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物語を物語る

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日本は中国と同じ文化ではない。ここを強く主張しなければいつしか併吞されてしまうだろう。

物語を物語る

「たかじんのそこまで言って委員会」の番外編「たかじんのいつまでも反中で委員会“アジアはひとつになれるのか”」・平成22年3月14日放送分を見た。
(群馬県人なので見るのが大変だ。)
とにかく、この回は中身が濃かった。
三宅久之 靖国参拝
「三宅久之 靖国神社参拝」、「チベットの政治学者ペマ・ギャルポと中国人の張景子のバトル」、「在日韓国人の大学教授・朴一の妄説」などなど、とにかく最高に面白かった。
しかし、それにしても張景子にはびっくりした。中国人の代表としてあちこちの番組に出演しているが、日本に帰化し「日本人」となっていたとは。しかも「パスポートをとる便宜上のために、日本国籍を取った」「私は中国人だ。国籍は関係ない」などと言い張っていた。(しかも、他の出演者にその点を突っ込まれていたが、それでもヒステリックになって反論していた。)
この番組のおかげで、中国人・朝鮮人が帰化しても「反日」的人間が紛れ込んでいるということも知った。
外国人参政権が欲しければ日本に帰化すればいい、という考えを改めなければならないかもしれない。申請時に「日本に忠誠を誓わせろ!という項目を入れろ」という三宅久之らの意見はもっともだ。
こういった現実を全国の日本人がすべて知るべきだといった意味でも、この番組は関東でも放送した方がいい。(深夜でいい)
ユーチューブで動画がUPされる度に速攻で削除してしまうのは余りにも惜しい。

そんな中、首都圏(全国ネット)で一部似たようなものが放送されたが、あまりにもヘタレで偏った内容だった。
3月26日テレビ朝日系列で「緊急!世界サミット“たけしJAPAN2”2010日本を考えるTV」。番宣は以下の通り。

「世界のたけし」が世界26カ国、総勢42名の外国人と大激論!出口の見えない不況、沈みゆく日本への世界からのダメだしにたけしが大反論!そこに見えた日本の未来とは?
日本の問題「少子化」「経済不況」「税金」3つのテーマで世界と激論。 中国は「経済不況」から脱出するには「中国人への偏見を捨て、中国の日本進出を受け入れるべき」と猛烈主張。それに対し、たけしが大反論!

この番組「2」とあるので、去年放送されたものの続編だ。その時の記事
やっぱりというか、今回も作り手の意識が何となく「反日」的なんですよね。少子化対策ではフランスを真似て「結婚しなくても子供を産める」とか、「税金と福祉の問題」では税金を高くしても福祉を充実させて北欧型の社会システムにしょうとか。
なんか「社民党」が振りまくスローガンを聞いているようで、とても気持ちが悪くなった。

この番組の欠陥は、好き勝手なことを言う外国人に対して、正論で返す日本人がいないという点にある。
高橋ジョージ、町山智浩、西川史子、ブラックマヨネーズでは、とてもではないが、まともな反論ができないので、見ていて物凄くイライラさせられる。
こういう点が「たかじんのそこまで言って委員会」との違いではないのか。

で、今回2つの番組を見ていて気になったのが、2つの番組に中国人代表として孔健と張景子が出ていて同じことを言っていること。「中国・韓国・日本は同じ文化圏なのでひとつにまとまる」とか「箸や漢字を使うから同じ文化圏だ」と中国人が主張をすることだ。つまり彼らは、日本・韓国や東南アジアの国々を含めすべてを「中華文化圏」にしようと考えている。これが最近は「冗談」に聞こえなくなってきた。
日本vs中国1

日本vs中国2

では、本当に日本は中国と同じ文化圏なのか。
まず彼らが言う「箸や漢字を使うから同じ文化圏」というのはどうだろうか。
そこで今回はこの「箸」と「漢字」に絞って日本と中国の文化の違いを見てみよう。

まず「箸」。
日本では「箸」と書いて「はし」と読む。
同じ「はし」と読んで「橋」という字があるが、これは偶然ではない。これには深い意味がある。
ちなみに、「箸」は中国語で「筷子」と書き、韓国語では「젓가락」と書く。「橋」は中国語で「桥」、韓国語で「다리 」と書く。
「日本語と神道 ~日本語を遡れば神道がわかる」茂木貞純(講談社)から引いてみましょう。

はし(橋・梯・階・箸)
橋は神道と関係があるの?
大河に橋をかけることは、大きな労力と技術力が必要で、近代に入るまで河口付近に橋はなかったといってもよい。川はむしろ境界であり、川が国境であることが多かった。東京の隅田川にかかる両国橋は、大橋ともよばれ、長さは九十六間(約一七五メートル)あったが、万治二年(一六五九)に初めて架橋された。江戸幕府が開かれ、半世紀も経なければならなかったわけである。
中略
橋の語源は、端(はし・物事のはじまる処・尽きる処など)と同根で、「端と端との間にわたすもの」(「岩波古語辞典)とのこと。
古代社会にあっては、たとえ小さな流れであっても、地域社会を区切る大切な境であった。ここに橋をかけることは、人や物の移動・交流が前提で、情報の伝達が限られていた時代には大きな決断が必要であったろう。現に江戸幕府は東海道筋の大河に幕末まで架橋を許さず、封建制維持に利用した。
橋をかけることは、分断された空間を結ぶことであり、未知の世界と繋がることであり、人々に期待と不安の双方をもたらす。ゆえに橋詰は、守るべき大切な場所とされ、聖なる場所ともなった。
中略
古くから多くの人や物、さらには目に見えない霊魂の往来のあったことを示している。橋が単に他国への通路というだけでなく、未知の他界への通路であった。ゆえに橋は神橋にも大いに関係があるといえよう。

箸を大切にする日本人
箸は「食と口との間(はし)を渡す意と云う。或いは、竹の端と端とにて挟めば云うか、物をはさむに用い、食事などする具。古への箸は、一条(ひとすじ)のものを折り曲げて、その両端にてはさみなり。後、竹、木、象牙などにて、細長く作り、二本を合わせて、指の間に用いて用いる。今は割り箸もあり」(大言海)
箸を使って食事をする風は、神代から伝わる日本人の文化である。神話の中で、須佐之男命(スサノオノミコト)が高天原から追放されて、出雲国へ天降り、川のほとりに立って、箸が川上から流れてくるのを発見し、上流に人が住んでいるに違いないと思って訪ねて行くと、おじいさんとおばあさんが娘を中において泣いていた。有名な八岐大蛇退治の話に続く部分である。古代社会で箸が人間生活の象徴としてとらえられていたことがわかる。
人間は食べ物を体内に摂取することにより、活力を得て生活することができる。その橋渡しをする食器を「ハシ」(箸)といった。私たち日本人にとっては必要欠くべからざる道具である。
ゆえに日常生活の中でも大切に扱われ、様々な箸にまつわるタブーも生まれた。さらには割り箸という独自の文化も生ずるに至った。
神事の中で神饌とともに特別な箸を添える古社がたくさんある。檜・杉・柳などが多く、手で削った箸を供えることが多い。天皇即位大嘗祭には、竹の折箸(竹の中ほどを折って麻糸を通し、ハサミ状にしたもの)が使われるという。また、夏祭りなどには青芽(あおがや)の箸が使われるなど、身近な木や竹を利用してきたことがわかる。
生後百日目に「お食初め」を行うが、これを「箸初め(はしぞめ)」ともいう。お正月やお盆には、特別の箸を準備することが多い。めでたいときは、ふつう柳の丸箸を使う。葬儀の枕飯には、隆盛にした御飯に一本箸を立てる。これはけっして行ってはならないタブーでもある。骨を拾う「二本箸」等も食卓ではしてはならないマナーである。
材料として柳や竹が用いられるのは、「新春に真っ先に芽を出す柳や強靭な生命力を持つ竹などのように、絶えず新生脱皮をはかる「生命更新」の祈りを強烈に込めたのであった」(本田壮一郎「箸の本」)とされ、大切に箸箱に入れ、他人の使用を嫌った。箸は東アジア全域で使われる食器であるが、日本では独特のマナーや信仰にまつわる箸の文化が生まれた。

日本人の箸には独自の文化があり、そこに食物を口に運ぶ、つまり生命の橋渡しという意味が込められている。
中国人はどうだろうか。箸にそんな思いを寄せるだろうか。箸に文化を求めるだろうか。「4つ足はテーブル以外はみな食べる」といった貪欲な食物文化をもつ中国人にこの繊細な文化はわかるまい。
それでも箸は食べ物を口に運ぶための「道具」として中国からやってきたのではないか、という人もいるだろう。
しかしここは、文化はオリジナリティではなく「分岐点」から始まると唱える明石散人の説が正しいと思う。
詳しくは、日本文化論。「オリジナリティの基準は根源ではなく分岐点にある。」 明石散人「日本史鑑定」からの記事で。

さて、もうひとつの「漢字」。
「漢字を使うから日本は中国と同じ文化圏だ」という点だが、これもおかしい。
なぜこういうことを主張するのかといえば、中国の周辺諸国は「周りの国は、我ら中華文化圏の一部だ」という思い込みがあるからだ。
それを認めない国は、排他的だ、友好的ではない、というわけだ。特に日本は独自な文化を持っていると主張しているから気に食わない、中国から文化を輸入したくせに認めない生意気な国だと思っている。
そして日本を罵るのに使う言葉が「島国根性」だ。
日本vs中国5

かつて金 美齢が「中国は韓国を忠実な第一の弟子、日本はその下の第二の弟子とみている。あの小さな島国が大中国を攻めたのが今でも許せないという考えが今でも残っている」という話を「たかじんのそこまで言って委員会」で言っているのを思いだした。
日本vs中国6

では、日本は漢字を使うから中国文化圏に組み入れられてしまうのか。
実はそうでもない。そこで関連本2冊からそれぞれ引用します。

高島俊男著「漢字と日本人」(文春新書)から。(関連がありそうな部分を適度に引いています。他にもこういった記述があるので、本編を当たってください。)

中国にはその二千年も前から文字があったのに日本にはなかった。これは、中国の文化がすぐれた文化であり、日本の文化が劣った文化であったからだ、と思っている人があるが、そうではありません。中国文化は早く生まれた文化であり、日本の文化はおそくうまれた文化なのである。文化も個人とおなじで、早くうまれるものがあり、あとからうまれるものもある。
早く生まれたからあとからうまれたかは、優劣とは関係がない。これは個人について考えてみればだれにもわかることですね。

日本語とは無縁
つぎに、日本人が漢字をもちいるようになり、現在ももちいていることから、漢語と日本語とは同系統の言語であるように思っている人がある。しかしそれはまちがいである。漢語と日本語とはもともとまったく別個にうまれた言語であって、類縁関係はない。
言語の系統と、それをどういう文字をつかって表記するかとは、多くのばあい無関係である。たとえば、日本語をローマ字で書きあらわすことができる。しからばその時、日本語は英語やドイツ語と同系統の言語になるかと言えば、そんなことはない。子どもでもわかることである。
もともと世界の文字は種類がごくかぎれたものである。ある言語が文字で書きあらわせると言っても、その多くは無縁の言語を書きあらわすためにできた文字を借りもちいているのである。日本語もそうである。日本語とは無縁の、漢語を書きあらわすためにできた文字(すなわち漢字)を借り、これを多少なおしてもちいているのである。カタカナやひらがなは日本独自の文字であるが、これとても漢字を簡略化して 借的にもちいているにすぎない。(「かしゃ」漢字は、漢語の一語一語を書きあらわしたものだから、みな意味を持っている。しかし時に、意味を捨ててその字の音だけをもちいることがある。つまりもっぱら音をあらわす文字としてもちいている)

日本語に親戚なし
漢語と日本語とはもともと親類関係にない。
漢語は「支那西蔵語族」に属し、チベット語、タイ語、ビルマ語などと系統をおなじくする。日本語はこの語族とは無縁である。日本語は地球上どこにも親戚のいない言葉である。(他にバスク語など)

日本語は漢語と系統を異にするにみならず、また性格がまったく異なる。もし日本語と漢語と英語の三つをとってくらべてみるならば、漢語と英語とは、系統は無論ちがうけれども、かなり似たところが多い。英語と日本語も少し似たところがある。しかし日本語と漢語とほとんど似たところがない。

日本が中国から漢字をもらったことをもって恩恵をうけた、すなわち日本語にとって幸運であったと考える人があるが、それも間違いである。
それは日本語にとって不幸である。
第一に、日本語の発達がとまってしまった。
当時の日本語はまだ幼稚な段階にあった。たとえば、具体的なものをさすことばはあったが、抽象的なものをさすことばはまだほとんどなかった。個別のものをさすことばはあったが、概括することばはなかった。
第二に、漢字は漢語は書きあらわすためにできた文字である。そこに日本語を無理に合わせた。
なぜそんな不便な文字を、なぜ日本人は採用したのか。
もし、漢字と同時にアルファベット文字が日本にはいってきていたら、日本人は、考慮の余地なくアルファベットを採用していただろう。
しかしその時、日本人にとって、漢字はこの世で唯一の文字だったのである。これ以外に別な文字が有り得る、とは、当時の日本人には思いもよらないことであった。すなわちそれは、「漢字」なのではなく、たった一つの「文字」であったのだ。



笹原宏之著「日本の漢字」 (岩波新書) (こちらも気がついた部分をランダムに抜き出しております。全編興味深い文章が書かれていますので、本編を当たってください)

漢字そのものの形は、当時の中国や朝鮮で行われたものが流れ込む一方で、日本独自に変化させたものが出てくるようになった。中国や朝鮮から伝わった漢字では十分でないと考えられた場合には、漢字に新たな用法を与え、さらに中国での漢字の構成方法にならって新たな日本産の漢字すなわち「国字」を生み出すにいたったのである。国字には、日本酒や日本刀など、日本独自の文化にかかわる文字が多くある。
和語に漢字を当てはめたものだけでなく、そもそも音読みする漢字を組合わせて新たな言葉を造ることさえ行われてきた。それが「和製漢語」である。

このように、世界中の文字や記号とその配列方法からいわば「いいとこ取り」をしてきたこと、それを自分たちの適したものへと改良していく柔軟で自由な態度が、日本の文学の多様性と結び付いているのである。

現代の日本人が、日本語を表記するための多彩で特殊な文字に囲まれ、その上それらを使いこなしているという事実は、世界の状況から考えて目をみはるべきことといえる。日本人は、外国から帰ってきた説きに日本の文字の美しさに初めて気づくという話をよく耳にする。実際に、筆者にも体験したことがある。このことは、日本の文字の特異性について、ほとんどの日本人が無意識でいられることと関連している。
このような日本の文字の多様性は、正書法のない整理すべき無秩序で、改めるべき状況とみるべきであろうか、それとも自由な選択が可能でさらによりよい方に進みうる豊かさととらえるべきであろうか。その答えは、文字の使用者、つまり日本人一人一人の意識にかかっている。少なくともこのような現状は、日本人が外来語を受容し、和製英語を造り出すまでに変容させてきた態度や、教会でクリスマスを過ごし、お寺で除夜の鐘を撞き、神社に初詣に出かけるという一週間を過ごす人がいるように、固有の文化の中に外来文化を程よく採り入れて消化し、自分たちに合うように改造を加えてきた精神と、根を同じくしているといえるであろう。

漢字は、漢字圏の中で使われ続ける中で、それぞれの社会のもつ様々な事情、諸文化や言語を複雑に反映することとなった。文化の違いで言えば、たとえば山岳などの景勝地に大きく地名を書いて示すかどうかにも差がある。語彙の面では、起源を等しくする漢語を共有するケースが多いことは事実だが、本来、音韻の体系が全く異なった別々の言語であり、文法も互いに異質であるということが前提である。かつて「同文同種」が強調されたこともあるが、たしかに唐代などの知識層であれば、漢文を通じて意思の疎通ができたであろうし、また筆談によって交易を行う人々もいたわけである。しかし、それぞれの言語を表記するために使われる字種はもちろんのこと、個々の字を見ても、形・音・義(意味)ともに各国語に合わせて独自の変容を遂げている。さらに、その組み合わせ方には、それぞれの語の文法的な特徴も深く関わり、独特な熟語が多数形成されている。
文字だけによる国際交流は、込み入った内容になるほど誤解の元となりかねない。
では、今日、漢字圏において漢字は、共通の文字となり得るか。この点について少し詳しく検討してみたい。
それぞれの国で漢字が造られる、国ごとに使われる漢字の字種は異なる。とりわけ各国で新たに造られた漢字は意外に多い。

漢字の字体を統一すればすべてのコミュニケーションがよくなるのだ、というような意見が今でも聞かれる。それが実現するならば、確かに一定の理解を可能とする便宜はあるだろう。しかし、それ以前に、日本以上に韓国やことに北朝鮮では漢字を使わなくなっているという現状があり、ベトナムでは漢字を全廃したという事実がある。
(韓国ではハングルのみで漢字はほとんど使われない。中国は新字体・簡体字の略字が使われている。)

コンピューター上での国際的な文字の基準として制定されたユニコードで、日本と中国で「字体統合」された「骨」一文字でさえ強い批判が起こった。

漢字文化圏と呼びうるものはかつて確かに存在したし、かなりの変容を経た今でもなお部分的には通用する概念であろう。しかし、その変容を経た漢字をどうとらえるのがよいか。それには、まずそれぞれの言葉を学習するしかない。文字は、ことばを表記するために生まれたものである。中国語、韓国語、そしてベトナム語を外国語として学びながら、そこに絡まりついた漢字を観察する。自国の周りの国のことばと漢字は、発音、意味ともに理解できる、少なくとも辞書を引けば理解できる、それは教養というものであろう。さらに、自らの日本語の存在が当たり前になっているとすれば、それも自覚的に、かつ客観的に見つめ直すしかない。そうすれば、日本の漢字は、他国の漢字とは異なる存在であり、それを日本の文字として尊重するとはどういうことなのか、身をもって実感できるはずである。

これら2冊の引用部分を読んでも「日本」と「中国」は違う文化だということが分かる。
それでも中国人は「同じ漢字文化圏なのだから東アジアで一つになろう」なんて強弁してくるだろう。
こうして吸収されていったのが「ウイグル」や「チベット」だ。
経済力も軍事力も強大になった中国は、周辺諸国を脅かす存在になった。そして「文化」まで同じだ、と言われたら、たちまち日本を始め周辺諸国は飲み込まれてしまうだろう。
なんどでも言う「文化=国家」なのだ。

こういった現実を見せられると「日本を守るには日本文化を守れ」と説いた三島由紀夫の「文化防衛論」の意味がよくわかる。
だからこそ、鳩山首相が施政方針で「他国と日本の文化を融合させる」と演説したことが非常に危険な言葉だということになるのだ。

本当に「日本文化」を大事にしていかなければならない。
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