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物語を物語る

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「天皇論」と「今後の方針」

物語を物語る

自分の娘が小学校に通うようになると、自然と「教育問題」に目が向くようになった。
独身時代には考えられないことだった。
今、全国の学校では「学級崩壊」や「過激すぎる性教育」、「なんでも平等、順位をつけない」、「君が代を歌わない・日の丸を揚げない」「自分の思想(反日・反愛国心)を押しつける教師」などなど、そんなことが現実に存在するのだということも知った。
「教育現場」はまさに「社会の縮図」だと感じる。そして諸悪の根源が「日教組」にあるという話も決して極端なことではないと感じ始めている。

そんなある日、会社の昼休みにテレビを見ていたら「販売期限切れのコンビニ弁当を値引販売するのか、廃棄処分にするのか」とかいったものを放送していた。これを見ていたうちの一人が、そういえばちょっと前にこんな話があったよね、という感じで話を切り出した。
それは、「ある小学校で「給食の時間に、うちの子には『いただきます』と言わせないでほしい。 給食費をちゃんと払っているんだから、言わなくていいではないか」と母親から申し入れがあった」 という話で、一時期2ちゃんねるでもスレが立って盛り上がったネタだった。
ここでは、「アホな親やな~」とか「いや押し付けはいけない」とか、思ったことを勝手に言い合って、気軽な無駄話には丁度いい話のタネとなった。(考えてみれば平和な会社です。)
結局は、誰もが否定をしないような「いまは教育がなっていない」とか、「学校や家庭で常識を教えないのが悪い」とかいった、無難なところで落ち着いた。(まあ世間話ですから)
しかし、なぜか私にはそれがいつまでも気になって仕方がなかった。どうも腑に落ちないのだ。直感的にはこれが変な話だというのは分かる。しかし、いざ他人を納得させられるように説明しろといわれたら、これがなかなか難しいのではないかと、思ったのだ。

そんなときニコニコ動画でたまたま見た「ある動画」を見て深く感動してしまった。
朝まで生テレビ!徹底討論!皇室は必要か」の中の「小林よしのり」の演説だった。
動画は約3分。
猪瀬直樹、笠原英彦、工藤雪枝、小宮山洋子、四宮正貴、高橋鉱、遥洋子、宮崎哲弥、森岡正宏、八木秀次、司会・田原総一朗といった論客を黙らせ、(最後に田原がからむ) 3分間有無を言わせない小林よしのりの「語り」がなによりも凄い。宮崎哲弥が最後に思わず「すばらしい演説でしたね」と呟いてしまうのがわかる。
内容は「皇室」「天皇制」ついてのものだが、何よりも心を動かされたのは、「食べられる、という感謝の気持ちを日本人はどこに向ければいいのか」という点だった。

ニコニコ動画版

ユーチューブ版

この回のものは本になっていて、上記タイトルと同名で、田原総一朗責任編集、PHP研究所から出版されていた。
この部分を転載しておきます。(ただし本の方では、田原が「アメリカの侵略だよ」とかいった部分や、細かい部分は変更されていたので、そこは動画の方を基にしています)

田原 小林さんは、やはり天皇というのは続いたほうがいい?
小林 続いたほうがいいと思います。それはなぜかというと、たとえばわしは伊勢神宮に行ったことあるけれどもね。あそこは、20年に一度、遷宮をやって、天照大神が遷ってしまう真ん中のところまでわしは入れてもらって、見たこともありますけれどもね。
伊勢神宮には、内宮と外宮があって、外宮に豊受大神というのがいて、そこで大御饌祭というのを毎朝、毎夕やってるわけですよ、神官が。
その単に食事を、昔からの手で火を起こすところから作って、豊受大神と天照大神にお供えするんですよ。たったそれだけのことを毎日、毎日やる。それがお祭りなんですよ、それが。お祭りといったら、ハレとケがあって、そのハレのときにもの凄く大騒するところだっていう話じゃないわけ。
で、ただ毎朝、毎夕ご飯を作って、お供えするということが、なぜお祭りなのかと。でも考えてみればよ、この日本の古代から、ご飯をちゃんと作って、食べられるということがどれほど有難いか。他の国のどこでも、まともに食事のできないし、飢餓もいっぱいあって、イラクもあんな状態で。
そんな中で、ただ毎朝、毎夕、本当に有り難くご飯がいただけるということが、そのことがお祭りに匹敵するほどのめでたいことだという、その神事を、ずっと伊勢神宮では毎朝、毎夕やっているわけですよ。
で、誰が見ているわけでもないのに、毎朝、毎夕、お祭りをやっている公の感覚、無私の感覚というものが、皇室の中にもちゃんとありますよ、行事がね。そういうことの大切さを考えておかないと、日本人が「次からね、民主主義がいい、近代社会がいい、と言いながら、合理主義いい、近代がいい」と言って、どんどん驕り高ぶっていってしまっていることの歯止めの部分、本来日本人は何に感謝し、何に伏し、生きていくのかというものを守っているというね、そこに天皇の価値があるわけですよ。われわれは、もう一度そこに立ち返って、考えてみなきゃいけない。
田原 うん、近代主義も民主主義も、いま相当危ないというか、やはり曲がり角に来ているんですよ。そこからやはり天皇問題というのは考えなきゃいけない。
小林 だがら、「民主主義が普遍的で、この民主主義を世界中に広めなければならない」とか言っている
田原 アメリカだろ、あんなものは侵略だよ、一種の。
小林 「(それに)みんなでアメリカについていこう」とか言っている連中に、伝統のことを語る資格なんかあるわけないんですよ。
田原 (やばくなってきたと察して)、CM!
宮崎 すばらしい演説でしたね~
以上。

飢餓で食べるものもない国、内乱で秩序もなく殺戮が行われている国、ストリートチルドレンが学校にも行けず路上にたむろして売春・強盗・殺人を犯す国……、地球上ではこういった国の方が多いだろう。なんだかんだいってもやはり日本人は裕福で幸せな国なのだとしみじみ思う。(日本のネットカフェ難民をVTRで見た南米のホームレスが、冷暖房完備の個室で寝るところがあって、飲み放題でシャワー付き、これは貧困でもなんでもない、と言っていた。またコンビニ弁当の廃棄のVTRを見て憤慨していた外国の浮浪者もいた。これはネタだろうが、確かに貧困な国から見れば、日本は何とも恵まれた国だ、と思うだろう)
こんな平和な国に生まれたという幸運を、噛みしめなけらばならない。(ちょっと、想像してみればいい。思想統制され貧困にあえぐ北朝鮮に生まれていたら、内乱で祖国を追いやられ難民キャンプで暮らすアフリカの国で生まれていたら、中国の圧政に苦しまされ「漢民族」に怯えて生きていかなければならないチベットやウイグル地区に生まれていたら、硫酸で顔を焼かれるアフガンの女性に生まれていたら等々……、ほんとうに日本に生まれてよかったと思うはず。社民党の福島瑞穂は「日本に生まれて恥ずかしい」と言ったらしいが、そう思うならあなたが理想とする北朝鮮にでも行けばいい。そんな人が次期大臣候補とは、情けなない。)

人は生まれてくる場所と時代を選べない。
その時代、その国に生まれ出たのは、その人の運命だから、どんな境遇にあってもその状況下で生きていかなければならない。ある人はその境遇を恨み、神や運命を呪うかもしれない。また逆に、生きてる、モノが食べられるという「喜び」を得られたならば、人はそこで何かに感謝するだろう。
キリスト教徒なら神に感謝するだろうし、イスラムの国なら、アッラーの神に感謝するのだろう。
となれば、日本人はどこに感謝すればいいのだろうか。
そんなヒントがここにあった。
小林よしのり「天皇論」
小林よしのり「天皇論」
現代に生きる日本人は「天皇」というと、「戦争責任」だとか「右翼」だとかいって敬遠する傾向にあるようだ。
日本人の多くは自分は無神論者だというが、畏敬の念というのはほとんど誰もが持っているもので、(中には相当な偏屈者もいるが) 知らず知らずのうちにどこかに感謝の気持ちを持っているはずだ。(いや持っていて欲しい…)
その祈りの対象となるのが「天皇」なのではないか、ということ。
八木秀次氏は「日本の天皇は、かつては世界中に存在したが今は日本にだけに残ることになった「プリースト・キング」(祭祀王)である。日本の祭り主、これが天皇の本質的性格である」と書いている。
祭祀王の天皇陛下に畏敬の念を示すことは、すなわち神(自然・天…)に感謝することになる。
また、こう書くと「天皇」は「現人神じゃない」とか「人間宣言した」とかいって、攻撃してくる人も多くいる。しかし天皇陛下への尊崇の念は、カトリックでいうローマ法王へ尊崇の念と同じことで、カトリック教徒が神を信仰すると同時に、法王を尊崇するのと同じことなるのだ。天皇やローマ法王などは、神と人との媒介者で、その祭祀王へ祈ることで神に通じるのではないだろか。
ただ日本国と他の外国諸国との違いは、日本は一神教ではなく八百万の神がいる多神教であるということだ。私は、「日本の神々」とは私たちを生かしてくれる「自然の恵み」そのものすべてを称して「神」と言っているのではないかと思っている。
やはり、西洋でいうところの「ゴット」と、日本人のいうところ「神」は全く異質なものなのである。(これは後に書く) 
やはりこれまでの日本の歴史をみれば、「天皇」とは「皇帝(Emperor )」ではなく、「祭祀王(プリースト・キング)」に近いものなのだといえよう。

ただこうやって書くと拒否反応を示す人はかなりの数存在する。
天皇・神道を宗教と思っている人も多い。(これは明らかに思い違いなのに、そういったことは学校では教えない) 日本では、宗教=悪という風潮もあるので、「俺は無宗教だから、天皇も神社も関係ない」という人も多い。
また、神=天皇とひとくくりにして、近代合理主義・戦後民主主義には必要ないといって「皇室」を忌み嫌う人もいる。また、いまだに「戦争責任だ」「軍国主義だ」「階級闘争だ」とすべてをここに結びつけて、狂人のように声高に叫び回る人がいる。またインテリ左派を気取って「天皇制とはね……」と理屈を捏ねまわして悦に入っている人もいる。まあどれもこれも個人の主義・思想だから、それらすべてを否定しようとは思わない。だが問題なのはこれを教育現場に持ち込んで、子供や学生に誤った考えを植えつけているということだろう。
そんな教育を受けた子供は「天皇を敬ってはいけないんだ」「日本はいけない国なんだ」という拒否反応を示す人も多い。(かくいう私もそうだった)
こういう教育が「人・物への感謝の気持ち」を育てられない人々を生んでいる。
こういった「畏敬の念」や、「感謝の気持ちを持たない」人間が結果として「金を払っているんだから『いただきます』をいわせない」といった類の親を作り出しているのではないだろうか。一見「バカ親の話」も、実は現代日本全体を覆っている病魔が発露しているだけなのかもしれない。
この呪縛を解くのは容易ではないだろう。

話が飛んだ。
日本の祭り主である祭祀王・天皇の祭祀には「食」に対するものも多い。特に「新嘗祭」に代表されるように「稲・米」に関するものが主要となっている。
新嘗祭は「新穀を神にささげて収穫を感謝し、きたるべき年の豊穣を祈る祭儀。日本書紀、古事記にもその語がみえ、当時から最も神聖な行事の一つであった」とある。
その新穀も天皇が自ら育てる。「今上天皇も吹上御苑の東南にある小さな水田で、ゴム長靴を履いて自ら田植えをされ、稲を育てられ、刈入れをされている。」http://hanausagi.iza.ne.jp/blog/entry/943483から
文藝春秋平成21年6月号に皇室の特集の田久保忠衛氏の項に天皇陛下のお言葉が載っていた。

皇室の伝統についての質問に、「私は昭和天皇から伝わってきたものはほとんど受け継ぎこれを守ってきました。この中には新嘗祭のように古くから伝えらてきた伝統的祭祀もありますが、田植えのように昭和天皇から始められた行事もあります。新嘗祭のように古い伝統のあるものはそのままの形を残していくことが大切と考えますが、田植えのように新しく始められた行事は形よりはそれを行う意義を重視していくことが望ましいと考えます」
民のために神への祈りを捧げる皇室の伝統は守られている。日本の天皇は外国の覇王とは異なる。(田久保氏の弁)」

とあった。
やはり、日本では稲・米は重要なのだ。
では、なぜ稲なのか。
三浦朱門著「日本の体質 天皇」(海竜社)の中の「米を治めたものが国を治める」の章から 

元々稲というのは不思議な作物である。すべて植物は連作を嫌う。連作すると土壌にその作物を好餌とするバクテリアや昆虫などがはびこって収穫を減らしてしまう。それで麦を主食とするヨーロッパでは、今年麦を作ったところは翌年、草を生やす。次の年には牛や馬を追い込んで、草を家畜の餌にし、かつ動物の排泄物による土地の肥沃化を図る。そして麦を作ったから3年後に、再び麦を作ってきた。
しかし水田は絶えず水が流れて毒素を洗い流し、また新たな養分をもたらす。それで千年でも連作が可能なのである。たとえば奈良盆地の山沿いの水田には、千年以上も稲を作り続けてきた土地があるはずだ。
また稲は一粒の籾が、二百日ほどでの間に数千倍になって戻ってくる。……稲作地帯では一人の農夫が多人数の食糧を供給することだってできる。ここで食糧生産に従事しない人口は、工芸の専門家に、あるいは文化や武術の専門家になる。農業生産性の高い土地は、武芸を専門にする男も沢山雇えるし、武力においても他の地域を圧倒するようになる。大和地方が古代日本において、強力な政権を作りだす条件は、この生産性の高さによるものだったと私は考えている。

稲、つまり米が、日本国の根幹を成し、文化・武力の発展の根源であることを意味し、稲作文化は日本国の根底にあるからだ。
稲・米を守ることは、つまり日本を守るということ。
昭和天皇が最期の病床に臥したとき、お見舞いに上がった宮内庁長官に「雨は続いているが、稲の方はどうか?」と尋ねられたという。こういった逸話にもあるように、天皇と稲と日本国は、不可分の関係であることを示すものなのだ。
つまり稲・米は日本の繁栄の象徴であり、それを持ってして祀る天皇こそが日本の祭祀王なのだ。まずそこに天皇の存在意義がある。
だから、日本人は素直に天皇陛下に畏敬の念を持って然るべきなのである。
まずイデオロギーを捨て、そこに立ち返るべきだ。
こういったすべてのものをひっくるめて先ほどの話(「いただきます」を言わせない親)、食べ物を「いただく」という言葉に表れているのだと思う。

最近は「天皇論」「皇室問題」「天皇制」が書かれたものをいろいろ読んでいます。(それこそ右のものから、それこそ朝日・岩波のような左のものまで)
右翼も左翼も日本国の争点はすべてにおいて「皇室」(天皇制)に帰着する。
日本の国のあり方はやはりここに関わっているのだ。
「立憲君主制」「共和制」「戦争責任」「憲法9条」……、結局は「皇室問題」に立ち戻る。
そして現在、「皇室」は危機を向かえていると感じる。「女姓天皇」「長子継承」はこれからも問題になるだろう。それに「皇室」軽視、「天皇制廃止」をもくろむ政党が、政府の中央に立つことも予測され、そうなるとどんな事態になるの分からないし、マスコミの奇妙な「見せ掛けだけの皇室擁護」や「白い共産主義」は看過することはできない。
過去記事

まだまだ「天皇論」は続けたいと思います。

で、今後の方向性。

まず、八木秀次著「Q&A よくわかる天皇制度」のあとがきにこんな文章がある。
(「天皇制度」は左翼主義者の敵性用語ですが、八木氏は本書の中でこの言葉を敢えて使うことのことわりを入れています)

脳科学者の茂木健一郎氏が「中央公論」2006年(平成18年)1月号に、「天皇家と偶有性」と題する短いエッセイを書いている。
ここでいう「偶有性」とは、歴史は何があるかわからない、偶然の積み重ねである、ということだが、そう述べた後に茂木氏は次にように書いている。
「天皇家が永遠に存続するということが保証されているわけではない。50年後にはなくなっているかもしれない。そうなってしまえばそれなりにやるしかない。偶有性を引き受けて生きるしか道はないからである」
だからこそ、実際に続いてきたという事実が重みを持つ。継続を支えてきた祖先の努力に対して敬意を払う気持ちは、科学的方法論の有効性を信じ、合理主義者として現代を生きる私の中にも存在する。有識者会議の報告書からは、そのような歴史への情熱(パトス)が感じられなかった」
ここで茂木氏は「継続を支えてきた祖先の努力」に着目している。天皇家すなわち皇室は「なんとなく続いてきた」わけではない。いつなくなるかもしれない危うい綱渡りの中、「実際に続いてきた」。そこには「祖先の努力」があり、先人の明確な意志が働いている。しかし、そのことが政府の設置した「皇室典範に関する有識者会議」のメンバーを含めて現代の日本人にはわからなくなっている。茂木氏の言うことはそういうことだろう。

とある。
ということで、「新田義貞伝承を追う。実は東毛奇談の続編」のこれからの方針。
「東毛奇談」では日本の激動期に、必ず登場する「新田一族」というのがテーマでした。
「新田義貞伝承を追う 実は東毛奇談の続き」構想は、上記の「皇室継続を支えてきた祖先の努力」にもあるように、「皇室が危機に陥るときに必ず新田一族の末裔や児島高徳の子孫らが登場し、皇室を助ける」という内容で書き続ける予定です。
現時点で第12回までいきました。
いま、中間地点あたりで、今後の予定としては、「天海の魔方陣」、「新田氏の末裔を名乗った新井白石は皇室を守った」「新田義貞を尊敬した尊王家・高山彦九郎が幕末維新運動の火をつけた」「坂本龍馬は、明智秀満の子孫であるなら、児島高徳の意志を継いでいるのか」 そして、「正田家が新田一族の末裔ならば、美智子皇后陛下や皇太子殿下やそして悠仁親王は……」(すべてタイトルは仮)、といった順序で進めていきます。

ただ、これが思うようになかなか先に進みません。
いざ書く段になると気負いばかりが立って、思った以上に時間がかかってしまう。このペースでは何年もかかってしまうのではないかというほど。(これでは不測の事態に間に合わない)
まあ、誰に頼まれたわけでもないし、自分の妄想に近いものをただダラダラと書き連ねて、一体何になるんだ、といった卑屈な気持ちになって落ち込むこともある。
ほんとになぜこんなことをしているのか自分でも分からないが……。
こんな心境です。http://pcscd431.blog103.fc2.com/blog-entry-374.html

でも最近この動画を見ると元気になる。


続く……。

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Comment

[166] 左右を超える
いまどき「国体」ですか。
今の天皇の人間性が良い悪いと言うことと天皇の国体の存在云々ということは別の問題です。論理がすりかわってます。
「食べられる」と言うことへの感謝は宇宙の生命そのものへするべきで神道と言う特定のものに拠ってするべきものではない。短絡的である。
近代を批判するのは当然だが、これがすなわち、神道に結びつくのが短絡的、復古的である。まあ一つの選択としてはあるだろうが正直取りたくない選択だね。天皇がいる限り歴史的に担ぎ出し権力に利用しようとする輩は必ず出る。よしのりさんはそんなことはないというが、歴史は明確に語っています。どうしてそんなことはないと言えるのですか教えてください。ただ否定するだけでは説得力がないですよ。
左翼のブログも驚くけどこの右よりのブログも驚いた。歴史を超越した不変のものとは天皇制と言う国体ではなく、社会と言う実体としての生命現象です。
[167] アンちゃん様への「コメ返し」
アンちゃん様コメありがとうございます。
通常はコメ返しはしないというスタンスを取っているのですが、久々の批判コメなので、一言だけ書いておきます。
確かにこの記事は「短絡的近代批判」であり、「復古的」であり、「いまどき国体」といった内容です。まさしく指摘の通り。
またアンちゃん様の意見も十分に分かります。ただ私はこういった主義・思想があるということだけです。
またこれをブログに公開している時点で、賛同されたり、逆に批難したりしても一向に構いません。(当ブログの記事「ネットは社会の浄化装置になるのか?」で書いた一連の記事のように)

人それぞれに「右」もいれば「左」もいる、今回のように「左右を超える」(新しいな~)という人もいていいと思います。
ただこのエントリー記事は「東毛奇談」続編の方向性を示すためのものであり、記事後半の「今後の方針」という部分がとても重要で、そのための「天皇論」となるからです。「新田義貞伝承を追う! 実は「東毛奇談」の続編」シリーズの最後は「美智子皇后陛下」の記事とここがつなげるためのものなので、この記事だけを読んで、「天皇制だ」、「驚くほど右だ」と言われても困ってしまう。(まあ、私が右だというのは間違いないことだけど)
また、
>「天皇がいる限り歴史的に担ぎ出し権力に利用しようとする輩は必ず出る」といった箇所に関しては、福沢諭吉の「帝室論」「尊皇論」を引いて後で反論します。
それに、
>「歴史を超越した不変のものとは天皇制と言う国体ではなく、社会と言う実体としての生命現象です。」という最後の部分がどうしてもよくわかりません。できればもっと詳しく解説してください。お願いします。

こういう批判コメ大歓迎です。

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すみません…、只今コメ返しをしておりません。しかし、しっかりと読んでおります。こんなわがままなサイトですが、気が向いた方は、どうぞ書き込んでください。

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消えた二十二巻

Author:消えた二十二巻


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