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物語を物語る

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歴史ミステリー小説「東毛奇談」 第5章 10

物語を物語る



運命のとき、延元三年七月二日。その日、義貞は自らその首を掻き切った。
一瞬の出来事であった。
大将の死を見た家臣たちは、瞬時に悟った。騎乗の者は馬から飛び降り、徒士は駆け寄って、義貞の死骸の前に跪いた。そして無意識の内に腹を掻っ捌いて次々と死んでいった。どの死骸が大将のものか分からないようにした行為であった。
それは異様な光景であった。怒号とも叫喚ともつかぬ声を上げながら、義貞の家臣たちは、首に腹に自らの刀を立てた。忽ち、そこには数十の屍が山となって重なった。あまりにも呆気なく方が付いた。足利方は大して攻め懸けることもなく、相手方が自滅していく様を見ていた。
新田方は馬回りの者が一人、本陣に帰り義貞の討ち死にを伝えたが、それ以外の五十余騎はすべて討ち死にした。それに対して、足利方には一人の死傷者もなかったのであった。
暫くすると足利方の兵士らは、戦利品を漁り始めた。敵方の首だけではない。目ぼしい太刀や兜を拾い集めるのであった。その最中、一人の兵士が「これぞ大将の首なり」と声高に叫んだ。この兵は、素早くこの首を手に取ると、鋒に刺し抜き高々と掲げた。見るからに名のある武将である、発見した兵の顔に喜色が溢れていたのは言うまでもない。この兵は斯波高経の家臣で、名を氏家中務丞重国といい、その名が世に出た最初で最後の武功であった。
ただ討ち取った首が、宮方の総大将義貞であるということを、重国どころか足利方の誰もがこのときは分からなかった
清和源氏の名門、新田宗家嫡流である義貞がこれ程の少数の兵で、しかもこのような畦道にいようとは思いも付かないことである。足利方の兵士は敵の小隊を易々と殲滅させた、と意気揚々に本営へと引き返して行った。
越前の足利方大将である斯波高経に、戦況が告げられ、早速敵方の首検分が始まった。数十と集められた首の中で、高経は一つの兜首に釘付けとなった。その顔付きに見覚えがある。「もしや」と思い、急ぎその首を洗わせた。すると左の眉の上に矢傷があることを発見したのである。また、首の近くで見つかった肌守りの袋も高経に差し出された。高経は袋の中から手紙らしきものをつかみ出し、読んだ。その文面に身体が震えた。畏れ多くも後醍醐天皇の御辰筆で、義貞に宛てられたものであった。
もう疑う余地はなかった。自身の知らぬ間に、敵の総大将を討ち取っていたのである。この上ない大功である。高経自身は黒丸城に押し込まれ、自軍の大敗も目に見えていた。この形勢不利をこんな形で逃れられるとは思いも寄らないことであった。時運の不思議さを高経もひしひしと感じた。
高経は首改めを一通り済ますと、今度は義貞征伐のあった場所に多くの兵を差し向けた。そこで戦をしようというのではない、泥田の中を探索させるためである。義貞は源氏の重宝である鬼丸鬼切り丸を常に身に着けていた。今ここにその二宝刀がないとなれば、死骸とともに紛れて落ちているに違いない。そう高経は踏んだのである。
義貞の死地となった泥田には、篝火が焚かれ、刀を求めて這いずり回る兵士たちで入り乱れた。次々と太刀が見つかるがどれが源氏の重宝であるかは一見しただけでは分からない。集められた太刀は泥まみれのまま、高経の本営に運ばれる。これを一振り一振り高経が自ら吟味した。その目は、何かに取り付かれたように太刀を見据え、手や衣服に泥が付こうとも気にもならないほどに尋常さを失っていた。
異様な緊張感の中で雄叫びにも似た声が上がった。「これこそ、我が求めていたものぞ」高経の声が響いた。遂に鬼丸鬼切り丸が見つかったのである。急ぎ太刀の柄を拭くと、黄金作りの太刀が目の前に現れた。銀のはばきに『鬼丸』と金象嵌され、もう一振りには金のはばきに『鬼切り』と銀象嵌された太刀であった。
「まさしく、この世の支配者が手にすべき名刀である」と嘆息すると、わが手にした喜びに浸っていった。太刀が放つ怪しい光に魅了され、いつまでも眺めた。時折、剣先を指でなぞると、その度にぞくっと冷たい感覚が体中を駆け巡る。
高経にとってこれほど人生最良の日はなかった。敵の総大将を倒し、源氏の重宝を手に入れた。源氏の嫡流のみに伝わり、すでにその来歴は伝説となっている。清和源氏足利流に連なる斯波高経にとって、この二太刀は限りなく大きな意味を持っていた。降って湧いた幸運に高経はその夜、寝ることもなく、太刀を眺めて過ごした。その心中で湧き上がる感情を抑えることが出来ない。「もしや、己が源氏の棟梁に……」野望の炎が吹き上がっていった。
数日後、高経のもとに尊氏からの使者が来た。二宝刀を将軍に献上するようにと命じてきたのである。
(誰が渡すものか)と密かに思うと、策謀を巡らせた。義貞を葬った寺に奉納したところ、その寺が出火して二宝刀も焼けてしまったと、虚偽の報告をし、偽の焼身を送りつけた。だが尊氏にこの嘘は通じなかった。
「末々の源氏が持つべき物ではない、即刻太刀を献上せよ。将軍家の重宝として嫡流に相伝する」と再び催促してきたのである。
高経は憤怒した。「末々の源氏とは何事ぞ」という同じ清和源氏として、我らを軽んじる発言が気に入らなかった。今までも尊氏個人のために戦っているのではない。尊氏に付くことに利があるから、従っているだけのこと。それに義貞を討ったのも、この太刀を見つけたのも己であり、一度手にした宝をそう易々と渡すほど御人好しにもなれない。
高経は長櫃を新調させ、そこに鬼切り鬼丸の太刀を隠してある。時々取り出しては、触れてみる。不思議な感覚が身体に行き渡る。手放すのはあまりにも惜しい、それに意地でも太刀を渡すまいと決意した。
この高経の言動は、尊氏の元にもれ伝わっていった。いくら寛容な尊氏でも、この高経の行為は許すことが出来ず、遂に激怒した。義貞を討った大功に対して何の恩賞を与えることもなく、逆に太刀を渡さないことを足利家に対する叛意であると見なしたのである。このときから、尊氏は高経ら一族を軽んじ始め、遠ざけるようになった。
すべては、義貞の血を吸った太刀が起こしたことである。鬼切り鬼切り丸の因縁は深い。
高経はこの尊氏の不興を恨み、遺恨とした。後に直義が挙げた反尊氏の乱に、中心派として与したのであった。だが、それも直義派が敗北すると、たちまち尊氏に降参した。そしてその証しとして、この太刀を尊氏に献上した。尊氏は喉から手が出るほど欲しかった宝刀を手に入れると、高経をあっさり許すのであった。太刀を手放した斯波家は、足利幕府の管領職を得て、後に重きを成すことになる。

義貞が討ち死にという報が、称念寺の白雲上人に伝わった。上人は、寺の時衆僧八人を連れ、合戦のあった場所に急ぎ駆けつけた。そこで義貞の遺骸を見つけだし、輿に乗せて、寺に運ぶと手厚く葬礼したのである。
上人は、義貞が死を予感させながらも、この時がこうも早くこようとは、思いもよらなかった。そして武運つたなく、志し半ばで逝かれた義貞のことを思うと、宿命の儚さを感じられずにはいられなかった。
そんな思いの中、宗祖・一遍が祖父河野通信の墓を訪ねて弔ったときに詠んだ歌を思い出した。
はかなしや しばしかばねの朽ぬほど 野はらの土はよそに見えけり
河野通信は、武家と公家の間に起こった権力の争奪戦である承久の乱に巻き込まれ、公家に与して敗れた。そして奥州に流され、妄執と怨念を残して彼の地で死んだ。
一遍は、墓石も墓標すらもない土饅頭となっている祖先の墓を供養して、慰め、憐れんだ。人の一生とはこれほどに無常であり、死んで屍となり朽ち果てれば、土に返るのみで、一切の妄執は、生きている間に本人を苦しめるだけであると悟ったのだった。
一遍聖は祖父がこのような境遇であったからこそ得た境地であったが、今、白雲上人が肉親ではないにせよ、知音ともいうべき人を救えずにいたことを後悔した。たた今となってはどうにもならぬこと、ただ義貞がこの世に未練を残さずに成仏することをひたすら祈念するしかなかった。

一方内侍は、義貞の子を宿したまま今堅田に残され、三年の間ひっそりと義貞の迎えがくるのを待っていた。そしてその地で女子を産み、いまは二歳になった。義貞と内侍の子は山吹姫と名付けられていた。
そこへ、戦況が好転し越前制圧を目前に控えていた義貞から、急ぎ越前に来るようにと迎えの者がやって来たのである。すぐに、幼い山吹姫を連れて隠処を発ち、まず義貞が拠点としていた杣山城へと向かった。だが一刻も早く会いたい内侍は、義貞が足羽にいることを聞きつけると、そこを目指した。だが途次で、宮方の瓜生弾正左衛門尉と不意に出会った。瓜生は馬から飛び降りると輿の前にひれ伏してこう言った。「どこにおいでになられるのですか、新田中将殿は討ち死になさいましたぞ」
内侍は、あまりにも思いもよらないことで、胸はつまり気も絶えようかというほどで、声も出ずにそのまま倒れ伏した。
かえって、伝え手である瓜生氏の方が、感情に押され、はらはらと涙をこぼし嗚咽した。
「せめてどうか、あの方が討ち死になさった野原の草露の中に、この身を捨て置いてお帰り下さい。今なら、それほどあの方に遅れはしますまい。一緒に露と消えて果ててしまいたい」といって内侍は泣き伏せた。
「それはなりませぬ」と引き留めると、内侍の輿を無理に杣山城に引き帰させた。
城に帰った内侍は、これが、日ごろ義貞が住んでいたところかと見るとその中に、都にはいつ帰れるのかと指折り数える言葉ばかりが書き残されていて、このような形見を見れば見るほど悲しみが深まった。
ここで虚しく数日が過ぎていった。亡き跡も弔いたいと思っていたが、敵軍が迫りつつあり、辺りが騒がしくなってきた。そこで、瓜生氏は、内侍の身体を案じて山吹姫とともに京都へと連れ戻したのである。
内侍は悲嘆に暮れながら、ある日、陽明門のあたりを通った。すると道端に多くの人が立ち寄って、ああ哀れなことだと声がするので何事かと立ち止まった見ると、越前の国まではるばる尋ねて会えずに帰った義貞が、首だけとなった姿で獄門の木にかかって晒されていた。目は塞がり色もすでに変わっている。義貞の変わり果てた姿に、京の人々は、哀れと思い、泪するものも多くいた。そしてこの悲嘆の群衆の中に混じって、内侍は愛した者の変わり果てた姿を見て、地面に泣き臥せった。この光景は、事情を知る者も知らぬ者も一層人々の泪を誘った。
内侍は二目と見ることが出来ずに、その場にずっと泣き伏していた。あまりにも哀れな姿に、辺りの寺の僧が慰めて、寺に講じ入れた。そして内侍はその日の夜の内に黒髪を下ろして尼になった。しばらくは亡き人の面影に泣き悲しんだが、会者定離の道理を悟り、別離の苦痛にさ迷う夢から覚め、そののちに奥嵯峨の往生院の近くで庵を結び、朝夕、義貞の菩提を弔ったとも伝わる。
そして義貞の死の半年後に、尊氏は武家の棟梁というべき征夷大将軍に就任して、幕府を開いたのであった。








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消えた二十二巻

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