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美智子皇后陛下は新田一族の末裔であるから、この国を、皇室を守っている!その2 

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前回の続き
新田義貞伝承を追う! 実は「東毛奇談」の続編 シリーズ第22回
美智子皇后陛下は新田一族の末裔であるから、この国を、皇室を守っている!その2 

正田家が新田一族の末裔であるという説明は、簡素ではあるが、ちょっと気のきいた本にも書かれている。
平成皇室辞典(主婦の友社)
「正田家 皇后陛下のご実家は新田義重(源義家の孫)の重臣生田隼人重幸を祖とすると伝えられ、江戸時代に正田姓を名のり……。」
大体は、このくらいの説明であり、新田氏の家臣、新田一門だったといった記述も見られる。

で、正田氏の系譜を遡るには、実のところ日清製粉よりも正田醤油を見た方が分かりやすい。
正田醤油の本社は群馬県館林市にある。
正田醤油 正田醤油株式会社正面
正田醤油本社正田醤油本社社屋
そしてこの敷地内に「正田記念館」がある。
正田記念館 入口正田記念館 入口

正田本家展示品を見ると「正田本家」の名がある。つまり正田醤油が本家筋にあたる。(美智子皇后陛下の祖父・正田貞一郎が創立した館林製粉後の日清製粉は分家筋にあたる。これは後で説明する)

この正田記念館に入ってすぐに案内板がある。
正田記念館 1
ここにも「正田家の祖先は、平安時代に、源義国に付き従いて上野国新田荘に移り住み、正田(庄田)隼人と称し…徳川家康の命により正田と改名した……」と書かれている。

ではもう少し詳しく書かれているものを引いてみましょう。
群馬姓名辞典から


正田〈館林〉
大手町の正田家の祖は、源義国に従って新田荘尾島(尾島町)に来住した生田(庄田)隼人という。天正十八年徳川家康に関東入部の際に呼び出され、新田徳川系図を提出した時、正田に改めたといい、また、八代将軍吉宗の代に旗本に同姓同名の者がいるので紛らわしいとして正田に改めたという。
江戸中期に館林に分家し、文右衛門を襲名して米穀商を営み、目車名主と新紺屋名主を兼務した。文右衛門(明治二八年没)は安政の大地震の罹災者救済のため、米穀を船に満載して江戸に送った。明治維新後、醤油業醸造業に転じ、「正田醤油」の基をつくった。この文右衛門の次男作次郎は、横浜で外米輸入業を営んだ。その子貞一郎は館林で育ち、祖父の業に従い、明治三三年館林製粉(現日清製粉)を興した。貞一郎の三男英三郎は日清製粉を継ぎ、その長女美智子は昭和三四年皇太子明仁親王の妃となった。四代文右衛門の分家に卯平を襲名する正田卯平商店がある。

正田〈尾島町〉
徳川の正田家の祖先は新田氏の家臣で、新田義重の子世良田(徳川)義季に仕えて徳川郷に居住した正田隼人佐重幸という(正木家文書)。徳川氏が名字の地を去ったのちも当地に残存し、徳川の館跡に居住した。
天正一八年、当主の義豊は徳川家康に呼ばれて、徳川氏発祥地とみられた徳川郷の名主に任じられ、代々世襲した。この時家康の命により生田を正田と改めたという。(境町・川越俊介所蔵江田生田両姓合系図写)
郷民も免租など特別待遇を受けた。代々隼人を襲名し、その一族と称する家が徳川・世良田・出塚・押切などにある。


また「正田記念館」パンフレットには、

正田家は代々現在の新田郡尾島町世良田(現在合併し太田市)に居住していましたが、正田六三郎(1682年没)が館林に移って商人となったのが館林の正田の始まりであります。
その後は代々「米文」の暖簾のもとに米穀商を営み、その名声は江戸から遠く大阪にまで聞こえ、又、かたわら町名主を務める人物も出たと言われます。
明治6年(1873年)3代正田文右衛門が醤油の醸造を創め爾来110有余年、今日に及んでおります。

とある。
つまり正田氏は、新田一族(家臣)→室町・戦国時代は世良田郷にそのまま在住(新田一族の世良田氏は三河に移住。この系譜と家康は結び付けた)→江戸期、本家は徳川郷の名主、分家した正田家は館林へ→米穀商→醤油製造業→明治期に分家した製粉会社を興す、といった流れである。

旧尾島町の世良田郷・徳川郷にいた正田氏が分家し、館林へ移住となっているが、実にこの道程には「新田氏遺跡」が数多く存在している。(大泉町の児島高徳の墓、邑楽町の篠塚伊賀守の寺、館林のつつじが岡公園は新田義貞・勾当内侍の伝説など過去記事)
また利根川の水運を使っての移動も便利であろう。
世界・ふしぎ発見 世良田・地図過去記事
正田氏を遡れば新田氏との結び付きは強いことが分かる。

ここで見てきたように、世良田郷から分家し、現在につながる正田家の流れはこれでつかめたと思う。
ではそれ以前の「正田氏」はどうであったのか、これは次回に詳しく書いてみます。




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Comment

[325] 三代目文右衛門さんに関して
はじめまして。
私はあるお仕事の件で、三代目文右衛門さんと安政の大地震のことを調べています。実は、安政の大地震で江戸に米を送ったのは、二代目文右衛門さんだと書いているHPもあり、その真偽が知りたのですが、貴殿が書かれている「群馬姓名辞典」という本はどちらで手に入る(閲覧できる)本でしょうか?教えて頂ければ幸いです。

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