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物語を物語る

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「神社は違憲なので撤去」、そんな日が来るかもしれない。

物語を物語る

谷沢永一の「天皇制という呼称を使うべきではない理由」(PHP研究所刊)などを読むと、日本共産党がどのように成立し、それがソ連に利用され、いかに日本の歴史と文化と伝統を破壊しようとしてきたのかが分かる。本書には、1932年日本共産党が発した文書「日本帝国主義と日本革命」「日本における情勢と日本共産党に任務についてのテーゼ」の中に、「天皇制打倒」「革命的な闘争」「プロレタリア独裁を守り大衆を救う」といった文言に交じって、こんな一文がある。
「すべての地主、天皇および寺社の土地の無償没収

さて、北海道砂川市にある空知太神社が、政教分離判決裁判で違憲とされた。
毎日新聞の社説は「市有地に神社 最高裁の「違憲」は妥当だ」、朝日新聞の社説は「この点について判決は、違憲状態を解消するために、原告が求めるような施設の撤去だけでなく、土地の譲渡や有償での提供などの手段もありうると述べた。現実的な取り組みを例示したということだろう。 」とあり、最後は「靖国神社」「護国神社」にまで言及している。(反日新聞のこの喜びようは何であろうか)
つまり、神社や鳥居を破壊し、その敷地を取り上げろということになる。
こういうものを「日本の文化・歴史・伝統の破壊」というのだ。
日本にはこういった神社が全国で1000件以上あり、他に慰霊塔、忠霊塔など施設の土地や維持費などもあり、これらは自治体が把握できないほど無数にあるといわれる。
これらもすべて「憲法違反」「法律違反」だということだ。

混乱もたらす恐れ--百地章・日本大教授(憲法)の話
 判決は極めて疑問の多いものだ。公有地上に神社という名の宗教施設があるというだけで、由来や実態などを十分考慮せず、違憲としている。過去の判例が形式的側面にとらわれず、社会通念に従って判断するよう求めてきたことと矛盾する。判決に従えば、全国の公有地上にある施設の合憲性が問われることになりかねず、大変な混乱をもたらす恐れがある。(毎日新聞)

なるほど、日本を解体するのにこれほど効率の良い方法はないであろう。革命などを起こさずともいとも簡単に共産主義者の思う通りになるとは…。
時事ドットコムに地元住民の声が出ていた。

「地域の神様」「単なるお守り」=雅楽、みこの舞いも-市有地の神社・政教分離訴訟
 明治時代に農村の豊作祈願のため建てられた北海道砂川市の二つの神社は普段、宮司はいないが、毎年の春と秋には市内の別の神社から宮司の派遣を受け、例大祭が催されている。住民からは「単なるお守り」「神社という意識はない」との声が上がる一方、「地域の神様。大事にしたい」と話す男性もいた。
 空知太神社は春秋の祭りで、鳥居の両脇に「地神宮」と書かれたのぼりが立てられる。同神社の総代長によると、秋祭りでは近隣の農家からの米や野菜などが祭壇に供えられ、宮司によって祝詞が上げられるなど、かなりのにぎわいをみせる。
 別の神社の祭りの際には、空知太神社にもみこしが回り、雅楽が流されるほか、みこの舞いも見られるという。
 現在は町内会館が併設されている。このため、「神社という意識はない。地域の集会所」と話す男性町民がいる一方、神社に向かい手を合わせる高齢女性の姿も見受けられる。
 一方、富平神社は民家約30戸が点在する農村にある。社殿は既に老朽化しているが、最近まで別の神社の祭りの際には、みこが舞っていた。
 農業の男性(55)は「単なるお守り。先人が造ったものを辛うじて守っているだけ」と宗教性を否定したが、農業岡田圭司さん(41)は「昔からある地域の神様。大事にしたい」と話している。

こういう声は届かなかったようだ。
最高裁の裁判官14人の内に、「合憲だ」としたのが1人しかいなかった。
朝日新聞にその方の意見が載っていた。

堀籠幸男裁判官「市が無償で提供することは憲法に違反しない。神道は、日本列島に住む人々が集団生活を営む中で生まれた、生活に密着した信仰というべきもので、その生活の一部になっている。これと、創始者が存在し、確固たる教義や経典を持つ排他的な宗教とを政教分離原則の適用上、抽象的に宗教一般として同列に論ずるのは相当ではない。」

 これは全くもって「正論」である。この短文の中に、「神道」の本質を述べ、異論をはさむ余地がまったくないほど「日本人の宗教観」と「他の宗教」の違いを示している。堀籠裁判官は、まさに尊敬に値する人だ。
大多数の意見の中、ただ一人反対意見(しかも正論)を語るとは、まるで東京裁判のパール判事のようだろう。

では、この原告はどんな人物だったのか。朝日新聞に詳しく載っていた。

 最高裁の違憲判決を導いた原告は、砂川市に住む地域住民2人だった。
 信教や思想の自由が抑圧される時代に戻したくない――。原告の一人で元中学校教師、谷内栄さん(79)は、この一心で裁判を続けてきた。「憲法をつくった人の思いを受け継ぎたい」と、日本国憲法の文庫本をいつもポケットに入れている。
 空知支庁奈井江町で生まれ、「軍国少年」に育った。海軍のパイロットに志願した年、日本は敗戦を迎えた。
 戦後、近所の牧師が英語を教えてくれた。キリスト教に触れて信仰の道に進んだ。 家が貧しく、思うように進学できなかったが、定時制高校などをへて、「平和の尊さを教えたい」と教師に。道内の中学校で英語を教えた。
 30代後半に住んだ地域で、神社の祭典費が住民から強制的に徴収されていることに疑問を持ち、政教分離の問題に関心を強めた。定年後、空知太神社の土地が市有地と知り、提訴に踏み切った。
 もう一人の原告、高橋政義さん(87)とは、首相らの靖国参拝に反対する「滝川平和遺族会」の活動で知り合った。高橋さんは太平洋戦争で中国大陸に出兵。今回の裁判の意見陳述では「幾多の罪を重ねた自分を深く反省します」と謝罪から始めた。
 戦前の教育や国家神道に影響を受けた体験を踏まえて、「政教分離の原則は、日本国民やアジア太平洋地域の人々に甚大な被害を与えた反省から生み出された」と指摘。「私は宗教としての神社神道を否定も肯定もしない。公の財産を宗教上の組織団体のために使うことに異議を申し立てる」と訴えていた。

「平和の尊さ」とか「戦争責任の反省」とかいかにももっともらしいことを言う。中学教師だったというから、悪名高きかの「北海道日教組」だったのだろうか、まさに典型的な日本人の皮をかぶったガチガチの左翼思想者。自身の戦争体験が、ルサンチマン(怨念・憎悪)の塊となって、天皇・国家への復讐心に変化したようだ。「神社神道を否定も肯定もしない」とは言うが神社そのものに嫌悪感を抱き、存在そのものを否定したいからこそ、最高裁まで争うのだ。この恐ろしいまでの執念は、地域社会の役割を担っていた神社をぶっ潰そうが、それがどんなに大きな混乱を招こうが、一向に構わないとなれば、己の我執を満たすための「利己主義」の極致に達しているだろう。
問題なのは、この原告の男がこの後、どんな行動をするかだ。
こういうタイプの人間は粘着質だから、きっと役所にねじ込み「憲法違反だ」とこのお題目を盾にして騒ぐに違いない。いや、勢い余って、「これは法律違反だから」といって鳥居や神社建物を壊すかもしれない。老人だといって油断してはならない、どうせその背後には変な団体がくっついているのだろうから。
よく観察する必要があり、また事後も報道するべきだろう。
それにしてもこんな騒動を起こす人がいる地元の方々もさぞや大変ではないだろうか。私の回りにこんな輩がいたら勿論議論を吹っ掛けますけど…(怪しい団体が束になっているだろうから勝てるわけないか…)
それにキリスト教徒か。
日本のキリスト教団体が反日活動をしているというのは、渡部昇一や八木秀次の本で読んだ。宗教を否定する共産主義者と手を組んでいるという時点で、それが本当に「宗教家」のすること?と疑いたくなる。
このサイトが詳しい。http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/52363305.html

北海道の小さな神社の裁判だが、この影響は計り知れないほど大きい。
この違憲判決がどれほど反日勢力に弾みをつけることになるのか、考えただけも恐ろしい。

今、日本の文化と伝統は破壊され、日本の国は破壊されようとしているのだ。
最後に三島由紀夫の文章を引く。

……たとえば、国を守るということだが、その国とは一体何だ。―と質せば国土だという返事がくる。しかし、家庭を守り、家庭の延長としての村を守り、町を守り、府県を守り、それから国を守るという、一連の地域共同体へのつながりがあり、それがさらに天皇陛下とつながって、一つ引っ張ると芋蔓式に自分と社会、国家というものが一本の綱のようになっていた昔と違って、こういう綱が現代は断たれてしまっている。これが日本が敗戦したからというだけではなく、世界的な傾向としての都市化現象、近代化現象の結果そうなっているのであり、工業化の勢いが前資本主義的地域共同体をばらばらにしてしまったためである。
このように地域共同体が崩壊してしまった中で、いったい国とは何かと問われると、仕様がないから国土といい、その国土を外敵から守るのが防衛だ、と答える。しかしその国土というのは単なる地面であって、それがたとえ日本が共産政権になったとしても何んの変わりもない。<中略>
また国民を守ることが日本の防衛だという答えもある。しかし国民を守るということは、人間を守ることであるが、人間にもいろいろあり、日本のような国はなくなってもいいんだ、という人もいる。日本ほどいやな国はないと思っている人もいる。国境をなくして、世界国家にしたらどうだといっている人もある。そういう人間を全部ひとからげにして守ってやろうといっても、いや、お前なんかに守って欲しくないと言われたらどうするか。<中略>
それでは何を守るか。
日本の防衛とひと口にいっているが、具体的にわかりやすい言葉で表現することは非常に難しい。こういうことになってしまったのは、やはり現世界がイデオロギーの終焉時代にあるからだという人もいるが、それは間違いで、相変わらずイデオロギー病が全世界に広がっており、お互いにイデオロギーで人間がいがみ合うように、政治勢力が操っているとしか考えられないのである。
その情勢の中で、何とかしてわれわれは国民的統一体としての核心をもたなければ国はばらばらになってしまう。
<中略>
われわれは何を守るか、ということだが、日本は太古以来一民族であり、一文化伝統をもってきている。従って、守るべきものは日本というものの特質で、それを失えば、日本が日本でなくなるというものを守る以外にないと思う。
左翼の人たちは非常に日本人ぶる。日本人としてこういうものを我慢していられるか、日本人として米軍基地を撤退させなけらばならないんだという。そういう限りにおいて“日本人”という言葉を持ち出すのだが、それでいて彼らは一民族、一文化伝統、一言語という、世界でも稀な国家的特色を、彼らの思想といかに調和させていうかという説明が少しもできていない。むしろそれを断ち切ることが彼らの政治目的なのである。<後略>

(新潮社「三島由紀夫全集35「栄誉の絆でつなげ菊と刀」から)
左翼主義者が「アイヌ」「沖縄」を持ち出して日本は一民族ではないと主張するのは、日本の国民統一体を削ぐために利用しているのである。(これは本題とずれるので後日)

三島由紀夫はこのあと日本を守るには日本精神、天皇、日本文化を守ればいいと説く。(これは「文化防衛論」につながる)
したがって、ここは、日本人の精神の原点である神社は守らねければならない。

だからこそ、こういった左翼主義者の反日思想の男(日教組・日本キリスト教徒団体、おまけに自虐史観)が、やっきになって神社の破壊を目論むのだ。
げにも、恐ろしいことだ。
社会主義も共産主義も無くなった、日本のどこにそんなものがある、という学者や知識人がいる。
いや、日本ではそれは無くなったのではなく、密かに浸透してしまったようだ。この件はその一端を見せられたような気がする。
今後も「違憲判決」の影響の行方を十分に注視していかねばならないだろう。

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Comment

[327]
そんな日が来るのかもしれない

じゃなくて既にたくさん行われています。

関心を持つ人がそんなことも知らないのが悲しい。
[354]
私の近所の神社には普段は宮司さんは、いないのですが、秋にお祭りがあって盛大に行われています。
そこで町内会の方が町内会費で焼きそばやわたあめを売ってくださります。
町内会費で負担しているのでほぼたた同様です。
このように素晴らしい人との繋がりを無くすような人がいることは非常に残念でたまりません。

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