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物語を物語る

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渡辺千賀の「日本はもう立ち直れない」と忌野清志郎と小室哲哉

物語を物語る

“「日本はもう立ち直れない」 だから「海外で働こう」に賛否両論”の記事に対する反論を書こうとして、10日以上経ってしまった。
それは、渡辺千賀なる人のブログ記事で、
http://www.chikawatanabe.com/blog/2009/04/future_of_japan.html#more
経緯は
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20090504-00000001-jct-soci となっている。
ただ書いている内に、だらだらとした文章が続いて、またいつものようにまとまりそうもなかったので、そのうちにイヤになってしまった。
(それに、2ちゃんねるとかコメ欄とかに大かた意見は出し尽くされているので、それを読めば十分で、何をいまさらという気分にもなった。)

そんなときだった。
忌野清志郎の死」を聞き、葬儀に並ぶファンを見てフト思ったのだ 。
渡辺千賀が言うところの「成功」ってなんだろうかということを。
彼女のこのブログ記事のポイントを成す言葉で「成功体験」という言葉が何度か使われている。
この「成功体験」という言葉がしばらく頭にこびりついて離れなかった。
「成功体験」って、何だろうかと…。それが人生において必要なのだろうか、ということを…。

これが忌野清志郎とどう結びつくのかは以下の文章で……。

ただし下らない駄文なので、さらっと読んで、すぐに忘れてください。


東大卒だか、エール大卒だかの肩書をつけたアメリカ・シリコンバレーで働く才媛(!?)の言葉はそんなに有り難いのか?
さて、まず、第一点目、そもそも渡辺千賀のこのブログ記事がこんなに大騒ぎするような内容のものだったのかが、甚だ疑問だ。
タイトルは衝撃的だが、内容は大したことは書いていない。しかし反応・反響(ヤフーニュースの取り上げ方やコメ欄等)があまりにも過剰で、大袈裟なところがあまりにも奇異に感じる。
まず本文内容だが、これは「AだからBしよう」という構成で「A・日本がダメだから、B・外国へ行け」といったもの。だが、Aは、日本にいれば誰でもそんなことは身を持って感じていることだろう。
そんな話はサラリーマンの集まる居酒屋に行けば、酔っ払いでも言っていることで、その辺のパン屋のオヤジでさえ「今の日本はダメだ」「政治があかん」と思っている。 検索すればこれよりも詳細で良質な記事にいくらでも出会える。
問題なのは、それを東大卒だか、エール大卒だかの肩書をつけたアメリカ・シリコンバレーで働く人に言われただけで、神様から有り難いお言葉を頂いたように大騒ぎするのは何であろうか、ということ。
数字や資料が並んでいるが、そもそもそれ自体があやしいという指摘がある。またこうした資料を見せられて、素直に信じてしまうところが危うい。これを見て「私も日本から出たい」と真面目にコメを書いている人もいたが、無邪気というか単純すぎてあまりにもバカらしくなり、早く荷物をまとめろとも言いたくなった。
また、ここには、フランス型、アルゼンチン型、右翼台頭型という3種類しか挙げていないが、これはあまりにも雑すぎるし、短絡的だ。才媛の経営コンサルタント社長にしちゃ大雑把ではあるまいか。
なんでも類例化して落し込めばばいいと思っているのなら、それはあまりにも安直で、発想が貧困だ。
こんなものは煽るための資料に過ぎない。獅子に咆哮されて怯える小動物のように慌てふためいて心配することなどない。ここは発想の転換、「日本型」をつくればいい話だ。楽観視しろというのではない、悪いのなら悪いなりの方策を模索すればよい。
明治期からの「西洋への憧憬」から未だに脱却できずに、この手の経歴を持つ意見にホイホイと従ってしまう愚直民がいかに多いことか。そっちの方が嘆かわしい。
アメリカ崇拝は日本の隅々にまで行き届いているので、才媛のアメリカ在住者という印籠を見せられると、日本人はただそれだけでひれ伏し、ひたすら神託を待つ。その天からの御言は、まるで「快楽的物資」をぶち込まれてかのように効果てき面で、読者を法悦状態のバカにしてしまう。そんな状態にしてから「迷える羊の日本人たちよ」、といった物言いでご高説をのたまうのだから、堂に入っている。
この手法は勝間勝代も細木数子も使うもので、肩書によって信者をひれ伏せさせる、というのは伝統芸なのかもしれない。
気をつけならなければならない。

では、「B・外国へ行け」っていうのはどうだろうか。
どこへ? 自分で探せって? どこにそんな場所がある。世界中が新型インフルエンザで騒いでいるのに……(ウイルス騒動がすぐに消えてなくなることはないでしょうに)
では、アメリカが今でもそんな夢の国か? 麻薬と暴力とレイプ、人種差別に貧富の差、銃社会の無差別乱射、根幹産業・自動車産業崩壊で、世界一の債務国…、「日本の将来」より危うい感じがしますが…
それで、挙げたのが中国って。ほんとにこの人、いまの中国がいい国だと思っているのか?
貧富の格差、社会情勢不安、食の安全不安、日本人への偏見……。どれ一つ取ってもいいところはない。ただ人口が多いからこれから経済成長が見込めるというだけの話だけではないのか。
とてもじゃないが、私はおススメできない。
中国、ベトナム、インド…、これらを挙げているだけで、この時点でこの人どうにもならない。
海外に行って見聞を広げよう、留学・外国見聞は大いに結構なことなんて話は、明治維新から百十数年以上前からずっと言われ続けていることで、その辺の中学校の先生だってこのくらいのことはいくらだって言えるよ。
東大とかエール大とかMBRとかそういった肩書に踊らされ過ぎている。

だから、 このブログ記事事体が、特定のブロガーたちが仕掛ているような「お仲間」たちの仕込みなのではないかとも思える。(賛同記事、コメ欄も含む) 有名ブロガーだがアルファーブロガーだが、カリスマブログだが知らないけど あの辺の人たちは仲良しですからね。お互い褒め合って喜んでいる。(こっちが気持ち悪くなるぐらいに) まあなんせそれを飯のタネにしているのだから仕方ないけど、ただ一般人まで踊らされ過ぎないように十分に気を付けなければならない。


成功体験とは何ぞや
ここからが本題。
渡辺千賀の言うところの、成功とはズバリ「経済的成功」のことになるだろう。
つまり「どんだけ稼げるか」が成功のポイントになるわけだ。それを体現した人(成功体験)のみが「成功者」となるわけだ。
要は、 成功=金。 極言すればこうなる。
当ブログの過去の記事では、 この種の人々は「金=幸福」という指向が執拗なほど強い
過去の記事
金を多く持つ人=人生の成功者、なのだろうか。 果たしてそうだろうか。
いつもこの疑問に、私はぶち当たる。
人生の成功者とは一体何のだろう。
一生涯、教師だった人は、警察官だった人は、看護師だった人は、タクシーの運転手は、給食のおばさんは、スーパーの店員は…なんでもいい、ほとんど大多数の人々が社会の根幹を成す職種に生きている。だからほとんどの人は渡辺流「成功体験」を味わうことはなく一生を終えるだろう。
それで日本はダメだから、成功体験を求めて海外に行けっていうのか。だれもが「イチロー」のように成功するわけではないに。
で、外国に行って金持ちになれと、それは、日本人が日本で幸福になれずに他国で金持ちになって、それが果たして「幸せ」なのかと、 そんな疑問にもぶつかっていく。
渡辺千賀は、いや自分を含め私にまわりに多くいます、というだろう。これは自分の成功体験を他人にも当てはめようとする勝間和代と同じタイプだ。 まあこれも、彼女らにとっては簡単な話だろうが、一般人の才能しかない人々が同じことをしても「成功」するわけがない。ここが重要。
渡辺千賀はそんな底辺の人々に自分の論を語っているわけではない、私の対象者はアッパーミドル以上の人々よ、というだろう。だったらこんなブログ記事書くな、もっと違う書き方があるだろうと注文をつけておく。
で、「成功体験」だ。
すべてを、貨幣を基準にした価値判断で、人の人生を計ろうとしている。そうなると、「日本では、成功体験を味わえない」と言いきっているのだから、だから日本人の一般庶民はすべからく「成功者」ではない、という論理になる。 日本には極々一部の人を除き、成功者、幸福な人はいないということになる。
彼女らの言うことを極言すれば、まあ平たくいえば、いかに他人より多くの金、モノを所有できるか、それがひいては他人よりも上位に立つことができる、それが「成功」だ、となる。
それが人の幸せかどうかは、それぞれの価値判断によるだろが、それは虚しすぎる。
でもやはり気になるのはこの「成功体験」という言葉だ。
「成功体験」とは何か。
人の一生において何が「成功」なのか?
そして、日本は「成功体験」もなく、果たして立ち直れないのか?


目指すは忌野清志郎型
5月9日に青山葬儀所でファンなどを対象にしたロック葬「忌野清志郎 AOYAMA ROCK'N ROLL SHOW」が行なわれ、弔問数は43,000人に及んだ。
忌野清志郎の死に際しては、私も当ブログで書いた。
関連記事
多くの追悼記事やブログ記事が出たが、そこに、気になるスレがあった。「ヒット曲もないのに過大評価されすぎ」というのがあった。
この人は、ミリオンセラーを連発し、ヒット曲を多く持つミュージシャンが偉いと思っているようだ。
つまり、渡辺流「成功体験」を多くした人がスゴイ人とでもいうのだろう。
ではそんなミリオンセラーを多く出した小室哲哉はどうだろうか。
忌野清志郎の葬儀のニュースと同じ日に、小室哲哉 に判決が下った、というもニュースもあった。
5億円詐欺 ・小室哲哉被告に懲役3年、執行猶予5年の判決。
小室哲哉の説明は省略。
裁判長の判決文が興味深い。
身勝手な見栄などから豪奢な生活を続け、犯行に至った経緯や動機に酌むべきものは見いだせない。音楽家としての矜持をかなぐり捨て、自らの歌の数々を詐欺の道具に用いたことは嘆かわしい」とあった。
「音楽家の矜持」とはつまり「ロックの魂」でしょう。これを金のために悪魔(欲望・金銭欲)に売り渡した、ということになるでしょうか、裁判長も上手いことを言うと思った。(忌野清志郎なら金のために「音楽家の矜持」「ロック魂」を売り渡したりしないだろう。)
一時の栄華を極めて、巨万の金銭を手にした、あの時点のコムロは明らかに成功者であり、渡部千賀の言うところの成功体験を多くしただろう。
また成功体験の説明に「中毒性があり、一度成功体験に浸ると次の成功体験を得ようと努力する。過去の成功体験に固執しに抜け出せない人も多い。」とある。(はてなキーワードから)
これ金銭欲という言葉にもあてはまる。
「成功体験」を味わい続けた小室哲哉は、麻薬のように「売れる」ことばかりをもとめ、それが自分を苦しめていくことになり転落人生となっていく。 その築いた富も一瞬の内に無くなった。
売れるという成功を求め、売れ筋なモノを作り続けていてもそれは一時的なものでしかない。
まさしくこれは忌野清志郎とは逆のことなのだ。
自分が良いと思ったことをしていながら、一部の固定ファンをがっちりと掴み、永続さえていく。
これを実は見本とすべきことなのだ。 流れとしてはこうだ。(彼の主義・思想はここでは抜きます。)
1、外国から良いと思ったものなら何でも取り入れる。(R&B、ローリングストーンズ、、オーティス・レディングなどなんでも取り入れ、日本風にする。日本でロックをするのだから日本語ロックという具合に、自分風、ひいては観客に合わせる。)
2、自分の中でアレンジし、(自分風に作り変える。またバンド編成を変えたり、自分のスタイルを変えたり、必要ならばホラ貝だって吹く、いろいろ試行錯誤していく)
3、自分独自のものとして創り上げ(「つくる」はあえてこの漢字を当てました)、(そこに出来たものはどんなものでも「清志郎」ブランドになっている。しっかり自分のものを作る、その上での変化)
4、それをファンに提供していく。(固定ファン<固定客>が一定数いるので、大ヒットはなくとも活動期間は長く続けられる)
5、そしてまた新しいものに次々と挑戦していく。(また良いと思ったもの、新しいものに常に挑戦している。ラップやったり、演歌歌手とユニットやったり。反戦・反核を歌にするなんて挑戦は「売れ線」を考えればしないことだろう。ただこれをすることで、ミュージャンとしての「忌野清志郎」ブランドは上がったともいえる。)

そして地道に自分の信念のもとミュージシャンの矜持を持って忌野清志郎は40年も活動した。
その結果において、彼の死に際し、これほど多くのファンや関係者を生んだ。
多くの新しいことに挑戦し、それはヒット(経済的成功)はなくとも、多くのファンを獲得できるということだ。 セール・売りに走るのではなく、ファン・顧客を増やすという方法だ。(売れ線を次々と出して飽きられた、小室ファミリーやつんくファミリー、島田紳助プロデューズとは逆の考えだ。)

よし、これを日本経済に当てはめてみよう。
外国から良いと思ったものを取り入れ、自分の中でアレンジし、自分独自のものとして創り上げ、それをファン(消費者)に提供していく、そしてまた新しいものに次々と挑戦していく。
これは、まさしく、邪馬台国の時代から行われてきた、日本的手法ではないか。
ここには何を当てはめてもいい、アニメでもゲーム機でも、ソニーでもトヨタでもセブンイレブンでも、または火縄銃でも絹織物でも何でもそうだ。日本の成長を支えてきたものはこういう方法論でやってやってきたのだ。

初心に帰れ。
だから、一発ヒットの「成功体験」を狙うならアメリカにでもどこでも行けばいい。
日本に必要なのは、「成功体験」を求めるコムロ型ではなく、「日本語ロックを確立した」清志郎型を進めばいい。(大きな「成功」を求めても、大ヒットする世の中ではなくなっている)

東大卒だか、エール大卒だかの肩書をつけたアメリカ・シリコンバレーで働く人に「日本が立ち直れない」なんて言わせないためにも。

追記 あと一つ。
渡辺千賀ブログ記事に『「日本で勝てる!」と思う人は、是非国内でその道を邁進してください。誘拐には気をつけてね。』という一文がある。
何だよこれ、どんだけ上から目線なんだよ。
経済不安定→治安低下→日本で誘拐事件が増える→でも私は天国のような場所シリコンバレーにいるから大丈夫、といった彼女の底意地の悪さが出てます。
こういうのが、常に行間からにじみ出ているので、反感を買うのだ。本人はそこに気付いていないようで、私のありがたい高説が分からないの、といったもの伝わってくる。まあ、内容云々以前よりそういった点に腹立つのだ。渡辺千賀に一言いうとすれば、人に言を説く場合、まずそういうところを改めてから始めた方がいいだろう、と。
それに未だに「勝ち組」「負け組」なんて言ってるようじゃだめだ。関連記事
少し前まで「トヨタ」だって「日立」だって「「イオン」だってみんな勝ち組って言われていた。それが今ではどうだ。情勢が変われば、業績はすぐに変わる。今日勝っているからといって、明日勝っているとは限らない。そこが重要だ。
経済や政治は継続的なのだから、一時的な勝敗を見て、「勝ち組」「負け組」なんて簡単に分けすぎる。
大体、経済アナリストとか経済評論家とかは結果だけを見て言っているだけなので、全く当てにならない。
関連記事
こんな人たちの言うことは、まず疑ってかかった方が無難だ。
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