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物語を物語る

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地図を眺めて胸躍る。各地に新田一族の名前が!

物語を物語る

ある日のこと。小1の娘が太田市から支給されていた下敷きを使っているのを見た。
その下敷きの表には「太田市憲章」が書いてあり、裏には「太田市の区画地図」が載っていた。
この地図をしげしげと眺め、改めて思った。新田一族の名前が地名として実に多く残っているなと、身に染みて感じ入ったのだった。
太田市区画図

太田市ホームページ「太田市区画地図」
http://www.city.ota.gunma.jp/009access/files/kukaku.gifから

さあ、この地図から新田一族の名前を探してみましょう!
で、奥富敬之著「上州 新田一族」に記載されている「新田一門庶子家の一覧」は以下の通り。
青矢木(青屋木)、浅見(浅海)、荒井(新井、荒居)、安養寺一井(市野井)、今井、岩松牛沢江田、大井田、大岡、大島大舘、岡本、尾崎、小沢、小幡、金井、金谷(金屋)、桐生、久保、額戸(額田、強田)、籠守沢(小守沢)、酒井、佐田、里見、篠塚、青龍寺、関岡、世良田、千、田井、高林(竹林)、田中、谷川、谷島、堤、寺田、得川(徳川)、鳥川、鳥山、豊岡、長岡、中沢、中村、鍋田、成瀬、西谷(西野谷)、新田沢、羽川(羽根川)、畠山、蜂須賀、平賀、古山、細谷(細屋)、堀口、松平、水木、光田(甲田)、桃井、山士(山路)、山名、由良、横瀬、吉田、隈部、脇屋(脇谷)、綿打

太線がこの地図に町名として残っているものです。 でもこれだけじゃない。
綿打は町名ではありませんが、綿打小学校、中学校などの名称があります。
したがって、町名ではなくこういった形で残っているところもあると思われます。
太田市以外では、桐生は、まさしく桐生市として残ってます。
新田四天王の篠塚伊賀守重広で有名な篠塚は、近隣町の邑楽町にあります。
また、この邑楽町には「中野」という地名がありますが、これは、新田義貞が討ち死にしたとき、まさしくそこにいた中野藤内左衛門が有名であり、義貞に退却するようにすすめて、自ずから馬に跳び乗り敵軍に迫って討死した忠臣である。太平記巻二十「義貞自害のこと」にその名が出てくる。この中野氏は新田一族で、地図にある神光寺がかつての中野氏の居城「中野城」があったところ。このサイトが詳しい。http://castle.slowstandard.com/10kanto/17gunma/post_555.html
ちなみに、この隣町・大泉町に児島高徳の墓「高徳寺」がある。


このように新田一族に関連する地名が、この周辺には数多く存在する。まさしく「太平記の里」と言われる所以だろう。
それに、東毛地区以外にも新田一族の名は点在する。上記の新田庶家から拾ってみる。
横瀬は埼玉県深谷市に地名があるが、この辺りも新田一族が支配していました。ここに渋沢栄一の一族菩提寺・華蔵寺がある。(渋沢家は新田一族の末裔であったという説は有名) それにこの寺は新田義重が開基した新田一族ゆかりの寺だというのは「東毛奇談」で書いたところ。http://daikiti431.blog112.fc2.com/blog-entry-17.html
里見氏は、かつての群馬郡榛名町、現在の高崎市里見町にその本拠があった。ここには、里見氏にかかわる史跡が多く残っていて、いまも里見姓が数十家あるという。もちろん千葉県館山市は「南総里見八犬伝」の舞台となった安房国里見家の本拠地なので、そこにも多くの史跡、地名が残っている。このあたりは新田一族・里見氏と徳川家康の関係はこのサイトで散々書いてきたところです。
大井田氏は新潟県十日町市にその地名が残る。また大井田小学校のホームページに大井田氏のことが書いてあったというのは、以前書いたこと。(新田一族の話題。「斎藤佑樹」と「今治市」と「福井県」と「天地人」 の記事のところで書きました。)
越後の田中氏といえば、まさしく新田一族。新潟県には十日町市、魚沼市に田中の地名が残り、 田中温泉は中魚沼郡にある。この周辺はまさしく越後新田一族の本拠地。田中姓については「千利休は新田一族の末裔か?」で触れています。

ちょっと探っただけでもこれだけ出てくる。本格的にもっと調べれば、全国各地で新田一族、または関連した名前を冠した地名が出てくるでしょう。
また、関東から離れた、四国には新田一族の残党が多く残り、新田を祀った神社が多いといった話はよく聞く。また九州には、菊池一族や懐良親王に従った新田一族も多く、太平記巻三十三「菊池合戦のこと」には、岩松、世良田、田中・桃井、江田、山名、堀口、里見らの名が出てくる。これら新田一族とあまり関係ないと思われる地域でも、探せば関連した地名は出てくるのでないだろうか。

また、地名のみではなく、先祖に新田一族に関係した方々が全国に多くいる、というのはこのブログでも書いている。そういった方々からメール、ブログコメントをもらうなど、それらは数十件に及んでいる。
全国各地には、一族の末裔だけではなく、家臣、関係した者ら伝承をもった人々は数多くいるようだ。

こんな話もある。新田次郎著・小説「新田義貞」には、有名な方の先祖が出てくる。箱根・竹ノ下の合戦の章で、中曽根氏が出てくるのだ。
「義貞は竹ノ下の敗戦によって、樋口弥太郎、中曽根次郎三郎、斎藤右馬充等を失った。彼等はすべて、官位を与えられ、侍大将になっていたが、もともと義貞の幼な友だちであり、里見二十五騎として、もっとも信頼していた人たちであった。……」とある。
中曽根氏といえば、元首相の中曽根康弘だ。
中曽根氏の選挙基盤は、高崎市、群馬郡周辺で、まさに新田一族・里見氏の本拠と重なる。生品神社に中曽根康弘元首相書「挙兵650年祈念碑」があるのはこういった関係からだろうか。
 
このように、新田一族は各地に広がっているが、もっと潜在的にいると思う。南北朝時代、新田一族なぞはマイナーなので、気がついていないのかもしれない。ちょっと、気なった方は少し調べてみてください、案外そんな先祖がいるかもしれませんよ。

さて、ということで、ここで今一度叫びます。
「新田市を誕生させる会」発足。いまこそ新田源氏の名を地名に! 記事はここで。
http://pcscd431.blog103.fc2.com/blog-entry-421.html
やはり、太田市は大泉町と合併したら「新田市」と改称するのが一番いいと思う。



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