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「市川団十郎」と「三島由紀夫」と「井上馨」

物語を物語る

平成22年1月23日 朝日新聞 別刷り「be」にいい記事が載っていた。

事業仕分け」に注文  歌舞伎俳優  市川団十郎
昨年12月14日、市川団十郎はスーツにネクタイ姿で国会に赴き、民主党筆頭副幹事長の高嶋良充と向き合った。
「子どもたちが伝統芸能に接する機会を狭まれば、未来の日本の顔を奪うことにもなります」
国の歳出削減に向けた「事業仕分け」で「子どものたまの優れた舞台芸術体験事業」など関連予算が削られそうになっていた。
この国では、「文化大国」とは名ばかりで、歌舞伎のような伝統芸能であっても「国家に益なき遊芸」という明治以来の考え方が根深い。体系的な文化政策はなく、「予算カットは文化から」という風潮も否めない。
団十郎は、日本舞踏市川流の家元でもある。この日は日本舞踏協会幹部として要望団に加わり、思いを訴えた。
「国は武力ではなくならない。相手の国の文化、言語、芸術をなくすことでなくなるんです。ヨーロッパの国々には、国の存亡にかかわるという観点から、『国防省』とほぼ同格の『文化省』や『文化保存省』があります」
1985年に十二代目を襲名したときに米国で講演をした。海外で襲名披露興行をするのは、歌舞伎が初めての試みだった。団十郎は思った以上の好感触を得た。世界に数ある芸術の中での歌舞伎、世界の中の日本を考えるきっかけとなった。「海外の芸術と比べ、日本の伝統芸能はもっと重視されていいはずだ」
日本では、高度経済成長を経てバブルへ突き進んでいた時代。急速に欧米化が進み、和室や着物など歌舞伎と共有できる生活習慣がどんどん減っていった。「歌舞伎を含め、伝統芸能の存続は危うい」  伝統芸能の真髄を見極めようと、錦絵や和漢の文献を研究した。先行芸能の能楽から、古代の「古事記」にまでさかのぼって調べ、考えを練った。
歌舞伎には演出家が存在しない。スターの役者が自分のやりやすいように演出も兼ねる、役者本位の芸能だ。それでも何百年もかけて、代々の名優が「型」を作り、後続が研磨してきた。
「将棋にも組み上がった最高の型がある。型には、合理的な理由がある。そこから一歩出ようとするなら、たいへんな工夫をしないといけない」
<中略>
「歌舞伎がよければ、着物も和楽器もよくなる。そうした文化の連鎖を断ち切らせないぞ、と自分に言い聞かせています。大げさにいえばそれが日本のためになると信じて」

正しくこの通りである。
これを読んでいたら、三島由紀夫の「文化防衛論」を思い出してしまった。
一部引用。

かくして創り出される日本文化は、創り出す主体の側からいえば、自由な創造的主体であって、型の伝承自体、この源泉的な創造的主体の活動を振起するものである。これが、作品だけではなく、行為と生命を包含した文化概念の根底にあるもので、国民的な自由な創造的主体という源泉との間がどこか絶たれれば、文化的な枯渇が起こるのは当然であって、文化の生命の連続性(その全的な容認)という本質は、弁証法的発展ないしは進歩の概念とは矛盾する。なぜならその創造主体は、歴史的条件の制約を乗り越えて、時に身をひそめ、時に激発して(偶然に残された作品の羅列による文化史ではなくて)、国民精神の一貫した統一的な文化を形成するはずだからである。

ここだけ抜き出しても何だか分からないでしょうけど、市川団十郎が言う「日本文化を守ることは国としての日本をも守る」という点において大筋で一致していると思う。
三島由紀夫が繰り返し説いているのは、「(日本の歴史・伝統)文化の連続性の破壊が、国を滅ぼす」(だから日本文化の象徴となる天皇を守ろう)、ということだ。
三島由紀夫は全共闘・共産主義と戦っていたが、市川団十郎は民主党と戦った。
三島と団十郎が重なってみえる。
さて、歌舞伎に関しては、明治の政治家・井上馨にも触れて置きましょう。
当サイトでは、新田一族として井上馨を取り上げていますが(「上州遷都論」と井上馨  新田義貞伝承を追う!実は東毛奇談の続編。シリーズ9回目)、歌舞伎との関連はhttp://pcscd431.blog103.fc2.com/blog-entry-533.htmlで紹介しました。この部分を再録しておきます。

井上は明治二十年に明治天皇、皇后、皇太后をその麻布鳥居坂の私邸に招待して、九代目団十郎、五代目菊五郎、初代左団次らの勧進帳などの歌舞伎芝居を天覧に供した。宮内庁では前代未聞のこととして猛烈に反対したらしい。というのは、このころは歌舞伎役者はいまだ社会的身分としては江戸時代いらいの河原乞食扱いをうけて蔑視されていたからである。しかし井上はその権威で宮内庁の反対を押し切ってしまった。
井上の主観的意図は別として、これはまことに大変なことだったのである。天皇が見物したことによって、歌舞伎役者は、これまでの社会的賤視を脱却して、芸能界における近代的市民権を獲得することになったのである。またこれを機会に近代文化としての演劇改良、育成が世上の課題とされはじめた。その意味で井上は伝統演劇復興とその近代化の大恩人となった。それは日本の近代演劇をかざる一大事件であった。
井上は明治九年から二年間、財政経済研究のためにヨーロッパを視察している。彼はこのときイギリスなどで、芸術が社会的にいかに尊重されているかを知悉したとみられる。その点で彼はたんなる傲岸な官僚政治屋ではなかった。歌舞伎にたいする正しい評価と取扱いもそのあらわれであったといってよい。

井上馨が日本の伝統芸能の保護者となった、という点について語られることはあまりない。(新田一族の伝承者なのでもちろん尊皇家でもある)
「鹿鳴館」を建て、西洋文化を積極的に取り入れ、西欧かぶれの人物のように言われているが、実はそれだけではないのだ。茶湯の復興、古筆物、古画、仏画、彫刻、陶磁器の蒐集などにも力を注ぎ、明治期において日本文化を保護した有力な政治家として井上馨は甚大な貢献を果たした。再評価してほしい。

どうも現政権は「日本の文化・伝統・歴史」(皇室を含む)を粗略に扱っているように思えてならないが、井上馨が外国の文化や産業の流入を進めるとともに、既存の日本文化を守ったという点を、現代の政治家も見習うところもあるはずだ。

新田義貞うちわ2(新田義貞を演じた市川団十郎)
三島由紀夫→「鹿鳴館」→井上馨→「新田一族」→市川団十郎、とむりやり結び付けてみました。




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