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物語を物語る

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歴史ミステリー小説「東毛奇談」第1章 3

物語を物語る

1333年5月に新田義貞は挙兵して、十数日で北条氏を攻め滅ぼした。そうだ、義貞軍が鎌倉に突入した場面は確か太平記の巻十に出てくる。それは太平記の前半の山場といってもいい。真船は記事にした内容を思い出してきた。真船がその情景を頭に描いているときに、老人はカバンから太平記の現代語訳を取り出して言った。
「原文ではわかりにくいであろう。訳語を読んであげよう」というと、詩吟でも謡うかのように朗々と読み始めた。

稲村ガ崎干潟となる事

さて、極楽寺の切り通しへ向かった大館次郎宗氏が本間に討たれて、その軍勢は片瀬、腰越までひき退いたと知らせてきたから、新田義貞は勇士二万余騎を率いて,二十一日の夜半に片瀬、腰越を迂回して極楽寺坂へ赴かれた。
明け行く暁の月に敵陣を望まれると、北は切り通しまで山が高く路も険しいうえに、木戸を構え盾を垣のように並べ立てて、そこに数万の兵どもが陣を張って控えていた。南は稲村ガ崎で砂浜は狭いうえに、波打ち際まで逆茂木を厳重に引きめぐらし、沖四、五町のところに大船を並べて船上に櫓を作って横から矢を射かけようと待ち構えていた。
これではこの陣の寄せ手が何ともできずにひき逃いたのはもっともであると御覧になったから、義貞は馬から降りられ、兜を脱いで海上遥かを伏し拝み、竜神に向かって祈られた。
「伝え承るに、日本国開闢の主神、伊勢の天照大神は、本地大日如来であられられ、衆生済度のため仮の姿を滄海の竜神と現わされたと聞きます。わが君後醍醐帝はその御子孫でありながら、反逆の臣のために西海の波間に流されておられます。義貞はいま臣下の道をまっとうせんがため、武器をとって敵陣に臨んでおります。その志は帝の徳化をお助け申し、人々の心を安からしめんとするにあります。願わくばは、内海外海の竜神など八部衆よ。私の忠義に免じて、潮を万里の沖遠く退け、道をわが三軍のため開きたまえ」まごころをこめてこう祈念すると、みずから差しておられた黄金作りの太刀を抜いて海中に投じられた。この願いを竜神がまことお聞き入れになったのだろうか、その夜の月の入り方に、これまでまったく潮の退くことのなかった稲村ガ崎が急に二十余町にわたって干上がり、砂浜が広々と横たわった。横から矢を射かけようと構えていた数千の軍船も引き行く潮に流されはるか沖に漂い、不思議というにも類のない事態が起こった。義貞は古今の奇瑞の再現である、さあ進め兵どもと命じた。軍勢六万余騎が一隊となり、稲村ガ崎の遠干潟を横一文字に駆け通り、鎌倉の町中へ乱入した。

「この場面は太刀投げとか、太刀沈めとかいわれる鎌倉攻めの山場だ。鎌倉進入ルートとして稲村ガ崎から突入したことはほかの史書や、梅松論などにも登場するので間違いないことは分かっている。ただ問題となっているのは、その突入方法だろう」
「そうですね。鎌倉は三方が崖に挟まれ、南が海になっている。それまで難攻不落の都として栄えてきただけに、鎌倉を目前にして義貞は攻め倦んでいた。ほかの進入ルートの切り通しは守りが堅固でなかなか切り崩せない。この稲村ガ崎のルートにしても峻険な崖が迫る海岸線であり、そこを敵の大軍が侵入を拒むように待ち構えている。しかし現実にはそこを攻めることができたんですよね。潮が急に数十メートルも引くことはありえないし……。で、雨月さんは何か新しいお考えでもあるのですか?」と切り返した。
「ふむ、まあどのように稲村ヶ崎を渡ったのかが、これまで謎となっていたのは事実だ。明治の歴史学者久米邦武氏は、義貞方の武将が海岸線にそびえる霊山をよじ登り幕府軍を背後から奇襲して攻め落とし、義貞軍本隊を引き入れたとした。高柳光寿氏は干潟渡渉説には否定的で、霊山を通ったのではないかと推察している。またその一方で大森金五郎氏という学者は、稲村ガ崎が大干潟になったとき、実際に自ら歩いて渡った。1333年5月22日午前2時58分に稲村ガ崎が干潟になることを天文学者が計算したこともあって、義貞が事前に干潟になることを知っていて、自軍の士気を高めるために太刀投げという芝居を打ったのではないかと推測していた」
「それなら、小説『新田義貞』の著者新田次郎氏が、自身の解説の中で、稲村ガ崎を渡ったのは事実であろうと書いています。ただ潮は完全に引かず、波も高かったが、義貞はまさに背水の陣を敷いて渡渉を行ったのではと考えた。私もこの説を押したいな。なんか義貞らしいですから。ところで雨月さんはどの説ですか?」と言って話しを先に促そうとしたが、老人はまだまだといった感じでお茶を一口飲んでから話を始めた。
「どの説にしても義貞の太刀投げという行為が自軍の士気を高めるための大芝居を打ったという見方で一致している。フィクションだと決め付けて簡単に打ち捨てていいのだろか……。この逸話のポイントは、義貞が竜神に何を祈願したのか、それともまた、竜神を遠ざけたのでないかということだ」
「えっ」真船は雨月が何を言い出すのか分からなくなった。話が長引くのを恐れながらも、この話の終着点がどこに行き着くのか聞いてみたい心持ちがしてきた。
「まず義貞の祈願した竜神とは何かを知る必要がある。まずさっきの太平記に出てきた八部衆とは何か。正確には天竜八部衆というもので、釈迦に諭されて仏教に帰依し、悪を除き、仏法を守護するとされる八種類の眷属のことである。八部とは天・竜・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩羅迦である。まあ、もともと古代インドの神々が仏教に取り入れられたと考えられる。そのなかでも特に、竜は中国や日本で土着の信仰とも結びつき独自の発展を遂げたものだ。そこで義貞が祈願する最初の竜神とは、日本の主神が竜神に化身した姿に対して畏怖の念を語っている。そして二番目に出てくる竜神は八部衆つまり江ノ島の竜神のことで、それに祈願しているのだということがわかる。その辺のところは分かるかな」
分かるかな、と念を押されて真船は出来の悪い生徒のように「あっ、はい」と答えた。雨月は老練な教師のようにうんうんと頷き、相変わらず相手を威嚇するような眼差しを向けていた。真船はまるで立場が逆転していることさえ気にならなくなった。
「問題なのは、義貞が海中へ投げ込んだ黄金の太刀だ。この太刀、どの文献を見てもその銘さえ分からない。それどころか、その形状も黄金作りというだけでまったく分かってないのだ。まあ、竜神に祈願した太刀投げという行為が芝居であったと考えるなら、この太刀がどんなものであったか知る必要もないがな。ただしすべての謎を解く鍵はここにあるのじゃ」
話が佳境を向かえようとしたとき、ドアをノックする音が聞こえた。少し開いたドアの隙間から相馬の顔がのぞいた。真船はちらりと腕時計を見た。頼んだとおり十分ほど経っていた。真船は、ちょっと失礼といって席を立ち廊下に出た。
「どう、どうせ自費出版した自伝を新聞に載せてくれっていうんだろう」
「いや、少し違うんだ」
「ふーん、まあ適当にあしらっておけよ」
「あーもうしばらくしたら戻るよ」
「そんなことをいって時間は大丈夫なのか」と言って、右手の人差し指で自分の腕時計を何度もたたいた。
ここまで聞かされては後には引けない。これは一種の謎かけ、いや歴史ミステリー小説みたいだ。その手の本が好きな真船はすっかり引き込まれてしまった。読みかけの推理小説ほどもどかしいものはない。どんな詰まらない結果であっても、結末だけは知りたい。宙ぶらりんのままほど気持ちの悪いものはない。あと十分いや十五分したら戻ると相馬に告げて、真船は古ぼけた応接室のドアを開き部屋に戻った。
雨月は依然として、傲慢ともいうべき態度を崩さずそこに座っていた。そして真船が席に着くや否や話しを始めた。
「それでは続けよう。太平記巻五にこんな記述がある。鎌倉幕府創設の始めに、北条時政が江ノ島に参篭して、一族子孫繁栄を祈願した。二十一日目の夜に赤い袴に薄青の裏をつけた衣を着て端麗にして厳かな女性が、突如として時政の前に現れ、語った。時政の前世は箱根権現の僧で、六十六部の法華経を書写して、日本六十六ヵ国の霊場に奉納した善行により、その子孫は末永く日本の主となり栄華を誇るであろう。ただし、その言動に天道にはずれることがあれば、七代以上続くことはないであろう。といって帰っていった。その姿を見ていると、その女性は長さ二十丈ほどの大蛇となり海中に没してしまったという。この大蛇こそ江ノ島弁才天であった。その跡には大きな鱗が三つ落ちていた。時政は願いが叶えられたと喜んで、その鱗を拾って、それを旗の紋所にした。これが北条氏の家紋三鱗の由来である。つまり北条氏にとって江ノ島の竜とは縁が深いことになる」
「その由来は聞いたことがあります。この竜神の言うとおりに北条氏七代以降である九代目高時のとき滅んでますよね。高時は犬追いや田楽狂いで政を顧みなかったために世の中が乱れて政情不安を招いていますから、竜の予言とおりになったという話しですよね」
「そうだな。そうなると竜とは元々どんなものなのか見なければならないだろう。それでは『本草網目』から引いてみる。竜の形に九似あり。頭は蛇に似る、角は鹿に似る、眼は兎に似る、耳は牛に似る、頂は蛇に似る、腹は蜃に似る、蜃とは蛇に似て大なり。角ありて竜神のごとく、紅き鬛あり、鱗は鯉に似る、爪は鷹に似る、掌は虎に似る、これなり。その背に八十一鱗あって、九九の陽数を具う。その声は銅版をうつがごとし。口のかたわらに鬚髯あり。頣の下に明珠あり、喉の下に逆鱗あり。頭上に博山ありて、また尺水と名づく。竜は尺水なければ天に昇るあたわず。気を呵して雲となし、すでによく水と変じ、またよく火と変ず。……と姿形はこのくらいでいいだろう。性質としては、粗猛にして美玉空青を愛し、喜んで燕の肉を好む。鉄、罔草、百足、せんだんの葉、五色の糸を嫌う。故に燕を食う者は水を渡るのを忌み、雨を祈る者は燕を用い、水患を鎮める者は鉄を使う。つまり大事な点は、竜は金物、鉄を嫌うということだ」
「竜神が金物や鉄を嫌うのは知りませんでした。でも太平記巻十五の俵秀郷が竜神に頼まれ百足を退治する話では、その褒美として太刀や巻絹、赤銅の撞鐘をもらう。そしてその撞鐘は三井寺に寄進された話やら、竜が鉄を嫌うというより、むしろ好きなくらいで矛盾するのでは。しかもこの鐘は竜宮の小蛇が舐めて瑕疵のところを直したとある。竜や蛇が金物に弱いとは思えないのですが。しかも太刀に竜神を彫ったり、確か倶利伽羅竜王という不動明王の変化身は太刀に絡みつき呑み込もうとした姿であったはず、竜が鉄に弱いというのは信じられない」
「ふっふっふっ、なるほど馬鹿ではないな……。竜というのは複雑多岐にわたり、一筋縄ではいかない。竜といっても蚊竜、応竜、蜃など数限りなく多い。しかも様々な神に化身するから、ただ竜といってもどの竜であるか把握するのは難しいのだ。今日一日いや何日、話してもその全貌を知ることはできまい。だって時間は大丈夫なのか」といって、手首を指したが、そこには腕時計はなかった。ただその手首が鳥の足のように細いのが気になった。だが雨月は真船に構わず話しを続けた。
「竜神信仰について大塚民族学会編の日本民族辞典にこう記述してある。『竜神は古くから水田耕作を基本的生業としたわが国では、その生産に不可欠な水を司る神として信仰され、農耕生産と結びついて民間に浸透した。雨乞いが竜神の棲むと考えられる淵、もしくは沼地で行われるのは、全国的習慣である。……中略、龍神は、一方漁業生産とも深くかかわり、海を生産その他の活動の場とする人々の間では竜神祭が広く行われる。裏祭・磯祭・潮祭と呼ばれるものがそれで、この日、沖止めを習慣も広い。海上生活者の間で、金物を海に落とすことを禁忌にしているのは、鉄を嫌う蛇信仰が竜神信仰の基底にあることを思わせる伝承として興味深い……』 竜が鉄、金物を嫌うという伝承は広範囲で伝わっている。またその一方で、産鉄民も竜神を信仰しているし、事実、水がなければ、鉄は作れないから、水の神である竜神を祀る 必要がある。矛盾するが、この解決の鍵を握るのに、もうひとつ八部衆の中で重要なものがいる。それは迦楼羅である」そう言うとこの老人の声は一段と高くなり、その顔は上気したのか、いくらか赤らんできた。
「インド神話の巨鳥で、ヒンドゥー教では最高神ヴィシュヌの乗り物とされている。翼は金色で広げると三三六里もあるとされ頭には如意珠があり、口から火焔を吐き、大体が鳥頭人身、半鳥半人の姿で描かれる。その手には、蛇を持ち、両足で蛇を踏みつけるものもある。また金翅鳥ともいわれ、彼らは竜を常食とする大鳥であるとされる」
「竜を食べる……」
「そしてこの迦楼羅は、日本に伝えられたとき、その姿形から、変化し発展して天狗となった。つまり竜を常食とする迦楼羅と天狗とは同類であるのだ。さっき出た百足退治をした秀郷は、竜神の力を得たことは間違いない。そして秀郷は、竜神の力を得たことは間違いない。そして秀郷はのちに平将門を討ち取る。平将門は知っているな」
「もちろんです。自らを新皇と称して、関東で反乱を起こしましたね」
「そう、その将門は山の民の力を得ていたんだ。つまり百足といえるんだ」
「うーんそれは飛躍しすぎです」
「まあいい。今は分かるまい。ここでは百足を説明するにとどめる。百足は山の神の使いとも、黄金を保護するといわれる毘沙門天の使いともいわれ、山の民にとって百足は象徴であった。また産鉄の民は百足を旗印にし、鉱脈のことを百足ともいった。ここで竜神と百足・天狗の戦いの構図が成り立つのだ。鉱山を開発すると、川が汚染される。すると稲作農業に被害が出る。つまり、山の民と農耕民の生態系的な対立がここに現れるのだ。これは百足・天狗と竜の対立構造と一致する。秀郷が百足を退治した三上山には御上神社があり、天之御影神を祀っている。天之御影神とは天目一箇神のことで、これすなわち製鉄神で片目は産鉄民を表す。つまりは竜神を信奉する者が山の民を武力制圧したのではないかと思うんだ」
「……」真船は雨月の口吻に圧倒されるばかりで、ただ頷くしかなかった。ただ南北朝時代を民俗学の側からアプローチしようとしているのが分かる。その意味では別段新しいとはいえないが。
「そこでだ。新田一族、南朝と天狗とのかかわりを見てみるとしよう。その逸話は多くある。その一つに、義貞が鎌倉攻めを決意し、生品神社で旗上げしたときのこと、そのときの自軍の兵はわずか百五十騎であった。それでも義貞軍は南下をし始めると、その日のうちに二千騎が駆けつけ参陣した。彼らは、越後にいた新田一族であった。義貞は、彼らに我らが挙兵したのをどこで聞いたのかを訊いた。すると彼らは、義貞の使いと名乗る天狗山伏が、義貞が挙兵したと越後国中を触れ回ったという。また明日には、信濃甲斐の武将にもこの報が伝わり、追っ付け馳せ参じることでしょうと答えた。これは新田宗家の氏寺・安養寺の不動明王が山伏姿に変身して触れ回ったという伝承もあり、新田氏が山伏天狗とかかわりがあることを示している。
そして義貞が北国落ちする際に頼ったのが、修験道の盛んな白山神社であった。白山神社は、愛宕山を開いた泰澄が開山したもので、修験道の開祖役小角とも深いかかわりがあるのだ。また修験道、山伏は闇のネットワークをもっていて、南朝方に終始加担している。それに新田一族が本拠とした新田荘には金山があり、砂鉄を含む山『鉄穴山〔かなやま〕』という意味で、その語源からも産鉄と関係があると思って間違いない。また南朝の北畠氏は伊勢を支配しており、修験道の聖地である吉野、熊野は南朝の本拠地で、この一帯は鉱産物の産地であった。修験道の霊場となっているこれらの山がすべて鉱山地帯であると五来重氏は言っている」雨月は一気に語った。
「つまり修験道がキーポイントになるということですか」
「そうだ。修験道とは、中国の仙人思想と密教の影響を受けた山岳信仰で、この修行者が山伏である。そして南朝方は総じて、山伏・修験者の力や財力を頼りにし、彼らも進んで協力した。この関係を示すエピソードを列挙してみよう。後醍醐天皇は、怪しげな呪術を駆使した真言立川流の文観を寵愛した。この僧は修験者であり、そのじつ山伏であった。また護良親王も笠置城落城後、追っ手から逃げるために山伏姿となった。しかも親王自身が山伏の霊験を現して村人を救う逸話まである。また楠木正成にいたっては山の民そのものだろう。護良親王や楠木正成らは、その死後天狗道に落ち天狗になり、毎夜愛宕山に集まっては足利方の天下を覆そうと謀を巡らしていると太平記は伝えている。史実でも、南北朝統一後も山伏は、北朝方と和解することなく後南朝方に協力してゲリラ活動を続けたという。こうして見ていけば南朝方と山伏や山の民との関係は深いことが分かるだろう」
「山伏天狗を中心とした山の民が南朝つまり反体制側であったことよく分かりました。しかし鉄は渡来者つまり海の民が稲作とともにもたらしたものであって山の民だけのものではないはず。だって竜は山にもいるし、山の民の蛇信仰だってある。そうだ、ヤマタノオロチから草薙の剣が出てくる神話もあるじゃないですか」真船は竜と鉄の関係から反駁を試みた。
「たしかにそうだ。一概に産鉄民を山の民とすることはできないし、海の民も山の民ももともとは漂白民であった。しかしここでいえるのは、竜神を信仰する海の民から農耕民となった民とそれに対する天狗を代表とした山の民・非農耕人の対立である。これは体制側と反体制側の戦いなのだ。これはひとつの方向性を示している。表と裏、現れた歴史と隠された歴史ともいえる。これが顕著に現れたのが南北朝時代なのだ。そして山の民、天狗山伏は一貫して南朝方だった。とすれば、対立する足利方が海の民となるはずだがそれが簡単にそうとも言えない。足利尊氏と直義の兄弟の仲が悪くなったとき、交互に南朝方に降って和睦し、兄弟は敵対した。これはつまり、足利方=海の民という簡単な構図ではないのだ。いうならば海の民〔竜神〕を引き入れた方が体制側となるといえる。なんといっても水利を押さえたほうが前近代では有利だからな。なにしろ物資や兵隊を運ぶにも船が一番効率が高いからだ」
「確かにそれは言えてます……」雨月の語りは熱を帯び、真船を圧倒した。そしてこの話がまだほんの通過点に過ぎず、どこかとんでもない結末に落ちるような予感がし始めた。
「それが証拠に南朝方は海での戦いはことごとく負けた。無論、南朝方につく海賊や水軍は多くいた。それは熊野水軍や村上水軍などで、それなりに強く、奮闘もした。しかし肝心なときに神の手というべきものが入って、南朝方は壊滅的打撃を受けるのである。二、三例を出しておこう。
①、義貞戦死の直後、南朝方は起死回生の一大戦略を計画した。北畠親房・顕信父子が義良親王を奉じて陸奥へ、宗良親王を遠江へ、満良親王を土佐へ、新田義興・北条時行を武蔵・相模へと派遣して各地に南朝の拠点を作ろうという作戦であった。この計画は大船団を作り海路を取って各地に配備しようというものであった。かくして1338年9月、五十艘もの大船が伊勢大湊を出航した。しかし遠州灘を過ぎたあたりで、暴風雨に遭い、多くの船が漂流、沈没した。北畠親房の船は常陸東条浦へ、義良親王の船は尾張篠島へ、宗義親王の船は遠江白羽の湊へと漂着した。あとの船は海岸にたどり着いても、捕らえられ斬られた。こうして乾坤一擲の計画も無残に失敗し、南朝方は大打撃を受けた。
②、足利方の細川頼春と南朝方の土居氏・得能氏との瀬戸内攻防戦のときのこと。伊予宇治には大館氏明の籠もる南朝方の四国拠点の足がかりというべき城があった。ここに足利方が攻撃を仕掛けてきた。海での攻防は数十日に及んだが決着がつかない。その戦いの最中に、突風が吹き、足利方は四国側へ、南朝方は反対に本州側へと船が流されてしまい、足利方の圧倒的優位になった。この戦いは結果的に四国が足利方の優勢となるきっかけになった。
③、1336年1月の京都合戦で、足利尊氏は義貞、楠木正成、北畠顕家ら宮方に大敗して、弟直義とともに九州へと敗走した。そこで尊氏は九州の少弐・大友・島津氏らを頼った。まず筑前葦屋津に上陸すると、宗像神社大宮司館に入った。九州には宮方の有力武将である菊池武敏がいて、足利方に対抗して三万の兵を揃えた。一方足利方は千余りの兵しか揃わない。圧倒的に宮方優位のまま多々良川を挟み両軍は対峙した。足利方は香椎宮あたりに本陣を置く。そしてここでもありえないことがおこった。それは、戦いの最中、突如として暴風が吹き、砂塵が菊池方を襲った。足利方はこの機を突き、一気に形勢が逆転した。圧倒的兵力であった宮方の菊池氏が負け、松浦党・神田氏らが足利方に寝返り、宮方は壊滅状態にまで大敗する。この戦いにより足利尊氏は九州勢力を手に入れた。このときのことで太平記に興味深い話がある。足利直義が多々良川の戦いに出陣しようとしたときに、ひとつがいの鳥が杉の葉をひと枝くわえて直義の兜の上に枝を落とした。これは香椎宮が御守護して下さる吉兆であると、うやうやしく拝礼して、これを鎧の左袖にさして出陣した。また神霊的なことはまだ続く。菊池軍と対峙した直義は、敵の状況をみてようすをうかがっていた。そのときだれも射らなかった白羽の矢が、敵の頭上を鳴り響いて飛び落ちたところも見えなかった。足利方はこれはただごとではないと頼もしく思い、兵の士気も大いに上がったという。
これらのことは何を意味するのか。不可解なのは必ず突風が吹き、足利方が有利となるということだ。それが海と関係している点が重要だろう。反対に海難続きの南朝方を当時の人々はどう見るかだ。現代とは違って航海技術が足りないとか、天候が読めなかったとはみないだろう。神つまり、海の神に見放されたとみるのではないか。だからこそ、航海するときは海神を祀る神社に祈願するし、戦いの前には信ずる神に戦勝祈願するのだ。そしてだ。戦勝祈願した場所がとても重要となってくるのだ。どの神に祈ったかということは、どの神に身命を授けたかということになる。ゆえに、武将たちはこぞって神社に行って戦勝祈願するのだ。現代人が初詣で神社にお参りするのとはわけが違う。戦いをするということは自身の命のみならず、その妻子、一族その家臣またそれらに付随する人々すべての命にかかわることだ。また、その名は後々まで語られることになるのだ。だからどの神にその命を託すのかを軽々に考えてはならない」
「……」
「さあ、そうなると新田義貞や南朝方のキーワードは、山伏天狗、山の神に修験道。では足利方はどうであろうか。九州落ちした足利尊氏は何を頼ったかだ」
「宗像神社に香椎宮、筥崎宮でしたね。尊氏はそこで戦勝祈願してましたね」
「それだけじゃない。これらの神社から武具の提供まで受けていた。これらの神社はどういう神社だろうか」
「うーん、海に関係してるかな」
「そのとおり、すべて海の神、航海の神だ。そして、神功皇后を祀る神社だ。神功皇后は三韓征伐のとき、塩乾珠を海中に投げ、海水が引いて新羅に攻め入ることが出来た。つまり海や水を祀る神社の力は強大である」
「尊氏は人生最大の危機に際して海の神の力を得て、巨大な力を手に入れたわけですね」真船は、雄弁に語る老人の説を確認した。
「まだある。尊氏は京へ攻め入る東上の途中で厳島神社に立ち寄り奉幣した。ここにおいて瀬戸内の兵船五百艘が加わり、総勢五十万の兵と七千艘の大水軍をもって京を目指すことになる。この厳島神社は江ノ島、竹生島とならんで三弁天といわれる弁財天を祀る神社だ。いうまでもなく、弁財天は湖水や池など水辺に祀られる神で、日本では古来からの水神信仰と結びつき人気が高い。その使いは蛇である」
「天狗は蛇をえさとしているといいましたね。確か満濃池の竜が蛇に化けていたとき天狗がさらって自分の住処に隠したという話がありましたよね。迦楼羅と竜の関係が天狗と蛇の関係にあたるわけですね」
「そうだ。そして尊氏はこの勢いをもって、湊川の戦いで楠木正成の首を取り、京を奪回すると、後醍醐天皇と和議して京に呼び寄せると軟禁状態にした。また義貞を北国落ちさせた。すべて九州落ちしたあと尊氏が海の神の力を得たことによる」
「よく分かりました。こうゆうことですね。天狗、山の民、修験道、山岳信仰などは反体制勢力すなわち非農耕民族が南朝方に味方し、体制側すなわち農耕民が足利方に味方したという構図ですね。武士は土地を大切にし、その土地をめぐり戦いをする。つまり土地=農耕民だから、武家方がみな足利方に加担するのは自然な流れだといえますね。それが竜VS天狗という対立構図で暗喩しているのですね」
「なかなか物分りがいいな。つまりどの神を信奉するかは非常に大事なことだ。神を信仰するということはそのバックに巨大な勢力が控えているのだ。その神社をもとに多大な信仰者、全国にわたるネットワーク、多くの荘園と利権により財力、強大な武力を持つ兵僧など、これらを味方につけることができる。寺社神社の勢力は強力だ。だからこそ武将がどの神社で祈願したかというはとても重要なのだ」
「立派なお考えですね」真船はしごく納得した。雨月の興奮した語りからとんでもない説を突きつけてくるのではないかと不安になっていた。しかし結論を聞けば結構まともな説である。なるほど、この説を新聞に取り上げてくれという要求であろうと真船は推測した。郷土史家が新説(珍説だったりもする)を引っ提げて訪ねてくることが多々ある。地方紙にはこんな記事がよく載るし、掲載されれば彼らの自尊心も満たされる。ひいては、地元密着の地方紙の役割を果たすことにもなるわけだ。
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Comment

[2]
こんにちは~、「今日は何の日?徒然日記」のindoor-mamaです。
当ブログにご訪問、そしてコメントありがとうございます。
歴史ミステリーの謎解き・・・興味深く拝見させていただきました~(全部読破するにはまだまだ時間が必要ですが・・・)

最近はブログを本にしてくれる会社もあるそうですが、Web上には小説のサイトもあって、本屋さんに行かなくても楽しめます~。

ご存知かも知れませんが、「小説家になろう」というサイトがあって、そこには書きたい人も読みたい人もたくさん集まっておられます。
ランキングも発表されていて出版できるチャンスもあるみたいです(私は小説を書かないので、そこのところのシステムはよく知らないのですが・・・)

私のブログによくコメントを残してくださる方が、そこの歴史小説部門ランキングで1位になっておられるので、(私には関係ないのですが)他人事ながらうれしいですね。

もし、まだでしたら、そのサイトに登録されてみてはいかがですか?
より多くの人に読んでもらえるのではないでしょうか?

ただ、先ほども書きましたように私は読むばかりで参加のほうはくわしく知らないので、費用とかかかるのかも知れないので、その事は、サイトで確認してみてください。
(読むのはただです)

初めてなのに長々とすいませんでした~。
また私のブログにも遊びに来てくださいませ・・・では・・・。

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すみません…、只今コメ返しをしておりません。しかし、しっかりと読んでおります。こんなわがままなサイトですが、気が向いた方は、どうぞ書き込んでください。

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消えた二十二巻

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