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物語を物語る

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「新田一族の話題3つ」となぜか「鳥山明」

物語を物語る

新田義貞及び新田一族の話題を3つ。
1つ目

石盛遺跡 新田義貞の石丸城か

 福井市文化財保護センターは25日、室町時代の館跡などが確認されている「石盛遺跡」(福井市石盛町)で、14~16世紀に使われたとみられる新旧二つの堀跡が新たに見つかったと発表した。同遺跡は、武将・新田義貞の拠点の一つ「石丸城」の可能性が高いとされ、同センターは「堀の発見で、城の存在が裏付けられた」としている。
 同遺跡の調査は2000年度から実施。これまでに館や井戸などの遺構が見つかり、その下の地層からは弥生時代や古墳時代の集落跡なども見つかっている。09年度は館跡の南西側約1200平方メートルを調査した。
 同センターによると、石丸城は、南北朝から戦国時代にかけて存在したとされ、「太平記」では新田義貞の弟が暮らしたと記されている。戦国時代は朝倉氏の家臣の居城だったという。
 古い堀跡は、幅3・7メートル、深さ1・2メートルで、県内2例目の烏帽子(えぼし)も見つかった。新しい堀跡は幅8・7メートル、深さ2・5メートルで、幅が広いことから合戦に備えたとみられる。いずれも、出土した陶器片の形状などからそれぞれ14世紀と15世紀に設けられたと推定できるという。同センターの大川進主査は「堀は、南北朝時代の動乱や応仁の乱などに備えて造られたものではないか」としている。

(2010年3月26日 読売新聞)http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/fukui/news/20100325-OYT8T01165.htm?from=dmst3から。
太平記に出てくる「石丸城」は、巻二十「義助重集敗軍事」で、兄・義貞の死を弟・脇屋義助が聞く場面に出てくる。 

脇屋右衛門佐義助は、河合の石丸の城へ打帰て、義貞の行末をたづね給ふに、始の程は分明に知人もなかりけるが、事の様次第に顕れて、「討れ給ひけり。」と申合ければ、「日を替へず黒丸へ押寄て、大将の討れ給ひつらん所にて、同討死せん。」と宣ひけれども、いつしか兵皆あきれ迷て、只忙然たる外は指たる儀勢もなかりけり。剰へ人の心も頓て替りけるにや、野心の者内にありと覚へて、石丸の城に火を懸んとする事、一夜の内に三箇度也。


また、奥富敬之著「上州 新田一族」では、

斯波軍の南北の連絡路を封鎖した上で、義貞は本陣を石丸城(現福井市石盛町)――石盛城ともいう――に移した。三日月状に連環する足羽七城の両弧端を結ぶ直線上のほぼ中央の位置である。現在でもここには、“館中(たちなか)”“館前(たちまえ)”などの字名が、義貞本陣の名残りになっている。

とあるから、越前における新田軍の本陣であり、兄義貞の弔い合戦のときの脇屋義助の拠点となった場所だ。(ということはここに児島高徳もいたということだ。)

福井の「義貞愛」は異様に高い。これは地元・群馬よりも高いだろう。
江戸時代、当地は松平家が藩主となっていた。松平・徳川氏は、新田源氏を名乗っていたので、祖先として新田一族を顕彰していのだが、この影響もあってか、この地の人々の新田氏への尊崇の念が隅々にまで行き渡り(お殿様が率先して顕彰したので、その領地の下々の人々にまで義貞及び新田氏が尊崇の対象となった) 、それが現在も強く残っていることは確かだ。(徳川・松平氏が新田源氏の末裔を名乗った意味は、いまの現代人が考えている以上に大きいのだ。)
ほんとに福井の方々には感謝します。
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それに比べ、地元群馬は……。

2つ目
ユーチューブで見た動画から。栃尾森上「南部神社百八灯」
http://www.youtube.com/watch?v=AjRpVIZpHbo
新潟文化物語というサイトに詳しい情報があった。

長岡市森上(もりあげ)の南部神社は、奥州盛岡の地から勧請されたといわれています。森上には、南北朝の動乱期に、後に南朝方の総帥となる新田義貞が鎌倉幕府打倒をめざして上野国で挙兵したとき、早速、二千の兵を率いて駆けつけた越後妻有の豪族大井田一族に義貞挙兵を知らせたのが南部神社の山伏であったという言い伝えがあります。神社の境内には、狛犬とともに猫の石像が建ち、南部神社が別名「猫又権現」と呼ばれる所以になっています。猫の石像は、かつて、養蚕が盛んだった頃、鼠から蚕を守ることを祈って建てられたものといいますが、石像の猫が招き猫に通じ、商売繁盛や運気上昇に霊験のある神様として、栃尾地域外にも信者をもっています。この神社の最大の呼び物は、毎年5月8日の夜に行われる百八灯です。百八灯は南部神社のご加護を願う信者が神社へ通じる石段の両側に、一人、百八本の蝋燭を奉納するもので、真っ暗な闇の中に数千本の蝋燭の灯が揺れる美しさは筆舌では表現できません。当夜のハイライトは、午後 9時前後です。
出典:『とちおロードマップ』提供元:長岡市栃尾支所 商工観光課

ここには書いてありませんが、祭りが行われる5月8日は、新田義貞が挙兵した日であり、これにちなんでいるようです。
越後には新田一族の一大拠点があり、それがのちに上杉氏に仕えた、というのはNHK大河ドラマ「天地人」のときに少し触れました。過去記事
新田一族である大井田一族については、十日町市立中条中学校のホームページが分かりやすい。
今でもこういった祭りが残っていること、しかも盛大に行われていること、ほんとうに新潟の方々に感謝します。

それに比べて、地元・群馬は……。新田氏関連の行事・祭りというと、生品神社の鏑矢祭しか思い浮かばない……。

3つ目
 平成22年4月2日付け上毛新聞から。

「里見」を地図でPR
旧榛名の住民ら 史跡など写真付きで紹介
滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」で知られる里見氏発祥の地を生かした地域づくりを進めようと、高崎市の地域住民や里見氏の子孫らでつくる「里見の郷推進委員会」が1年をかけて「里見の里散策地図」を作った。郷土の歴史やゆかりの地を知ってほしいと、地元の旧榛名町内にある小中学校と高校に資料として贈る。
同委員会は、25人の会員が2007年から郷土史についての講演会や研究会、史跡めぐりツアーを企画し、新田氏の一族としても知られる里見氏発祥の地を県内外にアピールしている。
散策地図はA3版の両面印刷で2000部を作製した。表面では、榛名湖から安中北部までの地域にある17ヵ所のゆかりの史跡や神社仏閣を写真付きで紹介。裏面には里見地区の年表を置き、表と裏を照らし合わせることで、地図上の史跡や神社仏閣が、どの時代にどんな役割を担ったのかが分かる。散策地図作製には、県の地域の文化支援事業補助金を利用した。(以下略)

新田一族・里見氏で地元の話題。
これ自体はいいことなのですが、その里見氏の発祥の地となっている場所というと、これがヒドイ状態らしい。
埋もれた古城」の里見城の記事を読むと、荒れ放題で、しかも「新田義貞生誕の地」の木碑はなぎ倒されたままのようだ。
まったく、地元群馬の新田氏への「冷遇」がひど過ぎる。

では、房総の里見氏はどう扱われているかといえば、千葉県館山市を見ると、立派に「里見城」が復元され観光スポットに、市川市の「里見公園」は桜の名所となって、観光資源として生かされている。
「南総里見八犬伝」「戦国大名」としての「里見氏」と、太平記の「里見氏」では盛り上がりがり方も違うだろう。
だが、この「群馬の里見氏」と「房総の里見氏」の扱いの違いは何なのか。
これらをうまく結び付けて「里見氏は新田一族だ」というのを強く打ち出していければいいと思うだが……。

当サイトで「新田一族」の話題を取り上げると、結構各地から情報が届く。
意外に、新田一族ファンというものは多いと知った。
それに丹念に情報や話題・新聞記事などを拾って行くと全国各地に「新田一族」の祭りや行事、事蹟、伝承があるのだ。
こういった全国各地に広がる「新田義貞及び新田一族・一門」と連携し、歴史観光と結び付けられないものだろうか…。
また「太平記」の時代の武将たちは、戦国時代の武将たちともつながっていくので、これを生かして「歴史ファン」「戦国時代ブーム」「歴女」を巻きこめないだろうか、そんなことも考ければいいと思う。
しかし、それもこれも地元での「新田愛」「義貞熱」をどうやって上げていくか、そこがカギになりそうだが……。
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追記 里見氏が出てきた関連で、一つ。
「ドラゴンボール」の原作者である鳥山明はその名が示すように「新田一族・里見氏系の鳥山氏」の末裔である可能性が高い。その鳥山明のドラゴンボールは「里見八犬伝」を下地にして物語を描いたことは知られる。
しかもその里見氏・鳥山氏の末裔が「里見八犬伝」の物語を描く。これは面白い因果関係だ。
時間があったら「新田一門史」に出てくる三河の鳥山氏を書いておきます。
徳川・松平発祥地、児島高徳・三宅氏、新田一族の三河移住……、そう三河でみんなつながっていくんですよ。(鳥山明は愛知県出身)
ちなみに、群馬県太田市(新田市)に「鳥山」の地名は今もあります。

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