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神社が「日本文化」の集まる場所とみるならば、現代の日本文化の象徴である「アニメキャラ」がそこで隆盛を築いていても何ら不思議なことではない!

物語を物語る

平成21年12月28日 日経流通新聞から
萌え系絵馬、アニメキャラ寺社に増殖中
萌え系絵馬

来年の初詣でに訪れると、凝ったイラストの絵馬を見かけるかもしれない。アニメやゲームのキャラクターが描かれた「痛絵馬(いたえま)」が、近年各地の神社や寺院で増え続けている。萌えキャラ好きの男性だけでなく、戦国武将にあこがれる「歴女」も絵馬合戦に参入。1人で100枚もの絵馬を奉納する「カリスマ絵馬師」も登場し、各地の神社仏閣で技巧を競っている。

「就職できますように」。様々な願い事が書かれる絵馬だが、東京・八王子の了法寺では、目をくくりさせた愛らしい弁天様が描かれた絵馬が並ぶ。なにしろ、戦国時代から続く古寺は、ネットでは「萌え寺」として有名なのだ。
寺を預かる住職は5月、入口の案内板に「若い人も寺を身近に感じて欲しい」と美少女風のオリジナルキャラを採用。次々とネットで知った美少女ファンの男性が訪れると同時に絵入りの絵馬も増殖。住職は「どんどんクオリティーが高いものになった」と驚く。
とろ弁天のカラーイラストの横に「仕事が順調に」と書き込んだ東京在住の会社員男性は「お願いもあるが、訪れた記念という意味が大きい」と話す。この男性は「みつをこーき」の名でこのほかにもアニメの舞台になった岐阜・白川郷や広島・尾道の神社にも絵馬を奉納。「共通の趣味の人に見てもらうのが楽しい」と話す。
こうした痛絵馬は全国の寺社に広がっている。「大好きだ」「お館さまあああ」。真田幸村をまつる長野県上田市の真田神社に、手の込んだイケメン幸村のイラストとともに寄せられる熱烈なメッセージは、人気テレビゲーム「戦国BASARA」の女性ファンらが書いたものだ。
痛絵馬は、自動車を美少女キャラにペイントする「痛車」から派生した言葉。市民権を与えたのは、アニメ「らき☆すた」に登場する埼玉県鷲宮町の鷲宮神社だ。2007年にアニメ放映になると、モデルとなった同神社を訪れる「聖地巡礼」が熱烈ファンのブームに。痛絵馬を掛けるファンと見物に訪れるファンが殺到した。
鷲宮神社には多数の絵馬を書く苦行に挑む「カリスマ絵馬師」も生まれている。群馬県太田市の茂木隆徳さんは2008年の正月から書き始め、この元旦に100枚を奉納する。目指すは20年かけての1000枚。ほぼ毎週末に神社に訪れ、5~6時間かけて一枚を完成させる。<中略>
この一途な姿に心を打たれ、地元では茂木さんのオリジナルキャラを使い街おこしをしょうという構想もある。茂木さんに続けとばかり、通し番号がふられた絵馬も多い。
ただ、このあまりに独特な趣味には「神聖な場所なのに」と批判も少なくない。第二次大戦の戦没者らをまつる宮城県護国神社は、仙台市の青葉城内にあり、戦国BASARAで絶大な人気を誇る伊達政宗ゆかりの地でもある。ここに歴女らが掲げた多数の痛絵馬に神社関係者や一部参拝者は当惑。同神社は「特にチェックしてない」と絵のあるなしで扱いを変えない方針だが、「なぜ取り外さないのか」などと抗議の電話もあるという。
こうした批判の声を自覚するファンも多く、了法寺に痛絵馬を奉納した女性は「どこでも描くわけではなく、大丈夫そうな神社でしかやらない」と話す。
寺社に掛かる痛絵馬を注意深く見ていくと「お疲れさま」「期待するぞ」などと互いにやり取りをしているメッセージが見つかる。ネットを通じて見知らぬ人とコミュニケーションをとるのが普通になった時代。古くから続く習慣もまた新たなツールとなっている。(北角裕樹)

この記事に出てくる「カリスマ絵馬師」や「歴女たち」がせっせと絵馬を神社に奉納するところなどを読むと、どこか江戸時代の「算額」を思い浮かべてしまう。

算額は、和算において、数学の問題が解けたことを神仏に感謝し、ますます勉学に励むことを祈念して奉納されたと言われる。やがて、人びとの集まる神社仏閣を数学の問題の発表の場として、難問や、問題だけを書いて解答を付けずに奉納するものも現れ、それを見て解答や想定される問題を再び算額にして奉納することも行われた。
このような算額奉納の習慣は世界中をみても他に類例がなく、日本独特の文化といわれる。数学をも「芸」ととらえる日本人の思考法がよくあらわれており、その一部は重要文化財や民俗文化財に指定されている。明治時代になると、日本には西洋式数学が導入されることとなったが、算額奉納の風習は、この導入を容易にしたとも評価されている。(Wikipedia)

かつて日本人にとって「神社」は地域社会・コミュニティーの中心であった。神社は地域社会において鎮守、産土神となり、その地域住民は「氏子」となって、彼らの精神的心棒となっていた。「地域社会」は、Wikipediaヤフー・日本大百科全書などを参照してください。
また「神社」は、社会生活を営み人間の間に行われる知覚・感情・思考の伝達(コミュニケーションの意)を図る場所でもあった。
日本人にとって神社は人と人との結びつきを強める場所だった。
となれば、上記記事の「アニメキャラ」の絵馬を通して交流を図っている人々が「神社」に集うというのは、まさに「日本人」らしい現象なのかもしれない。神社はかつて、地域社会のコミュニケーションセンターのような役割を果たしていたとみれば、アニメファンが集まる鷲宮神社のような有り様は何ら不思議なことではない。http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1001/01/news005.html(ここに、2010年1月1日アニメファンでごった返す鷲宮神社の様子が載ってました。アニメキャラ絵馬の画像満載)
こういった「アニメキャラファン」や「歴女」が、新たな交流地点として、「神社」を選び、神社側もそれに応じている点が面白い。(多少の批判もあるが)
では、改めてなぜ神社なのか。
神社はまさに日本文化の集合体といえる場所だからだ。
奉納という形で、酒や食物といったものが供物として捧げられ(食文化)、金銭や品物といったも献じられ(モノ文化)、能や神楽それに相撲といったもの(芸能文化)まで、多種多様な「日本文化」が集まってくる。(算額のようなものまでも)
人とモノの交流が盛んになれば、そこにはモノという物質的なものではなく「情報」も集まっていった。
かつての神社や寺は情報集積地でもあったのだ。(寺社と武将の密接な関係はここにもある。面倒なので説明は省く)

そう考えていけば、
「アニメキャラ絵馬」は実に奥が深い。
絵馬を多くの人が神に捧げるという行為自体が、江戸時代の「算額」と同じように、「日本文化」の一つとして認められた証となっているのではないのか。
「絵馬(伝統的文化)」+「アニメキャラ(現代の文化)」→新たな日本文化。
元からあったものと、新しいものとを融合、発展させ独自の文化を作ってきたのが、日本特有の文化発展形態だ。(今の日本を代表する文化、例えば浮世絵、着物、将棋からジャパニーズポップ、アニメなどはこうして発展してきた。)
これは、過去記事等で、

それに、社寺にはなぜかキャラものは案外似合う。
武田神社 キティちゃん(山梨県の武田神社にあるキティちゃん)
こんなものがあっても全く違和感を感じないほど、溶け込んでいる。
考えてみても、こんな「キャラもの」や「アニメキャラ」が宗教的施設内にある国が日本以外のどこにあるだろうか。偶像崇拝が禁止されているイスラム教ではありえない事だし、キリスト教の教会でディズニーキャラがあるなんて話は聞いたことがない。他の国でこういったことがあるなら聞いてみたいものだ。
やはり、日本文化の許容範囲は広く、しかも柔軟だ。
司馬遼太郎はこれを「胃袋の文化」だといった。(何でも呑み込んで栄養にしてしまうという意味か)
まさに、これは、新しいものを融合させていく「日本文化」の特長を表しているのではないのだろうか。

結論、神社が「日本文化」の集まる場所とみるならば、現代の日本文化の象徴である「アニメキャラ」がそこで隆盛を築いていても何ら不思議なことではない!
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Comment

[193]
おっしゃることには同感‥‥なんだけれど、ただやっぱりアニメと神社という組み合わせには、私は正直違和感がありますねぇ。アニメはアニメで好きだし神社は神社で好きですけれど、でもその両者が同じ場に共存するというのは正直どうなのよ?と。小生、実はロックMUSICも好きですが、やっぱり神社仏閣でROCKというのは嫌ですもん。
例えば新田義興公を御祀りしている東京都大田区の新田神社。ここ、7、8年前には、とても厳かで神さびた、そしてどこか鬼気迫るような雰囲気があり、私なんぞはそれが大好きだったのですが、ここ数年は、「神社LOVE」なる碑だの、境内には卓球台が出来たりだの、表の塀には絵本チック、というよりアニメチックともいえる義興公伝が掲げてあるわで(去年のお正月までは江戸時代に描かれた絵巻物の絵だったんだけど)何だか行く度にどんどんラブリーでフレンドリーな神社へと様変わりしていくので、かつての雰囲気を愛していた者としては心中複雑なんですね。まあもちろん、それで参拝者が増えるとか、親しみを感じる人が増えるというのであれば、それはとても喜ばしいこと、だとは思うんですが‥‥。
ま、でもこれは実際悩ましいところだよなぁ。さびれているよりは余程いいものなぁ。
[398]
「何だか行く度にどんどんラブリーでフレンドリーな神社へと様変わりしていくので、
かつての雰囲気を愛していた者としては心中複雑なんですね。」と言うお気持ちもすごく同意ですし、
「現代の日本文化の象徴である「アニメキャラ」がそこで隆盛を築いていても何ら不思議なことではない!」
と言われてみれば「確かに。」とも思えます。

個人的にはこういうものに関して、神様に対して超えちゃいけない一線と言うか、
最低限の礼節を持っていればこういう新しい形の信仰もアリなのかな、と思います。

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