理由も分かってきたわ。……でも秀吉は竜神の力を得たからには、何か水に関わる神様を祀ったの?」
「それは秀吉が築いた大坂にある。大坂は水運の発達した所だから、水神にまつわる大社がある」
「……」
「それが住吉大社だよ。住吉大社は大阪市にある摂津一ノ宮で表筒男命、中筒男命、底筒男命の三神と神功皇后を祀る。皆、航海の神様で海上の守護神だ。秀吉が信仰していなくとも、それら神社を保護や寄進することで、その神社のバックに控える信者やそれに付随する財力を味方に出来る。海運水運は当時の運送の主力だからね。ここを押さえれば、戦いにも経済的にも大変有利である。その感覚に優れていた秀吉がこれを疎かにするはずがない」
「つまり海運水運に携わる人々が信仰している竜神を手厚くすれば、彼らを味方に引き込むことができるというわけね」
「それに朝鮮出兵のときは、北九州に陣を張り、宗像神社などに立ち寄っている。これは遥か昔、朝鮮に兵を送った神功皇后に自らを重ね合わせてたに違いないんだ。皇后を祀る神社こそ宗像であり住吉である。宗像神社も足利尊氏に協力し、勢力回復させ、見事京都へ返り咲き、幕府開府の切っ掛けを作った。これらはみな海の民つまり竜神の神社である。こうしてみれば秀吉は水の神竜神と関わりが深いことになる」
「それも天狗、雨月に教わったの?」
「いや、違う。自分で考え着いたんだ」
「だったら凄いじゃない。想像力の天才ね」
「でも分かったのは歴史的なことだけで、結局私たちのことは全然分からなかった」
「それは仕方ないわ。いくら考えても分かりようもないから。きっと雨月っていう人から何か言ってくるはずよ。その時を待つしかないわ」
「あともうひとつだけ思い出してみてください。義貞のときに説明した、鬼切り丸と鬼丸だけど……」
「うーんと、確か義貞の血を吸った太刀は天下の覇者に次々と渡って、秀吉も手にしたはず、その後どこかに寄進したとかそんな話だったわ」
「寄進した先が、京の愛宕神社だった。不思議だよね。義貞と光秀は愛宕や天狗と関わりが深い。その義貞が持っていた源氏の重宝である太刀を、秀吉は愛宕に寄進した。この意味は大きい。手元に置きたくなかったんじゃないかな。こう考えて行くと義貞の日吉大社の願文や家康、光秀、天狗や愛宕神社との関係、それに対立する足利尊氏、秀吉、竜神、海の神と面白い関係になるだろう」
琴音は深いため息とともに文字通り首肯した。
「それに光秀と義貞は同じ運命を辿ったと言ったけど、その末路も同じだった。ともに大軍を率いる大将でありながら、武士らしい最期を飾る場所でも戦でもなく、しかも名も無き者に討たれ、その首は無残に晒された。尊氏にとって義貞の首は足利政権の反逆者として、秀吉にとって光秀の首は主君に謀反を起こした張本人としてだ。それに義貞、光秀の首は尊氏、秀吉に大義名分を与えるに十分だった」
「秀吉は、主君を殺した光秀を征伐したから大義名分があったけど、尊氏が義貞の首を晒しても、個人的恨みというか、一族の宿怨みたいなもので大義名分なんか成り立たないんじゃない」
「いや、そうじゃないんだ。尊氏にとって義貞の首はとても重要なんだ。尊氏はすでに北朝天皇を掲げて幕府を始めていたから、義貞は朝敵となり、現政権の反逆者となる。その敵方の総大将の死を世間に広めることは、尊氏にとってとても重要であった。このあたりの状況は、やはり秀吉と光秀の関係に似ている」
「そうか」琴音は真船が一番強調したかったことを理解した。
「それでは、ここで最後に、徳川家康と明智光秀を結びつけた人物を紹介しましょう。それは明智光春こと、秀満です」
「明智、ひでみつ?」
真船はここで、例のノートを開くと、琴音に読むように手渡した。

 明智秀満 (?~1582年)
 安土桃山時代の武将、明智光秀の女婿。出自は不詳。左馬助、光春などの名で世に流布するが俗称である。はじめ三宅弥平次と称したのは確かで、のち明智の名字を与えられ明智弥平次という。妻は光秀の娘ではじめ荒木村重の子新五郎村安に嫁し、荒木氏没落後に秀満に再嫁した。光秀股肱として、丹波攻略に従い、天正九年(1581)ごろ丹波福知山城主であった。同十年六月二日の本能寺の変に先鋒として活躍し、変後安土城を守った。六月十三日山崎の敗戦の報を聞き、十四日明智家の本拠近江坂本城に向かい、秀吉の先鋒堀秀政の軍と大津に遭遇した。この時秀満が名馬に騎して、湖水渡りをして、坂本に入城したという話が「川角太閤記」に書かれているが疑わしい。翌十五日堀秀政に坂本城を包囲され、部下の将兵を逃し、虚堂墨蹟など名物類を秀政の一族に贈ったあと城に火を放ち、妻及び光秀の妻子を刺して自刃した。秀満の父は丹波で捕らえられ七月京都で処刑された。(国史大辞典より)

ふーん、といって、琴音は真船を見た。その視線は、これが何の関係があるのかと、訝っているようだった。真船はこの疑問に答えるように、すかさずに言った。
「この人物こそ児島高徳の後継者です」
えっ、と琴音はこの日何度目かの驚きの声を上げた。だが、真船をみつめるその目はいたって冷静であり、早くその言葉の意味を教えなさいといった好奇心に満ちあふれたものであった。
真船は自分の説に酔わないよう平静を保つように答えた。「よく見てください。ここです、三宅弥平次という箇所です」
「ミヤケ、ミヤケ……、まさか」
「そうです。もう感のいい龍舞さんなら分かるでしょう。あの児島高徳の三宅一族のことです」
「まさか……」
「そのまさかです。松平・徳川家と関わりがあるとにらんでいた児島高徳の末裔たちが、明智の側からも出て来た。これは偶然ではありません」
琴音はここで慌ててノートをめくり、新田伝承の項目まで戻した。そこにあった児島高徳・三河三宅一族の記述のことを読み返した。
「詳しく説明して」
「はい。まず秀満は光秀とは従弟の関係であり、もとから明智一族であった。ではなぜ秀満は、三宅氏を名乗ったかということになるでしょう。それには理由があって、秀満の父は遠山景行(明智光安)で、母は三宅広瀬城主の三宅高貞の娘といわれているが、秀満は母方の姓である三宅氏を名乗り、三宅弥平次と称していたというのだ。また別の説もあって『兼見卿記』によると、秀満の父は、三宅大膳入道長閑斎(出雲)という人物で、天正十年六月十四日に丹波福地山で捕らえられ、粟田口で処刑されたとある。出自ははっきりしないが、明智秀満こと光春は、三宅氏とは血のつながりがあったと思ってまちがいないでしょう。それに人物叢書『明智光秀』の中で高柳光寿氏は、秀満は三宅氏だとはっきりいっていて、この点に問題はない。それに三宅氏を名乗る以上、その来歴は本人にはよく分かっているだろう」
「となると、名前のイデオロギーを背負うということね。この場合は三宅氏ね」
「そう、つまりこの地域の三宅氏となれば、児島高徳の末裔であるということは意識しているはずだ」
「やはり問題は三宅氏になるわね」
「では、もう一度三河・三宅一族について少し補足しておきましょう。徳川譜代大名、挙母藩主となった三宅氏は、児島高徳を祖としている。この三宅氏の活動が現れるのは15世紀末ころからで、三宅筑前守家次なる人物が猿投神社の棟札に名を残している。1493年井田野の戦いで、松平親忠と戦う三宅伊賀守がいる。このころ三宅氏の勢力は足助まで延び、奥三河に威を張っていた。三宅政盛は松平清康に攻められ降伏する。同じ頃三宅清貞が松平清康に居城伊保城を攻略され、三宅高貞が清康に攻められたという記録もある。そして1558年永禄九年に三宅正貞が家康の家臣となった。三河三宅氏の来歴を簡単に列挙するとこうなる」
「これは松平・徳川家が三宅氏と戦い、家臣化していく内に、そのイデオロギーも内包していくといったことだったわね」
「この辺は、新田一族と松平・徳川家の関係のとき説明したことです。この三宅氏の本拠が、松平氏の発祥地、明智一族のいた場所と接しているのが注目に値します」
「それに、突如として現れた明智秀満、不思議よね」
「そうですね。秀満は名将として後生語られることも多いけど、なかなか興味深い謎も残しているんですよ。その一つが、秀満=天海説でしょう」
「また出た、天海!」
「そう驚かないで下さいよ。というのも三宅氏の家紋が二つ引き両であり、天海もこの家紋を使っていた。それに光秀が天海ではないけど、その状況証拠みたいなものから、光秀に近い人物であったのではないか、というところから浮かび上がってきた説なんです。しかも秀満も教養があり、光秀に近い性格あったといわれるから、この説を押す人も多んです。実をいうと私も、新田伝承や児島高徳のことを考えると、案外この説はいい線いっているかもしれないと思っているんです」
「別に無理して天海を明智一族から出さなくてもいいと思うけど……」
「まあ、それはそうですけど。では、もうひとつ逸話を出しましょう。明智秀満の子孫についてです。秀満は敗死したが、この難を逃れた秀満の子がいた。この子は太郎五郎といって、公家の勧修寺晴豊に助けられ四国の土佐にわたった。何故、土佐かというとこれが面白い。土佐を治めていた長曾部元親の正室が斉藤利三の妹だったからだ」
「さいとう としみつ……うーんどこかで出て来たなぁ……」
「斉藤利三は明智光秀の重臣で、利三の母は光秀の父の妹であり、秀満の叔母でもある。それに本能寺の変のときも重要な役割を担った人物です。また斉藤利三の娘は斉藤ふく、こと後の春日局です」
「春日局といえば天海と関係の深い人ですよね」
「こう考えていくと面白いでしょう。天海が秀満だとすれば、斉藤利三の縁の者が我が子を助けもらい、自身天海となって、利三の娘を助けたということになる」
「うーん、そうなると天海=秀満説も捨て難いけど、ただ単に親類だから助けたということもあるわね」
「いや面白いのはこれからで、土佐に渡った明智秀満の子孫は、その後どうなったかです。長曾部氏は没落してしまったけど、太郎五郎を初代としたこの一族はずっと続いたんだ。この一族の墓はいまも高知県南国市才谷にあって、ちょっとした有名人を出した」
「だれ?」
「坂本竜馬ですよ」
「ちょっとしたどころじゃないじゃない」
「違枡桔梗紋の家紋は、坂本家も明智一族も同じである。この逸話は案外有名な話で、竜馬の出自を語るときは必ずといっていいほど取り上げられる」
「そんな悠長なこと言ってる場合じゃない。となると、秀満が児島高徳の一族の子孫であるなるとー坂本竜馬も児島高徳の後継者ということになる」そういったあとで、琴音は身震いした。
「そうですね」と真船も軽く答えると言葉を続けた。「それに信長を討とうか、討つまいか思い悩んでいた光秀に、『やるべきだ』と進言したのは、秀満であったといわれる。光秀もこの一言で決心がついたとも言われています。そう考えると秀満が児島高徳の天狗的思考を受け継いでいたと思っていいでしょう。まったくこの問題に興味は尽きないですね」そういって一息ついた。
琴音の頭の中は混乱していた。次から次へと新説を出されては収拾がつかない。どう理解していいのか。

ただ琴音も真船もこの時点では、このことが重大な意味を持ってくることに気付いていなかった。

長い間、愛宕神社の境内で語り合った。初夏を思わせる陽気も日の傾きとともに和らいでいた。
愛宕神社の隣にはNHK放送博物館がある。琴音は職業柄のぞいてみたかったが、今度来たときにしようと思って、寄らなかった。確か、初めてラジオ放送を愛宕山から電波を発信したのを記念したものだという。そういえば、この一帯にはテレビ局などの放送関係の建物が異様に多いことに気付いた。
まあ、偶然なのかとそのときは余り気にも留めなかったが……。
ここを去る前に、桜田烈士記念碑を見た。万延元年のこと、井伊大老が桜田門外で襲撃された事件で、襲った水戸藩士たちはこの愛宕山に結集したという。三宅坂の藩邸を井伊大老が出るのを確認したというから、当時江戸を一望できたというのは本当だろう。そういえば、光秀も信長を襲撃する前に、京の町の位置確認をするのに登ったのも愛宕山だった、と琴音は思い着いた。
 愛宕 天狗……それに児島高徳。
水戸藩士といえば尊王思想を掲げて兵を挙げたのは、確か天狗党だったはず。しかも水戸藩は南朝指向が強い……。
天狗は乱世を好み、いつしか世の中の主流になろうと虎視眈々と狙っていると、真船は言っていた。そういわれてみれば、南北朝時代、本能寺の変、徳川幕府末期、すべて混乱のときに天狗は現れる。世の中が乱れるのをひたすら待ち続けているのかもしれない。
今現在、こうしている間にも天狗は隠れ潜んでいるのか。私たちが気付かないだけで、至るところに紛れているのかもしれない。天狗は高いところを好むというから今ならどこだろうか……。
そう考えていくと琴音は止め処なく思考が働いた。

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消えた二十二巻

Author:消えた二十二巻


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