スポンサーサイト

物語を物語る

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「服装の乱れ」国母和宏の一件に見る擁護派の思考。

物語を物語る

 公式服装の乱れと態度の悪さで批判にさらされたスノーボード男子ハーフパイプ(HP)日本代表の國母和宏の一件だが、このところ「擁護論」が出てきた。(本来「國母」ですが、ここでは「国母」の字で統一表記します。)

産経新聞記者の清水満の「別にいいのでは…朝青龍とは違う」では、「五輪選手として「品格がなっていない」と責められるのは、逆に違和感がありましたね。」「TPOを考えろって思ったけれど、ソレはソレで監督責任者が注意すればいい。ま、その前に、五輪関係者が過剰反応して?入村式を欠席させたりするから、かえってことを大きくした。いまどきの若者なんだから…で目をつむっていいケースだと思いますね。」といった論理展開で書かれている。これが、ベテラン新聞記者の記事だというだから、唖然とするばかりだ。記事に付いた読者コメントの方が正論だというのが救われる。

総合格闘家・山本“KID”徳郁の記事では、「このスノボの子はかわいそうだな」「試合前にこんなバッシングしてどうすんだよ。すんなら後にしろって感じだな」本当にニュースに出てくる自称評論家は気持ちのちっけえヤツらばっかだな」、「まだ朝青龍の事やってるよ暇なフニャチンばっかだな」といった内容。
まあ自分と重ね合わせ、「強ければいいんだよ」「結果を出したら文句は言わせない」という主張したいのだろう。


国母ファッションはスノボ「定番」 JOC目くじら立てすぎの声も
のコメントでは、大方が国母氏への批判だが、そんな中、こういうコメもある。
「macy200001 服装云々なんてどうでもいい話で、要は結果だろ。本当にくだらないニュースだ。国母も中途半端な反省会見などせず、自分も主張を貫くべきだと思う。まあ、このニュースを見て、物事の本質に目を向けず、型にばかりこだわってているところが、当に日本的。日本経済が行き詰ってるのも、その腐った思考を改められないからなのかもな。」

いうなれば「批判するのは、世間が悪い、社会が悪い、いや国民が悪い、結果日本が悪い」といったことらしい。
こういう輩は結構多い。同じような事件が起こったときに必ず吹き出てくる「結局、日本人が、国が悪い」といった人種である。一定数はいるようだ。
こういう変人の意見が読めるのが、ネットの利点であるともいえるが…。

また擁護派で多いのは「金メダルを取って見返してやれ」といった内容。いわゆる暖かい目で見守りましょうといったもので、これは、萩本欽一の記事にもあった。
同じような内容だが、正反対に「メダルを取ったら、逆におもしろくなる」という扇情型の人もいる。

私は、「服装が乱れている」といったことよりも、「あの会見」の方に問題があったと思う。
服装・髪型・鼻ピアスなどといった外見上のものはいつでも直せるし、監督者が注意すればいいことだ。
服装問題、それ自体は大きなことではない。
だからそこを問題点とすると、この件がなぜこれほどまでに大きくなったのかという本質が見えてこない。そこだけを見ればたしかに「騒ぎ過ぎ」ともいえる。
「いいじゃないか服装も個性だ」なんて擁護や、「TPOを考えればいいんだろ」なんていう話にもなる。
しかし、あの会見の何ともいえないイヤな感じ、そこに問題点がある。
服装の乱れといった表層的な問題のみを取り上げて意見を言う人は、浅慮だという他ない。
物事にたいする姿勢とか態度、応対の仕方などは一朝一夕には直らない。そして、あの会見を見れば、彼がいままでどんな生き方をしてきたのか、どういう風に社会に接してきたかが分かる。子どものころからチヤホヤされて「世の中をなめている」というのが透けて見えてくる、ここに反感をもってしまうのだ。(そう感じた人は多い)

人はスポーツを観戦するときに、どこを見るのか。
ただ、勝った負けたという結果だけを見ているわけではないだろう。
強ければいい、勝てばいい、結果を出せば文句は言わせない、といったものに、人々は案外反感をもつ。これは日本人に限ったことではない。
2009年大晦日の格闘技での青木真也を見て、「何だあれは」と怒る人が普通である。
「勝てばいい」「強ければいい」という論理だけでスポーツは成り立たっているわけではない。
そうでなければ、スポーツ観戦は、ただ「氷の上を滑っている」「デカイ男同士が殴り合っている」「球を投げて棒で打って走っている」というただの現象や運動を見ているだけということになってしまう。これでは何の面白味がない。
スポーツを見るということは、選手を演者として、そこに一つの物語(ストーリー・ドラマ)を見ているということなのだ。
オリンピックに参加するまでの過程、メダル獲得までの道程を知ることによって、この「物語」は更に面白味が増幅される。選手たち(演者)の過去や背景は一つの物語を作り上げる上での重要な要素であり、オリンピック選手になるまでのストーリーに観客たちは思いを馳せる。
そういった「物語」があるからこそ、初めて私たち観客は競技を観戦したときに、感動したり、感嘆したりするわけなのだ。
だからこの物語の演者である選手たちに、社会的規範やルールまでを求めてしまうのは当然であり、プライベートのことまで含めてすべてが「物語」の延長だからだ。

本日は2月15日なので、上村愛子が4位だったという報道が、新聞で埋め尽くされ、テレビのワイドショーは彼女のことばかり放送していた。上村愛子には「オリンピック雪辱の物語」「母娘物語」「新婚・夫との愛情物語」「引退後は夫婦でペンション経営」というものがあり、十分「物語」として語られる。惜敗の4位であっても「涙の会見」は十分、感動的ストーリーとなる。
それに比べ、過去の金メダルリストの里谷多英はどうだろう。普通ならメダルを2個も取って実績もある里谷にもっと注目も期待も集まるはずだが、結果のみの報道しかない。それはかつて、泥酔事件を起こし、あまりいい噂のない里谷。(例の流出ビデオもあるし)
彼女には語られるべき「物語」がない。

オリンピックに求められるのは、選手たちが紡ぎ出す「物語」なのだ。
これは、「青木美帆物語」「本橋麻里物語」「安藤美姫物語」でもいい。
だが今回の国母和宏はどうだろうか。
出てくる話は、どうも鼻に付くものばかり。
ここには、一般観衆が欲している「物語」がない。
しかも、オリンピックで紡ぎだされる期待すべき「物語」までも自らが壊した。
オリンピックで作られる「物語」に対する国民の理想は高い。
それは、「勝てばいい」「強ければ文句を言わせない」といったものではない。
あくまでもそこまでに至る美しい「物語」を求めているのだ。(メダルが取れれば尚更良いが)
その舞台を、あんなことで壊した国母に対して怒りがおさまらないのはそこにある。

そこを観客はそれを求めている。服装の乱れ云々といったことで怒っているのはなく、国民の求めている「物語」を作らず下らないことで「理想」(「オリンピックに幻想を抱き過ぎている」という人もいた)を壊したということに、怒っているのだ。だからこの件がオリンピックではなく、スノボーの国際大会とかなら、誰も文句は言うまい。

注目を集めれば公私を問わず社会的規範を求められるのは、芸能人でも政治家でも同じことで、これは朝青龍でも同様。こういったことを何て言っていいか分からずに「品格」とか「人格」とか「社会人として」と表現しているに過ぎないのである。

そんな中、擁護派において一番アホなのを載せておく。
堀江貴文、ホリエモンの記事だ。
http://news.livedoor.com/article/detail/4604094/

服装に関しては原理主義者が多いのね。どうしても許せないって思っちゃうんだろうか。服装なんてどーでもいい派の私としてはなんかこの程度で強制送還なんてあほかいな、って思うのだが原理主義者にはどうしても許せないことらしい。
例えばゴルフ場なんか服装原理主義者の巣窟だ。来場するときはジャケット着用なんてざらにある。真夏まっさかりのときでもそうだったりする。そして襟付きのシャツでないとプレイさせてもらえない。これはほとんどのゴルフ場でそうだ。ポロシャツとTシャツなんてどこも変わらないと思うんだけど、そういう普通の感覚は受け入れられない。とにかく襟さえ付いていれば問題ないのだ。
しかもほとんどのゴルフ場で「イン」しなければならない。裾が出ていたら絶対駄目なんだ。腹が出ている私はどうしてもこれが嫌なんだけど。だってでっぷりと腹がベルトからはみ出るのはみっともないったらありゃしない。まあこれはやせればいいんだろうが、ゴルフの後はご飯がうまいんだよねぇ。。。
あ、競馬の馬主席もそうなんだよな。ネクタイ・ジャケット着用。でも女子は別に不要なの。なんだかなあ。一々ネクタイつけるの面倒だからジッパー式のネクタイ貰ったよ。これは凄い便利。結び目が超綺麗なの。絶対ジッパー式ってばれない(笑)
んで会見で肩肘ついて話したとか言われてまた文句言われてる。もうさ高校球児とかじゃないんだからさ。そんなんで文句言うなよな。ていうかイジメでしょこれって。まあ原理主義者は宗教みたいなもんだからその呪縛から解けない限りは、国母選手みたいなんは絶対「悪」なんだよね。んでさ、国母選手のほうも「なんでこんなんで文句言われなきゃいけないわけ?」って思ってるからイデオロギー対決で戦争状態になってたりするわけだ。
シーシェパードの問題とか、テロとかの問題となんら変わりはないな。お互い歩み寄るしかないのかな。でも本質的な競技の問題とは関係ないんだから、処分とかはいらないとおもうぞ。

この件を「服装問題」を表面だけで論ずるのは、浅慮に過ぎる。これはまさに、その典型。しかもそれを最後は「社会のせい」「日本が悪い」とする。これは中学生並みの発想だ。堀江貴文、人間が変わったと言われる。しかし、これを読んでも分かるが、本質的には何も変わっていない。

ホリエモンは、「儲ければいい」「金を稼げればいい」という風潮を世の中に植え付けた人間だが、それが「強ければいい」「勝てばいい」「結果を出せば文句はいわせない」といった論理を展開する人々と同じなのは納得がいく。
そして朝青龍や石井慧や国母和宏などが、みな堀江貴文と同じ思考である。
彼らは「日本の癌」である。
こういった「強ければいい。それが許されないのは、社会・国が悪い」といった風潮が蔓延している。これは良くはない傾向だ。

続きあり。
http://pcscd431.blog103.fc2.com/blog-entry-715.html
スポンサーサイト

Comment

[209]
結果さえ良ければ何やってもいいんだといのは
アナーキーで無秩序な世の中に行き着いちゃう気がします。


コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

Trackback

«  | HOME |  »

カスタム検索




FC2ブログランキング


すみません…、只今コメ返しをしておりません。しかし、しっかりと読んでおります。こんなわがままなサイトですが、気が向いた方は、どうぞ書き込んでください。

FC2ブックマークに追加

05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -

Wikipedia
developed by 遊ぶブログ
物語を物語る
 トップページ
  ├ 月別アーカイブ
  |  └ --年--月 --日 (--)
  ├ カテゴリー
  |  └ スポンサー広告
  └ スポンサーサイト
物語を物語る
 トップページ
  ├ 月別アーカイブ
  |  └ 2010年02月 15日 (月)
  ├ カテゴリー
  |  └ 時事ネタ
  └ 「服装の乱れ」国母和宏の一件に見る擁護派の思考。
by AlphaWolfy

消えた二十二巻

Author:消えた二十二巻


全ての記事を表示する




このブログをリンクに追加する
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。