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物語を物語る

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中川昭一氏の急逝に思うこと。

物語を物語る

まず、 http://news.nifty.com/cs/world/chinadetail/rcdc-20091004001/1.htmから。

<調査>自国への誇り、最も高い国は豪、中国は7位、日本は最下位
2009年10月2日、英誌エコノミスト(The Economist)が発表した調査結果によると、世界33か国中、自国に対する誇りが最も高い国はオーストラリア、最も低い国は日本であることが分かった。
同誌は、ニューヨークに拠点を置く世界的なコンサルティング会社レピュテーション・インスティチュート(Reputation Institute)がまとめた調査結果を引用し、「ほかの先進国と比べて、オーストラリア国民は、自国に対する信頼・称賛・尊重・誇りがより高い」と伝えている。
オーストラリアが自国に付けた点数は100点中90点前後と最も高かった。最低点を付けたのは日本で、およそ56点だった。「オーストラリア国民の自国への情熱は、まるでスポーツのようだ」と同紙は総括している。
同ランキングの2~10位は、順にカナダ、フィンランド、オーストリア、シンガポール、インド、中国、フランス、スペイン、チリ。自国に対する誇りにおいて世界基準とされている米国は11位で、自国に付けた点数はおよそ70点だった。
同誌によると、調査結果は金融危機の影響を少なからず受けている可能性があるという。なお、オーストラリアはその影響が最も小さい国とみられている。(翻訳・編集/SN)

日本人は自分たちが住む「日本」を愛していない。
嘆かわしくもあり、悲しくなる。

そして、こんな状況を最も憂いていた政治家が死んだ。
中川昭一さんだ。
彼が亡くなって数日たった。
最初にこの報を聞いたときはあまりにも突然のことで「愕然」とし、言葉も出なかった。その後のテレビ報道やネット記事を読んでいる内に「怒り」がこみ上げて、いちいち取り上げて書き殴ってやろうと思った。しかし、それも「空しく」感じられ、失望感というか虚脱感に見舞われている。
いまはただ、ニコニコ動画にある「中川昭一追悼」の動画をいくつも見て、涙している。

政治家にあまり関心の私が、中川昭一さんに異常にまでシンパシーを感じてしまうのは、そこに新田義貞の姿と重ね合わせてしまうからだろう。
その境遇、人生、無念の死……、それがあまりにも似ている。
南朝方の総大将・義貞、保守派の代表・中川氏とともに旗頭に据えられ、トップを狙える位置にまで昇りつめるが、つまずきによって落ちて行く。北国落ちしていく義貞の無念さと落選後の中川氏の失意が、私の中で重なる。そして、捲土重来を期しての志半ばで迎えた悲劇的な最期。
それに死後でさえ誤解と非難を浴びる。義貞は女、中川氏は酒。そしてその死さえ「犬死」だったかのように…… (マスコミ報道は中川氏の功績は伝えず、「あの会見」と「落選」ばかりを伝える。その死があたかもあって当たり前だったかのような流れを作っている。辛坊治郎は中川昭一さんの墓前で謝るべきだ。)
それに、自民党の行く末も、南朝がたどったように衰退し、ジリ貧になった行く様も重なってしまう。だが、両者ともにその末路を見届けずに死んだ。
「無念」だったに違いないはずだ、そう思えてならないのだ。
まあこれは私が2人を勝手に重ね合わせて想像したことだ。だが、その悲劇的な最期、それらをすべて含めて、尊敬せずにはいられない。


では、中川昭一公式サイトの最後の記事から
http://www.nakagawa-shoichi.jp/talk/detail/20090914_497.html


選挙が終わって―『十勝・日本が危ない』  平成21年9月14日
私の選挙が終わった。多くの人々が仕事、家庭、お盆を犠牲にして私の為に戦ってくれた。選挙区外からも大勢の人々が駆けつけてくれた。そして、それ ぞれの選挙運動を一生懸命やってくれた。朝6時頃、選挙事務所を飛び出して行く人たち、一日中車のハンドルを握ってくれた人たち。毎日毎日運動靴を履い て、雨や汗にまみれながら、一軒一軒「お願い」に行く人たち。相手から怒鳴られたり、泣かれたり、また励まされたり・・・・。皆、事前から危機を共有して いたのでエネルギーは質・量とも感動的だった。
全国から毎日たくさんの激励・応援の手紙やメール等々も頂いた。事務所の何枚もの大きなボードに掲載したが、どんなに励みになったか。
 それでも負けた。活動してくれた人々、約9万人の支持を考えると誠にありがたい。かつ申し訳ない。悔しい。しかし、十勝の総意として、私は否定された。 敗因は逆風もあったが、やはり私自身の報道問題と、私が訴え続けたこのままでは「十勝が危ない」「日本が危ない」が有権者に受け入れられなかったことだろう。
 選挙中、周りの人からは「あまり民主党を攻撃するな」と言われた。もちろん自分の主張はしたが、マスコミは既に我々の敗北が決まった様な報道をしている ので、そうなれば「大変なことになる」と訴えざるを得なかった。「泣け」とか「土下座しろ」というアドバイスもあったが、私には出来なかった。この間2度 公開討論会があり、「これが選挙のあるべき姿だ」と思い大変重視したが、全く「討論会」にならなかった。形式的で3人で1時間半しかない。入場者も議論に 参加した、候補者が主役で、候補者の主張の違いが明確になる「朝まで討論方式」でなければ意味がない。12日間、大音量で連呼を続け、人々と動物等に多大な迷惑をかけた。改めて「全ての十勝」に感謝と御礼の気持ちでいっぱいだ。

 それから2週間経過し、十勝は夜を徹して収穫の真っ盛り。コスモスが咲き乱れている。マスコミは新政権の行方と自民党の混乱、そして事件・事故報道ばか り。予想通り「危ない政権の危ない日本作り」が着々と進んでいる。そんな中JALの経営危機問題。この問題は永年の労組中心の高コスト構造と甘い経営に尽 きる。アメリカのGMと同じだ。労組は「自分達の労働条件が悪化すると乗客の安全性が保証できない」と客の生命を人質に脅かしている。新政権になれば、ま すます労組の主張が通るだろう。だからこそ、日本と日本人を守るために自民党がしっかりしなければならない。
 ところが・・・・・。
 党内議論は「若手に主導を渡せ」「上の人間は出て行け」「派閥をなくせ」・・・・。党がおかしくなると感じた時に、毎回「セミ」のように騒いでいる。近くは、今回解散前、遠くは今から16年前の記憶が私には鮮明だ。
 平成5年、我々は負けて野党になった。(私は当選したが)。やはり、不況、悪天候で不作、年末にはウルグアイラウンド(GATT、WTOの前身)で細川 内閣は「無条件降伏」をした。あの時も党内で上を下への大議論をやった。しかし、激論の末、石原慎太郎さんの下で党再生の本格的議論が始まった。私も参加 して、各分野ごとに、日本の為に党はどうなるべきか、どういう政策を打ち出すべきかを連日議論した。そして一年後、政権政党に戻った。その前提は唯一つ 「保守」であった。
 そう、自民党の原点は「保守」なのだ。そして今こそ原点に戻るべきなのだ。
  「保守」とは守るべきものを守り、保守すべきために改革する。そして国民の活力に期待して成長のための戦略を描く。リベラリズム、ポピュリズム政権と どう区別し、対抗していくか。しかし、前進―地球の中で生き残り、真に国民を守るために何をなすべきか。と言った議論が全く欠けている。
 私を含め、「保守」議員の多くがいなくなったが、まだ残っている。彼らがいかに保守の旗印をもう一度立て直し、日本を守り、真の意味で国民を守るかを真摯に議論してほしい。心ある国民はそれを是非応援してほしい。
 自民党は末期的だが、今こそ日本の保守の軸を改めて確立するために全力を尽くすべきだ。さもなければ、日本は世界の中で埋没しながら自壊してゆく。
P.S. 過日、麻生総理の「就任直後に解散しておけば勝っていたかもしれない。しかし、経済状況を考えると、とてもそれはできなかった。」という 主旨の報道があった。それが総理の本音であり、総理という立場の判断の辛さだと思う。私は麻生総理に対し、心から申し訳なく思っている。何故なら、昨年 来、経済・生活対策を最優先にすべしと一番強く迫ったのは、財務・金融担当大臣つまり私だからである。何よりも政局より、政策実行の為に。総理の選挙を負 けさせ退陣に追い込んでしまった。私も議席を失ったが、あの時の判断は、その後の対策が日本と世界を上向きにしつつある現状を見ても、間違っていなかった と今でも思っている。

私は今後新たに決意を持って進んでいきます。発信していきます。「日本が危ない」から



これを彼の遺言として受け止め、保守派や右派はこの言葉を胸に刻むしかない。

そして私が、これを読んで感じたのは、彼の持つ「信念の強さ」と「優しさ」だった。
また「土下座」「泣け」と言われてもそれを撥ねつける「気高さ」を彼は持っていた。(また、北朝鮮に拉致された人の家族の話を聞いて泣いたという男気のある人でもある)
私は選挙に受かりたいだけで「土下座」や「泣きを入れる」などをする政治家を信用しない。こんな人が外交の場に出れば、中国や韓国、アメリカになめられるだけだ。
政治家には「矜持」が必要だ。それを中川昭一さんは持っていた。

それにこの文にあるように、動物にまで気を使う政治家なんていただろうか?
そして、傷心の身でありながら、「コスモス」に目が行く優しさは何であろうか。
「政治家」ではない時のあの穏やかな表情が彼の「優しさ」を物語っている。

中川昭一さんは、最後に、地元の人々に救いを求めたのではないか、そこに賭けていたのではないか、私は思う。
だが地元の人々はこの思いを裏切ったのだ。
地元の十勝を愛し、地元に尽くした男を、地元住民は「一度犯した失態」を許すことはなかったのだ。
これが彼に与えた影響は大きいかったはずだ。
鈴木宗男の口車に乗り、違法献金問題・ソープ代請求、西松建設問題で事情聴取された民主党・石川 知裕に入れた人々よ、一生悔やむがいい。
十勝や帯広の方々よ、いまさら献花に行ったって遅い。
もう彼はいないのだから。

そして、つまずきの切っ掛けとなった「あの会見」の真相は何だったのかをいま一度追及する必要があると思う。「中川昭一辞任の裏側」「中川昭一 読売新聞 G7」などで検索すれば、その背景が見えてくる。やはり、マスコミに殺されたのだ。
越前谷知子を引っ張り出して徹底的に問いただすべきだ。
そういう骨のあるジャーナリストはいないのだろうか。

まずは「汚名を晴らす」「名誉回復」これが中川昭一さんの供養になる。
それが「保守復権」の第一歩となるはずだ。
いまは、そう思えてならない。

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