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物語を物語る

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「奇妙なり一郎」、小沢一郎は平成の清河八郎だ! ということは最期は……。

物語を物語る

前回の続き
平成21年12月16日 産経新聞から

小沢氏の言動、民主党などに批判殺到
140人以上の国会議員を伴っての訪中や、天皇陛下と習近平・中国国家副主席との特例会見に対する発言など、最近露出が頻繁な民主党の小沢一郎幹事長に対しても批判の声が高まっている。民主党や産経新聞には「国民をばかにしている」など厳しい声が相次いだ。
 民主党本部には、新聞やテレビで小沢氏の言動が取り上げられると、多くの意見が寄せられる。党本部によると、「賛否両方あります」。件数は把握していないというが、批判に熱が入るのか、「1時間以上も話す人もいます」と打ち明ける。
 産経新聞東京本社にも、小沢氏の言動についての意見が多く寄せられるが、600人以上の民主党関係者らを引き連れた訪中団については、「日米同盟や不況など難問が山積しているこの時期に異常だ」「ご主人の機嫌を取っているようだ」と批判が殺到した。
 習氏との特例会見や訪韓容認発言など天皇陛下にかかわる小沢氏の言動については、「天皇陛下を部下だと思っているのではないか」と指摘する声も。インターネット上でも議論が過熱し、「独裁者だ」など過激な発言が目立つ。


昔から、小沢一郎の言動を見ていると、私の中でいつも幕末の策士・清河八郎とイメージが重なる。
正確にいえば司馬遼太郎の短編小説『奇妙なり八郎』の中で描かれる清河八郎だろうか。
司馬遼太郎 幕末(短編集「幕末」文春文庫。12編の中の一編)
後に、「暗殺」という題名で映画化さた。(篠田正浩監督、丹波哲郎主演、1964年)
ストーリー解説(ヤフー映画から)

幕末に現れた尊王攘夷派の清河八郎という人物が暗殺される過程を追っている。清河八郎は庄内藩清川の出身で武士の身分ではないが、江戸に出て千葉周作の道場で剣の技を磨き、免許皆伝を得ている程の使い手であった。また幕府の昌兵坂学問所で学問を学び、文武両道に長けた人物であり、自ら開いた私塾「清河塾」には清河を慕う人物が集まった。
 清河八郎(丹波哲郎)は「浪士組」の結成を発案した人物であり、ときの老中板倉周防守(小沢栄太郎)の同意を得て実現をみた。「浪士組」にかき集められた人間は武士ばかりではなく、町人も多く含まれていたが、清河を「先生」と仰ぐ人間たちがその核となっていた。その過程で、老中の片腕、松平主税介(岡田英次)は清河の人物に懸念を抱き、佐々木唯三郎(木村功)に監視を命ずる。
「浪士組」は将軍家茂の上洛に先がけて、その身辺護衛の目的で京に上るが、壬生の新徳寺に集った「浪士組」の面々に対し、目的は将軍の身辺警護ではなく、「尊王」の大義にあると説く。そして、動揺する面々に対し、入手した天皇からの「勅諚」を読み上げる。しかし、これに納得のゆかない芹沢鴨、近藤勇、土方歳三らが袂を分ち、この三名が後の「新撰組」の幹部となる訳である。ほぼ目的を成就した清河は「清河幕府」を豪語するが、意気軒昂と江戸に戻った直後、佐々木唯三郎ら六人の手で暗殺されるのであった。

実権を握って策を弄す、腹の読めない人物像、独裁者のような振る舞い……、やはり似ている。小沢一郎も自ら「小沢塾」を作りシンパを集め、自分を「先生」とするあたりも同じような有り様だ。(小沢ガールズは、記者に向かって「小沢先生とお呼び」と言ったとか)
清河は、幕府を守るために集めた浪士組を上洛させ、一転して倒幕派に転じるなどといった一件、これなどは、かつて小沢一郎が自民党・福田元総理と画策した「民主自民の大連立構想」を思い起こされる。
何をするにもまず数の力で押し切ろうという点も同じだ。

では、司馬遼太郎の「奇妙なり八郎」から、いくつか引いてみる。
「諸事、高飛車なのが清河のわるい癖であった。この男からみれば世の男は愚鈍に見えて仕方なかった。」
「清河は一座の中心であった。彼が笑えば、一座が笑った。」
「ひとたび論難すれば相手の肺腑をつかねば我慢のならぬところがあった。論敵には必ずとどめを刺した。自然、清河自身こそ気がつかなかったが、かれにはじめて会う者は、はげしく彼を嫌悪するか、もしくは信者のようになるか、どちらかであった。」
会話文からは、
「……清河の説くところを聞き、かつその行動を見ていると、あの男はゆくゆく清河幕府でも作りかねまじきところがございますぞ」
「稀代の策士だ。勅諚をかさに何をやりだすか。……騒ぎをまきおこして、あわよくば天下の一角に旗をあげようとするだろう」
「(薩長の浪人には後盾があるが、清河は)たった一人だ。一人で天下の大事をなそうとるれば、あちらをだまし、こちらをだまし、とにかく芸がこまかくなる。……」
などなど。
「傲岸不羈」「弁舌が巧み」「押しの強さに反感を与え、相手を気圧する。」それでいて「やさしいところがある。」
などといった表現が使われる。

やはり、小沢一郎は、平成の清河八郎だ。

そんな清河も最後は暗殺される。
そしてラストはこんな一文で締めくくられる
「清河は、素朴すぎるほどのわなにかかったことになる。策士だっただけにかえって油断した。おそらくかれ自身が不審だっただろう。ひとが自分をだますなどとは、夢にも思っていなかったに違いない。」

小沢一郎もこんなことにならなければいいが……。

私が、「小沢一郎=清河八郎説」をさる右派の人に語ったら、「いや、そんなもんじゃない、小沢は道鏡だ!」と言って、小沢一郎と民主党の所業、言動を逐一挙げ、猛烈に怒っていた。
いやはや、自らの権勢をもって政治を動かし、天皇陛下さえも政治利用しようとするその姿勢が、天皇の位まで簒奪しようとした道鏡と同じくらいの「大悪人」とすでに重さなっているようだった。
大丈夫かな、小沢一郎……。

そんな小沢一郎に長い一文を載せておきます。
谷沢永一著「大国・日本の正体」(講談社文庫)から。

日本的「暗殺」の図式
「信長横死」―。 織田信長が、天正十年(1582年)六月二日、本能寺で殺された。これは戦国時代最大のドラマであって、これは永遠に語り伝えられるだろう。そして、あらゆる場合の話の材料として使われるに違いない。
司馬遼太郎氏が言い出したことだが、なぜ明智光秀が起こったかというようなことはさておいて、やはり織田信長のようなタイプは、日本社会においてはどこかでああいう運命に立ち入る危険な要素を持っていたのではないか。権力を一身に集中した独裁者というのは、日本社会では例外なく排除される。私は、日本人社会の根本は嫉妬心だと思っている。とにかくすべてを兼ね備えたような人物は出てほしくないという気持ちが強い。
(安国寺恵瓊の「信長没落」の予言を引いて) つまり安国寺恵瓊は、日本の国民世論を反映しているといえる。(信長のこと)あれほどまでに一歩的な独裁者、全権を手元に集めた男。周辺に補佐役も置かない。筆頭家老の柴田勝家といえども相談役ではなかった。そういうまったく一人で闊歩している独裁者に対して、日本人はどう反応するかについての予測がよく現れている。どんなメカニズムでどう反応するかそのときの偶然によるものしても、何かそこに独裁者を排除しようという力がどうしても働くということだろうと思う。
時代が下がって、明治十一年、明治維新の指導者・大久保利通が東京・紀尾井坂(東京港区)で不平士族の島田一郎らに暗殺される。暗殺したのは石川県のほうの士族であって、「西南の役」とは関係がない。しかし、少なくともこの時期の大久保利通は、明治政府イコール大久保というぐらいの全権を握っていた。いわばそういうオールマイティの存在になると、そこに何らかの政治的排除の力学が生じる。
明治三十四年、政治家・星亨が東京市参事会室で暗殺された。彼は陸奥宗光の知遇を得て、イギリスに留学。帰国すると立憲自由党に入党する。この政党が、自由民権運動で生まれて、ほとんど四分五裂の状態だったのを、星亨一人がまとめるなど、政界の大物として活躍した
星亨は、日本の政党政治の一番の源泉を成す立憲自由党を再建して、それを軌道に乗せた。その星亨が、当時の自由党といえば星亨である、というくらいの大きな勢力を持っていた。その彼がまた暗殺された。
それから大正十年、原敬が東京駅頭で暗殺された。大正七年に内閣を組織してから亡くなるまで、その原敬内閣は、史上空前絶後の絶対多数内閣であった。原敬の政治力は万人が認めるところで、一に原敬、二、三なしといわれるほど傑出しており、誰が出てきても覆すことはできないであろうと思われた。そういう一世を負う大政治家というのになると排除が働く
個々の暗殺の動機を探していったらてんでんばらばらである。原敬の暗殺の場合も、昭和天皇が皇太子のときに天皇を含めて史上初めての外遊をされた。その外遊を促進したのが原敬で、それに対して国家主義者であった頭山満(大正・昭和の右翼運動の中心人物)が猛反対した。これはまさに偏見であって、「一天万乗の君が毛唐の国に行くのはけしからん」というだけのことだった。
原敬は、その頭山満の手が働いて暗殺されたのではないかと思われる。原敬を暗殺した男は、人を殺す技術を十分に身につけていて、まったくやりそこねることなく一発で死命を決するだけのことをやった。要するにこれは訓練された殺し屋と思われる。
このように、具体的に例を挙げていくと、いくらでも問題はある。それは別にして、日本社会においては、一人が全部の名誉というか権力を一身に集めると、国民はどうも穏やかな気持ちでいられなくなるという奇妙な「心理」「力学」が働くようだ。そういう見方もできると思う。
これはなにも一国の政治を取り仕切る立場だけではなしに、大企業などの場合もそうである。中小企業のオーナー社長は別だが、競争によってのし上がった最高実力者があまりにもすべての権力を一手に握ったとき、何か穏やかならぬ反応が社会的に生じると言い換えてもよい。日本社会には、そういうパターンがどうもあるのではないかという自戒を持って事に臨むほうが、身の安全のためであろう。

ということで、権力を一身に集めた政治家の最期は「暗殺」だった。平成のいまでも、横暴な権勢を揮う人物に「排除の論理」が働かないとも限らない。まあ「中国」をバックにしている彼にはいらぬ心配でしょうけど……。

あと一言。
「天皇の政治利用」について、「憲法、国事行為がどうだ」「民主主義を理解してない」とか「宮内庁がどうだ」「羽毛田長官やめろ」とか、「実は中曽根氏が指示した」とか、あれこれ言われていますが、とにかくまず、どうしてこれがいけないのかは、福沢諭吉の「帝室論」を読めば分かると思います。
小沢一郎は「慶応義塾大学」出身なんだから、まず人に「憲法を読め」とか言う前に、「帝室論」を読め!
平沼赳夫さん、そうですよね!

追記 「たかじんのそこまで言って委員会」の中で宮崎哲弥が、福沢諭吉の「帝室論」の一節を引いて、「天皇陛下の政治利用」がなぜいけないのかを説明していました。そういえば宮崎哲弥も慶応出身だった。

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