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物語を物語る

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歴史に学ぶとはどういうことか

物語を物語る

平成22年4月10日付 特別編集委員 橋本五郎のコラム「五郎ワールド」から
題は「自国史の豊穣さを知る 「喧騒」の歴史を排す

歴史とは何か。歴史に学ぶとはどういうことか。英国の著名な歴史家、E・H・カーは「歴史とは現在と過去との対話である」と言い切った。
文芸評論家、小林秀雄は繰り返し繰り返し、歴史に向き合う所作について書いている。
<歴史は決して二度と繰り返しはしない。だからこそ僕等は過去を惜しむのである。歴史とは、人類の巨大な恨みに似ている。歴史を貫く筋金は僕等の愛惜の念というのもであって、決して因果の鎖というようなものではないと思います>
<過去の事実が、殆ど単に過去の事実だという理由で、現在の人間の虚心の裡に蘇る。歴史というものの持つ根底の力は其所にある(中略)この測り知れぬ力に関する感受性或いは情操の陶治というものに、歴史教育の根幹がある>
日本と韓国の有識者による第二期歴史共同研究の報告書が先日公表された、日韓それぞれ17人の専門家が参加、3年の歳月をかけてまとめられた。
そこから浮かび上がったのは日韓の間に横たわる深い溝だった。日本の教科書での従軍慰安婦をめぐる記述や、韓国の「反日教育」について相互に批判するなど、歴史認識の隔たりの大きさを改めて見せつけた。
2500ページにも及ぶ報告書を前に、その労を多とし、共同研究の大切さを思う一方で、そもそも歴史の共通認識などあり得るのか、政治的要請を背景に、侃々諤々議論することなのかとも思ってしまう。
そんな疑問にとらわれている時に、3月に東大を定年退官された渡辺浩・法政大教授の近著『日本政治思想史  十七~十九世紀』(東京大学出版会)を読んだ。膨大な史料を駆使した上質の思想分析にあふれている。
「明治維新とは、歴史上われわれが知り得るもっとも完全なラジカルな革命である」
維新を目撃したロシア人革命家はこう評したが、政治、社会を根底から変え、新体制を生み出す知的な胎動はペリー来航以前に十分にあったという。
そのことを徳川政治体制下の正統思想である朱子学や伊藤仁斎、荻生徂徠、本居宣長らの思想の特徴、「開国」や「文明開化」などの思想的意味を通して立体的に分析している。
この書では、私たちが思いこんでいた「誤解」をいくつも正してくれる。儒教とは民に「忠君愛国」を勧めるような教えではない。統治する側こそが学び、信ずべき教えだった。それゆえに強力だったのだ。
徳川日本では藩が「国」であり、「日本」全体を「国」とする意識などなかったという俗説もそうだ。そもそも中世以来、「三国」(天竺、唐、日本という表現があった。)「日本」を意識する政治的、経済的、文化的統合も実在していた。
開国はペリーの来航など軍事的圧力に屈した屈辱的譲歩などでは決してなかった。普遍的な「道理」を吟味した結果、自主的に決断して「近代西洋」に自ら道を開いたのだ。
この書からは、17世紀から19世紀にかけての日本の「豊穣な歴史」ともいうべきものが立ちのぼってくる。思想をあるがままに多面的にとらえようとしているだけではない。歴史への愛(いと)おしみが感じられる。仁斎論、徂徠論にもよく出ている。
仁斎論における理想像は、誠実で思いやりがあって優しい人である。「みんな優しくなろうよ。お互い人間だもの。意地悪せず、冷たくせず、人の過ちをあまり厳しく責めず、お互いに思いやりをもって生きようよ、それが一番だよ」。仁斎はこう呼び掛けているのだ。
これはおめでたい楽天主義だろうか。泰平呆けの柔和なだけの処世術だろうか。仁斎はきっとこう反論するだろう。
あなたは、抽象的な正義・真理とやらを信じて、それを人に強いることが、それほど残酷な結果を生むかご存知ですか。人生は理屈ですか。一人一人が勝手に正義や道義を振り回すから、世界はこれほどひどい状態になるのではありませんか。
仁斎と同じように朱子学を批判して独自の儒学体系を築いた荻生徂徠の思想の根幹は、時に「近代的」と呼ばれる立場と対極にあった。
歴史観としては反進歩・反発展・反成長であり、反都市化・反市場経済である。個々人の生活については、反「自由」にして反平等、政治については反民主主義で一貫している。
賛同しにくい立場かもしれない。しかし、徂徠は、有限な天地で市場経済による無限の「発展」が可能だとは信じない。自由に流動して浅い人間関係しか持たず、それでいて悪事に走らず秩序を保てるほどに人間は立派さとも信じていなかったのだ、
我々はそれにどう反論できるのだろうか。渡辺さんは現代に生きる私たちにそう問うているのである。
自国史を描くにあたって、過去に生きた人々への「節度ある愛」が大切なのではないか。『範は歴史あり』(藤原書店)で私はそう書いた。素人の過剰な意味づけは渡辺さんには迷惑かもしれないが、『日本政治思想史』には「過去を惜しむ」気持ちがあり、「現在と過去との対話」の結晶がある。


戦後、日本の歴史観を大きく変わってしまった。歪められたといってもいい。
進歩的文化人や左翼知識人は、明治以降の日本近代化を「軍国主義」に振りまわされた暗い時代だとして否定して、江戸時代は封建社会を確立させ鎖国によって閉鎖的社会を作ったとして全否定した。
いまだにこの悲観的唯物史観を引きずっている。
この呪縛を解かない限り、日本の再生はないと思う。
そのためには自国の歴史や文化を学ぶことが必要なのではないか。

今回、似たような記述があったものをいくつか引いてみます。
中西輝政「日本人のこころのかたち」(PHP研究所)から

(その時代の多数派が説く「流行史観」を否定して)
私は文明史の立場から、歴史を見るとき最も確かな視点は、やはり「人間」という視点だと思うのである。
日本の歴史学者が書く歴史が、なぜ面白くないのか。それには様々な理由もあろうが、共通しているのは、どうしても“権威のある学問”であらねばならないと思うあまり、「学問的」とは「科学的」であるとことだという間違った学問観に支配されているからだろう。そこで、人間などという「曖昧なもの」ではなく、モノや制度という「客観的」なものに視点を置くのが「科学的」だ、ということになる。しかしこれは大変貧弱な人間観と言わなければならない。何よりも、モノや制度を動かすのは人間なのであり、そのにんげんの行動や選択というのは、モノや制度、つまり自己の利害や建前というものに対し、合理的である場合がほとんど同じくらいしばしば、非合理なものを積み重ねて行っているものだからである。
人間が歴史を動かす主人公である、という本来の歴史を見る視点を、二十一世紀の今こそ回復する必要がある、と思っている、と私は思っている。唯物主義に徹して数々の過ちを重ねた二十世紀を超えて「モノから心へ」という文明的な趨勢がはっきりとしてきた今こそ、「作業」や「思想」にハイジャックされてきた日本の歴史が大きく復権する時を迎えているのではないか。人間の歴史を動かすのは、「モノではなく心」だということも、今日一段とはっきりしてきたのではないか。……


中西輝政「日本文明の興廃」(PHP研究社)から

戦前と戦後を、何とも切り離して考えようとするところから生まれたものである。これが国家としてはじつは非常に危険な態度であることは、イギリスの歴史家トインビーも指摘していて、彼は、「過去と切り離された国家」は、時間とともに必ずその生命力を枯渇していくと述べている。そしてある文明が地上から姿を消すとき、その大きな要因には「過去との連続性」を失ったことが挙げられる、というのである。
<中略>
いま日本人は、歴史、そして未来を見るうえでの自分の「定点」を失い、大きなスケールの歴史観をもつ素地を失ってしまった。非常に深く大きな「うねり」への予感は鋭くもつつも、全体像を探しあぐねている。
いま日本人に必要なことは、文明的視野をもってこの時点を捉え直すことである。
<中略>
当時は「いずれ」払わなければならないと考えていた敗戦の「つけ」が、高度成長があまりにも成功しなかったことによってかえって見過ごされてしまった。それこそが、憲法の問題であり、戦後教育の清算という問題であり、そして「皇室と日本人」という文明観に基づく視野回復という問題であった。まったく残念なことに、二十一世紀の明白な危機がやってくるまで、つまり六十年間、この「つけ」を放棄したがゆえに、今日われわれと、われわれの国の精神基軸つまり日本文明の存続は、ギリギリの危機をまたいま直面しはじめているのである。
いまわれわれが立っているのは、このような大きな「文明史的岐路」である。「応仁の乱」の再来にも比すべき、この文明史的リスクの現状に、はたしてどれだけの日本人が気づいているのだろうか。この岐路で、日本文明はもう一度蘇り、興隆期への道を開けるのか。はたしてまた、ここで大きな「歴史的陥没期」に落ち込んでいって、二十一世紀のグローバル化した大競争の世界の中で日本文明が最後の生存(サバイバル)のエネルギーを失ってしまい、国としての存立の可能性すら失うのか。すべては、いまの日本人のあり方にかかわっている。


村上正邦・佐藤優「大和ごころ入門」(扶桑社)から

弱肉強食の新自由主義(市場原理主義)が改革であると勘違いした官僚たちが、日本の伝統、職人の魂など経済合理性で処理できない人間の要素を重視する人々を排除した。「もはや、国境を超えるマネーがすべてを決める時代なのである」と考える新自由主義という思想が、村上正邦氏に体現された「大和こころ」を叩き潰そうとしたのだ。村上氏をめぐる状況は、思想戦争なのである。
<中略>
日本を改革する処方箋はひとつしかないと思う。日本に内在する「日本の善」の力によって、現下日本にあらわれている悪を排除するのである。外来思想の知識をいくら身につけても、それだけで日本国家を危機から救い出すことはできい。過去の日本人の英知から虚心坦懐に学ぶことが、現在なによりも必要とされているのである。


範は歴史あり 橋本五郎「範は歴史あり」

村上正邦・佐藤優 大和ごころ入門 村上正邦・佐藤優 「大和ごころ入門」

中西輝政 「日本人のこころとかたち」 中西輝政 「日本人のこころとかたち」

中西輝政 「日本文明の興廃」 中西輝政 「日本文明の興廃」





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