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物語を物語る

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コメ感謝します。 そして、佐藤優。

物語を物語る

朝倉忠彦様、コメありがとうございます。励みになります。
「義貞にまつわる文章を読めることにこそ、貴ブログの希少価値がある」の一文にガツンと「と胸を衝かれ」ました。
まさにその通り。これからも新田義貞及び新田一族・一門の記事を書こうと、思いを新たにしました。

さて、コメントにあった佐藤優についてです。
(コメント記事が良かったのでそのまま引用させてもらいます。)

彼は今、「月刊日本」という雑誌に、「太平記」について連載してます。とても面白い内容ですが、ただ残念ながらこの人も、新田氏に対してはあまり高い評価はしていません。「純粋な勤王ではない」という解釈まで下しています。でも、「純粋な勤王」って何でしょうね?
「新田一族は別に尊皇ではなかった、中世の在地領主の1つがあの時代の流れの中で政治的に動いた結果、たまたま南朝方になったに過ぎない」という見方は、サヨクでなくてももはや主流となっている視点ではあるのですが、このような一面だけを強調した皮相な歴史観では、結局日本の歴史、ないしは日本人という特異な民族の精神史はつかみきれないのではないか、と思っています。

なるほど、なるほど。私はまだこの記事を読んでいないので何とも分かりませんが、佐藤優は北畠親房の「神皇正統記」を聖典のごとく信奉していますから、どうしても新田義貞・新田一族に冷淡になってしまうようですね。(北畠親房は武家全般を卑下していますけど)
ただ、後醍醐天皇が崩御され遺言をされたとき、忠臣として真っ先に挙げたのが新田義貞及び新田一族だったということだけは強く言っておきたい。

今一人万歳を早し給ふとも、旧労の輩其功を捨て敵に降んと思者は有べからず。就中世の危を見て弥命を軽ぜん官軍を数るに、先上野国に新田左中将義貞の次男左兵衛佐義興、武蔵国に其家嫡左少将義宗、越前国に脇屋刑部卿義助、同子息左衛門佐義治、此外江田・大館・里見・鳥山・田中・羽河・山名・桃井・額田・一井・金谷・堤・青竜寺・青襲・小守沢の一族都合四百余人、国々に隠謀し所々に楯篭る。造次にも忠戦を不計と云事なし。(太平記巻二十一)

新田一族の忠臣ぶりは、義貞だけを見ては分からない。それ以後一族の戦いぶりをみれば、十分分かると思うのですが……。
それに何度も言いますが、新田義貞及び新田一族(児島高徳を含む)の伝承を持つ者が、時代の乱世になると現れるというのが「新田義貞伝承を追う! 実は東毛奇談の続編シリーズ」のテーマです。
これまで、天海、明智光秀・明智秀満、井上馨、渋沢栄一、新井白石と来て、高山彦九郎、徳川水戸家、坂本龍馬、正田家、(三島由紀夫も追加します)と続く予定です。彼らが「新田一族」の伝承を背負い、日本(国体)を守ったということなのです。

といいつつも最近、佐藤優にはハマりまして、「日本国家の真髄」(産経新聞社)にはだいぶ感化されました。
佐藤優「日本国家の真髄」

金融危機から国家崩壊に至らなかったことについて、われわれはまず天照大神の御加護に対して感謝しなくてはならない。そして、日本が祭り主を中心とする祭祀共同体であることをもう一度確認し、近代的な世俗化の中で失われつつある高天原の実在に対する感覚を取り戻すことが重要だ。

こういったことを論理立てて語れる人はなかなかいない。
ユーチューブにupされていた「月刊日本主催の佐藤優特別講演会」も全部見ましたが、すごいですね。あの風貌であの語り口、膨大な知識をペーパーも見ないで淀みなくすらすらと出てくるのだから感心してしまう。

講演を見て感心したのは三島由紀夫の全共闘との討論以来だ。
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Comment

[231]
どうもです。
佐藤優、確かにこの人は凄いですね。まずその読書量、該博な知識の量、そしてそれらの蓄積から出される総合的かつ哲学的な視点、国体への観念、などなど、私なんぞは到底足元にも及びません。
ただ、こと新田氏に関しては、たぶん彼よりは色々読んだり、深く考えているという自負はありますので(苦笑)、「太平記」の中の新田氏の解釈についてはだいぶ異論がある、ということです(再度苦笑)。
もっとも、そういう私も「太平記=義貞に冷淡」という先入観を幾多もの本で植え付けられていたために、初めて「太平記」を原文で読んだ時には随分意外な感じを抱きました。鎌倉攻めの時に龍神に祈りを込める、その時の台詞のかっこよさとか、他にも印象に残る、かっこいい場面はたくさんあるし、たぶん楠木正成親子を除けば一番見せ場があるのは、あれだけ多くの登場人物がある中で実は新田義貞ではないの?とさえ今では思っているのですが、これは義貞贔屓が過ぎてそう見えるだけかもしれません(みたび苦笑)。
まあ確かに、かっこ悪い場面もありますが、でもそんなことを言い出したら、足利尊氏だって高師直だって、果ては後醍醐天皇ですら、結構ダメな場面ありますよね。結城宗広に至っては(略)

そうそう、おっしゃるとおり、後醍醐天皇の遺詔のくだりも、あの楠木正成ではなく、新田義貞・義助兄弟の名前が真先に出て来ること、また終りの方にも、確か細川清氏という猛将が南朝に寝返った際に、「このような人物に総大将を任せるから宮方は勝てないのである。もし新田義貞の息子である義興、義宗に任せていたなら、きっと最後には勝利をおさめたであろう」というような意味の文章がありましたよね。
まあ実際のところ、新田義宗を総大将にしようと南朝方が勝てたかどうかは極めて疑問ではありますが、少なくとも「太平記」の著者がそう書いたのは事実なわけで、その意味でも「太平記=新田氏に冷淡」という言い方は当たらないのではないか、と思っている次第です。

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