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物語を物語る

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ネットは社会の浄化装置になるのか?(未完成文章ですが、載せてしまいました)

物語を物語る

最初に弁明。
実にあやふやな記事だと思いつつも載せてしまいました。
今しかないタイムリーな事件であり、中途半端な内容でも載せることにしました。取りあえずはニュアンスだけでも伝わればいいというレベルのものです。まあ、読み飛ばしてください。

まず、2009年2月5日 読売新聞の記事から

著名人などのブログに悪意の書き込みが集中して閉鎖に追い込まれたりする問題で、警視庁は、男性タレント(37)のブログを攻撃した17~45歳の男女18人について、名誉棄損容疑で刑事責任を追及することを決めた。
 「殺人犯」などと事実無根の書き込みが繰り返されたという。警察庁によると、「炎上」と呼ばれる現象を引き起こす集団攻撃の一斉摘発は初めて。匿名を背景にエスカレートするネット世界の“暴力”に歯止めをかける狙いがある。
 警視庁関係者によると、18人は大阪府高槻市の国立大職員の男(45)、千葉県松戸市の男(35)、札幌市の女子高校生(17)ら。すでに自宅などを捜索してパソコンや携帯電話のデータを押収、近く同容疑で書類送検する。
 被害に遭ったのは、テレビのお笑い番組などで活躍していた男性で、18人は昨年1~4月、男性が開設したブログ上で、少年4人が殺人罪などで実刑判決を受けた東京・足立区の女子高生コンクリート詰め殺人(1989年)に、男性が関与したといういわれなき中傷をした疑い。「人殺しが何で芸人やるんだ」「死ね、犯人のくせに」「てめえは何をしたと思ってるんだ」――などの書き込みが、この短期間で数百件に上ったという。
 きっかけは約10年前、所属芸能事務所が「足立区出身の元不良」とのうたい文句で男性を売り出したこと。その後、インターネットの掲示板に、男性を犯人扱いする書き込みが始まった。所属事務所は2002年、ホームページ上で「事件とは全く無関係」と告知したが、効果はなかった。
 男性のブログは中傷を消しても消しても、後から書き込まれる状態が続き、昨年4月、男性はブログを書き込み禁止にするとともに、「タレントとしての名誉が著しく傷つき、芸能活動に重大な支障が生じた」として、中野署に被害届を提出した。
 警視庁で通信記録を調べたところ、数十人が書き込みをしており、その中から執拗(しつよう)に悪質な書き込みを繰り返していた18人を特定した。
 ネット上での中傷被害は年々増加しており、警察庁によると、全国の警察への被害相談件数は07年、過去最高の8871件。08年も上半期だけで5482件に上っている。


紙上にあるように「匿名を背景にエスカレートするネット世界の“暴力”に歯止めをかける狙いがある。」 ということに関して、異論の挟む余地などない。また脅迫に近い内容を書き込みした人物が摘発されたことは当然のことだ。
これらすべてが正しい対応だったということを踏まえた上で、私見を書く。
ブログを続ける私自身にとっても、この事に関して考えさせられることがあったからだ。

この芸人とは「スマイリーキクチ」のことであり、この噂はかなり昔から流布されていて、ネット上ではかなり有名な話(デマ?)だ。
だから、自分のブログに書き込みした者だけを選別して告発している点にどうも釈然としないものを感じる。このコメ以上にあからさまに書かれた悪意の記事は「2ちゃんねる」や「他のサイト」にかなりの数存在し、うわさの大元、悪意の根源はそのまま放置されることになる。それをまともに受けた人で、熱心(?)に書き込みした人だけが、吊るし上げてられ「見せしめ」とされたともいえる。
スマイリーキクチのブログを見ても、自分が中傷される対象と分かっていながら、コメント欄を残しておくことがおかしい。まず第一に「悪意のコメント」を書きこませる場所を取り除くことをしなければならず、そういったコメントもネット上に一度でも載れば半永久的に残ってしまうということを肝に銘じるべきだろう。キングコング・西野のように、自分が非難されるのがイヤなら、まずすることはコメ欄は外すべきではないのか。、
それでもコメ欄を残し、書き込みをさせる状態にしておきながら、去年の8月に「悪質なコメは告発します」といった記事を載せて煽るような行為をしている。まさに「おとり捜査」みたいなもので、誘い出されて逮捕された者たちを「見せしめ」にしようとしている。(まあ、こんなアホっぽいことを書き続ける人たちは自業自得ですが……)
またこの芸人が、そういった噂に苦しんでいるのが10年以上に渡っていて、事務所を通じて事実無根のデマだといった声明を出したことも伝わってきた。
だが、この噂に対してあまりにも生ぬるい対応をしてきたこと、強い否定をしてこなかったことが、この、ウワサを広める根拠にもなっていた。しかもこれをもとにした本まで書かれているという事実もある。私がこの立場に置かれたら、まず全力で否定する行動にでる。だがこの芸人はなぜ10年経ってから告発したのか。(まあ、飯島愛のことがあったから、再燃したのだろうけど)
この件に関しては、その曖昧な態度が憶測を生んでいるのだから、まず強い否定の態度こそが、ウワサの沈静化には必要だったのではないのか。

また事件に関して、テレビを始めマスコミ各社はトップに近い扱いであるが、「ブログ炎上で逮捕者」と伝えるのみで、内容にはあまり深く触れずに、どうしてこんなにも執拗に書き込みが行われたのかといったことは伝えずに「ブログ炎上で逮捕者」という点のみが強調されている。(コンクリ事件は扱いがデリケートとなるため、あえてそこに触れていないが、ここが伝えられなけらば、この事件の本質は見えてこないのに)
よって、これに関しての情報を深く得るには「ネット」しかなく、それによって、この芸人とコンクリ事件の噂話がなお読まれることになり、噂が噂を呼んで、より一層この件が知れ渡る結果を招いている。これは皮肉な結果だ。
それに、これに関連したブログの記事、ニュースコメントの内容等を読むと一様に「根拠もソースもなく人を中傷した奴が悪い」「悪口書いたんだから捕まって当然だ」といったものがほとんどだった。こういったいかにも正論をぶって書くことは簡単だ。ただ、この事件はそんな表層的な問題でない、もっと奥深い問題を秘めている、そんな気がする。(逮捕された人たちを非難する人たちも、その人たちに対して批判することを書いた時点で、実は、逮捕者たちと同じところ立っているということに気付いていないようだ。もちろんそれを非難する私も含まれる。つまり意見は違えども、批難めいたことをネット上で書いた時点でもうすでに「同じ穴のムジナ」なのだ。)

また、問題なのは、この事件に対するマスコミの反応だ。
マスコミの論調が「ブログ炎上させる奴がわるい」「コメントの書き込みで批判は悪」といった通り一辺倒の流れを作っている。
また、ネット上でもこの論調に流されている。
ならば、ブログにコメント機能などつけなければいいのである。
有名人に限らず、ブログを公開した時点では批難、批判は覚悟しなけらばならない。
極端な話、非難・中傷が恐ければ、無理してまでブログはしない方がいい。
芸能人が事務所にのせられてブログを始めて、自爆して、炎上し、大人の事情でやめますといったパターンなら、最初からブログなど始めない方がいい。

ただ今回の件は、非常に特殊でレアなケースなのだ。この例外を持ち出して、ネットをすべて否定するような報道は公正さを欠いている。
朝日新聞平成21年2月6日の社説では

ネットの中傷―表現の舞台を汚す卑劣さ もしもあなたがインターネット上で「人殺し」などと根も葉もない中傷を受けたとしたら――。
 被害はおそらくネットの場にとどまらないだろう。日々の生活のなかで疑いの目を向けられるかもしれないし、仕事にも影響しかねない。
 そうしたひどい中傷に対する重い警告の意味も込めたのだろう。お笑いタレントの男性のブログに事実無根の書き込みをしていたとして、警視庁は全国に住む18人を名誉棄損の疑いで書類送検する方針を固めた。  また、タレントを「殺す」などという内容を書いたとして、1人を脅迫の疑いで書類送検した。
 ブログへの書き込みをめぐる集団摘発はきわめて異例だ。それほどネットの世界には、悪質きわまりない書き込みがあふれているということだ。
 根拠のないデマを流して、身近なだれかを誹謗(ひぼう)中傷する。著名人の発言が気に入らなかったとして、やり玉にあげる。おもしろ半分で始まった書き込みが、敵意をむき出しにした攻撃へとエスカレートすることもある。それをあおる人たちまでいるから厄介だ。
 だが、書かれた方はたまらない。
 いじめられた、と感じて追いつめられる子がいる。「血の海になります」との犯行予告を書き込まれ、講演会の中止に追い込まれた評論家もいる。
 深刻なのは、そうした無責任な書き込み行為が幅広い層に広まっている点だ。今回摘発された中には女子高校生から国立大学の職員までいた。
 07年に全国の警察に寄せられたネットでの中傷被害の相談は9千件近くにのぼる。お隣の韓国では、被害にあった女優が自殺する騒ぎがあった。もはや見過ごせない状況だ。
 背景にあるのは、名乗らずに発信できるネット社会の特性だろう。だが、自分だけは姿の見えにくい場所に立って、一方的に悪口を浴びせたり事実に反する書き込みをしたりするのは、あまりにも卑劣ではないか。
 もちろん、ネットそのものの役割は前向きにとらえたい。だれもが世界に向けて自分の意見を発信できる。この新しいメディアによって、表現や言論の舞台は大きく広がった。その場はしっかりと守らなくてはならない。
 だからこそ、その発信には責任が伴う。だれかを根拠もなくののしる行為はまっとうな意見表明とは異なる。批判するならば、事実にもとづいて自分の考えを冷静に伝える。そんな慣習が、急速に拡大したネット社会にはまだ根づいていない。
 今回は被害の訴えを受けて警察が乗り出したが、健全なネット社会を築くには世の中全体の努力が要る。
 学校も家庭も、ネットの使い方と発信者の責任をきちんと教えるべき時代になった。


読売新聞2009年2月5日よみうり寸評

面と向かって、その人を罵倒(ばとう)したり悪口や中傷の言葉を口にするのはなかなかできない。それも根拠がないなら、なおのことだ◆が、事実無根の中傷でも、インターネットの匿名の書き込みだと、ためらいもなく暴言を浴びせることができるようだ。そんな集中砲火で、個人のブログが〈炎上〉する事件が目立ってきた◆警視庁がこの種の集団攻撃を摘発する。男性タレントの開設したブログに「人殺し」「死ね、犯人のくせに」などの書き込みが短期間に数百件も集中した事件で名誉棄損の容疑だ◆すでに容疑者の男女18人の自宅などを捜索、パソコンや携帯電話のデータを押収している。20年前の女子高生殺人事件に関与したと、いわれない中傷をした疑い◆インターネットの匿名性は悪をそそのかす魔力を秘めているようだ。透明人間にでもなったように、対面なら感じるはずの抵抗が失われる。だが、透明にはなり切れない。しっぽはつかまえられる◆この一斉摘発で〈ネット世界の暴力〉に歯止めがかかるといい。



産経ニュースhttp://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090205/crm0902052258026-n3.htmから

ネット社会に警鐘
 「1人、2人が(中傷の)書き込みを始めると、『書いてもいいんだ。私も書いてすっきりしちゃおう』と便乗する人が出る。書き込みが増えると、『皆同じだ』と際限がなくなる。炎上させたことで『自分はすごいんだ』と満足する人間も出る」
 インターネット協会の大久保貴世主幹研究員は、炎上の背景をこう話す。
 ネット問題に詳しい甲南大法科大学院の園田寿教授(刑法)は「今回のケースは『学校裏サイト』などで問題になっているいじめに近い」と指摘した上で、「ブログでは双方のコメントの応酬からエスカレートすることも多く、名誉棄損の線引きをどこでするか難しい問題だ」とした。
 産経デジタルの総合情報サイト「iza」には、「ネットは仮想世界ではなく、れっきとした現実社会。非常に公共性の高い場所であるということを認識すべきで、使う人のリテラシー(情報識別能力)やモラルにかかっている」との声が寄せられている。
 書き込む際の“表現”はどこまで許されるのか。捜査当局は今後、ネット上に氾濫する事実無根の安易な批判や中傷に対して厳しい姿勢で臨む方針で、今回の事件はネット社会に警鐘を鳴らしたといえる。


全くもって正論である。だが、ここに韓国でのネットの書き込みによって自殺した女優の事件を持ち出して、「サイバー侮辱罪」の必要性を説いているように見える。

「ブログ炎上」についてはゲンダイネットの記事が分かりやすかったので引いておく。

「五体不満足」の著者で、ジャーナリストの乙武洋匡くんのブログが大変なことになっている。紀子さまの出産について「世間は『めでたい、めでたい』と騒いでるけど……」と書いたところ、1000件を超える非難や抗議のコメントが殺到。乙武くんは「思慮が足りず、みなさまにはたいへんご迷惑をおかけいたしましたことを深くお詫びします」と謝罪に追い込まれた。
 抗議コメントが殺到することを、ネット上では「ブログ炎上」という。最近では亀田興毅の世界戦を見て「本当に感動した」と書いた女子モーグルの上村愛子や、後輩アナウンサーのパンツ盗撮事件で「男子はパンツを見たい生き物」と書いた日テレの薮本雅子元アナのブログが“炎上”したが、なぜこういう事態が起こるのか。
 メディア評論家の美崎薫氏はこう言う。
「有名人のブログで不用意な発言があると、『2ちゃんねる』などの掲示板を入り口にして、あっという間に袋叩きにされます。匿名性をカサに着た卑怯な行為ですが、ネット上にはこうした“お祭り”を楽しみにしている野次馬が少なからず存在するのです」
 いったん炎上したブログはどんなに沈静化しようとしてもまさに“焼け石に水”。反論コメントなど書こうものなら“火に油”で、口汚い言葉で人格攻撃されたり、脅迫されたりと、さらに大火事になるという。
 ブログ炎上の可能性は有名人ばかりではない。
「一般の人のブログでも“みんなが見ている”という認識が薄いと大変な目に遭います。些細な情報から個人が特定されて、ネット上でさらし者になったり、自宅や勤め先にまで被害が及ぶケースもあります。こうなると、もはやブログを閉鎖するしかありません」(美崎氏)
 本来、自由な意見が発表できるネットなのに、逆に、本音の意見が言いにくくなっている。
 ネット世界で性善説は通用しないということだ。


ゲンダイネットから http://gendai.net/?m=view&g=wadai&c=050&no=17270
「ブログ炎上」したときはその部分に触れない、時が経てば関心を失い沈静化する。これがセロリーだったはずだ。
だが今回の芸人の事件は、本質的に違うのだ。一見すれば他のブログ炎上騒動と同じようにみえる。しかし今回の事件には別の側面があることを見逃してはならない。
これは非常にレアなケースだ。
なぜか。
ここに、足立区で起きた女子高生コンクリート詰め殺人事件が関わっているからだ。この最悪な事件の記事は読むのさえ辛いので、経緯は他のサイトに譲る。
時を経ても繰り返して蒸し返されるのは、あんな酷いコンクリ事件を起こした犯人たちがすでに出所し、いまではのうのうと暮らしているという現実あり、また、この事件に関わった人たちが数百人もいて、その全容が不透明にされたという不気味さがあるからだ。
これがいまでは、憶測と噂が先行していって「都市伝説化」された状態となった。
そこに唯一といっていいほど表に浮かび上がってきたのが、この芸人であった。(飯島愛も後で出てくるが)
この事件に対する憤り、怒りを晴らすはけ口として、デマの立ったこの芸人に矛先が向けられた。しかもこれを待っているかのようにブログを開始しその間口を広げ、、不用意にもコメ欄を設けた。(そんな標的にされた本人はたまらないだろうが…。ただ前文のように曖昧な態度がこれを助長していることも事実であり、そんなウワサが広まっているのに、強い否定をしなかったということで、傷を広げた)
コンクリ事件の経緯を読めばわかるが、読むほどに怒りが上げてくる、この持って行きようのない怒りが、そこに向いたのは彼にとっては「不運」であった、と言える。これほどまでに、多人数による執拗で悪質なコメが書き込まれ続けてのは、この芸人がこの事件に関与されていたと思われていたからであり、それは義憤に駆られた行き過ぎた行為をしただけだという逮捕者の言からでもわかる。(だからこの件は他のブログ炎上とは少し違う、根深い事件がもとになっている)
別に煽っているわけでも、悪質なコメを書き込んだ者を擁護しようというのではない。
スマイリーキクチが告発に踏み切ったのは正当な行為であり、警察の処置も逮捕に踏み切ったことも当然の処置だろう。
ただブログに中傷コメを書きこんだ者をいくら捕まえようとも、たとえそれが警察の犯罪抑制アピールにはなっても、この芸人は救われることはないだろう。彼が救われるのは事実無根のデマだと強く訴えるしかなく、これが認められなければ、このデマ話は消えないだろう。
また、ここには、コメを書き込むという行為がただ憂さ晴らしをしているといった意識が、書いている本人たちにはない。この深層には、社会悪を糺すものを失った現代において、これを代行しているのは私たちであるという思い込みがあって、その手段がネットである、といった考えがあるからだ。
ただこれはネットの過信であり、誤認であり、妄想に近い。
しかもこれは限りなくエスカレートし暴走を始める。挙句はただ「死ね」とか「殺す」といった短絡的な言葉を書き連ねることしかできない。

去年あった「世界遺産に落書きした女子大生」の事件。
あのときネットでの書き込みや大学は個人への批判、中傷はものすごいものがあった。
だが結果として、彼女らは、謝罪し、現地イタリアへ行って、落書きした箇所を消した。この行為はイタリアで「日本人は誠実だ」と絶賛され、最終的には美談となった。
これもネットで騒動になったからこそ起こったことであり、雑誌や新聞で記事になったくらいでは、何も変化は起こらなかっただろう。
人を動かし、社会を変える力がネットにはある、そうみんなが思ったはずだ。それは従来のマスコミよりも強い影響力があると、みんなが気づき始めた。それはたとえ個人であっても束になれば、大きな力になると分かったのだ。
このように、近年ネットが主体となって物事が動くことが多くなった。
たとえそれが個人への攻撃であろうとも、社会悪をただすためには必要な「贖罪の羊」だということなる、という現象が生まれつつあるのだ。
となれば、今回の「匿名を背景にエスカレートするネット世界の“暴力”に歯止めをかける狙いがある。」 として警察が検挙した者たちも同じ「見せしめ」「贖罪の羊」と同じことになる。


当サイトでも「ネットによる個人バッシング」について書いていた。それは、一昨年の「亀田騒動」「沢尻エリカ騒動」の時期だった。
最後にその部分を抜いて再録しておく。

『正義を貫くための「悪」としてみたとき

大衆はなぜ「バッシング」する人を求めるのか。
人はどこかに「正義」をもっている。正義は「秩序」を保ち、それが「平和」をもたらす。無秩序は、混乱を招き、平和を乱し、殺伐とした世界となる。
だから秩序を乱す者を悪人と見なし、鉄槌を加えなけらばならないと思っている。
それに宗教では神の存在を示すために、悪魔が必要となる。
それはなぜか。「正義を貫くには悪が必要だ」からだ。著しく規範を乱した者に攻撃を加えるのはこのためではないのか。
ではなぜ世間はこれほどまでに「騒動」を取り上げるのか。
なぜネットで人はこれほどまでに「正義」「正論」を主張するのか。しかも感情的に。
「ブログ」「教えてgoo」「ヤフー知恵袋」など見ると、思った以上に各々が「正論」を論じ、「正義」を貫こうとした意見を述べている。稀に捻った意見や反対意見もあるが、それも当人の真情、信条を伝えようとしたものであって、その本人にとっての「正義」「正論」である。
「正義」は言っているうちに気持ちが良くなってくる。その言葉に自分自身も酔ってしまう。人は言葉に酔うことができる。しかも「正義」という名の美酒は酔いやすいのだ。
この「正義」という酒は美味いし、よく酔うことができる。
それに主張する手段「ネット」を得たことも大きく、これによって同意見の仲間を見つけ、ともに美酒を味わうことができる。
そして正義を貫くために必要な悪を見つけて、バッシングという名の酒に共に酔いたいのである。
だが、それにしては、「亀田一家」「朝青龍」「沢尻エリカ」なんて小さな「悪」ではないか、と思われるだろう。また女性週刊誌を見ても、バッシングを浴びるのはどうでもいいような芸能人だったり、スポーツ選手だったりする。
人々は叩きやすい「悪」を求めているのだ。
ネットで叩いて盛り上がるは、朝青龍がサッカーしただの、沢尻エリカが不機嫌だっただの、亀田大毅が反則しただのといったどうでもいいことばかり。
なぜか。
いまの日本では陰惨な事件をニュースで流し続けている。
悪どいことを犯した人、卑劣極まりない極悪人、人を切り刻んで喜ぶような異常者など、糾弾すべき人間はいくらでもいる。最近でも、滝川高校では自殺するまで追い込んでイジメた奴、神戸の高三自殺事件では「バイト」をさせ得た金を恐喝した同級生が何人もいた。光母子殺人事件の犯人は訳の分からないことをいって「精神障害」を主張している。米兵による婦女暴行事件は広島で起こった。これら例を挙げれば切がない。
では、これらの悪人は、実際は糾弾されているのか。
現実はそうではない。彼らの名前さえ報道されない。
非難されるべき人間は何かで守られている。それが少年法だったり、国際法だったり、加害者の人権だったりする。たとえ捕まっても塀の中で守られ、三度の食事が与えられ、十分な睡眠があり、生きることが保証されている。
神戸池田小学校で30人以上を殺傷した宅間守は、遺族が手出しできないことを塀の中で嘲笑していた。
女子高生コンクリート殺人事件を起こした主犯格の男は、別の戸籍をすでに手に入れて、来年には出所するという。あんな悲惨な事件をおこしたのに、まるで何もなかったようにだ。
それに未解決事件も多い。兵庫小2女児殺傷事件、世田谷一家殺人事件、などなど捕まらない犯人はいまも社会に潜んでいる。
そこに、世の人々は苛立ちを感じているのだ。
みんな感じている。今の世では、正義が貫かれないことを。
義憤を晴らす場所がなく、歯がゆい思いを味わい続け、正義が果たされることがない、と嘆くしかなくなっている。どこかにこの怒りをぶつけたいと思い続けて、納得がいかない事ばかりで不満がたまりながらもニュースを見る。
そのとき格好のはけ口が見つかる。これらの「騒動」が起こったときに、このストレスが突如として噴き出していく。「騒動バッシング」とは民衆の怒りが変質した形なのだと思う。
そう、分かり切ったこと(亀田、朝青龍なんて分かりやすいルール違反者)に鉄鎚を加えようとしているのではないか。大衆は何らかの分かり易い「贖罪の羊」を求め、そこに欲求を満たし、怒りをぶつけているだけではないか。(あくまでも私見)

 ネットを自浄装置としてみたとき
昔、日本では「ムラ」「集落」が人々の行動を相互に抑制し、これが世の中の規律を守っていた。武士では「家」「氏」がその規範となっていた。厳しい「決り事」である。それを守らなければ、そのコミュニティーから追放される。
近年までは、「隣組」「学校」「地域」などが社会集団の機能を守る役割を果たしていた。
しかし社会意識の変化や社会構造の変革があって、社会集団の規範を守るものを崩壊しつつあるのが現状だろう。
現在、世の中の規律を守るべき機能が働かなくなってきている。「学校」「家庭」の秩序は崩れ、犯罪や事件は凶悪化している。世の中はまさに、法にはずれ道理の通らない「無法地帯」と化しているのではないのか。
犯罪を裁く法律はあっても、犯罪者には軽微な罰しか与えらず、結局は野放しとなっている。「悪」がはびこり、正当な罰が与えられない世界こそは「無法地帯」である。それに大衆は、それらを取り締まるべき司法や警察にどこか「生ぬるい」ものを感じている。いまや警察や司法は犯罪から守ってくれない、何もしてくれないと思っている。また、犯罪者を追及しないマスコミにも世間は歯がゆい思いを感じているのだ。
多くの人々は「正しい世界」が行われていることを期待している。そして世の中に秩序を求めているのだ。
ではだれが悪を糺し、なにが世の中の規範を守るのか。
残念なことに、新聞やテレビなどのマスコミはこの機能を失いつつある。ただ情報を仕分けし峻別して、そこにコメントを付けて伝播させる装置だけの存在となりつつある。
あらゆる機能が崩壊しつつある現代では、ネット社会の中の一部にこの機能を担うものが存在し始めている。
いま、ネット上には、悪に制裁を加えようとしているもの多く存在している。
凶悪な犯罪を犯した未成年の実名はネットに流れ、卑劣な性犯罪を繰り返す犯罪者の顔がネットで公開され、それを全国の人々が瞬時に知ることができる。
ネットでは、卑劣な犯罪者を糾弾するように叫んでいる。もはやこの声に押されるようして、実社会を動かす原動力になっている。(「ネット上では」、とか「ホームページによります」と、といったマスコミ報道が多いことがその証拠)
政治も「世間の声」をネットで得ている。行政機関がネットの声に押されるような形で話が進んでいる事柄さえある。
もはや法や人権を恐れてマスコミがしないことがネット上では行われているのだ。
このネットの力はますます強くなっていくだろう。
ネット上では、「騒動を起こした人」への非難の声は大きい。「ブログ炎上」や「その他の事が近年にないほど大きくしているのは、このネット情報が発達したからにほかなない。
では「正義」を訴えるネット上の声は、「悪」を糾弾し排除していくことができるだろうか。
ネット上で起こった「悪」への非難の声は、世の中の浄化してくれるのだろうか。
そして、ネットは社会の新しい自浄装置となっていくのだろうか。
ただしそれが正しい判断のもとに行われているのか、悪意のもとで行われているのか、それを峻別するのが難しいのが問題となってくる……。

ただそれは、現実にはもうすでに始まっているのだ。』

追記 自分で読んでもよく分かりませんでした。
悲しいかな、文章力がもっとあれば、伝わるのに……。

次回に続く
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