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物語を物語る

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勝間和代の「皇室はコスト問題」発言にモノ申す。

物語を物語る

週刊文春 2010年3月4日号にこんな記事が。

勝間和代「皇室はコスト問題」ぶっちゃけトーク公開

いまや著書の累計発行部数が270万部以上の超売れっ子経済評論家、勝間和代氏(41)。2月15日に日本外国特派員協会で行われた新書「チエンジメーカー」(講談社)のPRを兼ねた講演と午餐会で、テレビでは聞くことのできない“ぶっちゃけトーク”を繰り広げた。

記事の前半は「日本の高齢化問題」の発言を取り上げている。
問題は後半部分。

「そしてこの日、参加者の注目を集めたのは、次の発言だった。「勝間氏が“日本人は受け身だ”と発言したのに対し、日本人の女性記者が“日本人の依存心は天皇制への依存心と関係があるのか? 天皇制についてどう考えるか?”と質問した。すると勝間氏は、『ロイヤルファミリーが外交上に与える好影響を考えると、日本にロイヤルファミリーがあっても悪くないと思うが、コストの問題だと思う。国民がコストを払ってまでロイヤルファミリーを維持したいのであれば、(現状は)ある意味中途半端。もうちょっと、ロイヤルファミリーの幅を広げてあげないと、非常にロイヤルファミリーだけが孤立してしまって、逆に不幸な状態になっているのではないかと個人的には思う』と答えたんです」
発言の真意について、勝間氏サイドはこう説明する。「“コスト” というのは純粋に経済学的な意味でのコスト(予算措置)であり、“国民が天皇制を負担に感じている”といった意図ではない。国民や外国からの権威としての信頼度が高いのであれば、むしろもっと予算を増額すべきだということを説明した」
それにしても、皇室の存在までも「コスト」とは…。何でもカネに置き換える、人ぞ淋しき。

とあった。

さて、私はもちろん「勝間和代」がキライだ。これは過去記事でも書いたところ。「うの」と「カツマー」と「清貧の思想」
それに、「まだカツマーっていたの」とか「あの本の表紙のポーズはどうかやめてくれ」とか、常々思ってはいたが、いまさらそれは本当にどうでもよかった。
しかし、上記の記事は許せない。
これ本当なのだろうか。もし事実だとすれば、彼女は相当「イカレている」と言わざるをえない。
「チエンジメーカー」という本がどんな内容かは知らないし、興味もない。ただ、この女性記者の意地の悪そうな質問からいって、「日本に大きな変革を求める」といったような踏み込んだ内容だったのだろうか。
そもそも、勝間の上から目線の発言は何なのだろうか。270万部も本を売った経済評論家は、そんなにエライのか。「国民がコストを払ってまでロイヤルファミリーを維持したいのであれば、……」などと言い放つ様は、いまどき共産党の幹部でももう少し表現に気を使うぞ。
「コスト」に予算措置という意味があるのか分からないが、ここでいう「コスト」とは明らかに「コストパフォーマンス」のことだろう。「投入される費用や作業量に対する成果の割合」つまり、「皇室の存在」を金額換算して、ただの外交の道具の一つとしか見ていないということだろう。
また、この弁明の説明文を読んでも「効果が高いのなら費用を掛けるべきだ」という意味なので、結局同じことを言っているのに過ぎない。
では、逆に「外交でコストパフォーマス」が得られないとなれば、皇室は不要で「予算カット」を要求し、「中国のお偉いさんとの会見」を拒否でもしたら、外交的価値がないといって「天皇制廃止だ」とでも主張するのだろうか。

「文化概念としての天皇」の価値というものが分かっていないから、こういうことを言うのだろう。
「文化」というものを貨幣価値で評価することは難しい。それが念頭にないと、「蓮舫」のように事業仕分けで「文化事業の予算」をバンバン切っていくことになるのだ。勝間はレンホウと同じだ。(過去記事)

「国家=文化」、こういう意識が少ない人物が、今の日本では影響力の大きい地位を占めている。
これは実に憂うべき事態だ。


ただ、ここでは一つ「皇室の予算を増やす」という点だけには賛成しておこう。
ここで福沢諭吉の「帝室論」を引いておく。
福沢諭吉「日本皇室論」現代語訳(島津書房)
福沢諭吉「日本皇室論」現代語訳(島津書房 財団法人・無窮會) 池田一貴・訳 平沼赳夫・監修 から、その一部。

帝室は人心収攬の中心となり、国民政治論の軋轢を緩和し、海陸軍人の精神を制御して使命を与え、孝子・節婦・有功の者を賞して全国の徳風を篤くし、文を尚び(とうとび)、学士を重んじるという実例を示して、わが日本の学問を独立させ、芸術を衰頽以前に救出して文明の富を増進するなど、その功徳が至大至重であることはいうまでもない。
ところが、軽はずみな書生輩は、こうした大徳の重要性を弁える(わきまえる)ことができず、たとえそれを口にしても、まったく心がこもっていない。畢竟、無知の罪なのだ。一方、丁重で着実と称する長老の輩も、じつは案外性急であり、熱心さが昂じて過激になり、かえって恩徳のあることを忘れて、狼狽し騒ぐ。これもまた、無知の罪である。無知の罪は、下心があって意図的にそうしているのではない。だから、これを恕し(ゆるし)、正常に帰ることを期待したい。
天下が皆、正常に帰着したとしょう。そこで帝室が、これまで述べてきたような事柄に着手しようとするとき、第一に必要なのは資本である。明治十四年度の予算を見ると、帝室及び皇族費は百五十万六千円で、宮内省の定額は三十五万四千円とある。この金額が多いであろうか、少ないであろうか。
イタリアの帝室費は三百二十五万円で、皇弟の賄料が六万円、皇甥のそれが四万円、その他、国皇の巡狩費または皇居建築修繕費などは別に国庫から支出するという。英国はその富裕のわりには、他の諸国に比べれば帝室費が少なく、二百万円以内だがその他にランカスター候国から入る歳入もある。ゲルマン(ドイツ)は三百八万円のほかに、帝室に属する土地山林がはなはだ広大で、そこからの歳入はことごとく宮殿と皇族の費用に充当される。オランダは三十一万二千円のほかに、かつて第一世ヴィレム王の時代から王家の私的財産に属するものが非常に多いという。
右の各国に比べると、わが帝室費は豊かとは言えない。金員の額も少ない上に、帝室の私有財産たる土地もなければ山林もない。今後国会開設以後においては、必ず帝室と政府との会計上もおのずから区別されなければならないので、今から帝室の費用額を増やすべきであり、また幸いにして国中に官有林も多いので、その一定部分を割いて永久に帝室のご所有に供することも緊要であろうと思う。
パシーオ氏は英国政体論でこう述べている。
「世論ではいろいろな意見が喋々される。例えば、帝室はすべからく華美にすべきだ、と言う者がいるかと思うと、いやすべからく質素であるべきだ、と言う者もいる。はなはだしいのになると、華美の頂点を極めるべきだと言う者がいれば、これとは正反対に帝室を廃止すべきだという者までいる。しかし、これらはその場限りの空論でしかない。今の民情を察して国家の安寧を維持しようとすれば、中道の帝室を維持することが緊要なのである財政運用の観点から観察すれば、例えば、人心収攬の中心という機能を発揮するために百万ポンドを帝室に奉じることが最良の策だとすれば、百万は百万の働きをすると言えよう。ところが、これを削って七十五万ポンドとし、運用法を変えた結果、人心を得ることができなかった場合は、結果七十五万ポンドは全損ということになる。これは拙劣もはなはだしい政策である云々」
これは、簡単な議論ながら、事理を尽くしたものということができる。すべて帝室の費用は一種特別なものである。公然たる費用があるのは当然だが、場合によっては、使途自由にしてほとんど帳簿に記す必要もないような費目もあるだろう。これは最も大切な部分である。
例えば昔、フランス皇帝第一世(ナポレオン1世)の先后ジョセフィーヌは高名な賢婦人で、常に内助の功によって皇帝を支え、皇帝の過失を補い、宮中(帝室)と府中(政府)とを問わず、人心を掴んで離散させないように努めていたが、皇帝の心変わりで皇后を離縁して以来、たちまち内外の人望を失ったことがある。近年では、今のイタリア皇后マガリタはつとに賢明順良と評判だった。よく人心を収めて皇帝を輔翼(補佐)し、間接的に、政治上の波風も平素も皇后の徳によった鎮静したことが少なくないという。
このように、帝室の徳が民心に伝わるのは一種微妙なものであり、冥々の間に(自然に)尋常ならざる勢力を盛んにすることもできるだろう。ふだんなら万乗(一万台の軍用車)を率いる皇帝が、お忍びで外出し、貧しい男を助けたことがきっかけとなり、その地方の人民が殖産の道に励むようなことがある。一兵士の負傷について質問したことが、三軍の勇気を奮い立たせたこともある。花の筵、月の宴などについても、決して軽視してはならないのである。
こうしたことにつけても、必要なのは財である。しかも、その財を費やしても、帳簿に記入できない費目もあるだろう。私は、細目を論じているのではなく、ただ皇室費が全体として豊富になることを祈っているのである。

福沢諭吉の天皇・皇室観は現代にも合う。
勝間和代に言いたいのは、まず「日本の文化、歴史、伝統」をよく考量した上で「皇室・天皇陛下」のことを語ってもらいたい。すべてをカネに換算して思考するだけが正しいのではない、と知るべきだ。

勝間ついでにあと一つ。
最近、香山リカと勝間の論争を売りにした雑誌を見かける。
あれは、私から言わせてもらえれば「似たもの同士の茶番劇」「安ぽいマッチポンプ」。
この二人、主張していることは一見正反対のことを言っているように見えるが、実は同じことをいっているのだ。
ともに「個の確立」を説いているにすぎない。要は「どうすれば“幸せ”になれるか」「どうすれば自己実現されるのか」というものを説いているだけで、その方法論の違いを言い争っているだけだ。(あくまでも商売上の戦い。いや上手くやって、雑誌でちょこちょこ、二人仲良く細かく稼いでますね。香山リカも勝間と同じで、細木数子方式で自分を売り込むことに余念がない。)
二人の説く「やり方」は違うようだが、目指しているところは同じ。「個の実現」ということでは、目的は同じなのだ。彼女らにとって、あくまでも大事なのは「自己の確立」「自己実現」、「自分」、「個人」「わたし」「あなた」「しあわせ」しかない。
そして重大なことに、そこには“公”という概念がまったくない、ということ。
「迷える人びと」を「自分が編み出した方法論」で、諭し、導いていく、という点では、まさに宗教と同じで、勝間もリカちゃんも、ある種「教組さま」。そうやって「辻説法」でもして、信者を増やして、自分の本を互いバンバン売り込んでください。(香山リカも新しい方向性・飯のたねを見つけたようで…、いまどき「プチナショナリズム」じゃ食っていけないから…)
どうぞ、それはあなたたちの自分の領域内で勝手にやってちょうだい…。

ただし、一言付け加えれば、
くれぐれも「皇室」や「日本文化・歴史・伝統」には踏み込んでこないように……。
くれぐれも……。

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Comment

[215]
電車の吊り広告で、勝間のバカ発言の記事があったので、「勝間和代問題発言」でググったら、到着しました。

問題発言っていう言葉を使用するのは、マスコミみたいで嫌いなのですが。

大変詳細な解説で、勉強になりました。
またお邪魔しますね!
[224] 皇室財産
はじめまして。勝間女史、ホリエモン、橋下知事のごときは共和制主義者ですね。皇室財産法は天皇家に対する財産権侵害にあたると思います。日本国憲法なるものは戦後日本がイタリアやバルカンのごとく君主制から共和制に移行することを前提に押しつけられたものです。世界中見渡しても私有財産のない王室などというものは存在しません。ルーマニアやブルガリアですら西側復帰後に旧王室に王宮を含めた旧王室財産の相当部分を返還しています。皇室には天皇家として政府と一切無関係の個人的私有財産があってしかるべきと考えます。一般日本国民に財産権を許可しているにもかかわらず、皇室が一般国民から隔離され、税金丸抱えで社会主義化された生活状態は異常です。東宮妃問題も根本は皇室財産法という共産主義的悪法の副作用です。冷戦終了後20年が経過したのですから全てを御破算にするべきです。

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