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物語を物語る

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最近の考古学の発見から

物語を物語る

3万5千年前、マンモス牙で、最古のビーナス像発見  ドイツの洞窟
ドイツ南西部にあるホーレ・フェルス洞窟の遺跡から、約3万5千年前の後期旧石器時代の人類がマンモスの牙で作った「世界最古のビーナス像」を発掘したと、ドイツ・テュービンゲン大のニコラス・コナード教授が14日付の英科学誌ネイチャーに発表した。
コナード教授は「彫刻としても世界で最も古いとみられ、人類の芸術の起源を探るのに貴重な発見だ」としている。
彫刻は2008年、洞窟の入り口から20mほど奥の地中約3mの粘土層から動物の骨とともに見つかった。6つの破片に分かれており、組み合わせると高さ約6㎝、幅約3.5㎝、重さ33gのほぼ完全な女性像が復元できた。
豊満な乳房と大きな臀部が特徴のユニークな形状で、首から上は無く、本来頭部があるべき部分にU字形のリングが付いている。ひもを通してペンダントのように使われたらしい
脚は短く真っすぐ。二本の腕は腹部を押さえるように曲がり、細かく彫られた指も確認できた。腹部には水平方向に何本も線が描かれ、衣類を表現したとみられる。
地層の年代測定から、女性像は少なくとも3万5千年前の作製と判断された。欧州各地の遺跡から出土したほかの女性像より5千年以上古い。
このビーナス像を作った最古の“彫刻家”は、当時アフリカから欧州に移住したばかりの現代人の祖先、クロマニョン人とみられるという。

平成21年5月13日 上毛新聞から
ドイツ ビーナス像
ここで興味を引くのは、「マンモスの牙で作っている点」と「アクセサリーにしていた点」、また「土偶のように、女性の体形が異様な点」など。またこれが、約3万5千年前の人類がしていたという点が、面白い。
ちょっと調べてみました。
春成秀爾著「歴史発掘4 古代の装い」(講談社)から
「石器の材料を探したり、食用の植物を集めたり、地中にもぐっている小動物を捕るなどの作業中にきれいな色や変わった形の石などが目にとまると面白くなりしばらくながめているうちに、その石になんらかの想い(イメージ)をいだきます。その石を拾って住みかに持ち帰ります。
その石を自らの想いを託す象徴物(シンボル)とみなすと、その石は、何らか特別な力を持つ品物(呪物)となり、何かを祈ったり呪ったりするときの媒体に転化します。そしてそれに祈ってなんらかの効果があると、それを大事なお守りと考えるようになるのは当然でしょう。
旧石器人は狼や熊と闘うとき、彼らの牙の威力を畏れたに違いがありません。彼らを倒してその牙を持っていれば彼らに対抗できる強さが備わるという想いをもつようになるのは自然の成り行きだったのでしょう。そこで、いつも、いつまでもその力が備わっていることを願って孔をあけ紐を通して身につけはじめたのでないでしょうか。ちなみに日本でも狩猟をする人たちはつい最近まで狼や熊の牙の部分を含む頭骨の一部を印篭の根付けにして身につけていました。
旧石器時代のアクセサリーのなかに馬の形をしたもの(ロシアのスンギール遺跡)や鳥の形をしたものがあります。これらは紐通しの孔さえなければ考古学では呪具(何か特別な力を発揮するために人が作り、身につけない道具)に分類するところです。呪具とアクセサリーの違いは初めは紙一重だったといってよいでしょう。身につける呪具としてのアクセサリーが生まれると三葉虫などの化石は集めなくなります。牙などの呪物を身につけることからアクセサリーが始まった……。
中略
珍しい形への注目、野獣の牙の威力を自らのものにしたいという願い、そして原人以来の美意識、これらが結びついてアクセサリーが生まれたのではないでしょうか。」
なるほど、なるほど。実に分かり易い説明です。
で次が
武光誠監修「すぐわかる日本の呪術の歴史」(東京美術)から、
「破壊のための異様な人形
日本各地の遺跡から発掘される土偶は、多くの謎に包まれた奇妙な人形である。
まずその形状が異様である。多くの土偶は乳房が異常に大きかったり、耳・鼻・口など顔のパーツがなかったりして、人間のリアルな像にはほど遠い。縄文土器に見られる造形力からすれば、もっと人間らしい人間を作ることもできたはずなのだ。
さらに不可解なことは、ほとんどの土偶が手足や首を失った無残な形で発見されるのである。1000体以上の大量の土偶が発見されながら、一つとして完全な土偶が見つからなかった遺跡もある。しかも構造をよくみてみると、最初から破壊しやすいように製作されたものが多いのである。
縄文人にとって土偶の製作は労力や時間のかかる仕事だったと思われるが、なぜ苦労して作ったものを破壊したのだろうか。そもそも、土偶は何を表現したものなのだろうか。」
人形呪術のルーツ
一説には、土偶の破壊は農業の始まりと関係があるとされる。この説では土偶の腹部が極端にふくらんでいることに注目し、土偶とは母なる大地の生産力を妊娠した女性にたくして表現したものと見る。その裏づけとなっているのは、殺された女神の死体から作物が誕生したという神話である。このタイプの神話は世界各地に残されており、日本にも「古事記」に須佐之男命・スサノオノミコトによって殺された大宜津比売・オオゲツヒメの死体から五穀が生じたという記述がある。かつて縄文時代に農業はなかったとされてきたが、近年は原始的植物栽培や稲作が行われた形跡が認められる遺跡も発見されている。とすれば、縄文人が土偶の破壊を女神の殺害に見立て、作物の収穫を願って大地に霊力を与えようとしていた可能性も否定できない。
その一方で、土偶は人間の身代わり(形代)ではなかったかという説もある。この説では土偶の破壊された箇所を、病気やけがをしていた箇所と見る。そして破壊することによって、治癒を祈願していたのではないかという。現代人でさえ「風邪を他人にうつすと治りが早くなる」などというのだから、縄文人が人間の苦しみを土偶に転じられると考えてたとしても不思議ではない。
そのほかにも祖霊崇拝のため、安産祈願など諸説あるが、いずれにしても単なる飾りや玩具ではなく、呪術的行為に一致している。その姿は神あるは精霊といった、人間に似ているが人間ではないものを表現していると考えられる。」
これは土偶の説明であり、農耕との関係を説明した文章であるが、ドイツのビーナス像は妊婦を表しているように見られるので、これが参考になるかなと思い、転載してみました。

「世界の神話伝説 総解説」(自由国民社)阿部年晴・埼玉大学教授「アフリカの神話伝説」から
最初の人間の出現
「マダガスカルには次のような話が伝えられている。この世のはじめに創造主は2人の男と1人の女をつくった。一方の男は実物大の女の木彫をつくったが、すっかり気に入って、仕事をする間も見えるよう屋外においていた。もう一方の男が通りかかって木像の美に打たれるとともに木像が裸であることが気になったので、美しい衣服を着せ、宝石を与えた。女が孤独を嘆きながら通りかかってその木像を見ると、それに生命を与えてくれるよう神に祈った。神は彼女が木像を抱いて寝れば生命を与えると約束した。翌朝、木像は生命を得て美しい少女になった。
やがて2人の男がやってきて少女を要求したが、女が拒否したので、神が仲裁に入った。第一の男は木で少女を作ったのだから父だ。女は生命を与えたのだから母だ。そして、第二の男は少女を愛して身を飾ってやったのだから夫だ。3人はこの裁定に同意し、第一の男は女と結婚し、第二の男は少女と結婚した。すべての人類はこの二組の夫婦の子孫である。彫刻家たちは第一の男の子孫である。これは祖人と芸術を結びつけた例である。」
これは、あまり関係ない話ですが、最古の人間と彫刻・芸術の関係の神話として、興味深いので、合わせて載せおきました。

またここ最近、国内の考古学の話題が新聞に載ることが多い。
まとめてみました。
奈良・キトラ古墳 白虎も右向きのワケ
奈良県明日香村のキトラ古墳壁画の四神(ししん)は、時計回りのように循環して描かれたのではないか――。奈良文化財研究所飛鳥資料館の加藤真二・学芸室長が、そんな興味深い説を打ち出した。
 根拠は、東壁の「青龍(せいりゅう)」と西壁の「白虎(びゃっこ)」が、ともに右を向いていることだ。方角で見ると、それぞれ南と北で正反対となる。加藤室長の調査によると、中国の墓誌にみられる四神51例のうち、青龍と白虎が同じ向きなのは8例だけ。主流は左右互い違いで、それらはいずれも南を向いている。四神の基になった星座群の位置が関係して、南向きに描かれたらしい。
 ただ、時代の古い銅鏡に描かれたものには、同じ向きの例がある。中には、四神が邪気をはらい、陰陽や時間の動きを整えるという趣旨の銘文も伴う銅鏡もあるという。
 そこから加藤室長は、キトラの右向きは「陰陽五行説の気が循環する姿を描いたから」と考えた。キトラの四神は、南壁の朱雀も右向き。北壁の玄武は左向きだが、頭は後ろを振り返っており、右向きと言えなくもない。
 また、「書物などから得た以前の知識だけで描かざるを得なかったことも理由の一つではないか」と推測する。キトラの築造を7世紀末とすると、遣唐使が中断していた時期にあたり、唐の最新情報を知らないまま描いたというのだ。
 キトラより新しいとされる高松塚古墳の青龍・白虎が、ともに南向きなのは、遣唐使の再開(702年)後、唐から情報が得られるようになったためと推論すれば、加藤説もうなずける。向きの違いは、古代人が流行に敏感だったことの表れなのかもしれない。
 キトラの四神のうち青龍と白虎はきょう8日から24日まで、同資料館で一般公開される。
(早川保夫)
(2009年05月08日 読売新聞)

シカの絵土器、長野でも発見 分布域広がる「農耕祭祀の証拠に」
長野県中野市の柳沢遺跡で、雄のシカ二頭を描いた弥生時代中期(紀元前1世紀ごろ)のつぼ形土器が出土し、県埋蔵文化財センターが5月13日に、報道関係者に公開した。
弥生の絵画土器は奈良県での出土が多く、シカの絵の土器は東日本寄りでは日本海側の石川県、太平洋側の神奈川県までしか例がなかった。長野県でも確認されたことで分布域が広がった。
出土したのは長野県北部を中心に見られる栗林式土器で、半分程度が残り、口径11cm。高さ約31cm、胴の最大径は約23cmと推定される。シカは豊作をもたらす霊力をもつとされ、二頭は前後に並び、角などが線で描かれている。
センターじゃ「近畿地方から銅鐸、銅戈と一緒に土器にシカの絵を描く考え方も入り、農耕祭祀になる」としている。後略
(読売新聞 平成21年5月13日)

弥生前期の人面土製品 とさかの飾り、頭にかぶる。岡山・上原遺跡
岡山県総社市の上原遺跡で、紀元前3世紀ころの弥生時代前期の人面土製品が見つかり、市教育委員会が14日、発表した。頭頂部に鳥のとさかのような飾りが付き、頭にかぶるような形になっており、全国で初めてという。
弥生時代には鳥の霊を信仰の対象とする風習があったとされており、市教委は「祭祀の時に使った可能性が高い。儀式などで司祭者が頭にかぶったのではないか」と説明している。
市教委によると、土製品は、高さ約11cm、幅約17cm。両目の部分に穴が開けられており、まゆ毛と鼻が張り付いてあった。まゆ毛と目の間には、入れ墨とみられる線刻の装飾も施されていた。
(上毛新聞 平成21年5月15日)

時代も地域も別々ですが、呪術的、祭祀的なものです。
これらも、かなり興味を引かれます。
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消えた二十二巻

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