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「新田義貞伝承を追う!実は東毛奇談の続きシリーズ」次回からは新井白石です。

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「天皇論と今後の方針」で予告したように、「新田義貞伝承を追う!実は東毛奇談の続きシリーズ」を再開します。  
次からはしばらく「新井白石」をやります。
なぜ、新田義貞伝承で、新井白石なのか?って。
それは、新井白石が「新田源氏の末裔」を名乗っていたからであり、白石は官位「筑後守従五位下」で、「源朝臣君美」という姓を使っていた。
しっかりと源姓を使っていますが、これが新田氏系なのです。
とりあえずは手始めに、以前これについて書いた部分を再録しておきます。

江戸中期の学者・新井白石は「新田庶家」の流れを組む者。
「上毛及び上毛人」56号(大正10年)によると、新井白石が書いたとされる書物が発見されたとある。
それは「義家朝臣古園考」「左中将源公没年考」「新田世良田徳川三家合考」「岩松家系附録序説」「長楽寺古文書」で、発見者は戸田氏之とある。
すべて、「新田一族」に関するものだった。
なぜかと言えば、第一に、徳川家が新田一族の末裔を称しているからその調査という目的もあっただろう、また第二に、新井白石自身の祖先も新田一族に連なる者だと云われていたので、これを調査し著述したのだろうと思われる。
ここ「上毛及び上毛人」本文には、「白石の父正済は新太郎と称し新田郡新井村の出身であることは口碑にも伝えられ、正済の伝は上毛偉人伝にも出ているが、白石全集には「新井家系」も出ているので読んでみると「我則上野人也」と明白に書いてあった」とある。
また、橋本幸雄著「上野国世良田 長楽寺改宗と天海」(岩田書院)の中にもこの件に関して詳しく書かれてあり、新井白石が新田一族の中から自分の祖先につながるものを発見したとき、狂喜乱舞しそうなほど喜んだとある。
というのも、新井白石の身分はもともと「浪人の小せがれ」であり、名門を誇る老中からみれば「町人学者、浪人学者」と疎まれる存在だった。それが、将軍家と同じ「新田氏」系の流れを組む家系であったとなれば、まわりの目も違うだろうし、本人の自尊心も満たされることになっただろう。
実際に新田氏の末裔であったかは分からない。しかし、新井白石が自分は「新田氏の末裔」だと信じ、「新田伝承」を受け継いだということが重要で、その自覚が本人にがあったという点が肝心なのだ。
さて、この新井白石は実は「尊王主義」だったという、これはよく覚えていてください。のちに「新田義貞伝承を追う!シリーズ」の根幹になるからです。(「新田伝承」を持つ者は「尊王思想」があるということ)


ということで、次回からの「新井白石」について項目は3つ。
1、新井白石は「新田源氏」だったのか?
2、皇室の系統を守った新井白石は、新田源氏の使命だったから?
3、対中国、対朝鮮、日本の取るべき外交姿勢は、新井白石に学べ。

の三点。

次回に続きます。

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