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物語を物語る

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「神事としての相撲」その3 力士は日本の土地を守る防人だ。

物語を物語る

前回までの記事。

「神事としての相撲」
「神事としての相撲その2 相撲の原点は五穀豊穣を願う儀式にある。」
朝青龍マレビト論
テレビ番組「田舎に泊まろう」と相撲巡業はマレビトか?

相撲は天下泰平・子孫繁栄・五穀豊穣を願ってとり行われる神事だということが根底にある、どうもそういったことが置き去りにされている。そんな気がしてならない。朝青龍の騒動で、テレビのコメンテーターがシタリ顔でトンチンカンなことを言っているを見ると、どうにも歯がゆい思いになる。
なぜ伝統・文化・歴史が大事なのか、もっと根本から説明しなければ、いくら品格だ、人格だ、礼儀・作法だと言っても、「相撲はスポーツだ」と思っている人にはいくらい言っても話は通じまい。

伊勢神宮の奉納相撲のサイトに「神々と皇室につながる「相撲」の歴史」の記事があり、これを読むと相撲が日本の文化・歴史に深く関わっていて、「なぜ相撲が国技なのか」ということがよく分かる。

また相撲の歴史をさかのぼれば、神話時代にまでその根源を求めることができ、各地で力士をかたどった埴輪や弥生式土器は作られていた。これが全国各地の古墳から出土したいる点から見ても、力士には邪気を払い、土地を守るという信仰が日本国内でひろく伝わっていたことがわかる。
力士 埴輪(去年、群馬県立歴史博物館で開催された「埴輪展」で展示された力士の埴輪。福島県泉崎村から出土、5世紀末ころのもので最古の力士埴輪。画像は相撲ナビページから。)
こういうモノだけでも見ても、相撲が日本の文化・歴史に深く入り込んでいることが分かるというものです。
また古墳時代の力士は頭に「はちまき」を巻いていたという。これは後の下級武官が冠に巻く「抹額」に形骸を留めるもので、「戦士」特有な容装と考えられる、とある。
よって古来、力士は「日本の土地を守る戦士」としての役目も負ったのだ。
こういった視点で見れば、以下の件は違った一面が出てくる。
http://sumo.goo.ne.jp/ozumo_joho_kyoku/yomu/001/077.html 

嘉永7年(1853)、日本と国交を結ぶためペリー率いる黒船が浦賀に来航。その際、日本側からの贈答品として米200俵などがアメリカ使節に贈られた。米俵を船まで運ぶ役割を担ったのが大関・鏡岩、小柳をはじめ、階ヶ嶽、猪王山、常山、荒馬、雲龍…といった当時の花形力士25人である。
 米俵200俵といってもそこは力自慢の力士たちである。次々に米俵を運び込み、あっという間に荷役を完了してしまったそうだ。なかでも圧巻だったのが、身長208cm、体重150kgの巨体を誇った白真弓。なにしろ1度に8俵の米俵を運んだそうだから、そのケタ外れの怪力は、さぞやアメリカ水兵の度肝を抜いたことだろう。
 『ペルリ(ペリー)提督の日本遠征記』には「重い肉塊は一見あたかもかげろうのようであり、荷物は羽毛のようであった」と記されている。米俵を運ぶ力士たちの俊敏さと怪力ぶりが、掛け値なしに賞賛されているのがこの一文からも良くわかる。

ペリー来航時に、日本では力士が登場する逸話がある。
錦絵 相撲
http://ameblo.jp/kamoshikamaru-zeki/entry-10191948762.htmlにもっと詳しい記事があった。 

【大相撲豪傑列伝】(4)ペリーの前で米国格闘家に圧勝 小柳常吉
2008.10.18 17:41日米スポーツ交流の始祖は、力士とレスラー、ボクサーによる異種格闘技戦だった。主役となったのが小柳。天保から嘉永にかけて優勝5回、優勝同点1回を記録した当時の第一人者だ。
 歴史的な戦いは、黒船で来日したペリー提督の前で行われた。日米和親条約が締結された嘉永7(1854)年の2月26日。大関小柳、鏡岩以下38力士が、力技披露のために幕府から横浜に招集された時のことだ。
 土俵入りやけいこ相撲、米俵運びなどを見せたところ、米国側の随行レスラーとボクサーが「チャンピオンに挑戦したい」。指名された小柳と米国人ボクサーの間でこんなやりとりがあった。「投げ殺してもかまわぬか」「かまわん。だがな、殴り殺すことも許されるのか」。殺伐とした中で、小柳と身長208センチの幕内力士、白真弓が出陣して相撲技で粉砕した。
 面目をつぶされた米国側は、レスラーのウイリアムスとブライアン、ボクサーのキャノンが3人で同時に小柳に襲いかかった。小柳は、キャノンのパンチをかわして小手投げを打って踏みつけ、タックルにきたブライアンを小脇に抱え込み、ウイリアムスを足払いで倒した後にベルトをつかんでつるし上げてしまった。一瞬の圧勝劇だった。
 現役力士の異種格闘技戦としては、幕末の関脇両国が十両時代に黒人レスラーをKOしたり、明治初頭の関脇鞆ノ平が十両時代に米国人ボクサーを倒したり、横綱初代若乃花や輪島の師匠の大ノ海が引退直前の十両時代に渡米しプロレスラー30人に全勝した例などがある。しかし、江戸(東京)大相撲の第一人者の実戦は小柳だけ。現役最強力士の強さを立証した事例として特筆される。

ペリー来航 相撲
横浜の応接所で行われた相撲見物では、たまたま,力士の顔が血まみれになった取り組みがあって,「残忍な見世物」であったと「ペリー提督日本遠征記」に記述があるそうだ。

それにしても、日本はなぜ外国人に相撲を見せたのでしょうか。
日本にも「力の強い者がいるぞ」「体の大きいものがいるぞ」といったところを見せて、力負けはしない、という意志を示したかったのだろうか。
もちろんそれは一番の理由だろう。
しかし、前回の記事でも書いたように相撲が「五穀豊穣、天下泰平を祈って奉納される。力士が四股を踏み、地霊を鎮め大きく両手を広げて、邪気を祓い清めたものだ」という神事という面からみれば、異国から武力を示して強圧的やってくる敵から防衛する役目を負っていたとも考えられるのではないだろうか。
前回引用した注連縄の意味に「神や人の占有地であることを示すしるし。また道しるべの標識。草を結んだり、縄を張り巡らしたり、木を立てたりしたものであり…」という意味があり、相撲取りがする注連縄にもこの意が込められている。
となれば、相撲取りたち存在そのものに「日本の領土」を守るという「防人」の役目があるといえるのだから、外敵の目の前で四股を踏み、儀式にのっとり相撲を見せるということは神事そのものだ。

しかしこういう人もいるだろう「いまの力士は外国人ばかりで、日本人なんかいやしないではないか」と。
とここで、玉木正之の言葉「(外国人力士は)世界中から日本に集まって五穀豊穣を願って四股を踏む人たち」となるわけだ。
外国人力士はみな「マレビト」である。(過去記事「朝青龍マレビト論」)
「マレビト」の定義でいいものがあったので転載しておく。http://www2s.biglobe.ne.jp/~marebito/marebt.html から

マレビトとは、客人をあらわす言葉「まろうど」の、古い形の言葉です。国文学者で民俗学者の折口信夫が展開した「マレビト論」のおかげで、民俗学のキーワードとなりました。
 折口信夫は、さまざまな地方に伝わる祭りや伝説などに共通して現れる「村の外からやってくる者」を、マレビトという言葉でまとめました。たとえばお盆にあの世から帰ってくるご先祖様も、東北のナマハゲも、沖縄の八重山地方で豊年祭に出現する「ミルク神」も、みんな「マレビト」の仲間です。それだけではなく、普通の人間も時には「マレビト」として、準神様扱いされることもありました。たとえば遠い所からやってきた旅人。昔は旅人を歓待することは、ごくあたりまえの風習でした。それがどんな様子だったかは、たとえば「世界ウルルン滞在記」などのTV番組を見ていると、なんとなくわかるような気がします。
 マレビトはみんな、ある種の力を持っていると考えられていました。それはマレビトがそこの共同体に属さない、異質の存在であるがゆえの力。それは必ずしもよい方向に働くとはかぎりません。時には村に災厄をもたらすマレビトもいたのです(ちなみに「疫病神」もマレビトの仲間)

何度も言うが外国人力士はみな「マレビト」である。
ここは前に書いたのでそちらを。
日本人は力士・相撲取りを神事を執り行う「神」と見ている。
そして外国人力士は海の彼方からくる「マレビト」と見ている。

そして、
白鵬や琴欧州らは帰化し、土着した神となった。
白鵬 挙式(和服を着て明治神宮で挙式する白鵬。日本人そのもの。)

だが、朝青龍は禍(わざわい) をもたらす神・禍神となり、日本で暴れるだけ暴れてモンゴルに帰った「荒ぶる神」だった。
朝青龍 モンゴル(モンゴルに帰り民族衣装をまとう朝青龍)
日本に留まらない神・朝青龍を、日本人は反撥する。(スポーツとして相撲を見ている人は朝青龍を擁護し、伝統・歴史を重視する人ほど朝青龍を批難する。それはこういう点に出てくる)
だから日本人はいつも朝青龍がモンゴルに帰るのかをいつも話題にするのだ。(過去記事)

日本人にとって相撲取り・力士は五穀豊穣を願い、日本の土地を守るという「神」に近い存在であり、外国人力士が日本に留まるか(日本人になるか、ならないか)、祖国に帰ってしまうのかは、非常に重要な問題なのだ。(これは高見山や小錦や武蔵丸や曙が日本に帰化し、日本人になったため、彼らはいまでも好意を持って受け入れられている)

それを日本が「排他的なムラ社会だから朝青龍を排除している」とか、「日本の旧態依然とした悪弊的社会的システムだ」といった人もいる。しかしこれは浅慮だと思う。
日本及び日本人、日本文化は奥深いのだ。

「伝統としての相撲」「歴史としての相撲」「文化としての相撲」ここを守らねばならない。


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