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物語を物語る

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歴史ミステリー小説「東毛奇談」 第5章 7

物語を物語る

「また越前、福井に何があったの」琴音はもう驚くのみであった。
「ここからだ。織田氏はもともと斯波氏に仕えた荘官であった。15世紀までは越前にいたが、織田常昌が尾張守護に任ぜられて尾張に移った。信長は越前攻めの際に、祖先の地として織田剱神社に詣でている。つまり織田氏は元々は斯波氏の家臣であったのだ」
「うーん」と今度は真船が唸った。
「そして幸若舞自体にも深い意味がある。それはな、幸若舞の動作には『反閇』『兎歩』という呪術的行為があり、陰陽道や道教など影響を受けているとされている。その意味は、地霊を鎮め、邪霊を退散させるという祭儀行為があり、これらは能や狂言にも通じたことなんだぜ。それに幸若舞の始祖が修験道の聖地である白山に籠もったことも影響しているだろうな」
「白山か。またつながったわ。家康、義貞、光秀」
「仮名手本忠臣蔵が鎮魂劇であるというは確実ですね。これで桃井という名前が登場する意味が出てくる」
「そうだな普通に考えれば、赤穂浪士の仇討ち劇という単純な物語なら、桃井のような役や場面は要らないであろう。まして勧善懲悪を愉しませることや封建的忠誠心を賛美することなら桃井のような複雑な行動はかえって不必要だ。前半の桃井若狭守の言動は作者の完全な創作だから、劇の本筋よりも創造されたなかに作者の意図しょうとしていることが織り込まれているはずなんだぜ。そこを見ないと」
「はい」と琴音は返事をした。マスコミの一端にいる琴音にとって、良いものを作るには、鋭い観察眼が必要であると思った。
「よしそれでは、桃井若狭之助の家臣である加古川本蔵はどうだろうか。本蔵の行動は主家を守るために奔走して、その行動は首尾一貫している。が、大事なことだが結局本蔵も死を向かえる。主な登場人物が劇中死ぬか、死を予感させている。しかし桃井だけが生き残る。それは何故か、桃井の使命は、幸若舞で霊を鎮め、鎮魂するために生き残らなければならないからだ」
琴音は思わず拍手した。仮名手本忠臣蔵という劇がこれほどまでに奥深いものであったかと感動せずにいられなかった。しかも見事なまでの論理を展開する弦さんに尊敬の念をおくった。
「いやいや、拍手するにはまだ早いぞ。結末に向かって収束せねばなるまい。拡げた風呂敷はきれに畳まないと、目覚めが悪いからな。そんじゃー龍ちゃんこれを」といって2枚の紙を渡した。
「まず一枚目はこれまでをまとめた図だ」
といって解説を始めた。
「ここでは本蔵と由良助の関係がポイントとなる。師直を仇討ちする前に、由良助は本蔵と和解する。主の判官が本懐を遂げられなかったのは、本蔵が止めたからと思っていた由良助であった。しかし本蔵は主の桃井ために師直へ賄賂を送り、矛を収めるように努めたことを知って和解する。つまり和解Aグループと仇討ちCグループは結び付きがあることになるな。よし、これを千ちゃんのまとめた南北朝時代と本能寺の変時期と実際に当てはめてみるとしょう」

図省略

「①南北朝時代から見てみる。Aグループの南朝は、Cグループの足利家に三種神器を駆使して継続しようと努めている。その後もCグループとは敵対しながらも後南朝として生き残っていく。Bグループはまさしく新田一族でAグループとつながりがありながらも滅亡していく。
②戦国期・本能寺の変時期とすれば、B・Cは問題ないAが家康であるとするのに異論があるだろう。しかし仮名手本忠臣蔵の二段目・松伐りの場面があり、桃井が本蔵に師直を斬ると決意を述べる所で、桃井が『野に茂りたる大樹の松、わが気儘に枝葉をのばし下万民を照らし賜う雲無月を遮って人の嘆きと相成らば、光の邪魔のこの枝は、斬るが良いか斬らぬが良いか』と本蔵に問うた。そして本蔵は『その枝ことごとく斬り放ち……』と言って師直を斬ることを勧めながらも、本蔵は師直に進物をして、師直を討つことを留めた。Aの家康とCの信長との間に緊張状態があったことは千ちゃんの説から戴いた。この状態とは家康嫡男信康事件、家康暗殺計画事件を指している。そしてAの家康とBの光秀との関係もここに入れた。
③赤穂事件。Aの幕府とBの吉良家の関係は、前に見たように家康改姓のときに系図を渡した件で、高家筆頭の地位に就いたこと。そして三河時代では、吉良家は足利家からの分家であり、松平家とは敵対しながらも、系図や金品で結び付いていた。Aの幕府とCの浅野家はどうか。浅野家は清和源氏の流れを組み、信長・秀吉の家臣となっていたが、関ヶ原の戦いで家康側に付き、その後徳川家に仕えている。つまりAとBは敵対していたが、後に協力していく関係となる。
今度はグループごとに見て行く。
Aグループは敵対するCグループ、協力関係にあるBグループとともに懐柔策をとり継続させることを本望としている。南朝も自然消滅の形であるが、北朝に吸収され朝廷としては生き残っている。つまり生き残ることは公家の論理である。
Cグループは実は、すべて北朝系・足利系である。高師直も吉良家も足利系であるが、信長はどうか。信長の家系は元々、越前守護職斯波氏の家老職である。新田義貞を灯明寺畷で討ち取った斯波高経もこの系統であり、このグループは反新田であるといえよう。
Bグループは清和源氏であり、新田、明智、浅野すべて悲劇的に滅亡している。
実はこの図の中で成立していない線がある。南北朝時代のBからCへの仇討ち、つまり新田から高師直・足利家への仇討ちが成立していないのだ。BからCへは、光秀から信長、大石内蔵助から吉良上野介へと討伐、仇討ちは成功している。ここで仮名手本忠臣蔵の本質が見えてくる。俺がこの劇が鎮魂劇であるというのはここにあるのだ。劇中、新田一族は、ライバルの足利方へ仇討ち、討伐を果たしているのだ。鎮魂とは死者の魂を慰め、落ち着けさせ、鎮めることである。だから仮名手本忠臣蔵が上演される度に新田一族の魂も慰められていることになるのだ」弦さんは長い説明のあと、高濃度カテキン入りのお茶を飲んだ。そしておにぎり煎餅の袋を開けて、ぼりぼりと食べ始めた。琴音も興味を示して手をのばした。弦さんの選ぶお菓子にはハズレがない。しかも安くてうまい。高くてうまいなんてものは当たり前過ぎて面白くねぇーというのをポリシーにしているらしい。変わっているなぁと思いつつも、弦さんらしくていいと琴音は思っている。真船はそんな二人のやりとりに一目も遣らずに、腕組みをして、弦さんの書いた図をじっと見つめていた。そして納得したのか、しきりに感嘆のため息をもらしては、なるほど、なるほどと薬局の前に設置されているサトちゃん人形のように何度も首を縦に振った。

「よし、では決着をつけようぜ。最後の質問だ。仇討ちを果たした一行はどこに行ったのだろうか?」
「吉良上野介を討った赤穂浪士は、浅野内匠頭の眠る泉岳寺に引き上げているわね」と琴音が返答した。
「劇では鎌倉が舞台設定となっているので、大星由良助らは光明寺に向かうことになっています」と今度は真船が答える。
「なぜ光明寺なんだろうか。まず、泉岳寺は曹洞宗であり、光明寺は浄土宗である。ともに共通点らしきものはない。徳川家が浄土宗だから、最後は幕府の機嫌を取って光明寺にしたなんてことはないはずだ。そうだろう?」
「もちろん」
「そもそも光明寺とはなんだということになる。鎌倉市材木座にある浄土宗の関東総本山であり、江戸時代には十八檀林の第一位となっている。十八檀林とは、江戸時代初期に定められた関東浄土宗の学問所で、各地に十八あり、そのどれもが大寺である。芝の増上寺や小石川の伝通院なんかもそうだ」
「家康が新田始祖追善のために建てた大光院も十八檀林のひとつです」とすかさず真船が答える。
「私も行きましたよね。やっぱり大きい寺だったわ。そうなると江戸時代の劇でもあるし、徳川家にあやかって鎌倉にある関東浄土宗総本山の光明寺にしたんじゃないですか。仇討ちを果たした彼らが帰るのも何となく自然のような気がします。ここの歌舞伎解説書にもそう書かれています」
そこに「あっそうだ……、ここだ」と真船は言ってノートを拡げた。「江戸にある将軍家菩提寺の増上寺はもともと光明寺と呼ばれていたというんです。はじめは古義真言宗であったが、のちに浄土宗に改めた際に寺名を増上寺としたといいます。だから解説書通りでいいような気がしますが……」
「いいや、どうもすっきりしねーんだ。今までの通説では俺は納得ができねぇー。よく考えればおかしなことだ。何度も言うけどよ、作中の名前や登場する場所は、制限の範囲内で作者の自由であるから、劇の意図や真意を探る手がかりとなるんじゃねーか。そう考えれば、この劇は直接徳川家とは関係ないし、仇討ちという暴動で世間を騒がせた一行が、裁きをする側のゆかりのある場所に引き上げるというのは似つかわしくない。しかも幕府の裁定は厳しいものだからな。簡単に答えを求めちゃ駄目だ。ここは劇の最後を飾る大事なシーンだ。劇では実際にその場所は表現されていない。そこに向かうところで終幕となる。しかし観客は知っているんだ、この後にも過酷な運命があることな。最後のクライマックスを観客に連想させて、余韻を残して終わる。だからこそ仇討ちを果たした一行がどこに向かうかは、この物語りの最も重要な問題点なのだ。ラストは劇の印象を決めることとなる。作家として始めと終わりの部分がどういう意味を持つか知っているはずだ。作者が命を懸けているところだと断言していい」
「それじゃー、弦さんは答えが分かったの?」
「この場合、正式な解答はねえだろうなー。この仮名手本忠臣蔵っていう劇は多層構造になっていて観た人なりに答えがあるといえる。その幾通りもある答えのうちで、あえて俺なりに導き出した答えは3つある」
「それは登場人物、時代設定、場所設定、背景、役名など、観客が自由に連想しているから、人によって感想が違うということでしょうか?」
「分かってきたな。まず俺が示した光秀の復讐説だ。信長を討った後に光秀はどうなったかだ。これは一つの見解だからな。結果を聞いて怒るなよ。俺はこれを権力の移行だと見た。権力は信長から一時的に光秀に移り、その後誰に行ったか?」
「信長を討った光秀、その光秀を討った秀吉となるわね」
「そうなる。だから光明寺に向かうことで権力の移行を暗示していると考えたんだ。そこでだ、太閤記によれば、秀吉は八歳のときにある寺に小僧として出された。その寺の名前が光明寺だという。これは幼少時代の逸話としては有名だから光明寺から秀吉を連想することはそれほど強引ではないぜ」
「それはちょっと……」と琴音は首を傾げた。真船もこれには納得できないようだ。
「いや、これだけじゃない。権力の移行という点でいけば、南北朝期にもあてはまる。足利尊氏が後醍醐天皇を追いやったあとに立てた天皇は、光明天皇だ」
「光明天皇は足利方にとって、とても意味深いでしょう。私は真っ先に、例の義貞北国落ちとなった事件が浮かびますね」と真船が付け足す。
「ここでもあの事が重要となってくるのか」琴音がぽつりと言った。
それを受けて真船が解説を加えた。「後醍醐天皇は足利尊氏と密約を交わし、義貞らを裏切って京に帰った。しかし尊氏は後醍醐天皇を花山院に軟禁して、三種神器を取り上げた。これを足利方が擁立した光明天皇に授与する形をとって、譲位の儀式を執り行った。これにより、光明天皇は正式に帝となり、足利政権の正統性を主張したのだった。そうなると確かに、『光明』は権力の移行を暗示することになるかな」
「それに、後醍醐天皇はこの後、京を脱出して吉野へ行き南朝を開く。これで時代は、世の中に二人の天皇がいる異常事態となるんだ。だからこの後に厳しい現実が控えているという意味を『光明』が暗示しているんじゃねのかと思っている」
「と、してもそれだけじゃー、ちょっと……。それで二つ目の答えは何?」と琴音は相変わらず厳しい。
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消えた二十二巻

Author:消えた二十二巻


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