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物語を物語る

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福沢諭吉「皇室論」「尊王論」を始める前に

物語を物語る

平成21年11月12日「天皇陛下在位20周年の記念式典」があった。
寒そうでしたが、雨が降らなくてなによりだった。(前日も雨、翌日も雨、当日の午前中もぐずついていた。)

私はテレビでこの模様を見たが、「自分が日本人で良かった」という、そんな強い「思い」が心中を占めた。単純だと言われればそれまでだが、「ただ胸が熱くなった」、こんな直截的な言葉しか出てこない。この情動はどこから来るのか。それを説明するのは実に難しい。
10年前の「10周年式典」のときにはこんな思いにはならなかった。ただ「ふ~ん、ヨシキがやってるな」ぐらいにしか思わなかった。
この10年で私は大きく変わったのだろう。
それまで、戦後民主主義のゆる~い教育を受けて、「日本は侵略略国家だった」「天皇に戦争責任がある」など教えられてきたので、「反体制的考え」「反国家的思想」がただ漠然とカッコイイものだと思っていた。
そして、この10年の変化といえば、結婚し、子供を持ち、家庭を築き、親の介護をしながら、会社に行って、子供の幼稚園や学校の行事に参加し、町内会や地区の自治体の行事に加わる。こうして少なからず社会と関わっていった。そうなると自然に「保守的」な考えに変わっていたようだ。(これが大人になるということなのか。「20歳までに左翼に傾倒しない者は情熱が足りない。20歳を過ぎて左翼に傾倒している者は知能が足りない」とウィンストン・チャーチルが言ったというのは、どうやら違うらしいが、この話が巷間に広まっていること自体、これがまさに「的を射た名言」であることに間違いないだろう。)
また、地元の偉人「新田義貞」から興味を持ったただの歴史好きが、自分なりにまじめに日本史に取り組んで、南北朝時代から入り、室町、戦国、江戸、幕末維新、明治と興味は移って、最後には歴史ミステリー小説の真似事を書いて、それをブログ載せたりもした。
そんなことをやっているうちに、この国の成り立ちやその根幹に「皇室」があるのだ、とおぼろげに見えてきた。(南北朝時代から入ったのも影響しているのだろう)
そして、どこを大切にしていけば、日本の歴史・文化・伝統を守られるのか、日本という国が他国に干渉されることなく護持できるのか、そんなことを最近はよく考えるようになった。
やはり、天皇陛下に敬意を表し、皇室を守ること、それが、最も分かりやすく、たやすく、そして確実なことなのだ、と思い至る。それはこの「天皇陛下在位20年の記念式典」を見て尚更思ったことだ。
渡邊毅「愛国心の教科書」(PHP研究所)から一文引用。

ヨーロッパでは、王朝をなくした国々でも、王朝を追慕する心情がいまだに根強く残っているところもあります。ポーランド芸術公団総裁ワジミール・サンデッキ氏はいいます。
「君主をもつ国々は、国民に生きる希望と安全保障にかかわる意識を与えてきた。欧州における好例は、1975年11月、立憲君主制に戻ったスペインだ。私は17、18世紀の欧州の王国について学んだことがあり、そのことがよく理解できる。何よりも君主制が廃止された後、ポーランドがいかにかつての威光を取り戻すことはなかったことでも明らかだ。
人間には古来、日本の皇室のように、歴史的文化的遺産に根差した“畏れ”が必要だ。議会制民主主義に裏付けされた君主制や伝統への尊敬、民族精神は、結果として国民に幸福をもたらす。すべてを根こそぎ変えてしまったり、古いものへの価値を無視した改革は意味がないのだ。」

まさにこの通りだ。

さて、その日のNHKテレビ・夜7時のニュースで、この式典の様子を放送していたが、これと同時に、「天皇制反対・式典反対のデモ」の模様も放送していた。彼らは「皇室は税金の無駄だ」などとシュプレヒコールを上げてデモ行進したというのだ。ただこのデモの参加者は200名ほどしかいない小規模なものだったようだ。(式典には3万人、これに対して反対のデモ参加人数が数百人。天皇制反対の割合が数%というから、奇しくもこの比率と符合している)
それにしても、なぜこんなものをわざわざ取り上げて放送するのか。もうこれは悪意としか感じられない。(民放はどうだったのだろうか?私が見た限りでは放送はなかったと思うが…。) 
これでも国営放送局なのか……。何とも言えない底意地の悪さ見えて不快だった。こんなところで、番組制作者の主義主張を持ち出すとは、まったくこれでは、NHKが「売国放送局」とネットで罵倒されても仕方あるまい。

それにしても、いまだにこんな極左的デモをする天然記念物のような人が残っているのかと思いきや、ネット上では天皇制反対、アンチ皇室を掲げる輩はまだまだ結構いるし、実際、式典反対のサイトはいくつかあった。
そんな奴等があちこちで書き込みをし、スレを立てては盛り上がり、しかも、右派のサイトや皇室の動画にまでわざわざやって来ては、嫌がらせのようなコメを執拗に書きこむのだ。それに彼らは総じて粘着質タイプだから、とにかくしつこい。
そんな輩がよく口にするのは、「民主主義に天皇制はいらない」とか「税金の無駄だ」とか「旧態然とした悪弊だ」……とかいったとにかく言いがかりに近いもので、とにかく皇室・天皇を空虚なものと貶めることに努めている。
ただ、天皇制反対の左派にも2種類ある。一つは、天皇には日本国民を一つにまとめる力があって、それが国家主義の象徴となり、挙句は軍国主義に結び付いて戦争に導く危険性があるとし、そこに先の戦争、戦争責任をからめて、とにもかくにも「天皇制廃絶」を説く。
もう一方は、天皇・皇室なぞは税金の無駄使いで存在価値のない、とにかく必要ないという「天皇無価値」とみる人々だ。
前者は、実のところ「天皇」に大きな力(国民統合する力)があると認めていることに他ならないので突き詰めていけば「右派」の考えを裏返しにしただけと言える。実際のところこの人々は、頭でっかちで、教養をひけらかしては(かつては進歩的文化人だなんて称している)、論理に論理を積み重ね屋上屋を架して、さらに幻想の上に空論を持ち出して、出来上がったその妄想的理論を自慢げに、そして声高に叫ぶ。また自分の頭の優秀さを褒めてもらいたくてお仲間を作って、そこでひたすら彼らは互いを褒めそやしては悦に入って喜んでいる。ただ行動といってもデモ行進するくらいしか能のない人たちなので、案外御しやすいのだ。(もう日本共産党でさえ天皇制は容認している。) さらに女性国際戦犯法廷とか「週刊金曜日」主催の皇室中傷芝居とか妙な方向に変質していっては、一層世間からのソッポを向かれ、教条的に「天皇制撤廃」を唱える者は、いまや大幅に減っている。
ただその一方で、厄介なのは、後者の「天皇に価値がない」と主張する者たちだ。こちらはとにかく「ノー天気」で、権威や伝統といったものを何でも否定し、とにかく無関心を装う、そのくせ、「平和だ」「人権だ」「核兵器廃絶」「ラブ&ピース」などという言葉に心惹かれ、それがクールでカッコイイと思っている。そんな人々は大概「天皇は価値がない」というのだ。
「天皇バンザイ」なんて街宣右翼みたいでカッコ悪い、「何が○○さま」だよという反撥もあり、世の中「世界平和」「地球市民」って何となく流行ってるし、とにかく古臭い「天皇・皇室」なんて必要ない、そういう「雰囲気」「空気」に流されている人々がかなり多い。これはかつての「進歩的文化人左翼」とは全く違うタイプで、その数は確実に増えている。(こういう空気を作っているのはマスコミだ)
そんな主張する人々に対して、いざ反論するとなると、これが案外ややこしい。
「ない」と唱えるものに「ある」と説明するのは実に困難だからだ。(「幽霊」や「UFO」など存在しないという大槻教授に、これらは「ある」と言っても、「じゃ証拠を出せ」「俺を納得させろ」と言われるだけで、「ない」という相手に、これを「ある」と納得させるように説明するのはかなり難しいのだ。しかもこれが心理的・精神的なものだとは尚更だ。)

それに私のような者がいくら大声で叫んでみても納得しまい。(どうせ「ネットウヨのたわ言」といわれるだけ…)
やはり、ここは偉人の言葉を借りる方がいいであろう。
そこで、福沢諭吉「帝室論」「尊皇論」だ。
「皇室・天皇がなぜ尊いのか、どこにその価値があるのか」、それに答えている。これは明確で、実に分かりやすい。
その福沢諭吉だが、神仏を一切信じず、従来の道徳的観念を否定している点から、多くの批判もある。山本七平の本では

「物質から何らかの心理的・宗教的影響を受けるという状態、この状態の指摘とそれへの抵抗は、「福翁自伝」にも出てくる。しかし彼は、否彼ののみならず明治の啓蒙家たちは、「石ころは物資にすぎない。この物質を拝むことは迷信であり、野蛮である。文明開化の科学的態度とはそれを否定棄却すること、そのため啓蒙的化学的教育をすべきだ、それで十分だ」と考えた。

また、福沢諭吉は「門閥制度は親の敵」「幼少の時から神様が怖いだの仏様が難有いだのということは一寸もない」といっているように、天皇・皇室を真っ先に否定しそうだが、そうではない。皇室・天皇がいかに尊崇すべき存在であるかを雄弁に語っているのである。(これが不思議だ。) 「孝悌忠信や神仏を敬うという価値観」をあまり持っていなかった福沢諭吉が「天皇を尊崇すべし」と説くのだから、なお一層の説得力がある。

では、この論が優れている点をいくつか挙げてみる。
①「国会」も開かれる前の明治20年から、すでに天皇が政治的利用されることの危険性を述べて、皇室を政治の外に置くべきと考えていたこと。
②本文中盤で展開される「政権交代」など政争の具として「天皇」を利用してはいけないと繰り返し述べていること。現在の民主党と自民党の政権交代を考えると面白い。
③右派、天皇崇拝の念から出た行き過ぎた注進をすでに諫めていること。近年の一部の右派・保守派らによる意見を考えると興味深い。(西尾幹二などの意見など)
④皇室否定論者、天皇無価値を論ずる者へひたすら「天皇尊崇」を説く。明治のころからそんな一派があったのかというのも分かる。
⑤兵を統合する権を天皇が掌握すべきだとする。つまりこれは軍部が暴走することを予知していたのではないか。
⑥ここが一番重要。明治の初期の時点で、すでに天皇は「歴史・文化」の長として君臨すべきものであり、「象徴天皇制」という考えをすでに示していること。これは現代の「叙勲制度」や「平和の象徴」として表れている。
といったあたり。表現はまさにその時代特有の大仰なものだが、内容は現代でも通ずることである。

さて、その福沢諭吉の「帝室論」と「尊皇論」であるが、慶応大学のサイトに公開されていてネットで見ることができる。http://project.lib.keio.ac.jp/dg_kul/fukuzawa_title.php?id=99だたし原文。
また、奇特な方がいて、ユーチューブにて「帝室論」の現代語訳がアップされている。
http://www.youtube.com/watch?v=fBPZpWK10QQ
(ニコニコ動画にもあった)
だが今、最も読みやすいのは、
福沢諭吉「日本皇室論」現代語訳(島津書房)
福沢諭吉「日本皇室論」現代語訳(島津書房 財団法人・無窮會) 池田一貴・訳 平沼赳夫・監修 
これを読むと、政治家・平沼赳夫の唱える「天皇制を中心とした真正・保守政治」という主張がよく分かる。

ということで、しばらくの間、これを基に、福沢諭吉「帝室論」「尊皇論」の現代語訳を載せていきます。
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消えた二十二巻

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