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「スイカ割り=稲作農耕民の祭祀説」 その1 これは直会だ!

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夏の風物詩といえば「スイカ割り」ですが、これが「障害者差別」にあたるのではないかと、ある団体から抗議が来たという話を読んだ。

スイカ割りは、競技者の視覚が一時的に奪われた状態で行われ、周囲がその動向を見て楽しむ遊びである。近年、人権意識の高まりとともに「スイカ割りは視覚障害者に対する差別である」と主張する人が現れるようになった。 そのため、現在ではスイカ割りはテレビなどでは自主規制される傾向にある。 だが、これを「言葉狩りに類似する行き過ぎた規制だ」と批判する人たちもいる。

 http://find.2ch.net/enq/result.php/24958/l50 から
言葉狩りや差別の過剰反応もここまで来たか、といった感じだ。
ただここにある差別抗議といったものは的外れであり、ほとんど言いがかりに近い。
私からみれば、「スイカ割り」は競技でもゲームでもない。これはまさしく「神事」「祭祀」であり、ひいては、「スイカ割り」は「クリスマスケーキ」や「恵方巻き」と同じものにあたるからである。
ということで久々の珍説・奇説シリーズ。今回は「スイカ割り=稲作農耕民の祭祀説」です。

まずは、「スイカ割りの流れ」から。
1、スイカ割りをする人を決める。
2、目隠しをする
3、回転させる
4、周りの人が声で誘導する
5、スイカを割る
6、スイカの割れ具合を評価する(よく割れたとか割れなかったとか)
7、みんなで食べる
といった流れだ。
これはまさしく「祭祀」を執り行う儀式と同じだ。
「スイカ割り」という単純なゲームのどこにそんなものがあるのか、って声が上がりそうですが、よく観察すれば、これが知らず知らずのうちに神事に則って進んでいくことになっているのです。
「図解雑学 民俗学」(ナツメ社)から

 「かごめかごめ」はシャーマンに由来する呪術的遊び。目隠しした鬼の子を中央にして周囲を唄いながら廻り、唄の終了とともに鬼の真後ろの子が誰かを当てる遊びである。東北地方に広く分布している「地蔵遊び」も同様で、円陣の中央にいる者に地蔵を憑依させて託宣を聞くという、呪術的信仰の痕跡がうかがえる。これはシャーマンに由来する「占」としての意味があった。周囲が回転する円陣の中央に目隠しをして座るということは、それだけで神がかりのイメージを醸す。だからこそ鬼は憑依の対象となり、目隠ししても「後ろの正面」の子を当てることができたと考えられていたのだろう。

昔ながらの遊びの中にもこういったものが内在している。だからこそ、日本各地に広まり、現在も残っているのだ。ここに神事的・呪術的要素が秘められているからでもある。この変形したものが「スイカ割り」となるわけだ。
スイカを割るという役に指名された人は、この祭祀を執り行う当事者となる。神事に見立てれば、憑代となる。これは「祭祀」の神主や巫女、祭りの興行者などにあたる。(「かごめかごめ」では鬼の役)
神や霊と直接交信・対話できる者としては、たとえば、神霊が依り憑く者「依り代」、あるいは、巫者や巫女、霊能者、シャーマンなどがいる。「スイカ割り」をする役目の人は、これに当たるわけです。
神霊と交信している間はトランス状態、神憑りの状態になる必要があるので、「スイカ割り」の場合、「目隠しさせられ」「回転させられ」無理やりにでも意識もうろう状態を作り出していることになる。
ここでは、「目隠し」の民俗学的考察、「人や周りが回る(回転)する」ことによって、異次元の世界に入るといった考察、あるは「声によって導かれる」といった精霊、神の声を聞くといった考察は、省略します。(ただしこういった点から見ても、「スイカ割り」は「民俗学的」に面白い展開ができるということです。)

また「スイカ割り」が神事、祭祀に近いというのは、割ったものを皆で評価する点にある。
「うまく割れた、割れなかった」ということで、この祭祀の参加者は一喜一憂するわけです。これが「卜占」に近い。古来、占いは「甲羅を割る」「鏡を割る」といったものも多い。(亀卜、太占など)「その割れ具合で、吉凶を占う」わけだが、これが「スイカ割り」にも受け継がれているのではないか、ということ。
また祭りの本質とは「神の来訪とそれを接待する主人という図式が、祭りの発生に至るという認識を示している。祭りの本質は、これに参加する人々の共同祈願を成すために、神の降臨を願うことにあるのだ。またこれに対し「祭礼」というのは、ここに観客というのが加わる。(柳田國男)
「スイカ割り」を一人でやる人はいません。大概、スイカまで導く人や観客などほかに参加者がいます。
シャーマンが神がった状態で、物を割って、その結果を評価する。しかも多くの参加者が注視しているという、この状況こそがまさしく神事、祭祀だということなのです。
そしてここで肝要な点は、その割ったスイカをみんなで食べるという儀式が最後にあるということ
ここが重要なのだ。
「神人共食」「共食、神饌」「直会といった神事がこれに通じる。
「その年の山野の収穫物を神に捧げ、行事が終わった後にはこれを神前より下げて参列者で分け合って神に感謝しつつ食べる。」といった行事で、当ブログでは、これに関して、
1、「クリスマスにケーキを切り分けて食べる意味は?」、「サンタクロース=恵比寿、大黒?」
2、「恵方巻きとは何か その2 恵方巻きとは正月行事の凝縮されたものではないのか(仮説) 」
と2回書いてました。(「スイカ割り」に使うのが「棒」だ、というのも実は重要。)
つまり「クリスマスケーキ」と「恵方巻き」は直会(なおらい)にあたり、「スイカ割り」の後のスイカもこれに通ずるという考えだ。
直会とは、

神社に於ける神事の最後に、神事に参加したもの一同で神酒を戴き神饌を食する行事(共飲共食儀礼)である。一般には、神事が終わった後の宴会(打ち上げ)と解されているが、本来は神事を構成する行事の一つである。
墓参りの際に墓前にお供えしたものを、あとで食するというのと同じ行為であり、神霊が召し上がったものを頂くことにより、神霊との結びつきを強くし、神霊の力を分けてもらい、その加護を期待するのである。また、神饌が食べられるものであるという証でもある。神社から餅などを頂く場合、直らうと言う場合がある。これも似た意味である。

とある。
西洋で似たようなものがあるかとすれば、それは「生贄、犠牲」となる。

日常としては、身命をささげ身代わりになって他のために尽くすことを指すが、本来は生贄の意で、(人間を含む)動物を殺して神に捧げる宗教儀式をいう。E・B・タイラーによれば神霊を喜ばせ、なだめるためのもので、犠牲動物は家畜が多い。犠牲の形式は、ただ殺すだけでなく肉を神と共食し、血をすすって血盟し、血を体に塗ったりする場合もあり、M・モースは血流の表象に注目して祝福の受容とけがれ祓いを象徴的に行う儀式とみなした

(マイペディア百科事典から)
とある。さすが肉食人種で少々野蛮ですが、考え方としては日本の「直会」「神人共食」と同じようです。(スイカの汁が血に、スイカ自体が頭にも見え、それを棒でかち割るというのが似てるような気もしますが…)

まだタイトルの「スイカ割りは稲作農耕民の祭祀」説の稲作農耕民といった部分が全く出ていませんね。でも、ここまででまだ前半です。

では前半の最後に、一言。
そもそも、なぜスイカなのでしょうか。それが問題だ!
「夏だから?」「適当な大きさだから?」「割れると楽しいから?」……。
まあ、まあ、それもあるでしょう。
しかしここ「スイカ割り=稲作農耕民祭祀説」での答えは違います。
それは「スイカは餅を見立てたもの」だからです。

次回に続く。
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