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福沢諭吉「帝室論」現代語訳 1

物語を物語る

福沢諭吉「帝室論」現代語訳 1

帝室(皇室)は政治の世界外である。いやしくも日本国になって政治を論じ、政治にかかわる者は、その主張のなかで帝室の尊厳と神聖を濫用してはならない、ということは私の持論である。
このことは古来の歴史を振り返っても明らかで、日本国の人民がこの尊厳・神聖を利用して直に同じ日本人に敵対したこともなければ、また日本の人民が団結して直に帝室に敵対したこともない。
大昔のことはさておき、鎌倉時代以来、世に乱臣賊子と称される者がいたというけれども、その乱賊(乱臣賊子)は帝室に刃向う乱賊ではなかった。北条や足利のように最も乱賊と見られている者でも、(皇室尊重という)大義名分を蔑ろにすることはできなかった。しかがって、この乱臣賊子という呼び方は、じつは日本人民の中でそれぞれ主義主張を異にした者たちが、帝室を奉じる(ささげもつ)方法はこうすべきであるとか、こうすべきではないとか、互いにその遵奉の方法を争った結果として、天下の与論から乱賊と見なされた者が乱臣賊子となり、忠義者と見なされた者が忠臣義士となっただけのことである。
私はもとよりこの乱臣賊子の罪を許しているわけではない。その罪を憎み、それを責めてやまないけれども、これはただ我々臣下の立場において、そう考えているにすぎない。はるかな高みにおられる帝室から降りて下ってこれをご覧になれば、乱賊の人々もまた他の人と同じく日本国内の臣下であるから、天地にあまねくゆきわたる仁愛の大御心からすれば、軽重の遠いも厚薄の違いもあろうはずがないのである。
あるいは一時、一部人民方向に迷って針路を誤ることがあったとしても、帝室ではこれを一時的にしかるにすぎないのであって、それはちょうど、父母が子供の喧嘩の騒々しさをしかるようなものである。それを憎んでいるのではない。たんにそれを制止するだけなのだ。わずかにその一時を過ぎれば、その過ちを問われることもなく、今までどおりの日本国民にして帝室の臣下であることに変わりはない。
たとえば、近年の明治維新の折りに、官軍に反抗したものがいた。その時には、彼らはあたかも帝室に反抗したように見えたけれども、その真相においては決してそうではなかったゆえに、事が収まった後では、彼らはお許しになっただけでなく、さらに彼らを大切にお導きお育てになったのではないか。あの東京・上野で戦死した彰義隊のような人々も、その一時の姿を見れば乱賊のように思われたけれども、今日これを帝室から見れば、十五年前にわが国の政治上の対立葛藤から人民同士が戦争という事態に立ち至り、二手に分かれて矛を交えたにすぎないものであって、双方ともに勇ましさに変わりはないのである。わが日本にはいかに勇士が多いことであろうか、また今にして思えば死者は憐れむべきであるとして、ひとたびは勇士の多さに悦ばれたものの、またひとたびはその勇士の死亡を憐れみたもうたのである。
以上のように、わが日本国においては、昔から今にいたるまで真の乱臣賊子は存在しなかった。今後、千年も万年もそれはないであろう。
なるほど現代においても狂愚者が往々にして帝室のお考えに反するようなことを言い出すこともあるように伝え聞くけれども、それとても真に賊心がある者とは思われない。百年千年と絶えてなかったものが今日突然、出現するというのも、はなはだ不審なことである。もしも絶対にそういう者もいるのだというのなら、その者はきっと精神障害者に違いあるまい。精神病者なら、これを刑罰に処することはできない。一種の檻(精神病院)に収容するしかないだろう。

去年の十月に国会開設の命が下って以来、世上、政党を結成する者が多くなった。いずれ、わが日本の政治は、立憲国会の政党政治という形に一変することだろう。こういう時期にあたって、私が最も憂慮しているのは、ただ帝室のことだけである。
そもそも政党というのは、おのおの主義主張を異にするもので、自由改進と言ったり、保守守旧と称したりして、互いに議論しているのだが、結局は政権を争って、自分が権力を握ろうとするものでしかない。その権力争いに腕力や兵器を使うことこそないけれども、実際の情況は、源氏と平家が争ったり、関東方と大阪方が戦ったりしたのと同じで、左党と右党が相対立し、たとえば左党が投票の多数を得て、ある日、政権を掌握するというのは、関東の徳川氏が関ヶ原の戦いに一勝した結果、政権を得たのと大した違いはない。政党の争いも相当に激しいものと知るべきである。
こうした政党間の囂々たる争論のさいに、帝室がもし左を助けたたり、または右を庇護したりなどのことがあれば、争いに熱中している政党の人々は、一方がわが意を得たりと喜べば他方は不平をつのらせる結果となり、その不平の極みとして帝室に怨みを抱く者も出てくるだろう。それはちょうど、無邪気な子供らが家庭内で喧嘩をしているところへ、父母が出てきて一方の肩を持つのと変わりがない。これは、まことに得策ではない。それだけでなく、政党の進退は十数年もかからず、たいていは三~五年程度で新陳交代することが多いのだから、その交代のたびに一方の政党が帝室と対立し、または帝室に背くようなことがあれば、帝室は政治社会のゴミ芥な中にまみれてしまう。そうなれば、帝室はその無上の尊厳が害され、その無比の神聖を損なわれることにもなろう。これこそは国にとって最も憂慮すべきことである。
世間には皇学者流という人々がいて、つねに帝室を尊崇してその主義を守り、終始一貫、死ぬまで主義を守り通して変えないという節操は、私が深く感心するところであるが、これを別の面からみてその弊害を挙げれば、帝室を尊崇するあまりに社会のあらゆる問題を何でも帝室に頼り、政治の細々した問題に至るまで直接采配をふるっていただきたいと祈るその有り様は、まるで孝行息子が父母を敬愛するあまり家政(家庭問題)全般を父母に任せて細事に当たってもらい、かえって家長の体面を失わせるのと変わりがない。
帝室は万機(政治上の重要事)を統べるものであって、万機に当たるものではない。(帝室は政治上の重要事全体を統一的・調和的に治めるものであって、個々の問題の処理に当たるものではない。)
統べるということと大いに区別がある。これを考察することは緊要なことである。
皇学者流の人々はその主張を固く守るがゆえに、その主義が時として教条的な宗教の宗旨論のようになってしまい、自分たちと考えの異なるものを受け入れず、かえって自分から主義の普及を妨げているかのようだ。他の人々を自分の主義に引き入れようと思えば、門戸を広げることこそ肝心であろう。だから、こうした教条的な態度には感心できない。
私は恥ずかしながら不学にして神代の歴史を知らず、また旧記(古事記・日本書紀など)に暗いとはいえ、わが帝室が一系万世であることや、今日の人民が帝室のおかべで社会の安寧を維持しているわけについては、明らかにこれを了解し疑うところがない。この一点については皇学者と同意見であることを信じている。だからこそ、私は今日、まさに国会が開設されようとするに当たって、とくに帝室の独立を祈り、はるか政治の上にお立ちになって下界に降臨し、偏りなく党派性なく、もってその尊厳と神聖を無窮に(永遠に)伝えることを願っているのである。

帝室論2へ続く


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